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第三章――深く静かな学園の底
第16話 学園に眠る“禁忌《フォビドゥン》”
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「“禁忌”。人智の底、深奥の扉を押し開いて出づる、死と破壊が形を成した最悪の権化」
傘の柄を握るアレクサンドラの手に、力が籠もる。
「人が成り堕ちた災厄を鎮められるのは、わたくし達しかいないのです。秘密を守り、なおかつあの強大なモンスターと戦えるわたくし達しか」
セシュナは挑みかかるように、口を開く。
「アレクサンドラさん、あなたは半分しか質問に答えてない。どうして、隠すんです。“禁忌”の存在を」
「理由は三つ。一つ、モンスターと化した人間を元に戻す方法はありません。二つ、あれは伝染し、増殖するのです――疫病のように。そして三つ目。『病』は、このティンクルバニアでしか発生していないからですわ」
アレクサンドラの言葉は、それでもなお優美と言ってよかった。
「……この事実が持つ意味、お分かりいただけるかしら?」
つまり“禁忌”は、ただのモンスターではなく。
どんな悪疫よりも残虐で悪質な、自らを拡散し再生産を続ける病魔。
「この街は――ティンクルバニアという都市は、多くの人々が生きる場所。そして学園は、わたくし達の未来を築く為の大切な礎ですわ。その平和と繁栄を守る為に、ここが呪わしい悪鬼の苗床などと知られてはならない。決して」
セシュナは思わず自らの右手を見やった。
あの時、這い寄る闇に飲まれかけた手を。
「……もしも、あれが風土病なら。何か原因があるはず」
「ええ、もしそうなら根絶できるでしょう。もしも対処できる原因があるなら」
握りしめられた傘が微かに震えていた。金属と石が擦れる硬い音。
「でもそうではない。だから、わたくし達はあれを隠滅するのです」
「でも、それは」
「欺瞞だと仰られるの? 真実を晒すべきだと」
二の句を次ぐ暇は無かった。
アレクサンドラは決然と、セシュナに問いかけてくる。聞き分けのない子供を叱るように。
「全てを明るみに出して、それで何が残りますの? 何が失われますの? この街に暮らす人々に、この学園に夢と希望を託した生徒達に、この街が百年の間に積み重ねてきた、全てのものに。何が残されると言うんですの?」
セシュナは――黙ることしかできなかった。
「この街を良く知りもしない留学生に、一体何が分かるんですの?」
言葉は、殷々と夜に響き。
再び訪れた沈黙はずっと長く感じられた。
降り積もる月の雫が数えられそうなほど、重く静かな時間。
「……ごめんなさい。少し、言葉が過ぎましたわね」
知らぬ間に俯いていた顔を起こして。
セシュナはアレクサンドラの黒い仮面を再び見上げた。
「いずれにせよ。わたくし達が――いいえ、この学園が示せる選択肢は、二つだけですわ」
目元の白い雫が、月の光で微かに浮かび上がっている。
「わたくし達と共に秘密を守り、“禁忌”と戦うか。それとも、全てを失うか」
セシュナはもう一度、自分が置かれている状況を冷静に考えようとした。
(僕は何をするために、学園へ来た? 何を求めて――故郷を出たんだ?)
視線を周囲に向ける。彼女達の黒い仮面からは何も読み取れない。
――皆それぞれに迷い悩んだのだろうか。それとも未だに戸惑い、自らに問い続けているのだろうか。
あのモンスターを――人間が成れ果てた悲劇を、密かに滅ぼすことの意味を。
結局の所、納得するしかない。
いや。納得していることを、改めて認めるしかない。
(僕は、真実を見て、聞いて、知って。そうして、決めたかったんだ)
正しいと思える何かを。
誰かに任せることなく、自分自身で。
セシュナは一度、瞼を閉ざし。
アレクサンドラを――その背後に控える聖女の立像をも見据えて、声を上げた。
「――分かりました。僕も戦います」
何を選んだ所で。
知ってしまったのならば、目を背けることは出来ない。
誰かに押し付けても、逃げ出しても。忘れることなど出来はしない。
己が背負った紅い眼の凶相と同じく。
目の前の敵に立ち向かうより他に、選択肢などない。
アレクサンドラは頷くと、手にしていた傘を傍らのフォースに預けた。
「ならば、誓いを立ててくださいな。そしてそれを、血を以って刻むのですわ」
懐から鞘に入った短剣を取り出し、セシュナに差し出してくる。
儀礼用の剣であることは、一目で知れた。鍔元に埋め込まれた赤い宝石と、直線を多用した複雑な彫金の鞘。
「一つ。“禁忌”を隠滅せよ。徹底的に、絶対的に、確実に」
彼女は厳かに宣った。
「二つ。学園を守護せよ。徹底的に、絶対的に、確実に」
声は染み入るように、夜闇を震わせる。
「三つ。結社を秘匿せよ。徹底的に、絶対的に、確実に」
短剣の鞘が月の光を映して、煌めきを零した。
「大いなる母と己が魂にかけて。誓うのならば、その手に剣を取れ」
セシュナは手を伸ばす。剣の柄は、今までどれだけの人間に握られてきたのか、かなり摩耗していた。
ひやりと冷たく、腹の底が震えるような感触。
「刃を以って血を流し、母なるミリアの御前にて証しを刻め」
アレクサンドラが脇に退くと。
慈悲深き女神の似姿は、月光の下でその白い肌を晒していた。
彼女の足元には祭壇がある。臙脂の布をかけられた説教台の向こうに控えているのは、いつの間に移動したのか、錫杖を抱きかかえた黒尽くめ――シックスだった。
祭壇の前に立つ。そこに置かれているのは、銀の皿に載せられた聖ミリアの肖像画。
風の吹く木陰で竪琴をかき鳴らす、最も有名な情景の複写。
長い黒髪が風になびき、足元まで広がる白い衣が美しい。
セシュナは恐る恐る短剣を引き抜く。思ったよりも手応えは軽やかで、晒された刃は鋭いものだった。
切っ先で左の親指を突くと、すぐに血の玉が浮かぶ。
彼は、指先を証書にかざした。
雫の一つが落ち、聖女の右眼に紅い涙が浮かぶ。
シックスに短剣を渡す。今度は彼女が指に刃を当てる。白く滑らかな指の上ならば、鮮血は尚の事美しい。
彼女の血も、一滴。
今度は聖女の左眼から、鮮やかな血の涙が溢れる。
「誓いと覚悟において、汝と我等は結ばれる――我等は同じ聖女の血を授かりし兄弟姉妹、すなわち『ミリアの子供』なり」
気付けば、黒衣の少年少女は祭壇に寄り集まり。
一人進み出た武器を持たぬ少年――ニザナキが諸手を翳す。
「もし、この誓いが破られることがあれば。ここに描かれた聖母ミリアの如く、その命も燃え尽きるであろう」
アレクサンドラの無慈悲な言葉に合わせて、ニザナキが何事かを呟くと。
不意に生まれた炎が、聖堂の闇を払い除けた。
「…………!!」
魔法が生み出した紅蓮の炎が、画布に描かれた聖女を焼き尽くしていく。
かすかに爆ぜた火の粉が、彼らの黒い面を撫でた。
やがて白銀の皿には、赤黒い消し炭だけが積み重なり。
「……これで、あなたもわたくし達の仲間――いえ、姉弟ですわ」
仮面の下から現れたのは、やはりアレクサンドラの美貌だった。
陽の下で見るよりもよっぽど鮮やかで、眩いほどのアイスブルーの眼差し。
「お迎えいたしましょう、改めて。わたくしは、母なる聖女の第一子。長女アレクサンドラ。ようこそ、セシュナ。新しい弟を迎えられて、本当に嬉しいですわ」
傘の柄を握るアレクサンドラの手に、力が籠もる。
「人が成り堕ちた災厄を鎮められるのは、わたくし達しかいないのです。秘密を守り、なおかつあの強大なモンスターと戦えるわたくし達しか」
セシュナは挑みかかるように、口を開く。
「アレクサンドラさん、あなたは半分しか質問に答えてない。どうして、隠すんです。“禁忌”の存在を」
「理由は三つ。一つ、モンスターと化した人間を元に戻す方法はありません。二つ、あれは伝染し、増殖するのです――疫病のように。そして三つ目。『病』は、このティンクルバニアでしか発生していないからですわ」
アレクサンドラの言葉は、それでもなお優美と言ってよかった。
「……この事実が持つ意味、お分かりいただけるかしら?」
つまり“禁忌”は、ただのモンスターではなく。
どんな悪疫よりも残虐で悪質な、自らを拡散し再生産を続ける病魔。
「この街は――ティンクルバニアという都市は、多くの人々が生きる場所。そして学園は、わたくし達の未来を築く為の大切な礎ですわ。その平和と繁栄を守る為に、ここが呪わしい悪鬼の苗床などと知られてはならない。決して」
セシュナは思わず自らの右手を見やった。
あの時、這い寄る闇に飲まれかけた手を。
「……もしも、あれが風土病なら。何か原因があるはず」
「ええ、もしそうなら根絶できるでしょう。もしも対処できる原因があるなら」
握りしめられた傘が微かに震えていた。金属と石が擦れる硬い音。
「でもそうではない。だから、わたくし達はあれを隠滅するのです」
「でも、それは」
「欺瞞だと仰られるの? 真実を晒すべきだと」
二の句を次ぐ暇は無かった。
アレクサンドラは決然と、セシュナに問いかけてくる。聞き分けのない子供を叱るように。
「全てを明るみに出して、それで何が残りますの? 何が失われますの? この街に暮らす人々に、この学園に夢と希望を託した生徒達に、この街が百年の間に積み重ねてきた、全てのものに。何が残されると言うんですの?」
セシュナは――黙ることしかできなかった。
「この街を良く知りもしない留学生に、一体何が分かるんですの?」
言葉は、殷々と夜に響き。
再び訪れた沈黙はずっと長く感じられた。
降り積もる月の雫が数えられそうなほど、重く静かな時間。
「……ごめんなさい。少し、言葉が過ぎましたわね」
知らぬ間に俯いていた顔を起こして。
セシュナはアレクサンドラの黒い仮面を再び見上げた。
「いずれにせよ。わたくし達が――いいえ、この学園が示せる選択肢は、二つだけですわ」
目元の白い雫が、月の光で微かに浮かび上がっている。
「わたくし達と共に秘密を守り、“禁忌”と戦うか。それとも、全てを失うか」
セシュナはもう一度、自分が置かれている状況を冷静に考えようとした。
(僕は何をするために、学園へ来た? 何を求めて――故郷を出たんだ?)
視線を周囲に向ける。彼女達の黒い仮面からは何も読み取れない。
――皆それぞれに迷い悩んだのだろうか。それとも未だに戸惑い、自らに問い続けているのだろうか。
あのモンスターを――人間が成れ果てた悲劇を、密かに滅ぼすことの意味を。
結局の所、納得するしかない。
いや。納得していることを、改めて認めるしかない。
(僕は、真実を見て、聞いて、知って。そうして、決めたかったんだ)
正しいと思える何かを。
誰かに任せることなく、自分自身で。
セシュナは一度、瞼を閉ざし。
アレクサンドラを――その背後に控える聖女の立像をも見据えて、声を上げた。
「――分かりました。僕も戦います」
何を選んだ所で。
知ってしまったのならば、目を背けることは出来ない。
誰かに押し付けても、逃げ出しても。忘れることなど出来はしない。
己が背負った紅い眼の凶相と同じく。
目の前の敵に立ち向かうより他に、選択肢などない。
アレクサンドラは頷くと、手にしていた傘を傍らのフォースに預けた。
「ならば、誓いを立ててくださいな。そしてそれを、血を以って刻むのですわ」
懐から鞘に入った短剣を取り出し、セシュナに差し出してくる。
儀礼用の剣であることは、一目で知れた。鍔元に埋め込まれた赤い宝石と、直線を多用した複雑な彫金の鞘。
「一つ。“禁忌”を隠滅せよ。徹底的に、絶対的に、確実に」
彼女は厳かに宣った。
「二つ。学園を守護せよ。徹底的に、絶対的に、確実に」
声は染み入るように、夜闇を震わせる。
「三つ。結社を秘匿せよ。徹底的に、絶対的に、確実に」
短剣の鞘が月の光を映して、煌めきを零した。
「大いなる母と己が魂にかけて。誓うのならば、その手に剣を取れ」
セシュナは手を伸ばす。剣の柄は、今までどれだけの人間に握られてきたのか、かなり摩耗していた。
ひやりと冷たく、腹の底が震えるような感触。
「刃を以って血を流し、母なるミリアの御前にて証しを刻め」
アレクサンドラが脇に退くと。
慈悲深き女神の似姿は、月光の下でその白い肌を晒していた。
彼女の足元には祭壇がある。臙脂の布をかけられた説教台の向こうに控えているのは、いつの間に移動したのか、錫杖を抱きかかえた黒尽くめ――シックスだった。
祭壇の前に立つ。そこに置かれているのは、銀の皿に載せられた聖ミリアの肖像画。
風の吹く木陰で竪琴をかき鳴らす、最も有名な情景の複写。
長い黒髪が風になびき、足元まで広がる白い衣が美しい。
セシュナは恐る恐る短剣を引き抜く。思ったよりも手応えは軽やかで、晒された刃は鋭いものだった。
切っ先で左の親指を突くと、すぐに血の玉が浮かぶ。
彼は、指先を証書にかざした。
雫の一つが落ち、聖女の右眼に紅い涙が浮かぶ。
シックスに短剣を渡す。今度は彼女が指に刃を当てる。白く滑らかな指の上ならば、鮮血は尚の事美しい。
彼女の血も、一滴。
今度は聖女の左眼から、鮮やかな血の涙が溢れる。
「誓いと覚悟において、汝と我等は結ばれる――我等は同じ聖女の血を授かりし兄弟姉妹、すなわち『ミリアの子供』なり」
気付けば、黒衣の少年少女は祭壇に寄り集まり。
一人進み出た武器を持たぬ少年――ニザナキが諸手を翳す。
「もし、この誓いが破られることがあれば。ここに描かれた聖母ミリアの如く、その命も燃え尽きるであろう」
アレクサンドラの無慈悲な言葉に合わせて、ニザナキが何事かを呟くと。
不意に生まれた炎が、聖堂の闇を払い除けた。
「…………!!」
魔法が生み出した紅蓮の炎が、画布に描かれた聖女を焼き尽くしていく。
かすかに爆ぜた火の粉が、彼らの黒い面を撫でた。
やがて白銀の皿には、赤黒い消し炭だけが積み重なり。
「……これで、あなたもわたくし達の仲間――いえ、姉弟ですわ」
仮面の下から現れたのは、やはりアレクサンドラの美貌だった。
陽の下で見るよりもよっぽど鮮やかで、眩いほどのアイスブルーの眼差し。
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