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第四章――ざわめくは学園の風
第24話 彼女の覚悟
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「美味しかった」
「……へっ、えっ?」
「セシュナ君が獲った鹿。すごく、美味しかった」
セシュナは自分が呆然としていたことに、ようやく気付いた――そして、ミロウが雑談を投げ掛けてくるという前代未聞の事態に、またしても呆然としていた。
狩猟場からティンクルバニア市街に戻り、借りていた馬や弓などをアレクサンドラの屋敷に返した頃には、かなり日が傾いていた。レイン家お抱えのシェフの腕前は素晴らしく、射止めた鹿一頭と兎二羽は、あっという間にセシュナ達の胃袋へと消え。しばらくの歓談を経て、特待生達の集いはお開きとなった。
三々五々、帰途に就く中で、セシュナとミロウは二人だけの馬車に乗っている。共にコール家の屋敷に戻るために。
(学園の乗合馬車より、全然快適だ。流石、副大統領ファミリーの愛車)
レイン家から御者付きで貸し出された馬車は三頭立ての箱型で、革張りの座席にはたっぷりと綿が詰め込まれていた。その上、石畳の上を進んでいるのにまるで揺れる気配がない。丸テーブルに置かれたガラスの水差しは、湖面と同じように静かだった。
車窓からは、ガス灯に照らしだされるチェルシー区の景色が見える。どこの邸宅も同じように晩餐を開いているようで、遠く歓談が聞こえた。
その音がはっきりと響くぐらいに、車内は静かだった。
乗降口近くに腰掛けたセシュナとはちょうど反対。窓の脇に座ったミロウは、こちらの様子を伺っているのかいないのか、いまいち不明瞭な視線を注いでくる。
「……どうだった?」
その質問に、他意などあるはずもなかったが。
セシュナは何故か後ろめたい気持ちで、傍らの小さなワイン保管庫を指で叩きながら。
「え、っと。あの、うん。鹿。肉。すっごい美味しかったね!」
「違う。テオドア・デューンのこと。イザベラ・デステに話を聞くって」
その名前を聞いた瞬間。
セシュナは身体の何処かがぐっと縮まるような気がした。少しだけ、息が出来なくなる。
「……それとも、ローストした鹿の話、もう一度する?」
問い直されて、セシュナは首を振った。
「えと。イザベラさんの話だと、テオドア・デューンはすごい人気者だったって。部員達に頼まれて弁論部とフットボール部の掛け持ちもしてたって」
テオドアは首都であるプレストア特別区の出身で、ティンクルバニア市内には単身で下宿していた。父親は筋金入りの保守派議員で、学園においては中流の――それでも充分に裕福なのだろうが――経済力だったという。部活も学問も成績は上々、周りに人が絶えないタイプだった。
「憶えてる。わたしみたいな妖精族や獣人の生徒を嫌うグループの中心にいた」
「……イザベラさんが最後に会ったのは、放課後の図書館。弁論部の調査の為に居残りするテオドア・デューンを置いて、先に帰ったことを憶えてるって」
「“開花”したテオドアを隠滅したのは、聖堂。移動の痕跡は図書館から。イザベラ・デステは、多分、人間だった彼と会った最後の一人」
ミロウは半年前の出来事でもすらすらと喋る。
セシュナは――彼女を戸惑わせると気付きながらも、やはり問わずにはいられなかった。
「ねえ、ミロウさん」
「……なに」
「ミロウさんは、その、どうして『ミリアの子供達』にいるの?」
「それ。今、関係ある?」
頷き返すことは出来ないが、かと言って首も振らず、彼はミロウの黒い瞳を見つめ返す。
ミロウが小首を傾げた。遠い記憶を掘り返すかのように。
「……成り行き。“禁忌”に襲われた所を、アレクサンドラ先輩達に助けられた。わたしも退学だって脅されて、学園は辞めたくなかったから」
「そっか……うん。そうなんだ」
あやふやに口籠るこちらを見て、ミロウは胡乱げな表情を浮かべる。
滑らかな眉間は微かに皺が寄っても美しい。
「……何が言いたいの」
セシュナは息を吸う。
はっきりと口にするには、少なくともそれぐらいの時間は必要だった。
「その。正直な所、まだ受け入れられてない、んだと思う。人間だったはずのモンスターを狩るって事を」
理屈は飲み込んでいる。アレクサンドラの話を聞いて、心の置き所も理解したつもりだった。
もう人間には戻れないなら、せめて悲劇を広げる前に滅ぼしてやらなければ。
彼らにしてやれることは、それしかない。
「……鹿や兎と、同じ」
しかしミロウの答えは冷徹だった。
漆黒の瞳は揺らがない。
「エルフには、”静寂の言葉”がある。鹿も兎も、大地も木々も、精霊も。皆と言葉を交わせる」
真夜中と同じ色で、彼の紅く濡れた眼さえも包み込む。
「彼らの意思をエルフは尊重する。その苦しみも断末魔も理解する。でもエルフは動物を狩る。エルフにとっては、二本の足で歩く者も、四本の足で歩く者も、翼で空を舞う者も、根を張る者も、同じ」
声なき言葉で語る者。言葉なき意思を聞き取る者。
ミロウは静かに口を開く。
それがただの真実であるかのように。
「必要なら、狩るしかない」
セシュナは黙ったまま、ミロウを見据えた。
夜の闇に飛び出す時にも似た不安を胸に。
「……それは。辛くは、ない?」
ミロウは頷いて、
「分かっているのに何もしない方が、もっと辛いから」
不意に――
馬車が、動きを止めた。
「あれ……どうしたんだろう?」
石でも踏んだのか。こんな街中では滅多に無いトラブルだ。交差点での譲り合いもないだろう。仕事からの帰宅には遅く、晩餐の終了には早い。
「故障なら、僕、ちょっと手伝いに――」
「待って。聞こえる」
耳を澄ませば聞こえてくる。驚く馬の嘶きと、御者が誰かと言い争う声。
セシュナはミロウと目を合わせた。
「……誰だろ」
「分からない。でも、嫌な予感」
互いに頷く。
セシュナはゆっくりと息を吐いて、乗降口の側で壁にぴたりと背中を寄せた。
やがて鈍い音と共に言い争いが途切れる。
その辺りでセシュナは覚悟を決めた。
馬車の扉が、何度か乱暴に揺れて。
最後には蝶番ごと吹き飛んだ。
「――――」
何事か怒鳴りながら、男が馬車の中に踏み込んでくる。
セシュナは全力で、保管庫から抜き取ったワインボトルを叩きつけた。
「……へっ、えっ?」
「セシュナ君が獲った鹿。すごく、美味しかった」
セシュナは自分が呆然としていたことに、ようやく気付いた――そして、ミロウが雑談を投げ掛けてくるという前代未聞の事態に、またしても呆然としていた。
狩猟場からティンクルバニア市街に戻り、借りていた馬や弓などをアレクサンドラの屋敷に返した頃には、かなり日が傾いていた。レイン家お抱えのシェフの腕前は素晴らしく、射止めた鹿一頭と兎二羽は、あっという間にセシュナ達の胃袋へと消え。しばらくの歓談を経て、特待生達の集いはお開きとなった。
三々五々、帰途に就く中で、セシュナとミロウは二人だけの馬車に乗っている。共にコール家の屋敷に戻るために。
(学園の乗合馬車より、全然快適だ。流石、副大統領ファミリーの愛車)
レイン家から御者付きで貸し出された馬車は三頭立ての箱型で、革張りの座席にはたっぷりと綿が詰め込まれていた。その上、石畳の上を進んでいるのにまるで揺れる気配がない。丸テーブルに置かれたガラスの水差しは、湖面と同じように静かだった。
車窓からは、ガス灯に照らしだされるチェルシー区の景色が見える。どこの邸宅も同じように晩餐を開いているようで、遠く歓談が聞こえた。
その音がはっきりと響くぐらいに、車内は静かだった。
乗降口近くに腰掛けたセシュナとはちょうど反対。窓の脇に座ったミロウは、こちらの様子を伺っているのかいないのか、いまいち不明瞭な視線を注いでくる。
「……どうだった?」
その質問に、他意などあるはずもなかったが。
セシュナは何故か後ろめたい気持ちで、傍らの小さなワイン保管庫を指で叩きながら。
「え、っと。あの、うん。鹿。肉。すっごい美味しかったね!」
「違う。テオドア・デューンのこと。イザベラ・デステに話を聞くって」
その名前を聞いた瞬間。
セシュナは身体の何処かがぐっと縮まるような気がした。少しだけ、息が出来なくなる。
「……それとも、ローストした鹿の話、もう一度する?」
問い直されて、セシュナは首を振った。
「えと。イザベラさんの話だと、テオドア・デューンはすごい人気者だったって。部員達に頼まれて弁論部とフットボール部の掛け持ちもしてたって」
テオドアは首都であるプレストア特別区の出身で、ティンクルバニア市内には単身で下宿していた。父親は筋金入りの保守派議員で、学園においては中流の――それでも充分に裕福なのだろうが――経済力だったという。部活も学問も成績は上々、周りに人が絶えないタイプだった。
「憶えてる。わたしみたいな妖精族や獣人の生徒を嫌うグループの中心にいた」
「……イザベラさんが最後に会ったのは、放課後の図書館。弁論部の調査の為に居残りするテオドア・デューンを置いて、先に帰ったことを憶えてるって」
「“開花”したテオドアを隠滅したのは、聖堂。移動の痕跡は図書館から。イザベラ・デステは、多分、人間だった彼と会った最後の一人」
ミロウは半年前の出来事でもすらすらと喋る。
セシュナは――彼女を戸惑わせると気付きながらも、やはり問わずにはいられなかった。
「ねえ、ミロウさん」
「……なに」
「ミロウさんは、その、どうして『ミリアの子供達』にいるの?」
「それ。今、関係ある?」
頷き返すことは出来ないが、かと言って首も振らず、彼はミロウの黒い瞳を見つめ返す。
ミロウが小首を傾げた。遠い記憶を掘り返すかのように。
「……成り行き。“禁忌”に襲われた所を、アレクサンドラ先輩達に助けられた。わたしも退学だって脅されて、学園は辞めたくなかったから」
「そっか……うん。そうなんだ」
あやふやに口籠るこちらを見て、ミロウは胡乱げな表情を浮かべる。
滑らかな眉間は微かに皺が寄っても美しい。
「……何が言いたいの」
セシュナは息を吸う。
はっきりと口にするには、少なくともそれぐらいの時間は必要だった。
「その。正直な所、まだ受け入れられてない、んだと思う。人間だったはずのモンスターを狩るって事を」
理屈は飲み込んでいる。アレクサンドラの話を聞いて、心の置き所も理解したつもりだった。
もう人間には戻れないなら、せめて悲劇を広げる前に滅ぼしてやらなければ。
彼らにしてやれることは、それしかない。
「……鹿や兎と、同じ」
しかしミロウの答えは冷徹だった。
漆黒の瞳は揺らがない。
「エルフには、”静寂の言葉”がある。鹿も兎も、大地も木々も、精霊も。皆と言葉を交わせる」
真夜中と同じ色で、彼の紅く濡れた眼さえも包み込む。
「彼らの意思をエルフは尊重する。その苦しみも断末魔も理解する。でもエルフは動物を狩る。エルフにとっては、二本の足で歩く者も、四本の足で歩く者も、翼で空を舞う者も、根を張る者も、同じ」
声なき言葉で語る者。言葉なき意思を聞き取る者。
ミロウは静かに口を開く。
それがただの真実であるかのように。
「必要なら、狩るしかない」
セシュナは黙ったまま、ミロウを見据えた。
夜の闇に飛び出す時にも似た不安を胸に。
「……それは。辛くは、ない?」
ミロウは頷いて、
「分かっているのに何もしない方が、もっと辛いから」
不意に――
馬車が、動きを止めた。
「あれ……どうしたんだろう?」
石でも踏んだのか。こんな街中では滅多に無いトラブルだ。交差点での譲り合いもないだろう。仕事からの帰宅には遅く、晩餐の終了には早い。
「故障なら、僕、ちょっと手伝いに――」
「待って。聞こえる」
耳を澄ませば聞こえてくる。驚く馬の嘶きと、御者が誰かと言い争う声。
セシュナはミロウと目を合わせた。
「……誰だろ」
「分からない。でも、嫌な予感」
互いに頷く。
セシュナはゆっくりと息を吐いて、乗降口の側で壁にぴたりと背中を寄せた。
やがて鈍い音と共に言い争いが途切れる。
その辺りでセシュナは覚悟を決めた。
馬車の扉が、何度か乱暴に揺れて。
最後には蝶番ごと吹き飛んだ。
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