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第四章――ざわめくは学園の風

第25話 暗殺者達の襲撃

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 ガラス瓶が派手な音を立てて砕け散る。破片に顔面を抉られて、男は悲鳴を上げながら転げ落ちた。
 炸裂したワインが、車内に得も言われぬ芳醇な香りをぶち撒ける。

「ぶわ――っ!?」

 倒れた男を押し退けてきた二人目には足払いをお見舞いする。倒れた男の首を、ミロウがクッションと全体重で押さえ込んだ。もがく背中を踏みつけて、セシュナは外を伺う。

 高級住宅街の夜には似つかわしくない、武装した男が二人――顔を抑えてのたうち回る者も含めると三人。
 まさか車内で待ち伏せを受けるとは思っていなかったのだろう。唖然とした表情で、車内にいるこちらと顔面にガラスが刺さった仲間を交互に見やっている。

 セシュナは、ブーツの下で潰れている男を少し強めに蹴りつけて黙らせた。男が握っていた小振りな剣を奪い取り。

(……刃は潰されてない。こいつら、本気だ)

 襲撃者達の注意が定まる前に、さっさと車外へと飛び出す。

 慌てて打ちかかってくる棍棒を身を反らしてかわし、続く長剣の一薙ぎは、踏み込みながら小剣で鍔元を打ち落とす。思わぬ加重に前のめる男の顔面へ、交差法気味の右膝蹴り。男は鼻血を噴き出しながら仰け反った。

 セシュナは動きを止めず、振り返りざまに二度目の棍棒を斬り払う。太い樫材がくるくると夜闇を舞った。振り抜いた勢いに流されて体勢を崩した男の横面を、返す刃の腹で一撃する。ほとんど吹き飛ぶように石畳に転げて、男は動かなくなった。

 馬車の乗降口へと戻る。車両の中から何度か瓶を叩き付ける音がした後、錫杖を片手にミロウが顔を出した。
 降りてくる彼女に手を貸しながら。

「強盗……って感じじゃないよね?」

 セシュナは呟いた。

「……さあ」

 最後のステップから飛び降りたミロウの返事は、あっけらかんとしている。

「確認してから倒せばよかった」
「あ、うん、いや、でもそんな余裕無くって」

 男達はいずれも体格が良く、十分な訓練を受けているように見えた。防具の類こそつけていないが、皆黒い覆面をし、手に手に武器を取っている。
 遅れを取れば、道に転がされていたのはセシュナの方だったに違いない。

 路上強盗などチェルシー区ではまずあり得ない。
 高級の名は伊達ではなく、住民の共同出資による関門には警備員が常駐しており、こんな風体の人間を通したりしない。

(内部から誰かが手引しない限りは、ね)

 闇夜を見通せるわけではなかったが、セシュナは周囲に視線を送る。
 彼らが何者であれ、レイン家の馬車を狙うのに四人だけということはないだろう。

 案の定、馬車の前方から男が四人ほど回り込んで来る。こちらも全員が武装していた。

「……黒い長髪に、紅い眼。セシュナ・ヘヴンリーフだな」

 先頭に立つ男が、覆面の下からくぐもった低い声を発する。
 セシュナは思わず首を振ろうと思ったが、何の意味もないのでやめた。どう返答しても同じだろう――結局は力づくで答えを引き出されるに決まっている。

「殺しはしない。少々痛い目を見てもらうだけだ」

 その宣言に、何の意味があるのか。
 どちらかと言えば、自分を鼓舞するような心地でセシュナは言い返した。

「……言っとくけど、お前達の雇い主・・・より、僕らの雇い主・・・の方が怖いからね」

 傍らの馬車に描かれた、レイン家の紋章を叩く。

「この紋章の意味、分かるだろ。命が惜しいなら、今すぐ逃げた方がいい」

 案の定、答えは言葉ではなく。
 いくつもの石を縄で繋いだ、獣の肢を絡めとるのに使う武器ボーラだった。狙いは正確だが、速度は左程でもない。

 セシュナは身を翻しつつ、走り込んできた男が突き出す短槍を剣で逸らした。

『彷徨。遙々と。珠玖の泉源。閻く』

 ――やはり聞こえる。
 ”静寂の言葉ウユララ”。

 刀身を槍に添わせて、セシュナはそのまま相手の懐へ飛び込んでいく。切り落とされそうになって、男は咄嗟に片手を放した。迂闊にも開いた胴に、セシュナは左の拳を叩き込む。

 悲鳴の形に開いた口から胃液を吐き、男の身体が折れた。

(あと三人)

 出来るだけ迅速に先手を取って、相手の行動を潰さなければならない。

(大抵の人間はモンスターよりも弱い。急所を憶えておけば対処できる)

 セシュナは倒れる男の影から身を引きつつ、父の教えを思い出していた。
 春が来る度、母と共に山里へ戻ってきては、護身と称して様々な戦いの技術を叩き込んでいった父。

 それ以外には何も教えてくれなかった父。

『歩め。一葉。頑然にして。鳴霞。天養』

 正面に二人。弩の使い手が一人と、長剣を構えた男が一人。

(一人足りない!)

 振り返ると、短剣を両手に構えた影がミロウへと飛び掛かっていた。

「ミロウさん――っ」

 セシュナは二刀流の男へ追い縋るが。

『洋々たる、例えて、絢舞照覧』

 ミロウはその目を閉じて、錫杖を体の前に突き出したまま、避ける素振りすら見せていなかった――

『起きて。エアリアル』

 刹那。
 それは風というより爆風に近かった。

「――――!!」

 突発的に爆裂した大気が、風景さえ歪ませる勢いで膨れ上がる。

 見えない壁に激突したように、セシュナは吹き飛ばされた。ほんの一瞬だけ夜空が見えて、それからすぐに石が敷き詰められた路面が視界に広がる。
 咄嗟に、両腕で頭を庇った。肩と背中に走る衝撃を無視して、必死に体勢を保ち。

 気付けばセシュナは、夜の街路の真ん中で膝をついていた。

(……し、死ぬかと思った)

 穏やかだった夜は、一瞬で無残な有様に変わっていた。

 レイン家の馬車はどんな勢いで吹き飛んだのか、捻くれた街灯を半ばまでめり込ませた形で静止していた。三頭の馬は失神したらしく、ぐったりとしている。
 襲撃者達と言えば、一人残らず植え込みに突き刺さるか、居並ぶ豪邸の外壁に貼り付けられていた。

 かろうじて身体を起こしている一人――恐らく先程言葉を交わしたリーダー格の男――も、セシュナと大差ない様子で石畳にへばり付いている。

 そして。全ての惨状の中心に。
 ミロウはただ一人、泰然と佇んでいた。

 彼女の周囲だけが、この災禍を物ともせず、ただ夜がそうであるように穏やかだった。大気どころか、差し込む月光さえも。
 痛む身体を叱咤しながら、セシュナは声を上げた。

「ミ、ミロウさん……」

 初めは足が痛むのかと思ったが、段々と腕の痛みを自覚し、やがては痛みの無い箇所がどこにもないことに絶望し始める。

「……何?」

 暴風の名残が、彼女の銀髪をたおやかに撫でた。

「こういう派手なのは、使う前に一言欲しかったな……」
「……ごめん」

 言われて初めて気付いたのか、彼女は申し訳なさそうに眉を歪める。
 セシュナは溜め息を吐き、それから近くに落ちていた適当な長剣を拾い上げた。

 半ば足を引き摺りながら、まだ立ち上がれないリーダー格へ近づく。

「誰に雇われたんだ、お前達」

 言いながら、男の顔に切っ先を向ける。
 黒い覆面から覗く鳶色の眼には、未だ混乱と朦朧がありありと浮かんでいた。

「……言うと思うか」
「じゃあ、当ててあげるよ」

 セシュナは半ば以上確信を持って、それを口にした。

モンテーニュ商会・・・・・・・・だろ」

 男が微かに息を呑んだのが、音で分かる。

(ジャン=ジャック・モンテーニュが、いくら風紀委員会の重役とはいえ、あれだけ我が物面が出来る事には訳がある――)

 ヒルデ曰く。
 モンテーニュ商会といえば、人妖戦争において物資と武器不足に苦しむ旧大陸入植軍フロンティア・アーミーの兵站を担い、シオン妖精王国軍の圧倒的な火力への反抗を支えた、言わば共和国建国の立て役者である。新大陸で一二を争う大企業であり、政財界への影響力は計り知れない。

 ジャン=ジャック・モンテーニュはその創業者一族に名を連ねている――なるほど、学園は新大陸社交界の縮図、とはよく言ったものだ。

 セシュナは長剣の刃を男の鼻先に近づけながら、精一杯凄んでみせた。

「雇い主に伝えるんだ。次に何か仕掛けてきたら、レイン家が黙ってない、って」

 返答を待たず、登山用ブーツでこめかみを蹴りつける。
 男は白目を剥いて倒れ伏した。

 それから不安になって、ミロウを振り返る。

「だ、黙ってない、よね? アレクサンドラさん」
「……うん。多分」

 彼女の同意はいかにもなおざりだった。
 痛む腕をさすりながら、もう一度惨劇の跡を振り返る。

(さて、このまま保安官事務所に向かうべきか、まずはレイン邸に引き返すべきか――)

「まだ誰かいる」

 ミロウが、ぼそりと呟いた。

「えっ」

 セシュナは慌てて目をこする。
 確かに暗いが、並ぶガス灯と邸宅から漏れる明かりは、確かに夜の底を照らしていた。
 気配を感じる距離なら、姿を見落とすほどではない。

「――逃げた」

 豪風が荒れ狂った街路の向こうには、かろうじて被害を免れた街灯がある。
 運が良かったというより、単に距離が遠かっただけだろう――

 その辺りで、ぴんと来た。

「追いかける?」
「……いや、危ないよ。流石にこの暗さじゃ、探せないし」

 どこか遠くから鐘の音が聞こえた。
 こんな遅くに時報ではないだろうから、異常事態を知らせる警報だろう。騒ぎを聞きつけた豪邸の住民が、警察に通報したに違いない。

 とりあえず柄をシャツで拭ってから剣を投げ捨て、セシュナは闇に向かって独りごちた。

「明日、本人・・に直接会いに行こう」
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