猟師の息子ですが、魔法学園では”災厄”と呼ばれています

最上へきさ

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第六章――学園は燃えているか

第38話 輝きを握りしめる

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 ”女帝”が起き上がるのは、それほど早くない。しかし妨害は難しい――飛び掛かったアシュの打撃やニザナキが放つ光熱波も効果は薄い。

 うるさそうに振り回された真っ黒な手甲が、地面ごと彼らを薙ぎ払う。

「なんの――っ」

 セシュナは展開した“境界”に身を預けるようにして、ミロウを庇う。
 暴風さえ巻き起こす漆黒の怒り。熱や衝撃どころか光も影も通さない空間の断裂が、軋んだような錯覚。

『行きつ戻り。やがて。秋霜。朗々。縊頸』

 ”女帝”は、ミロウの力を理解しているのだろう。何度か拳を振るい――余波で大地が砕け、こちらの足元が危うくなる――やがて掌から刃を生む。その身長からすれば短剣程度だが。

 黒く巨大な剣が周囲の世界を歪め始める。

 セシュナは直観に従い、ミロウと共に後ろへ跳んだ。振り下ろされた剣が“境界”を歪め、寸前まで二人がいた場所を消し飛ばした。
 剣風だけで吹き飛ばされそうなほど。

(あの剣――あれも、世界に空いた“虚”か)

 顔を打つ雨と降り注ぐ土砂、全てを感覚の外側に置き去ってセシュナは迫る黒い刃を見据える。
 触れるもの全てを虚無に還す絶望的な滅びの剣。

(――もう一度。集中っ!)

 手の中に生まれた“境界”は、あたかも剣のように収束する。

 振るった紋様の剣が漆黒の巨剣と真っ向から噛み合うと、火花じみて真っ赤な霊素エーテルが爆ぜた。発生した小規模な空間爆砕が、それだけで身を砕かれそうな余波をもたらす。

『いつしか。かつて。行く末に。来し方に。迷い。果て。凛々』

 ミロウの”静寂の言葉《ウユララ》”に導かれて、この嵐に潜む霊素エーテルがざわめき始めていた。
 風向きが変わっていく。

 セシュナは、三度目の斬撃を“境界”の剣で弾き飛ばした。更に黒い巨人が生み出した第二の刃を受け流し、重なる追撃を叩き落として、その反動で宙を飛ぶ。空中で薙ぎ払いを受け止め、大剣を握る巨大な左手に着地する。

「ミロウさんの邪魔をするな――ッ」

 振り払おうとする腕を蹴って、セシュナは駆け上がっていく。
 触手じみて喰らいついてくる毛髪状の漆黒を斬り捨て、斬り飛ばし、斬り裂いて――輝く紋様を、女帝の喉元へと突き立てた。

「――うわわっ」

 爆風じみた悲鳴で、ふわりと身体が浮かぶ。
 突き刺さった“境界”の剣を振り落とそうと、女帝が身を捩った。

「覗く光明、三千世界に轟く威光、焼いて払うは遍く暗雲、数多が尽きて無量の影向」

 長く黒い髪が巨大な鞭と化し、空中のセシュナを見る影なき挽肉へと変える――

「喰らい尽くせ、貪欲なる燈ウィル・オ・ウィスプッ」

 浮かび上がる無数の球電。視界に入れただけで眼球が蒸発しそうなほど強烈なエネルギーの塊が、拡散するまでのほんの一瞬で、絡み合う“髪”へ向かって転移した。
 圧倒的な熱量が漆黒を消し飛ばす。

『出づる者。時折。吹き過ぎて』

 咄嗟に開いた球状の“境界”が、荒れ狂う熱と暴れ回る“禁忌”からセシュナを守った。

「どや、セシュナ! 感謝せい!」
「バカ、思いっ切りセシュナっち巻き込んでるし、このマヌケ! 死ねアホナキ!!」

 あれだけ派手に吹き飛ばされてなお、怒鳴り合えるニザナキとアシュの体力ときたら、もう賞賛するしかない。

 地上でじゃれあう二人を尻目に、セシュナは空中を走り始める――足元に“境界”を描き、自らが疾駆する光の軌道を創り上げていく。

(攻撃のリズムが――ヒルデさんと同じだ)

 威嚇かと思えば殺意、殺意かと思えば牽制。尽きない黒髪の追撃が、攻撃をより複雑なものに変える。

『経絡と万雷。空白。紫。在処。礼。挙』

 紋様が描く光条に、この世の終わりじみた暗黒が追い縋る。
 幾重にも絡み、交差し、弾き合い、結び合う。

 セシュナは走り、跳び、伏せ、躱し、斬り、払い、受け、流し――

 脳天から両断すべく振り下ろされた巨剣を、諸手で構えた光の束で受け止める。

(速いけど――ヒルデさんの技は、一度見たッ)

 全く同時に胴を粉砕しようと振り回された刃には、地上から伸びてきた光熱波が炸裂する。
 僅かに生まれた時間差。

「でやぁぁぁぁぁッ」

 セシュナは黒い剣を受け流して、薙ぎ払ってきた剣と相殺させた。
 低すぎる共振音が、そのまま空間自体を歪ませる。

(なんだこれ――雪崩みたいだッ)

 衝撃と重さはその比ではない。人間の肉体だったら、跡形も無くなっていただろう。
 空間の“境界”で身体を支え、更に高みへと駆ける。

「――ミロウさんッ! 今だ――力をッ!」

 大いなる黒き”女帝”、その塗り潰された相貌に向かって、セシュナは手を伸ばした。
 その時。

『荒れ狂え、吹き荒べ、奪い去れ――嵐の精霊ティフォン

 ミロウの声が――彼にしか聴こえないその声が響き渡り。

 セシュナは視た・・

 ティンクルバニア市は元より、山向こうの港町までを巻き込んだ大きな嵐が目を覚ますのを。
 そして人が手足を丸めるような気軽さで、風雨が、雷雲が――学園に押し寄せるのを。

『ちょ――ミロウ先輩!? これ、やり過ぎっ――学園、全部吹っ飛んじゃう!』

 悲鳴を上げられたのはケーテだけ。
 正真正銘、大気が歪み、景色が変わる。

(確かに――これは……とんでもなく、大きいッ)

 大海を直接叩き付けられたような水流。続く雷電が、圧倒的な水量を瞬く間に沸騰。
 大自然に芽生えた殺意は、速やかに大地を地獄へと変えようとする。

(でも、これだけの力がなきゃ――二人には届かない!)

 セシュナは――津波のような水流に満ち満ちる、霊素エーテルの輝きを視た。指先に触れた燐光を手繰り寄せて。自らの身体を形作る霊素エーテルと重ね合わせていく。

 流れ込んでくるのは、とてつもなく巨大な意志の塊――としか言いようのないものだった。
 光、雲、風、雨、大気、音、木々、石、土、大地、闇――その全てが重なった、大いなるもの。

 一瞬にしてセシュナの意識は溶け落ち、飲み込まれていく――

(……ま、だ、だ……!!)
『駄目。セシュナ君っ』

 ――暗い森の奥深く。
 一本の枝に鷹が一羽留まっていた。まばゆい翼を持つ猛禽。
 そしてその下に少女がいた。白金の髪を編み上げた正しく妖精のような。
 常に静けさを湛える少女が叫んでいる。

 彼女が、声を上げて。
 呼んでいる。

『セシュナ君――セシュナ君!』

 ミロウの声。差し出される、白い手。

『離さないで――あなたを。あなた自身を』

 彼は――セシュナは、はっと眼を開いた。
 どういう訳か、自らの眼が真紅であることを思い出す。血のようだとも、炎のようだとも言われた紅い瞳。

(――うん。ありがとう、ミロウさん)

 ミロウの手を取ろうと、伸ばした手は。
 いつの間にか輝きを握り締めていた。渦巻く嵐と霊素エーテルがそのまま刃を成したような剣。

 触れるだけで万事万象を塗り潰し、書き換えてしまう――魔法マギアの中の魔法マギア、創世のその時、神の御手によって行われた所業。
 その一片。

「――う」

 今すぐ溢れそうになるその奔流を、セシュナはすかさず構え。
 眼の前で大きく口を開けた黒い無貌の中心。

「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっっ!!」

 殺意と悪意が具現化した牙と触手の塊へ、振り下ろした。

 ――手応えというほどのものはない。
 ただ、環を描く霊素エーテルの反応光が幾重にも拡がり、世界を塗りつぶしていく。

 黒く艶やかな”女帝”の頭部でさえ眩い白光に染まった。
 悲鳴のような殺意の壁が、セシュナの身体もろとも“剣”を圧し折ろうと襲い来る。

 裂けた頬が血を散らすがセシュナは構わなかった。飛び来る黒い破片も問題ではない。

 セシュナはただ、祈っていた。
 いや、気付いていた。

 広がる光の一粒までもが、彼の求めに応えてくれることを。
 そしてその全てが彼女達を再び解き放ってくれると。
 それでも彼は、祈っていた――願っていた。

 斬り開かれていく虚無の向こうに、朧な少女達の影。
 眠る幼子のように身体を丸めて、暗い海へと溶けていく二人が見えた。
 痛みと後悔に喰い尽くされた少女達の残滓にセシュナは声を投げる。

 自分でも、何を言いたいのか分からないまま。

「起きて――二人とも! 目を開けてっ」

 言葉など届くわけもない。二人はそれを拒んだのだから。

 セシュナは潜った・・・。沈んでいく彼女達の元まで、届くように。
 霊素エーテルの輝きが、二人の眼に映るまで。
 いや。光など届くわけもない。彼女達はそれすらも拒んだのだから。

(駄目だよ――お願いだ、目を逸らさないで)

 セシュナが――いや、形なき紅い光が膨れ上がり、青白いイザベラの顔を照らし出す。
 無残な傷痕も、桜色の唇も、小さく整った鼻も、長い睫毛も。
 あの、煌めくように光を湛えたエメラルドの瞳も。

『手を――伸ばして』

 もう声は出せなかった。
 少なくとも、大気を震わせることは出来なかったけれど。

 セシュナは確かに叫んだ。
 二人の名前を。
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