55 / 59
続く日々
彼の生き方
しおりを挟む
「そんなに警戒しなくても、とって食いはしませんから」
目の前で微笑むのは遠間彰、慶の兄である。
会ったのは偶然で、慶のことで話をしないかと誘われてカフェに入ったのだが、実結は緊張しきっていた。この数日のもやもやが晴れればと期待もあったのかもしれない。
「あの時のことは申し訳ありませんでした。潤のことで不快な思いをさせたお詫びに三人の気分を盛り上げようと……」
「い、いえ……」
あの夏の日の出来事を思い出すだけで身体が熱くなる気がした実結はどう答えたら良いかわからずに視線をさまよわせる。
しかし、もう過ぎたことであり、彰の本題もそれではないのだろう。
「慶は間に挟まれて育ったから、我慢することが多かったんでしょう」
未だに慶から話を聞けていないのに、こうして話を聞いて良いのか葛藤もあった。だが、慶本人が言えないこともあるだろう。
「俺と弟に奪われたり譲らされたり、欲しい物を欲しいって言えない」
これまでの慶の発言から兄と仲が良いとは思っていなかったが、実際は妙な空気が漂う三兄弟だった。弟だから、お兄ちゃんだから、そんな我慢は実結には想像がつかないものだ。
「それでも、あいつはニコニコ笑っていたんですよ。欲しかった物を全部奪われても」
一人っ子の実結は家族に奪われるということを知らずに生きてきた。甘やかされて、のんびりと育ったのは否めない。
「それなりに大きくなってからは俺達も落ち着いたと思ったんでしょうがが、現実はもっと酷だったんでしょう」
皆、分別はつく年齢だが、潤のおねだりを聞いてしまった今となっては単純に食べ物やおもちゃだけのこととは思えない。
否、本当は気付いているのだ。潤は実結を欲しがり、いつものことだと言った。だからこそ、実結はその先を聞いてしまって良いのか迷った。
「自分で言うのもあれですが、三人ともモテたんです」
「わかります」
長身で端整な顔立ちの慶には実結のクラスメート達でさえ関心を寄せているほどだ。その慶に似て、知的な彰とやんちゃそうな潤はそれぞれに魅力があると言えるだろう。モテない方が不思議だと実結は思うのだ。
「俺も弟達を紹介して欲しいとよく頼まれてたし、あいつもそうだろうと……俺は何だって笑い飛ばせたが、あいつは大人しいから何も言わなかったんです」
それが三兄弟にとって日常茶飯事だったとして、割り切れないこともあるだろう。
「自分が好意を寄せる相手が兄弟目当てに近づいてきていても、兄の恋人に襲われても」
実結ははっと息を呑む。和真は慶が一番歪んでそうだと言った。闇が深いとも。その始まりに行き着いたのかもしれない。
「大人になってから、やっとあいつの我慢に気付いて、ぞっとしました。まあ、今更気付いたところでどうすることもできませんが」
自分に執着しているのもそういう過去があり、奪うしかないと言ったのか。慶は初めてを奪われたと言っていなかったか。
「どうか、慶のこともよろしくお願いします」
改まって頭を下げられて実結は驚いて困惑するしかなかった。こんな反応は失礼だと思いながら言葉が出てこない。
「これでも、慶がもう二度と恋ができないんじゃないかって心配していたんですよ。信じてもらえないでしょうが」
彰は気分を害した素振りもなく続け、実結は同時に彼がやはり慶の兄であるのだと安心していた。表面上はどうであっても気にかけていたのだろう。
「君に恋をして慶は少しずつ変わっています。良い傾向だが、君達に見捨てられたらもう慶はダメだと思います」
彼が言うことがよくわかるからこそ、実結には責任が重くのしかかってくる。
けれども、実結はそこで彰の言葉に引っかかりを覚えた。
「達って……」
なぜ、複数形になるのか。和真のことも含んでいるのか。
『まさか、二人と付き合ってるなんて言いませんよね?』
真悠子の言葉が蘇り、胸が早鐘を打つようだ。知られてはならない、そんな思いが先行して実結を追い詰める。
「大丈夫ですよ」
優しい声に実結ははっとして水を飲む。
「俺には恋人が二人いると慶から聞いていませんか? 二股とは言われますが、双方同意の上でどちらも愛しています」
慶と和真との関係を彼ら兄弟は既に知っているのに、何を恐れていたのか。彰に二人の恋人がいることも聞いていたはずだった。
軽蔑を恐れているのだ。真悠子の言葉に囚われている。それに対して彰は堂々としている。だからこそ、実結は彼と同じだとは思えなかった。
「病気だとか、心ないことを言ってくる輩はいくらでもいます。けれど、二人とも愛しているんです。それは胸を張って言えます」
自らを愛の伝道師のように思っている節があるとは慶から聞いていた実結には彰が眩しく感じられた。そういう生き方をできていることが羨ましく思えたのだ。
きっと自分達とは事情が異なるのだ。彰がそうだから自分もそうでも良いのだと楽観視することもできない。
「難しく考えずに自分の心に従えばいい。欲望に忠実なぐらいがいいですよ」
彰は微笑むが実結は曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
どちらかを選ぶのではなく、このままの関係を続けたいと言っても良いのだろうか。難しく考えるなと言われても何度も繰り返してしまう。その理由はわかっていた。自分自身が許せないから、彼のようにはなれないのだ、と。
目の前で微笑むのは遠間彰、慶の兄である。
会ったのは偶然で、慶のことで話をしないかと誘われてカフェに入ったのだが、実結は緊張しきっていた。この数日のもやもやが晴れればと期待もあったのかもしれない。
「あの時のことは申し訳ありませんでした。潤のことで不快な思いをさせたお詫びに三人の気分を盛り上げようと……」
「い、いえ……」
あの夏の日の出来事を思い出すだけで身体が熱くなる気がした実結はどう答えたら良いかわからずに視線をさまよわせる。
しかし、もう過ぎたことであり、彰の本題もそれではないのだろう。
「慶は間に挟まれて育ったから、我慢することが多かったんでしょう」
未だに慶から話を聞けていないのに、こうして話を聞いて良いのか葛藤もあった。だが、慶本人が言えないこともあるだろう。
「俺と弟に奪われたり譲らされたり、欲しい物を欲しいって言えない」
これまでの慶の発言から兄と仲が良いとは思っていなかったが、実際は妙な空気が漂う三兄弟だった。弟だから、お兄ちゃんだから、そんな我慢は実結には想像がつかないものだ。
「それでも、あいつはニコニコ笑っていたんですよ。欲しかった物を全部奪われても」
一人っ子の実結は家族に奪われるということを知らずに生きてきた。甘やかされて、のんびりと育ったのは否めない。
「それなりに大きくなってからは俺達も落ち着いたと思ったんでしょうがが、現実はもっと酷だったんでしょう」
皆、分別はつく年齢だが、潤のおねだりを聞いてしまった今となっては単純に食べ物やおもちゃだけのこととは思えない。
否、本当は気付いているのだ。潤は実結を欲しがり、いつものことだと言った。だからこそ、実結はその先を聞いてしまって良いのか迷った。
「自分で言うのもあれですが、三人ともモテたんです」
「わかります」
長身で端整な顔立ちの慶には実結のクラスメート達でさえ関心を寄せているほどだ。その慶に似て、知的な彰とやんちゃそうな潤はそれぞれに魅力があると言えるだろう。モテない方が不思議だと実結は思うのだ。
「俺も弟達を紹介して欲しいとよく頼まれてたし、あいつもそうだろうと……俺は何だって笑い飛ばせたが、あいつは大人しいから何も言わなかったんです」
それが三兄弟にとって日常茶飯事だったとして、割り切れないこともあるだろう。
「自分が好意を寄せる相手が兄弟目当てに近づいてきていても、兄の恋人に襲われても」
実結ははっと息を呑む。和真は慶が一番歪んでそうだと言った。闇が深いとも。その始まりに行き着いたのかもしれない。
「大人になってから、やっとあいつの我慢に気付いて、ぞっとしました。まあ、今更気付いたところでどうすることもできませんが」
自分に執着しているのもそういう過去があり、奪うしかないと言ったのか。慶は初めてを奪われたと言っていなかったか。
「どうか、慶のこともよろしくお願いします」
改まって頭を下げられて実結は驚いて困惑するしかなかった。こんな反応は失礼だと思いながら言葉が出てこない。
「これでも、慶がもう二度と恋ができないんじゃないかって心配していたんですよ。信じてもらえないでしょうが」
彰は気分を害した素振りもなく続け、実結は同時に彼がやはり慶の兄であるのだと安心していた。表面上はどうであっても気にかけていたのだろう。
「君に恋をして慶は少しずつ変わっています。良い傾向だが、君達に見捨てられたらもう慶はダメだと思います」
彼が言うことがよくわかるからこそ、実結には責任が重くのしかかってくる。
けれども、実結はそこで彰の言葉に引っかかりを覚えた。
「達って……」
なぜ、複数形になるのか。和真のことも含んでいるのか。
『まさか、二人と付き合ってるなんて言いませんよね?』
真悠子の言葉が蘇り、胸が早鐘を打つようだ。知られてはならない、そんな思いが先行して実結を追い詰める。
「大丈夫ですよ」
優しい声に実結ははっとして水を飲む。
「俺には恋人が二人いると慶から聞いていませんか? 二股とは言われますが、双方同意の上でどちらも愛しています」
慶と和真との関係を彼ら兄弟は既に知っているのに、何を恐れていたのか。彰に二人の恋人がいることも聞いていたはずだった。
軽蔑を恐れているのだ。真悠子の言葉に囚われている。それに対して彰は堂々としている。だからこそ、実結は彼と同じだとは思えなかった。
「病気だとか、心ないことを言ってくる輩はいくらでもいます。けれど、二人とも愛しているんです。それは胸を張って言えます」
自らを愛の伝道師のように思っている節があるとは慶から聞いていた実結には彰が眩しく感じられた。そういう生き方をできていることが羨ましく思えたのだ。
きっと自分達とは事情が異なるのだ。彰がそうだから自分もそうでも良いのだと楽観視することもできない。
「難しく考えずに自分の心に従えばいい。欲望に忠実なぐらいがいいですよ」
彰は微笑むが実結は曖昧な笑みを返すことしかできなかった。
どちらかを選ぶのではなく、このままの関係を続けたいと言っても良いのだろうか。難しく考えるなと言われても何度も繰り返してしまう。その理由はわかっていた。自分自身が許せないから、彼のようにはなれないのだ、と。
0
あなたにおすすめの小説
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる