9 / 16
第一章
9
しおりを挟む
侍女が部屋の扉をノックすると、ロア専属の侍従が顔を出し、フレーゼを確認して扉を開けた。
会釈をして室内に入ると、普段のサロンよりも落ち着いた雰囲気の部屋が現れる。
「フレーゼ嬢。顔色も良さそうで、すっかり元気になったね」
ロアは柔和な笑みを浮かべた。
「殿下。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
深々と頭を下げると、ロアは目を丸くする。
「迷惑? 何が?」
「お話の最中に倒れてしまい……」
「ああ、なるほど。気にしてないよ」
ロアは笑みを深め、窓際に机を挟み向かい合わせに置かれた椅子を引く。
「フレーゼ嬢、どうぞ」
年齢を感じさせないスマートな動きに、フレーゼは戸惑いと緊張が隠せない。
かくかくと操り人形のような動きで椅子に腰かける。恥ずかしくてロアの顔が見られない。
「今日はフレム先生、リージに付きっきりでいないから、分からないことがあったら僕に遠慮なく聞いてね」
絵画のように眩しい笑顔を向けられて、フレーゼは何度も頷きを返す。緊張で言葉が出てこない。
勉強に集中して意識を逸らそう。
フレーゼは机の上に持参した教本を置き、ページを捲りながら、どこから復習すべきか思案する。
ふと視線を持ち上げるとロアと目が合った。どうやら、こちらを見ていたらしい。
「な、なんでしょう?」
「ううん。思っていたよりも熱心に学んでいるなぁって」
「思っていたよりも、ですか」
思わず復唱してしまったが、ロアは失礼なことを言ったと思ったらしく困ったように笑う。
「いや、ごめん。悪い意味じゃないんだ。君はこの城を出るつもりなのに、この城で学ぶことに手を抜かないんだと思って。もしかして何らかの地位を目指してる?」
「地位ですか?」
発言の意図が分からず、フレーゼは返事に窮してしまう。
平民が努力したところで、得られる地位などたかが知れている。
「他にやることがないので頑張っているだけです」
そう告げると、ロアはきょとんとした反応を返す。
「え、やることない? そうかな……」
彼は本気で首を傾げている。どう答えたら正解なのだろう。
「あの、せっかく殿下たちと学んでいるので、あまりにも落ちこぼれだと恥ずかしいと思ったんです。だからやれる範囲で頑張ります」
それに、と言ってこぶしを小さく握る。
「将来、実家の店を廃業することになっても、ここで学んだ知識を活かし、学校の先生になろうと目論んではいます!」
「え、廃業するの?」
「そんなこと絶対にないですけどね」
フレーゼは恥ずかしくなり誤魔化すように笑うと、ロアは吹き出し笑い始める。
「フレーゼ嬢の目論見は可愛いね」
「え!?」
さらりと言われた言葉に胸が跳ねた。
綺麗な顔と王子様の名にふさわしい優雅な所作。
そんな麗しい少年が、口説いているわけでもないのに、女の子に可愛いと言えてしまうのだ。
なんて、王子様らしい王子様なのだろう。
ロアは何事もなかったかのように、姿勢を正し、教本と向き合い始めた。
フレーゼは羽ペンを置き、インク瓶の封印紙をぺりぺりと剥がす。
「それ使いやすいインクだよね」
またロアの視線がこちらに向いていたようだ。
どうも二人きりだと、心臓が騒がしくなり落ち着かない。
「フレーゼは速記が苦手だから、いつものインクだと練習しづらそうだと思っていたんだ。僕も小さい頃、そのインクで練習してたよ」
今も小さい頃に分類される年齢ではあるが、ロアの落ち着き方は些か若くない。
「知らないうちに、これに変わってました。前のインクは量が少なくなっていたので、新しい物を用意してくれたのだと思います」
ロアは目尻を下げて柔らかく笑む。
「よかったね」
「はい」
ロアにお墨付きをもらえたなら、きっと使いやすいインクなのだろう。
つい悪い方向に考えてしまったけれど、あの侍女が気をきかせてくれたのだ。
そう思うと胸が温かくなり、とても幸せな気持ちになる。
「フレーゼ嬢?」
「は、はい!」
「どうして笑っているの?」
「え!?」
フレーゼは思わず頬を押さえる。
気付かぬうちに口角が上がり、ニヤニヤしていたらしい。
恥ずかしくて俯きそうになるが、そろそろとロアを見上げると、穏やかな笑みがこちらを見ていた。
「こういう気遣いが……嬉しくて」
フレーゼはインク瓶に触れ、そしてロアを見やる。
「殿下。お花ありがとうございました。ベッドから身体を起こせなかった時、たくさんのお花を見られて、とても嬉しかったです」
なんて伝えたらいいのか分からず、結局伝えられたのは嬉しかったことだけだ。
頬が熱い。緊張で鼻もひくついている気がする。
ロアは小さな驚きを見せたが、すぐに目尻を下げてくしゃりと笑う。
「うん、喜んでもらえて嬉しいよ」
その笑顔が初めて見るもので目を離せない。
いつも絵画のように美しい笑顔なのに、初めて同年代らしい素の笑顔を見た気がした。
なんだ、この空気。
照れくさいのを誤魔化ように教本のページを捲る。室内に紙を捲る音だけが響く。
フレムが用意していた問題の並ぶ紙を見やり、該当のページを開く。
細かい地図が描かれていて、問題と照らし合わせながら、王国と接する周辺国を紙に書き込んでいく。
ふと王都の位置に目が向いた。
港を持ち、王都は標高の高い山を背に抱いている。
隣国はこの山を越えることが難しく、背後からは攻め込むことが出来ない。
王都の東側が特に山が険しくなっている。
その向こう側に国境があり、関所の印が付いていた。
こんな場所に関所があるなんて、想像もつかない。
そういえばフレムは、竜花という名を口にしていた。禁忌に指定されるならば、こういった場所に咲いている高山植物なのだろうか。
フレーゼは机に詰まれた書物の背を指でなぞり、題名だけを確認していく。
さすがに植物図鑑はなさそうだ。
「何か調べてる?」
ロアに訊ねられ、フレーゼは顔を上げた。今日は二人きりのせいかよく話かけられる。
リージもいないから、気遣われているのかもしれない。
「調べたい花があったので図鑑を探していました」
「花?」
ロアは不思議そうに首を傾げ、片手を上げて端に控えていた侍従を呼ぶ。
植物図鑑を何冊か持ってくるように頼み、フレーゼへ視線を戻す。
「何を調べているの? 今やってるのは……地理?」
ロアはフレーゼの手元に置かれた教本を一瞥した。
「あ、ええと」
フレムは竜花は禁忌だと言っていた。
そもそも、禁忌に指定されている花が図鑑に載っているだろうか。
詳細は自分で調べろなんてハードルが高すぎる。
どう答えるべきか考えているうちに、返答がないことを訝しく思ったのか、ロアは口元に手を当て思案顔をこちらに向けた。
「もしかして、フレム先生に何か聞いた?」
フレーゼは顔が強張った気がした。頬に不自然な力が加わる。
ロアは黒い瞳を眇め、こちらをまっすぐに見つめている。口は笑みの形をとっているのに、見えない圧を感じて怖い。
「咄嗟に答えることを窮する植物。いくつか心当たりがあるけど……」
ロアは数えるように指をひとつひとつ曲げていく。
綺麗な指だなぁ、なんて思いながらも心臓は早鐘を打っている。
「竜花かな?」
ロアの視線が突き刺さる。相手を試す瞳だ。
ああ、こういう時に誤魔化すことの出来る人間だったらよかったのに。
フレーゼは無言で頷くが、ロアは笑いを噛み殺している。
「ごめん、ごめん。そんなに怖がらないでよ。責めてないよ」
フレーゼはロアの反応に呆気にとられる。
「だって最初に言ったじゃないか。先生に聞いたんだよね? あの方は知りたいことは素直に教えてくれないけど、教えなくてもいいことは、すんなり教えてくれるからね」
「とんでもない方ですね……」
「うん。天邪鬼な大人だよね」
侍従が図鑑を手に戻ってきた。子供向けの図鑑から大人向けの専門的な図鑑まで種類は豊富だ。
侍従が声の届かない位置に控えたのを確認して、ロアは背表紙に目を通していく。
「うーん。知ってるかどうか確認をするけど、竜花は禁忌なんだ。その存在も秘匿されている。王族の者でも一部の人間しか知らなくて、魔法使いも上位に位置する者のみ知ることが出来る」
ロアの言葉が固い。とんでもないものを話題に上らせてしまった。
「それをどうして、フレーゼ嬢に教えたんだろう」
「わ、分かりません。でも多分」
「多分?」
「……私が魔力を欲しがったから」
「へえ?」
フレーゼの背中に冷や汗が伝う。ロアの纏う空気が一変した。彼の瞳は僅かな軽蔑を含んでいる。
「フレーゼ嬢が魔力を求めたから安易に禁忌の花を教えるなんて、先生は何を考えてるんだろう」
「それは分かりません……」
「竜花は摂取すると多大な魔力の恩恵を受ける、魔力の塊なんだ」
「ご、ごめんなさい。探したりしません。忘れます。忘れる努力をします」
フレーゼは俯いたまま謝罪の言葉を並べ続けた。居た堪れない。怖い。
ロアは小さく嘆息した。顔を上げられないが、きっと彼はこちらを見ているだろう。
「そもそも存在を知っているからと言って、簡単に手に入る物じゃない」
ロアは椅子から腰を浮かせて前のめりになり、フレーゼの前に開かれた教本に指を乗せた。
「ここだよ。ここに生えている」
指を差されたのは先程眺めていた地図。王都の北東に位置する、山の中央だ。
「ここは、火竜の住む巣の近くにある洞穴で、入り口は封印されている。おいそれと侵入し竜花を得ることは難しい」
「手に入れることが難しいなら、どうして竜花は秘匿されているのですか?」
ロアはにこりと微笑んだ。
「魔力の強い権力者に狙われるからだよ。僕ら王家の人間だけが魔力を持ち生まれるけれど、長い時を経て血脈は増え、その力を大なり小なり持つ人間が増えている。人は力を持つとそれ以上を求めるものだ。簡単に強大な力を得られるならば、欲に目がくらむかもしれない……人間は弱いからね」
フレーゼはロアの言葉に閉口してしまう。
「ねえ、魔力がないから魔力が欲しくなった? 身に余るものだと思わなかった? それでも欲しいと思い、王宮の筆頭魔法使いに訊ねた理由は何?」
ロアは咎めるように言葉を重ねていく。先程のフレーゼの謝罪は耳に届かなかったようだ。
「そ、それは、あの!」
前世の記憶を消したいなんてどう説明しろと?
まだ知り合って日の浅いロア。
この国の王子で腹に一物も二物もある聡い少年。そんな彼にどう理解してもらうのだ。
「なんとなくです!」
「へぇ……無理やり聞き出す方法もあるんだけどな?」
ロアはひらひらと手を振る。笑みが意地悪いものに変わっている。美少年の顔が歪んで怖い。
「本当に大した理由はないんです。それに理由をお伝えしても信じてもらえないと思います」
「僕が信用できないんだ? 傷つくなぁ」
「そうではなくて……!」
「そりゃあ、君の同年齢の友人と比べたら、魔力持ちの王子で意外に賢い方だ。見た目も申し分ないし、そんな僕は胡散臭いだろうね」
「うわ、自分の武器をばっちり理解してますね」
つい突っ込んでしまい、慌てて口を手で押さえるがもう遅い。
「心の声が出た?」
ロアは楽しそうに一頻り笑うと、ふっと息をひとつ吐いた。
そしておもむろに立ち上がり、フレーゼに手を差し出す。
「殿下?」
「僕の秘密を教えてあげる。だから君の隠し事も教えて」
いつもと異なる笑顔だ。わくわくしているような、屈託のない子供らしい表情。
ロアは侍従に何かを告げ、侍従は足早に部屋を出て行った。
会釈をして室内に入ると、普段のサロンよりも落ち着いた雰囲気の部屋が現れる。
「フレーゼ嬢。顔色も良さそうで、すっかり元気になったね」
ロアは柔和な笑みを浮かべた。
「殿下。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
深々と頭を下げると、ロアは目を丸くする。
「迷惑? 何が?」
「お話の最中に倒れてしまい……」
「ああ、なるほど。気にしてないよ」
ロアは笑みを深め、窓際に机を挟み向かい合わせに置かれた椅子を引く。
「フレーゼ嬢、どうぞ」
年齢を感じさせないスマートな動きに、フレーゼは戸惑いと緊張が隠せない。
かくかくと操り人形のような動きで椅子に腰かける。恥ずかしくてロアの顔が見られない。
「今日はフレム先生、リージに付きっきりでいないから、分からないことがあったら僕に遠慮なく聞いてね」
絵画のように眩しい笑顔を向けられて、フレーゼは何度も頷きを返す。緊張で言葉が出てこない。
勉強に集中して意識を逸らそう。
フレーゼは机の上に持参した教本を置き、ページを捲りながら、どこから復習すべきか思案する。
ふと視線を持ち上げるとロアと目が合った。どうやら、こちらを見ていたらしい。
「な、なんでしょう?」
「ううん。思っていたよりも熱心に学んでいるなぁって」
「思っていたよりも、ですか」
思わず復唱してしまったが、ロアは失礼なことを言ったと思ったらしく困ったように笑う。
「いや、ごめん。悪い意味じゃないんだ。君はこの城を出るつもりなのに、この城で学ぶことに手を抜かないんだと思って。もしかして何らかの地位を目指してる?」
「地位ですか?」
発言の意図が分からず、フレーゼは返事に窮してしまう。
平民が努力したところで、得られる地位などたかが知れている。
「他にやることがないので頑張っているだけです」
そう告げると、ロアはきょとんとした反応を返す。
「え、やることない? そうかな……」
彼は本気で首を傾げている。どう答えたら正解なのだろう。
「あの、せっかく殿下たちと学んでいるので、あまりにも落ちこぼれだと恥ずかしいと思ったんです。だからやれる範囲で頑張ります」
それに、と言ってこぶしを小さく握る。
「将来、実家の店を廃業することになっても、ここで学んだ知識を活かし、学校の先生になろうと目論んではいます!」
「え、廃業するの?」
「そんなこと絶対にないですけどね」
フレーゼは恥ずかしくなり誤魔化すように笑うと、ロアは吹き出し笑い始める。
「フレーゼ嬢の目論見は可愛いね」
「え!?」
さらりと言われた言葉に胸が跳ねた。
綺麗な顔と王子様の名にふさわしい優雅な所作。
そんな麗しい少年が、口説いているわけでもないのに、女の子に可愛いと言えてしまうのだ。
なんて、王子様らしい王子様なのだろう。
ロアは何事もなかったかのように、姿勢を正し、教本と向き合い始めた。
フレーゼは羽ペンを置き、インク瓶の封印紙をぺりぺりと剥がす。
「それ使いやすいインクだよね」
またロアの視線がこちらに向いていたようだ。
どうも二人きりだと、心臓が騒がしくなり落ち着かない。
「フレーゼは速記が苦手だから、いつものインクだと練習しづらそうだと思っていたんだ。僕も小さい頃、そのインクで練習してたよ」
今も小さい頃に分類される年齢ではあるが、ロアの落ち着き方は些か若くない。
「知らないうちに、これに変わってました。前のインクは量が少なくなっていたので、新しい物を用意してくれたのだと思います」
ロアは目尻を下げて柔らかく笑む。
「よかったね」
「はい」
ロアにお墨付きをもらえたなら、きっと使いやすいインクなのだろう。
つい悪い方向に考えてしまったけれど、あの侍女が気をきかせてくれたのだ。
そう思うと胸が温かくなり、とても幸せな気持ちになる。
「フレーゼ嬢?」
「は、はい!」
「どうして笑っているの?」
「え!?」
フレーゼは思わず頬を押さえる。
気付かぬうちに口角が上がり、ニヤニヤしていたらしい。
恥ずかしくて俯きそうになるが、そろそろとロアを見上げると、穏やかな笑みがこちらを見ていた。
「こういう気遣いが……嬉しくて」
フレーゼはインク瓶に触れ、そしてロアを見やる。
「殿下。お花ありがとうございました。ベッドから身体を起こせなかった時、たくさんのお花を見られて、とても嬉しかったです」
なんて伝えたらいいのか分からず、結局伝えられたのは嬉しかったことだけだ。
頬が熱い。緊張で鼻もひくついている気がする。
ロアは小さな驚きを見せたが、すぐに目尻を下げてくしゃりと笑う。
「うん、喜んでもらえて嬉しいよ」
その笑顔が初めて見るもので目を離せない。
いつも絵画のように美しい笑顔なのに、初めて同年代らしい素の笑顔を見た気がした。
なんだ、この空気。
照れくさいのを誤魔化ように教本のページを捲る。室内に紙を捲る音だけが響く。
フレムが用意していた問題の並ぶ紙を見やり、該当のページを開く。
細かい地図が描かれていて、問題と照らし合わせながら、王国と接する周辺国を紙に書き込んでいく。
ふと王都の位置に目が向いた。
港を持ち、王都は標高の高い山を背に抱いている。
隣国はこの山を越えることが難しく、背後からは攻め込むことが出来ない。
王都の東側が特に山が険しくなっている。
その向こう側に国境があり、関所の印が付いていた。
こんな場所に関所があるなんて、想像もつかない。
そういえばフレムは、竜花という名を口にしていた。禁忌に指定されるならば、こういった場所に咲いている高山植物なのだろうか。
フレーゼは机に詰まれた書物の背を指でなぞり、題名だけを確認していく。
さすがに植物図鑑はなさそうだ。
「何か調べてる?」
ロアに訊ねられ、フレーゼは顔を上げた。今日は二人きりのせいかよく話かけられる。
リージもいないから、気遣われているのかもしれない。
「調べたい花があったので図鑑を探していました」
「花?」
ロアは不思議そうに首を傾げ、片手を上げて端に控えていた侍従を呼ぶ。
植物図鑑を何冊か持ってくるように頼み、フレーゼへ視線を戻す。
「何を調べているの? 今やってるのは……地理?」
ロアはフレーゼの手元に置かれた教本を一瞥した。
「あ、ええと」
フレムは竜花は禁忌だと言っていた。
そもそも、禁忌に指定されている花が図鑑に載っているだろうか。
詳細は自分で調べろなんてハードルが高すぎる。
どう答えるべきか考えているうちに、返答がないことを訝しく思ったのか、ロアは口元に手を当て思案顔をこちらに向けた。
「もしかして、フレム先生に何か聞いた?」
フレーゼは顔が強張った気がした。頬に不自然な力が加わる。
ロアは黒い瞳を眇め、こちらをまっすぐに見つめている。口は笑みの形をとっているのに、見えない圧を感じて怖い。
「咄嗟に答えることを窮する植物。いくつか心当たりがあるけど……」
ロアは数えるように指をひとつひとつ曲げていく。
綺麗な指だなぁ、なんて思いながらも心臓は早鐘を打っている。
「竜花かな?」
ロアの視線が突き刺さる。相手を試す瞳だ。
ああ、こういう時に誤魔化すことの出来る人間だったらよかったのに。
フレーゼは無言で頷くが、ロアは笑いを噛み殺している。
「ごめん、ごめん。そんなに怖がらないでよ。責めてないよ」
フレーゼはロアの反応に呆気にとられる。
「だって最初に言ったじゃないか。先生に聞いたんだよね? あの方は知りたいことは素直に教えてくれないけど、教えなくてもいいことは、すんなり教えてくれるからね」
「とんでもない方ですね……」
「うん。天邪鬼な大人だよね」
侍従が図鑑を手に戻ってきた。子供向けの図鑑から大人向けの専門的な図鑑まで種類は豊富だ。
侍従が声の届かない位置に控えたのを確認して、ロアは背表紙に目を通していく。
「うーん。知ってるかどうか確認をするけど、竜花は禁忌なんだ。その存在も秘匿されている。王族の者でも一部の人間しか知らなくて、魔法使いも上位に位置する者のみ知ることが出来る」
ロアの言葉が固い。とんでもないものを話題に上らせてしまった。
「それをどうして、フレーゼ嬢に教えたんだろう」
「わ、分かりません。でも多分」
「多分?」
「……私が魔力を欲しがったから」
「へえ?」
フレーゼの背中に冷や汗が伝う。ロアの纏う空気が一変した。彼の瞳は僅かな軽蔑を含んでいる。
「フレーゼ嬢が魔力を求めたから安易に禁忌の花を教えるなんて、先生は何を考えてるんだろう」
「それは分かりません……」
「竜花は摂取すると多大な魔力の恩恵を受ける、魔力の塊なんだ」
「ご、ごめんなさい。探したりしません。忘れます。忘れる努力をします」
フレーゼは俯いたまま謝罪の言葉を並べ続けた。居た堪れない。怖い。
ロアは小さく嘆息した。顔を上げられないが、きっと彼はこちらを見ているだろう。
「そもそも存在を知っているからと言って、簡単に手に入る物じゃない」
ロアは椅子から腰を浮かせて前のめりになり、フレーゼの前に開かれた教本に指を乗せた。
「ここだよ。ここに生えている」
指を差されたのは先程眺めていた地図。王都の北東に位置する、山の中央だ。
「ここは、火竜の住む巣の近くにある洞穴で、入り口は封印されている。おいそれと侵入し竜花を得ることは難しい」
「手に入れることが難しいなら、どうして竜花は秘匿されているのですか?」
ロアはにこりと微笑んだ。
「魔力の強い権力者に狙われるからだよ。僕ら王家の人間だけが魔力を持ち生まれるけれど、長い時を経て血脈は増え、その力を大なり小なり持つ人間が増えている。人は力を持つとそれ以上を求めるものだ。簡単に強大な力を得られるならば、欲に目がくらむかもしれない……人間は弱いからね」
フレーゼはロアの言葉に閉口してしまう。
「ねえ、魔力がないから魔力が欲しくなった? 身に余るものだと思わなかった? それでも欲しいと思い、王宮の筆頭魔法使いに訊ねた理由は何?」
ロアは咎めるように言葉を重ねていく。先程のフレーゼの謝罪は耳に届かなかったようだ。
「そ、それは、あの!」
前世の記憶を消したいなんてどう説明しろと?
まだ知り合って日の浅いロア。
この国の王子で腹に一物も二物もある聡い少年。そんな彼にどう理解してもらうのだ。
「なんとなくです!」
「へぇ……無理やり聞き出す方法もあるんだけどな?」
ロアはひらひらと手を振る。笑みが意地悪いものに変わっている。美少年の顔が歪んで怖い。
「本当に大した理由はないんです。それに理由をお伝えしても信じてもらえないと思います」
「僕が信用できないんだ? 傷つくなぁ」
「そうではなくて……!」
「そりゃあ、君の同年齢の友人と比べたら、魔力持ちの王子で意外に賢い方だ。見た目も申し分ないし、そんな僕は胡散臭いだろうね」
「うわ、自分の武器をばっちり理解してますね」
つい突っ込んでしまい、慌てて口を手で押さえるがもう遅い。
「心の声が出た?」
ロアは楽しそうに一頻り笑うと、ふっと息をひとつ吐いた。
そしておもむろに立ち上がり、フレーゼに手を差し出す。
「殿下?」
「僕の秘密を教えてあげる。だから君の隠し事も教えて」
いつもと異なる笑顔だ。わくわくしているような、屈託のない子供らしい表情。
ロアは侍従に何かを告げ、侍従は足早に部屋を出て行った。
14
あなたにおすすめの小説
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!
クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。
ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。
しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。
ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。
そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。
国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。
樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。
うわさの行方
下沢翠花(しもざわすいか)
恋愛
まだ十歳で結婚したセシリア。
すぐに戦場へ行ってしまった夫のニールスは優しい人だった。
戦場から帰るまでは。
三年ぶりにあったニールスは、なぜかセシリアを遠ざける。
ニールスの素っ気ない態度に傷つき疲弊していくセシリアは謂れのない酷い噂に追い詰められて行く。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
悪役令嬢は死んで生き返ってついでに中身も入れ替えました
蒼黒せい
恋愛
侯爵令嬢ミリアはその性格の悪さと家の権威散らし、散財から学園内では大層嫌われていた。しかし、突如不治の病にかかった彼女は5年という長い年月苦しみ続け、そして治療の甲斐もなく亡くなってしまう。しかし、直後に彼女は息を吹き返す。病を克服して。
だが、その中身は全くの別人であった。かつて『日本人』として生きていた女性は、異世界という新たな世界で二度目の生を謳歌する… ※同名アカウントでなろう・カクヨムにも投稿しています
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる