転生したので前世の記憶を消したい

みっきー・るー

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第一章

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 侍女が部屋の扉をノックすると、ロア専属の侍従が顔を出し、フレーゼを確認して扉を開けた。
 会釈をして室内に入ると、普段のサロンよりも落ち着いた雰囲気の部屋が現れる。

「フレーゼ嬢。顔色も良さそうで、すっかり元気になったね」

 ロアは柔和な笑みを浮かべた。

「殿下。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 深々と頭を下げると、ロアは目を丸くする。

「迷惑? 何が?」
「お話の最中に倒れてしまい……」
「ああ、なるほど。気にしてないよ」

 ロアは笑みを深め、窓際に机を挟み向かい合わせに置かれた椅子を引く。

「フレーゼ嬢、どうぞ」

 年齢を感じさせないスマートな動きに、フレーゼは戸惑いと緊張が隠せない。
 かくかくと操り人形のような動きで椅子に腰かける。恥ずかしくてロアの顔が見られない。

「今日はフレム先生、リージに付きっきりでいないから、分からないことがあったら僕に遠慮なく聞いてね」

 絵画のように眩しい笑顔を向けられて、フレーゼは何度も頷きを返す。緊張で言葉が出てこない。
 勉強に集中して意識を逸らそう。
 フレーゼは机の上に持参した教本を置き、ページを捲りながら、どこから復習すべきか思案する。
 ふと視線を持ち上げるとロアと目が合った。どうやら、こちらを見ていたらしい。

「な、なんでしょう?」
「ううん。思っていたよりも熱心に学んでいるなぁって」
「思っていたよりも、ですか」

 思わず復唱してしまったが、ロアは失礼なことを言ったと思ったらしく困ったように笑う。

「いや、ごめん。悪い意味じゃないんだ。君はこの城を出るつもりなのに、この城で学ぶことに手を抜かないんだと思って。もしかして何らかの地位を目指してる?」

「地位ですか?」

 発言の意図が分からず、フレーゼは返事に窮してしまう。
 平民が努力したところで、得られる地位などたかが知れている。

「他にやることがないので頑張っているだけです」

 そう告げると、ロアはきょとんとした反応を返す。

「え、やることない? そうかな……」

 彼は本気で首を傾げている。どう答えたら正解なのだろう。

「あの、せっかく殿下たちと学んでいるので、あまりにも落ちこぼれだと恥ずかしいと思ったんです。だからやれる範囲で頑張ります」

 それに、と言ってこぶしを小さく握る。

「将来、実家の店を廃業することになっても、ここで学んだ知識を活かし、学校の先生になろうと目論んではいます!」
「え、廃業するの?」
「そんなこと絶対にないですけどね」

 フレーゼは恥ずかしくなり誤魔化すように笑うと、ロアは吹き出し笑い始める。

「フレーゼ嬢の目論見は可愛いね」
「え!?」

 さらりと言われた言葉に胸が跳ねた。
 綺麗な顔と王子様の名にふさわしい優雅な所作。
 そんな麗しい少年が、口説いているわけでもないのに、女の子に可愛いと言えてしまうのだ。
 なんて、王子様らしい王子様なのだろう。

 ロアは何事もなかったかのように、姿勢を正し、教本と向き合い始めた。
 フレーゼは羽ペンを置き、インク瓶の封印紙をぺりぺりと剥がす。

「それ使いやすいインクだよね」

 またロアの視線がこちらに向いていたようだ。
 どうも二人きりだと、心臓が騒がしくなり落ち着かない。

「フレーゼは速記が苦手だから、いつものインクだと練習しづらそうだと思っていたんだ。僕も小さい頃、そのインクで練習してたよ」

 今も小さい頃に分類される年齢ではあるが、ロアの落ち着き方は些か若くない。

「知らないうちに、これに変わってました。前のインクは量が少なくなっていたので、新しい物を用意してくれたのだと思います」

 ロアは目尻を下げて柔らかく笑む。

「よかったね」
「はい」

 ロアにお墨付きをもらえたなら、きっと使いやすいインクなのだろう。
 つい悪い方向に考えてしまったけれど、あの侍女が気をきかせてくれたのだ。
 そう思うと胸が温かくなり、とても幸せな気持ちになる。

「フレーゼ嬢?」
「は、はい!」
「どうして笑っているの?」
「え!?」

 フレーゼは思わず頬を押さえる。
 気付かぬうちに口角が上がり、ニヤニヤしていたらしい。
 恥ずかしくて俯きそうになるが、そろそろとロアを見上げると、穏やかな笑みがこちらを見ていた。

「こういう気遣いが……嬉しくて」

 フレーゼはインク瓶に触れ、そしてロアを見やる。

「殿下。お花ありがとうございました。ベッドから身体を起こせなかった時、たくさんのお花を見られて、とても嬉しかったです」

 なんて伝えたらいいのか分からず、結局伝えられたのは嬉しかったことだけだ。
 頬が熱い。緊張で鼻もひくついている気がする。
 ロアは小さな驚きを見せたが、すぐに目尻を下げてくしゃりと笑う。

「うん、喜んでもらえて嬉しいよ」

 その笑顔が初めて見るもので目を離せない。
 いつも絵画のように美しい笑顔なのに、初めて同年代らしい素の笑顔を見た気がした。

 なんだ、この空気。
 照れくさいのを誤魔化ように教本のページを捲る。室内に紙を捲る音だけが響く。
 フレムが用意していた問題の並ぶ紙を見やり、該当のページを開く。
 細かい地図が描かれていて、問題と照らし合わせながら、王国と接する周辺国を紙に書き込んでいく。
 ふと王都の位置に目が向いた。
 港を持ち、王都は標高の高い山を背に抱いている。
 隣国はこの山を越えることが難しく、背後からは攻め込むことが出来ない。
 王都の東側が特に山が険しくなっている。
 その向こう側に国境があり、関所の印が付いていた。
 こんな場所に関所があるなんて、想像もつかない。
 そういえばフレムは、竜花という名を口にしていた。禁忌に指定されるならば、こういった場所に咲いている高山植物なのだろうか。

 フレーゼは机に詰まれた書物の背を指でなぞり、題名だけを確認していく。
 さすがに植物図鑑はなさそうだ。

「何か調べてる?」

 ロアに訊ねられ、フレーゼは顔を上げた。今日は二人きりのせいかよく話かけられる。
 リージもいないから、気遣われているのかもしれない。

「調べたい花があったので図鑑を探していました」
「花?」

 ロアは不思議そうに首を傾げ、片手を上げて端に控えていた侍従を呼ぶ。
 植物図鑑を何冊か持ってくるように頼み、フレーゼへ視線を戻す。

「何を調べているの? 今やってるのは……地理?」

 ロアはフレーゼの手元に置かれた教本を一瞥した。

「あ、ええと」

 フレムは竜花は禁忌だと言っていた。
 そもそも、禁忌に指定されている花が図鑑に載っているだろうか。
 詳細は自分で調べろなんてハードルが高すぎる。
 どう答えるべきか考えているうちに、返答がないことを訝しく思ったのか、ロアは口元に手を当て思案顔をこちらに向けた。

「もしかして、フレム先生に何か聞いた?」

 フレーゼは顔が強張った気がした。頬に不自然な力が加わる。
 ロアは黒い瞳を眇め、こちらをまっすぐに見つめている。口は笑みの形をとっているのに、見えない圧を感じて怖い。

「咄嗟に答えることを窮する植物。いくつか心当たりがあるけど……」

 ロアは数えるように指をひとつひとつ曲げていく。
 綺麗な指だなぁ、なんて思いながらも心臓は早鐘を打っている。

「竜花かな?」

 ロアの視線が突き刺さる。相手を試す瞳だ。
 ああ、こういう時に誤魔化すことの出来る人間だったらよかったのに。
 フレーゼは無言で頷くが、ロアは笑いを噛み殺している。

「ごめん、ごめん。そんなに怖がらないでよ。責めてないよ」

 フレーゼはロアの反応に呆気にとられる。

「だって最初に言ったじゃないか。先生に聞いたんだよね? あの方は知りたいことは素直に教えてくれないけど、教えなくてもいいことは、すんなり教えてくれるからね」
「とんでもない方ですね……」
「うん。天邪鬼な大人だよね」

 侍従が図鑑を手に戻ってきた。子供向けの図鑑から大人向けの専門的な図鑑まで種類は豊富だ。
 侍従が声の届かない位置に控えたのを確認して、ロアは背表紙に目を通していく。

「うーん。知ってるかどうか確認をするけど、竜花は禁忌なんだ。その存在も秘匿されている。王族の者でも一部の人間しか知らなくて、魔法使いも上位に位置する者のみ知ることが出来る」

 ロアの言葉が固い。とんでもないものを話題に上らせてしまった。

「それをどうして、フレーゼ嬢に教えたんだろう」
「わ、分かりません。でも多分」
「多分?」
「……私が魔力を欲しがったから」
「へえ?」

 フレーゼの背中に冷や汗が伝う。ロアの纏う空気が一変した。彼の瞳は僅かな軽蔑を含んでいる。

「フレーゼ嬢が魔力を求めたから安易に禁忌の花を教えるなんて、先生は何を考えてるんだろう」

「それは分かりません……」

「竜花は摂取すると多大な魔力の恩恵を受ける、魔力の塊なんだ」

「ご、ごめんなさい。探したりしません。忘れます。忘れる努力をします」

 フレーゼは俯いたまま謝罪の言葉を並べ続けた。居た堪れない。怖い。
 ロアは小さく嘆息した。顔を上げられないが、きっと彼はこちらを見ているだろう。

「そもそも存在を知っているからと言って、簡単に手に入る物じゃない」

 ロアは椅子から腰を浮かせて前のめりになり、フレーゼの前に開かれた教本に指を乗せた。

「ここだよ。ここに生えている」

 指を差されたのは先程眺めていた地図。王都の北東に位置する、山の中央だ。

「ここは、火竜の住む巣の近くにある洞穴で、入り口は封印されている。おいそれと侵入し竜花を得ることは難しい」

「手に入れることが難しいなら、どうして竜花は秘匿されているのですか?」

 ロアはにこりと微笑んだ。

「魔力の強い権力者に狙われるからだよ。僕ら王家の人間だけが魔力を持ち生まれるけれど、長い時を経て血脈は増え、その力を大なり小なり持つ人間が増えている。人は力を持つとそれ以上を求めるものだ。簡単に強大な力を得られるならば、欲に目がくらむかもしれない……人間は弱いからね」

 フレーゼはロアの言葉に閉口してしまう。

「ねえ、魔力がないから魔力が欲しくなった? 身に余るものだと思わなかった? それでも欲しいと思い、王宮の筆頭魔法使いに訊ねた理由は何?」

 ロアは咎めるように言葉を重ねていく。先程のフレーゼの謝罪は耳に届かなかったようだ。

「そ、それは、あの!」

 前世の記憶を消したいなんてどう説明しろと?
 まだ知り合って日の浅いロア。
 この国の王子で腹に一物も二物もある聡い少年。そんな彼にどう理解してもらうのだ。

「なんとなくです!」
「へぇ……無理やり聞き出す方法もあるんだけどな?」

 ロアはひらひらと手を振る。笑みが意地悪いものに変わっている。美少年の顔が歪んで怖い。

「本当に大した理由はないんです。それに理由をお伝えしても信じてもらえないと思います」
「僕が信用できないんだ? 傷つくなぁ」
「そうではなくて……!」
「そりゃあ、君の同年齢の友人と比べたら、魔力持ちの王子で意外に賢い方だ。見た目も申し分ないし、そんな僕は胡散臭いだろうね」
「うわ、自分の武器をばっちり理解してますね」

 つい突っ込んでしまい、慌てて口を手で押さえるがもう遅い。

「心の声が出た?」

 ロアは楽しそうに一頻り笑うと、ふっと息をひとつ吐いた。
 そしておもむろに立ち上がり、フレーゼに手を差し出す。

「殿下?」
「僕の秘密を教えてあげる。だから君の隠し事も教えて」

 いつもと異なる笑顔だ。わくわくしているような、屈託のない子供らしい表情。
 ロアは侍従に何かを告げ、侍従は足早に部屋を出て行った。
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