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第一章
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しおりを挟む「行こう」
ロアはエスコートの手を差し出した。
何処に行くのか分からないが、従ったほうがいいだろう。フレーゼが手を重ねると優しく握り返される。
ドレスに慣れていないフレーゼのゆっくりとした動きに合わせながら、彼は部屋の外へ向かう。
扉を出た廊下の先にロアの侍従が控えている。侍従が頷いたの見てロアは小さく頷き返した。
(王子様って目線だけで会話できるのね……)
眼前の廊下は次第に広くなり、設えられた窓は背の高いものに変わっていく。差し込む光は眩しく辺りを照らしている。
かちゃりとテラスに出るガラス戸が開けられた。
ロアの庭園とは異なる花が咲き、木々も持ち主の性格を現すかのように規則正しく植えられている。
花壇に咲く黄色や白、橙の花を眺めながら道なりに進み続けると、緻密な細工が施された彫像や柱が並び重厚な雰囲気を漂わせていく。
奥に本城と繋がる背の低い建物が現れた。目を凝らして見ると、庭に続くテラスの戸が大きく開け放たれ、奥で人影が動いた。
「兄上!」
「ロア、ずいぶん突然の訪問だね」
現れたのは王太子アイルだ。ロアは兄の姿を見て相好を崩す。
フレーゼはぎょっとして思わず足を止めた。
まさか王太子と面会すると思わなかった。ということは、今歩いてきた庭園は王太子専用の庭園?
「フレーゼ嬢?」
足が止まるフレーゼをロアは不思議そうに見やる。
「きょ、許可が……」
「兄上の許可はとったよ。大丈夫」
「え? あ、ああ、そうでしたか」
ロアの侍従が急ぎ部屋を出て行ったことを思い出す。考えてみれば、事前にそういう手回しはしているはずだ。
狼狽えてしまい恥ずかしい。
「でも……どうして庭園からこちらに? お城の中から行けたのでは?」
「君は兄上の庭園見たことないでしょ。一度見せてあげたいと思ってんだ」
「あ、ありがとうございます」
二人は再び歩みを進めて、アイルの前に立った。
「兄上。突然の訪問お許し下さい」
ロアが形式通り礼をすると、アイルは柔和な笑みを向ける。フレーゼはロアの挨拶が終わるのを確認して、散々練習したお辞儀をする。
「王太子殿下、フレーゼです。突然の訪問をお許し下さい」
「久しぶりだね。そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。頭を上げて」
アイルの許可を受け顔を持ち上げると、初めて会った時よりも繊細で綺麗な顔がこちらを見ていた。
彼は随分軽装だ。緩めたシャツの襟元がこの空間の雰囲気を和らげている。
肩に羽織っているケープをかけ直し、彼は二人を室内に誘った。
通された椅子に腰かけると紅茶の準備が整えられ、侍従と侍女は部屋の端に並ぶ。
彼らが声の届かない位置に控えたことを確認して、ロアは口を開いた。
「兄上。ご加減はいかがですか?」
「ここ数日はとても良いよ」
アイルはカップに口をつける。長い睫毛が黒い瞳に影を落としている。儚げな雰囲気に胸が跳ねた。
この兄弟はとても似ている。
さらりと流れる黒髪も、黒曜石のような輝きを持つ瞳。王妃似の顔立ちは神秘的な美しさだ。
「僕のことが心配で、来てくれたのかな」
アイルの言葉を受けて、ロアは僅かに頬を赤く染めた。
「用事がなければ来てはいけませんか?」
「いいや。でも、そろそろ兄離れも必要かと思っているよ」
アイルは楽し気に笑う。
その姿は微笑ましいが、アイルの目の下に深い隈があることに気がついた。
ロアが体調を気遣う発言をしていた。彼もフレーゼ同様、風邪でも召していたのかもしれない。
そう思って見ればアイルは肌が白すぎる。
背が高く手足は長いが、体躯はどちらかというと細い。
「今の時刻はフレーゼ嬢と勉強の時間ではないの?」
「先程フレーゼ嬢に魔力のことを教えていたのです。彼女は魔力を持っていないので」
突然自分の名前がぶち込まれて、フレーゼは紅茶を噴き出しそうになった。
二人の視線がこちらを向く。
「ああ、そうだったね」
アイルの黒い瞳はフレーゼを見つめ、そのまま動きを止める。
「兄上?」
「ううん。それで、どうして僕のところに?」
「僕よりも兄上の方が優秀ですから、お話を伺いたかったのです」
ロアは当たり前のように告げたが、アイルは苦笑を返した。
部屋の扉が数回ノックされた。
アイルの侍従が対応していたが、すぐに侍従は主人に耳打ちをする。
「……うん、分かった」
ロアとフレーゼはきょとんとした表情で成り行きを見守っていたが、アイルは二人に対して優しく笑いかけた。
「ごめんね、父上がお呼びだ。今日は人気者だなあ」
アイルは立ち上がり侍女に手渡された上着を羽織り襟を正す。
ロアが慌てた様子で立ち上がったので、フレーゼはそれに倣った。
「ああ……せっかく用意したのだから食べて帰るんだよ。フレーゼ嬢、庭を楽しんで行くといい。今の時期は花がとても綺麗だ」
「ありがとうございます」
アイルはロアの頭を優しく撫でた。
「ロア、またね」
「はい。兄上」
大きく開かれた扉から、アイルは足早に出て行き、侍従と警備の近衛兵が数人ついて行く。
仰々しくも思えるが、彼は王太子なのだからそれも当然なのだろう。
ロアはデザートの並べられた机を一瞥して、再び椅子に腰かける。
「フレーゼ嬢、頂こう」
「はい」
気のせいだろうか。
ロアの表情が一気に曇った気がする。
「……これが僕の秘密だよ」
「え?」
ロアは視線を伏せたまま静かな声音で言った。
「強い魔力は強靭な肉体が揃わないと維持できないんだ。魔力の強さに耐えきれずに、肉体が押し潰されてしまう」
「それって……」
フレーゼはアイルの影の薄さを思い出す。
「僕ら王族が女神に愛されて魔力を持つことは知っているよね?」
「はい、もちろんです」
フレーゼの実家近くにも女神の神殿がある。
この世界では女神の寵愛を受けることが、最も大きな力を得る方法だ。
女神は気まぐれで王族以外の人間でも目に留まれば愛してくれる。確立は低いが、それを皆知っているから女神を信仰する。
「兄上は女神にとても愛されている。だから膨大な魔力をその身に宿し、それは人間の体に収まりきらない程なんだ。だから兄上の肉体は年々弱ってきている……きっともう長くない」
言葉が出てこない。
ロアは小さく嘆息し、視線をフレーゼに向けた。
「竜花は魔力を与えてくれるけれど、魔力を維持する為の強固な肉体も授けてくれるんだ。僕は竜花を兄上に差し上げたいと考えたことがある」
ロアのまっすぐな瞳がこちらを見据える。フレーゼの反応を待っているのだ。
「今も……ですか?」
「うん。今もそう思っているよ」
強い魔力。
フレーゼはそう口内で咀嚼して飄々とした魔法使いの姿が思い浮かんだ。
「フレム先生は魔力が強いですよね? 肉体も伴っておられるんですか?」
「ああ、先生は…………そうだね」
ロアは何かを言おうとしてやめたようだ。
説明が面倒になったのか、フレムの普段の態度を思い出し、説明する程でもないと思ったのかもしれない。
「僕は王子だけれど、私欲で禁忌に手を出そうとする愚か者だ。けれど兄上は違う。禁忌だけでなく、あらゆる方法を知っていて、それらに手を出さない。兄上は意思も強く人格者だ。僕は兄上を王にしなければならない」
ロアは強い調子で告げて、また重い溜息をつく。
長い睫毛が黒い瞳に影を落とす姿が、先程のアイルと重なって見えた。
確か、アイルは十七歳。
今までの自分だったら兄のように感じるが、前世を僅かに思い出した今、なんて若い年齢で痛みを抱えているのだろうと思う。
前世の二十代半ばまでの記憶しかない自分は、あの年齢で死んだはずだ。
どんなことを思いながら死んだのか。
そして前世の自分よりも若いこの国の王太子は、弱る体を抱えながら、どうやって近づいてくる死の気配と対峙してきたのだろう。
今まで全く面識もなかった人物なのに、フレーゼに向けられた眼差しは優しく、そこに偽りはなさそうだった。
そしてロアも。
「ロア殿下は愚か者ではありません。お兄様想いなだけです。欲の無い人間なんていません。ロア殿下は助かる知識を知っていて、実行はしていません。だからアイル殿下と同じです。比べることは何もありません」
本当はこんなことを伝える必要はなかったかもしれない。適当に返事をして、いつか実家に帰ることだけを考えていればいい。
それでも殿上人の彼らを目の当たりにして、心が揺さぶられた。
友人のように想いを伝え、励ましたいと思ってしまった。
ロアはこんなにも素敵で優しい人なのに、己を卑下して貶める姿は見ていてつらい。
フレーゼの言葉を聞いて、ロアは困ったように笑う。
「ねえ、フレーゼ嬢の秘密も教えて」
ロアは甘えるような瞳で見つめてくる。
彼は自分の武器を使うことにしたようだ。その視線はずるい。
「……信じて頂ける自信がありません」
「信じるか否かは僕が決める。それに信じられなくても、否定や非難はしないよ。約束する」
フレーゼは迷いながら口を開いた。
「私には前世の記憶があります」
「え?」
ロアは素っ頓狂な声を発した。目を瞬かせている。
「城に上がる少し前から、前世の記憶を夢で見るようになったんです。初めは変な夢だと思っていたんですが、今は前世の記憶だと確信するほどになりました」
「えーと……」
「ほら、信じられませんよね」
「いや! 驚いているだけだから、少し待って!」
ロアは狼狽えながら視線を彷徨わせている。どう反応すべきか考えているようだ。
「正直、細かい記憶はないんです。ただその頃感じたことや、どんな生活だったかとか……」
「それが竜花とどう関係するの?」
「私は前世の記憶を消したいんです。今の生活の邪魔になりそうで、思い出したくないんです」
フレーゼはフレムに教えられた内容を、なるべく言葉を選びながら話していく。
「アカデミーの学園長様が強い魔力をお持ちだと聞きました。竜花をお渡しして、私の前世の記憶を消して欲しいとお願いしようと思ったのです」
「アカデミーの学園長?」
ロアの声は一気に冷たくなった。彼は眉間に皺を寄せ瞼を閉じる。
何かを誤魔化すように、こめかみをぐりぐりと押さえている。
「アカデミーの学園長は、そう簡単には面会出来ないよ。君はアカデミーに入学するつもりなの?」
問われた質問に、フレーゼの思考がはたりと止まった。
それもそうだ。どうやってお願いするつもりでいたのだ。
ロアは、フレーゼの表情から何も考えていなかったことを読み取ったようだ。彼は呆れたように瞼を持ち上げ、黒い瞳にフレーゼの姿を映す。
「君は実家に戻るつもりなんだよね? アカデミーに入学したら必要のない苦労をするよ?」
アカデミーは貴族専用の学校といっても過言ではない。彼の言う苦労は、平民として生きようとするフレーゼには不要だ。
「記憶操作の魔法は魔力を多く必要とする。だから竜花が必要なんだね」
「私はアカデミーに入学出来ませんか?」
「出来ると思うよ。魔力のない貴族も通っているし、君のことはリージが望めば大概は叶うよ」
「リージですか?」
「彼は父上の負い目だからね。彼が望めば多少の無理はきくと思う」
「負い目……」
なんて言い草だ。事実だとしてもロアに僅かな不信が湧いた。
そして自分の存在はリージが望んだ事だとしても、彼の重荷になっている気がした。
フレーゼの機微を感じ取り、ロアは小さく笑んだ。
「僕も君がアカデミーで過ごせるよう協力するよ」
「ほ、本当ですか!?」
「本当だよ。だから、そんな胡散臭い物をみる目はやめて」
フレーゼは慌てて両手で頬を揉む。その様子を見てロアは笑みを深めた。
「だからさ、僕に協力して欲しいな」
「はい?」
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