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本編
照らされた星
しおりを挟む夜明けも近づく頃、認めた便箋を半分に折り封を閉じる。
そして小さく声を上げた。
「誰か――。……いるはずも無いか」
苦笑いを浮かべながら席を立ち、灯りを消してベッドに横になろうとした。
「お呼びですか」
ギィっとドアが僅かに開けられ、心臓が一瞬だけ跳ね上がる。
だがすぐにその声の正体が分かると、私は途端に立場ある者としての自覚を捨てたくなる思いに駆られ、こぶしを握りしめた。
「……ナジュム、か」
荒れ始めた心の内とは違い、至って冷静に話すことのできる自分に嘲笑が込み上げてきた。
「セイル様の、お声が聞こえたので。……大丈夫ですか? 何かあったのですか?」
僅かな隙間から聞こえてくる、焦ったような慣れない声が私を心配している。
あの時のあどけなさが残る少年の声とは違うことが、切ない空白の時を私に教えようとしてきた。
支配できない焦りを落ち着かせるように人知れず深呼吸をし、灯りが消えた部屋の中、ゆっくりとドアの前まで足を進ませ、そしてその僅かな隙間の前に立ち、声を震わせた。
「私は、大丈夫だ。構うことは無い」
その後数秒の間が空いて、ナジュムはこう言った。
「……セイル様。このまま少しだけ、お話をしませんか」
張りつめていた重責の糸を柔く解いていくような優しい声に、自らの意思とは関係なく涙が込み上げてくる。
「……何の、話をすると言うの」
「私の昔話を、聞いて欲しいのです」
ナジュムはそう言うと、その場で静かに語り出した。
「私は8歳の時、とある少女を偶然助けた事がありました」
「それ、は……」
その言い出しに息を飲み立ち尽くしたまま、蘇る幼い頃の記憶達に胸が震えていた。
「私は、2つ歳上のその無邪気で純粋な芯の通った強い少女に一瞬で惹かれてしまったのです。
しかし私は中流階級の貴族の、しかも私生児。服装などから、その少女は明らかに私よりも身分が上だということは分かっていました。
だから別れ際、少女の方から文通を申し込まれた時は天にも舞い上がる気持ちでした。
そして、名はセイルと、我が国の王女と同じ名だと知った時、一瞬本当は王女様ではないのかと疑いましたが、身分の差に恐れおののき、私はそれを偶然だと飲み込みました。
しかし――ある日、その少女を街で見かけ、思わず声を掛けようとした時、傍にいた女官が――王女様――とそう少女に声を掛けたのです。
崖から突き落とされたような気持ちでした。どう足掻いても努力しても、私では一生手の届かない人だと。
しかし思ったのです。私は……王女では無く、あの日出会った少女に惹かれていたと。
――気付かないふりをして手紙をやり取りしていくうちに、次第にその少女の真の心の内を知っていきました。
非常に聡明で優しく明るい方でしたが、人並み以上の大きな重責に、人並みの強さで耐えている。それもひとりで。
私にはそれがとても……心苦しく思えたのです。
そして、決して実らない想いだとしても、それでもいいから傍でお守りしたいとそう人知れず決意しました。
――それが私が騎士になりたかった、理由なんです」
彼が語る度にその情景が頭に浮かんできては、心が追いつけないほどの切なさが全身を覆い尽くしていた。
「……途中で、諦めようとは思わなかったのか。――叶わないと、そう知りながらも願うのは、きっととても辛く苦しいことだ」
無意識のうちに問いかけていたその問いは、私が過去何度も戦った想いだった。
――私は思ったよ。何度も諦めようと、そう思った。
「思いませんでしたよ」
ナジュムは即答だった。
その迷い無く言い切った言葉に胸が硬直した。
顔は見えないが、その声色から優しく笑っているのだろうと想像した。
どうして……と問い掛けたかった。だが、女王にはとても聞けなかった。
「いや、あったといえばあったのかもしれない。でも、心の底から諦めようと思った事は一度もありません。
家で虐げられてきた……孤独な私にとって、少女との手紙やその温かい言葉は救いの日々でしたから。例え苦しくともそれが私を生きながらえさせたのです。
――そして少女は女性になり、人生の節々を私に手紙で知らせてくれました。
何気ない事、母が聞かせてくれた物語の話や出先での出来事や愛する子供の事、過去地震が起きた時は私の身を案じてくれる手紙もあり、その想いが泣きそうな程嬉しかった事を覚えています。
……そして……大切な人の死の話も、彼女は私に話してくれました。
先代王と王妃が逝去された事が耳に入った時、私は、自分がここまで気が動転するとは考えてもいませんでした。
日々彼女の事ばかり考えて……。孤独ではないかと、怖くはないかと心配で、心配で……。
きっと彼女は苦しみ悲しんでいるだろうとそう思い、自分の気持ちを優先させ彼女に聞いてしまったのです。
彼女の立場を利用する者たちも多い中、浅はかでした。
でもそれでも、彼女の本心は分かりませんが、私を信じると仰ってくれました。
その時、改めて自分の気持ちに気付いたのです。何が何でも彼女をお守りしようと。
――そして私の知る少女が王となった年に、私は騎士試験に合格しました。
その頃を境に文通は私の一方的なものになりました。それでも箱から手紙が無くなっていたので、彼女に届いていると信じていました。
あの石のベンチの傍にある小さな箱、もう何個目の箱になったことか分からないくらい長い付き合いをしました」
「恐らく、その少女が頃合を見て頑丈な箱に替えていたのだな。抜け出すのもやっとの事だった」
忙しいスケジュールの中、わざわざ視察予定を入れて、護衛騎士や女官の目を盗んで箱を取り換えた苦労が目に浮かんだ。
ふふっとナジュムは笑ってくれる。
「はい。本当に感謝しかありません。
――家柄の助けもあってか、私は順調に出世していきました。
……しかし、騎士になってから心のどこかで淡く期待していた部分がありました。
もしかしたら、私を探し出し見つけてくれるのではないか、と。会いたかった。と言ってくれるのではないかと。
多くは望んでいませんでした。ただ、ただ私と似たような想いでいてくれる事を、そしてそれが目に見える形で私に伝わることを、心のどこかで期待していたのです。
……しかしそんな都合の良い事が起こるわけもなく、手紙が箱から消えていくその事実を胸に、私は日々彼女に会いたいと願っておりました。
そして、騎士になってから6年が過ぎた頃、大人になった少女が群衆の前に気丈に立つ姿を見たのです。
……とても辛かった。自分が情けなかった」
音のない涙が一筋、私の頬を伝っていくのが分かった。
彼の言葉ひとつひとつが私が感じていた想いと全く同じだった事に、胸を震わせていた。
違う――。ナジュムを探さなかったのは、あなたを守りたかったからだと。そして、私の身勝手な想いであなたを縛り付け、自由を奪いたくなかったからだと。そして、あなたと会えば王である自覚を無くしてしまうかもしれないという、未熟な私の恐れからだと。
そんな想いを口にできるはずもなく、想いや震える呼吸ごと拳を強く握り締めた。
「私だけが日々鍛錬をし努力しているものだと思っておりました。少女はきっと、私の思い描く無邪気で純粋な芯の通った強い少女のままだと。
でも、違ったのです。群衆の前に立つ女性は、一層聡明で美しく、そしてどこか儚げに、私の知らない景色を見下ろして、国や民への愛を語っていました。その言葉達は淀みひとつない透き通った海の水のように美しく、それは何故か私を惨めな気持にさせました。
私にこの方をお守りする資格など無いのかもしれない。私だけが愛せれば良いと思っていたはずなのに、傲慢さから愛されたいと望んで、そしてその愛は私に向けられているものでは……無いのだと。
祈りの言葉や、美しい言葉、それ等の言葉が彼女の口から発する度、それは私に叶わない想いを突き刺していくようで、とても辛かった。
彼女はいつも未来を見据え、行動し、過去ただ1度会っただけの私を見る事などないと。……そう、思ったのです。
私は身の丈に合わない想いを抱いてしまったのだと、それでも彼女が幸せならばそれでいいと、それじゃあこの悲しみや苦しみはなんだと葛藤しました。
ああもし、私もその人もただの人であったのなら――そうだったら何かが違っていたのだろうかと、そう願ってしまったのです。
……例え見つけて貰えなくても、遠くから照らす星であればいいと、そう思っていたのに、照らされていたのは――――私の方で……」
そこで彼は言葉を詰まらせ、吐息を漏らした。
その時、彼も泣いているんだと知り、また一筋私の頬に涙が伝った。
「何故……そんなに苦しんでまで」
その1粒の涙は顎を伝い、やがて床を濡らす。
「想いに理由などありましょうか……! 自分でも恐ろしいとさえ感じていたのです。
このように長い期間たった一人を想い続けたその道が、その一人が居なくなってしまえば、私は一体誰になってしまうのだろうかと。
私はまた自分の傲慢さから、その思いをぶつけるようにそのまま手紙にしてしまいました。
……すると、返事が来たのです。
あまりにも私にとって都合の良すぎる言葉達が並んでいて、苦しんでいたのは私だけではなかったと安心したのと同時に……とても悲しかった。
私の存在が彼女を安らかに出来るものならと願っていたのに、苦しめていたことにも気付き、私は、最後と決めたその手紙を涙しながら綴りました。
……もし本当に必要なら、神が、巡り合わせてくださるだろうと。そして、色々な思惑が渦巻くであろう中、私の言葉は信じてほしいと」
「……そう、であったな」
その手紙の封を震える手で開けた場面が思い出された。
「そして、鍛錬を重ねながら2年が過ぎ、一昨日、女王陛下の側近の方の近衛騎士に任命され、本日の会議の場でセイル様にご挨拶をしようと、そう思っていたのです」
涙を流して鼻声が混じったその声に、私がどれほど胸を貫かれているか、きっと彼は知らない。
私もずっと――と、その先の言葉を紡ぐことが出来たのならばどれほど幸せだっただろう。
しかしもう私はこの者にとってただの少女ではなく、一国の女王になってしまったのだ。
――もう、私から自由になりなさい――
とナジュムにそう声を掛けることは残酷なことだろうか。
逆の立場なら……と考えただけでも目の前が真っ暗になる自分が想像できる。
言いたくても言えないこの想いが何を指し示しているのか何となく分かっていながらも、それでも私は愛するシェバ国の女王だった。
「そうか……何か望みはあるか。今の私に与えられるものは限られてはくるが。できるだけ叶える努力はしよう」
我ながら酷い言葉だと思った。
これほどまでの想いを明かされても、私はナジュムを一介の騎士として扱う言葉を投げた。――突き放した。
ここまできて、突き放して守ることを選んだのだ。
震えながらも優しげな声色がドアの隙間から聞こえた。
「何も望むものはありません。……お傍で仕えさせてください」
その言葉に、膝から崩れ落ちそうになるほど胸が締め付けられる。
何故。何故、その言葉に嘘が感じられないのだろうか。
「……分かった。それが望みなら、許そう」
城の自室から持ってきた、ナジュムと交した最後の手紙を、宝を取り出すかのように大切に胸元から取りだし、そしてそのまま皺がつく程に握り締めた。
――ナジュムが私を守りたいと言ったように、私も彼を守りたいと思った。
それは傍に置くことでは無く、遠くから照らす星のように民の一人、大切な愛しい民の一人として、権力に縛られない幸せな生き方をして欲しかった。
王として生きることは時に孤独だ。
両親は死に、私は未婚で息子が一人。
遠い親戚から命を狙われた事だってある。もちろんその者は処刑した。
国の為に、自らの立場を守る為に、心を許せる人を作ることさえ躊躇った。
神殿での儀式や、政治、経済、外交――など一般的に考えられる王の仕事とはまた違う、命を狙われる危険性も、またその逆も有り得る、綺麗事だけでは済まされない立場だ。
名声や地位が欲しいゆえに、甘い言葉を囁き私に近付いてくる者は、王女であった時から数多く居た。
私は唯一無二のシェバの女王だけれど、私の下に付く者達の間では一筋縄ではいなかい程の権力争いや陰謀が渦巻いている事も知っていた。
私の判断、指示ひとつで彼をその渦の中に放り込んでしまうことがとても怖かった。
そして、そんな風に想った彼が私をいつか裏切ることも何度も想像したが、当時はそれでも構わないと思っていた。
だが今は怖い。
心から信じているものに裏切られ、一人になることが、とてつもなく恐ろしい。
こんな私の気持ちなどナジュムには絶対分からないだろう。
でも、分からなくていい。これでいい。こんな苦い思いは一生分からないでほしいと思った。
「これは私の昔話ですから……お気になさらないでください。セイル様、お疲れのところ申し訳ございませんでした。どうか、ごゆっくりお休みください」
「ああ。ナジュム、お前もゆっくり休め」
「はい。セイル様おやすみなさい」
「おやすみ、ナジュム」
鼻をすする音と共にその足音は遠ざかっていく。
私は静かにドアを開け、暗闇の中見えない背中を見つめ僅かに手を伸ばした。
理由のない涙が頬を伝い落ちてゆく。
そのどこか見覚えのある涙は、心の深い場所までも濡らしていくようだった。
神よ。許されるのならば、私はいいから、あの者がどうか苦しまないように救ってください。
どうか、何者にも縛られない自由と幸せをナジュムに与えてください。
眠りにつく最後まで、その願いがこだまし続けた。
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