砂漠の女王が愛した星【完結】

藤沢はなび

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本編

息子へ

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「まぁ、どうされたんですか」
 突然の訪問に、白髪混じりの口ひげを蓄えた年配のヤーコプは驚きながらも、適当に事情を説明すると、快く受け入れてくれた。

 店の受付の奥の部屋に本棚がある。
 その本棚を裏返せば、密談などに最適な隠し部屋がある事を私は知っていた。
 女王に即位してからは、1人になりたい時によく使っていて、私はその部屋を使わせてもらえないだろうかと彼に頼んだ。
「この事は他言無用で頼む」
「かしこまりました」
「……ありがとう」
 私はすれ違いざまにヤーコプの掌に、ずっと世話になったお礼も兼ねて巾着いっぱいに入った金貨を握らせた。





「やはり、エレムへ逃げるのが一番安全かと。ソロ王なら守ってくれるでしょうし」
 マリクは懐から地図を取りだし古びたテーブルの上に広げ、東の海を渡った先の国、エレムを指さした。
 マリクはタリクの息子で、従僕の中では若く、頭も切れる秀才。
 将来はきっとタリクをも超える名将になり得る程の人材だった。
 そしてエレム国の王ソロは王女であった私に……こう、執心していた過去もあり、エレムに身を置くという選択は確かに得策ではあった。

 私が19の時、会いたいとくどい程の熱烈な文がエレム国王ソロから届き、当時シェバの王だった父から有利なように貿易交渉をしろと言われて、渋々エレムへと外交に発ったことがある。
 今でこそエレムの王ソロは偉大だと言われているが、当時のソロはまだ即位して3年の若い青年だった。
 ソロと初めて会話を交わした時、絶対にわかり合うことはないだろうと感じる程の違う世界観を持っていた。
 だがそこに次第に興味を引かれ、私も将来王となる身で歳も近く、エレムでの滞在時は国の将来について無礼講で語り合った日もある。
 他国に戦争をしかけるよりも、鉄や金などの自産物で自国の経済を豊かにしたいと言った私の意見に感銘を受けて、エレムは翌年から経済に力を入れていた。
 まぁエレムの記録によるとその意見は私でなく、ソロが言ったことになっていたが。
 いい加減で傲慢だったけれど妙に繊細な心を持っていて、どこか憎めないやつではあった。

 エレムに滞在して数週間が経ち気心も知れてきた頃、ソロから冗談ぽく婚約するかと軽くプロポーズをされたことがあった。
 しかし私はソロに誰とも結婚したくないと告げた。
 何故だと聞かれると、私は言葉を詰まらせ、心から愛する人と一緒になれないのなら誰とも一緒になりたくはないと、そうソロに言った。

 腹違いの兄弟が数多く存在し、更に既に数人の愛人を囲っていたソロは理解が出来ないと私の考えに難を示したが、その酷く真剣な私の言葉に、あのシェバの王女の心をそれ程までに奪える者が心底羨ましいとでも言うように、悲しく笑った。
 そして、ある提案をしてきた。
 世継ぎがいれば、結婚をする必要は無い。だから、俺と子供を作ればよい、子供はシェバ国の跡継ぎにすればよい、と。
 私にメリットがあってもあなたにメリットがないでしょう、と受け流したが、ソロもまたしつこかった。
 私が身につけている真鍮と鉄で出来たその美しい指輪をくれ、それで貸し借りはなしだと。
 その指輪は母からの贈り物だった為「私が死んだらあげます」とそっけなく答えたが、ソロはそれで納得した。

 そうして生まれたのがユリウスだ。 

 エレムからの帰国後ユリウスを生み、程なくして女王に即位した為、ソロと文のやり取りはあったものの会ったのはその後1回だけ。
 時が経つにつれソロの私への熱は冷めていくと予想していたが、私の誕生月とユリウスの誕生月には自室が埋まるほどの大量の贈り物が届いた。ちなみに私はソロに対して形式上の手紙と小さな宝石しか送っていない。
 そしてエレムの跡継ぎでもないのに、毎週のようにユリウスに会いたいと文を送ってくるから、最低でも年に1度はユリウスをエレムへと行かせていた。
 毎回ユリウスはそれはそれは大量の宝石や書物や香辛料等を持って帰ってきた。
 ユリウスは血の繋がった子だから愛おしいと感じるのはまぁ分かるが、正直私がここまでソロに好かれるとも思っていなかった。
 ただ、ソロが私に執心しているのは紛れもない事実だ。

 今のエレムなら安全で、私に興味があるうちはソロなら必ずユリウスを守ってくれるだろうと確信を持って言える。
 しかし現実問題、いくら王と言えどソロが守ることが出来るのはきっとユリウスだけだ。
 ソロの血を引いているユリウスだけならまだしも、現シェバの女王である私がエレムへ逃げたとエプトが知れば、エレムとエプトも戦争になりかねない。
 しかもソロの正妻はエプト人で出世願望が強く気性も荒いと聞く。
 ややこしい事に巻き込まれたくはないし、愛する息子を巻き込みたくもなかった。


「いや、エレムにはユリウスが逃げている。万が一私が捕まった時にユリウスまで捕まる事は何としてでも避けたい。わざわざエプト側にユリウスと共に行動していると情報を流しているのだ。息子を危険に晒すような事は出来ない。――それはきっとソロも思っているだろう。なにせ、ソロの正妻はエプト人だし」

 緊迫した空気が漂う真剣な話し合いの中、イフラスが私、マリクとアビド、そしてナジュムに茶を出しながら、いつもの調子で口を挟む。
「でもねぇ、ユリウス様は母上~って、きっと会いたがりますよー。恋しいでしょうねー」

 その発言で一気に場の空気が淀んで、マリクとアビドは私に視線を移し、何とも気まずい冷えた雰囲気になる。
 意表を突かれた私は堪らず視線を僅かに下げ、痛む心を隠そうとした。
 そんな空気を読めないイフラスは颯爽とその場を離れ、部屋の端で他の女官となにやら会話に勤しむのだった。


「……先代が使っていた別邸が東の街にある。あの辺一変は以前の戦争で廃虚と化してるが、身を隠すには丁度いいだろう。……もしかしたら、逃げている途中のユリウスにも会えるかもしれないしな」
「まぁ確かに、後継者であるユリウス様のお命は何よりも大切です。ユリウス様が無事にエレムに到着なされば私達も自由に動けましょう」
 年長で朗らかな性格のアビドは持ち前の和やかな雰囲気で場を整える。

「ユリウス様が昨日発たれたとして、船に乗るまで20日ちょっとでしょうか。それまでの辛抱ですね。……とりあえず、今日は休みましょうか」
 最後にマリクが締め、その話し合いは一旦解散をした。
 ――ふとナジュムを横目で一瞬見ると、彼も私を見ていたのか、視線が交わりそのまま数秒間見つめ合う。
 どういう顔をすれば良いか分からない私に、ナジュムは優しく微笑むと今度は彼の方から視線を外した。




 夜も更けていた為、とりあえず一晩はヤーコプの店に泊まる事になった。
 隠し部屋は二部屋あり、そのうちの一部屋、先程の会議で使っていない方の部屋で私は休む事になった。

 小さな机とベッドしかない質素な空間の中一人、右の手のひらを真顔で見つめる。
 最も信頼していた部下ユージンの胸を大剣で貫いた感覚がまだその手には鮮明に残っていた。

 皆の士気が下がるから口には出さなかったものの、ユージンを斬ってから、もう私にこの国を治める資格などないのかもしれない、と心のどこかで感じ始めていた。
 全ては信頼していたユージンの裏切りに気づく事が出来なかった私が悪いのだ。
 ユージンが最期に見せたあの涙の本心に、最期ではなく1か月前――いや2週間前にでも気付く事が出来ていれば、何か変わっていたかもしれない。
 私一人だけが罪を背負う事が出来たらどんなに楽だろうか。
 そうもいかないのが女王という役目だった。

 決して晴れることの無い心を正すかのように、そういえば……と一通の手紙を胸元から取り出した。

 ――親愛なる母上――

 ユージンの血が封筒に染み付いているのが、自分の無能さを責められているようで酷く心苦しかった。
 だが、死ぬ間際の彼が勇気を出し差し出してくれた手紙だ。
 封を開け、中の便箋を取り出す。
 ――紙が擦れる音が狭い部屋に響いた。



 親愛なる母上

 ユージンが、エレムへ長旅へ出るようにと母上が申したとの事で急遽手紙を書いています。
 エレムはシェバとは違う文化や食で、父上にも兄弟にも会えるし、今からとても楽しみです。
 母上もあとから来られるのですか? 
 ユージンやその他の者からは何も聞かされていないので、少々疑問が残る旅ではありますが、もし来られないのだとしたら、母上が喜ぶような素敵なお土産を持って帰りますね。
 長旅中、母上がいつも聞かせてくれる物語が聞けないのは寂しいです。
 きっと何かあったのでしょうが、早く母上に会いたいです。
 母上はいつも忙しく、最近はいつにも増して激務だと聞いているのに、毎晩欠かさず私の部屋に来てくださる事、とても嬉しく毎晩楽しみにしておりました。
 父上に会えると言っても、はやり私は母上の方がずっと大好きです。
 父上には絶対に内緒ですよ! それはそれは機嫌を損ねてしまうので。

 ユリウス




 まだ何も知らない、純粋でつたない文字が胸を締め付けていく。
 ――ああ、愛しい息子よ。今晩ユリウスはちゃんと眠りについているのだろうか、寂しい思いはしていないだろうか、そんな心配と共に、確証のない不穏な予感も感じた。
 もう二度と……ユリウスをこの胸に抱けないのではないかと、もう二度と息子に会うことは叶わないのではないかと、そんなよからぬ想像が胸を過ぎり一人呼吸が荒くなっていく。

「誰か……! 誰か居ないか……!」

「はい、どういたしましたか!?」

「ああ。バシーラか。便箋とインクを……頼む」

「しょ、承知いたしました」


 バシーラが慌てて用意してくれた便箋に震える手で息子への言葉と向き合う。
 公の文書以外で心の内を文章にすることなど、ナジュムと最後に交わした手紙以来だった。
 息子に届くかは分からない。
 だがもしこの先会える可能性が僅かでも残っているのなら、綴らずにはいられなかった。




 親愛なるユリウス

 長旅はどうだ。寂しい思いはしていないか。母はそなたがとても恋しい。
 ユリウス。もしエレムに到着したらそなたが信じたくはない情報を告げられるかもしれない。
 決して誰も恨んではならない。怒りや恨みは自身の身をいつか滅ぼす。
 国の為に民の為に、そして、自分の為に動きなさい。
 皆が幸せに豊かに、無駄な血を一切流さずに暮らすことを考える事が私の思う聡明な王だ。
 強欲であってはならない。野蛮であってはならない。独裁的であってはならない。
 身分や見た目に左右されず必要な情報を見抜きなさい。そして、誇りを貫きなさい。
 幼いユリウスにはまだ分からないだろうが、成長した時にこの手紙に綴られた言葉の意味がわかるだろう。
 そして、いい加減な所もあるが、そなたの父も偉大な王だ。きっとそなたの要望を聞いてくださる。
 まるで、別れのような手紙だと思うだろう。
 母にもこの先どうなるかは分からない。
 愛しい息子よ。母はそなたの母で良かった。心からそなたを愛している。
 母もユリウスが大好きだ。母が心からユリウスを大切に思っていること、生涯忘れないでほしい。

 母 セイル



 インクが滴るペンをそっと、机に置いた。

 言いたい事を全て文字にするには、一晩では足りないだろう。
 だが、父と母がかつて私に教えてくれたように、王としての心得と、そしてユリウスへ注いできた愛情の深さは伝えたかった。

 父と母と過ごした幼い日々が思い出される。どんなに忙しい日だとしても、ユリウスの部屋へ毎晩行くのも、物語を聞かせるのも、父と母を習っての事だった。
 ソロの事を尊敬はしているものの、愛しているかと聞かれたら首を横に振るだろう。
 ユリウスは結婚をしたくないが故に打算的に作った子供だったが、それでも可愛い息子だった。

 ユリウスが生まれた後すぐに父と母が亡くなり、ユリウスにとってこの国での肉親は私一人になった。しかも母はシェバ国の女王、父はエレム国の王だ。
 ――なんと寂しい子だろう。
 私にとってユリウスは後継者などではない、誰との子など関係ない。ただ愛しい息子だ。
 父と母が私に愛を注いでくれたように、私もまたユリウスに2倍以上の愛を注いだ。
 寂しくないように、辛くないように、孤独にさせないように……と。
 うまくやれていたかは分からないが、ほんの少しでもいいからユリウスに愛が伝わっていてほしいと願うばかりだった。

 帰る国を奪われ異国で一人過ごさせる、そんな惨い母をユリウスは恨むだろうか。
 恨まれても仕方の無い仕打ちを与えてしまったと、そう分かっていても胸に寂しさが詰まっていくようだった。
 ユリウスにチクチクと恨み言を言われる自分の姿を思い浮かべると、苦笑いが込み上げてくる。

 ユリウスを逃がしたのは、ユージンか――。私にとっては裏切り者だが、ユリウスにとっては命の恩人ということになる。
 ユージンが話す海外の景色を、目を燦然と輝かせて聞き入るユリウスの豊かな表情が好きだった。
 まるで幼い頃の私を見ているようだと。

「……はぁ」
 戻ることの出来ない過去を羨むような、そんな深いため息と視線を落とす。
 ユージンを憎みきれない自分が何より憎かった。

 夜明けも近づく頃、認めた便箋を半分に折り封を閉じる。
 そして小さく声を上げた。
「誰か――。……いるはずも無いか」

 灯りを消して、苦笑いを浮かべながら席を立ち、ベッドに横になろうとした。

「お呼び、ですか?」



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