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本編
巡り合わせ
しおりを挟む「セイル様……! 早く! ほら! お急ぎを……!」
自室の扉を閉めてすぐ、女官の1人イフラスが私の手をとり、城の外へと通じる抜け道へと駆け足で向かい始めた。
他の2人の若い女官、バシーラとテラサも緊迫した眼差しで私を守るように後ろを付いてきた。
前には従僕の、アビド、マリク……そして名も知らぬ青年騎士もいた。
皆、王に仕える者だと民にバレないように街の流行りの格好をしている。
――そしてふと、思う。
なぜこの場に青年騎士が居るのだろうか。大広間に戻りはしないのだろうか。
礼も伝えていないし、まぁ剣が使える騎士が居るに越したはないが……と、私の視線は吸い寄せられるように青年騎士の背中へと向いていく。
今私と共に行動するということは、死に近い状況下に置かれるということだ。
それが分からないほど彼は無知ではないだろう。
私は青年騎士に共に来い等という命令は一切していない。
比較的年配のイフラスは、若い騎士を見ると酷く機嫌が良くなるところがあるから、彼女にでも頼まれたのだろうか。
それとも自ら望んで付いてきたというのだろうか。
私に刃を向けるまで従順だったユージンの事が頭をよぎる。恩を忘れない一生仕えると言ったその男は、結局最後は国と私を裏切った。
ーーこの者の意図が分からない。
私がこの国を取り戻したら権力が欲しいのだろうか? いや、こんなほぼ敗北したも同然の状況で、そんな無謀な賭けに出るはずもない。
しかし、見つめたその背中に疑いを向けることは何故か出来なかった。
だいぶ長い間無言で駆け、城を出る裏口扉が間近まで迫った時、イフラスがふと立ち止まり申し訳なさそうに麻色のマントを渡してきた。
「それで身をお隠しください。……お召し物に血痕も付いておりますので」
イフラスは私が王女であった時から私に付いていた女官だ。
あのユージンとの出会いの日も一緒に居て、彼を引き取ると言った時イフラスは酷く反対していた。
がしかし、次第に彼と仲良くやっていく姿も見てきた。
……イフラスもこれがユージンの血痕だと知っているはずだろう。
私を刺激しまいと、表情豊かな彼女が必死に無表情を決め込もうとする姿に心が痛んだ。
「……ああ。そうだな」
手が震えている事を悟られないよう即座に受け取ると、服に付いたユージンの血痕を隠すように、マントで身を覆った。
「よい。開けろ」
アビドが裏口扉を僅かに開け、外を確認した後私たちに視線を移して頷く。
「参りましょう」
まずアビドと青年騎士が外に出て、エプト軍が居ないかを確認した。
そして数分後、青年騎士が扉まで戻ってくると「街は若干騒がしいですが、ここらには目立った軍隊はおりません」と小声で告げる。
「大丈夫だ、行こう」
緊迫した空気の中、私たちはもう二度と戻ってくることのない城をあとにした。
裏口扉からは、賑やかな大通りから3歩ほど外れた小さな街へと出る。
幼い頃はこの扉を使ってよく城から抜け出しては父に叱られた。
ーーそんな懐かしさに浸りたかったが、そんな暇を与えてくれるような状況ではなかった。
街に出たと同時に、私も目の端で街を見渡し状況を確認する。
確かに衛兵はいつもより若干多く、街の者がザワついてはいるが、エプト軍が私を探している様子は見受けられない。
そして衛兵が多いという事は、タリクが民を守れという命令を守ってくれたということを察し、私はほっと胸を撫で下ろした。
「まず、ヤーコプの店へ行こう」
「あ、なるほど。名案ですね」
ヤーコプの店はいわゆる"なんでも屋"で、情報を仕入れる為に王女であった頃からよく利用していた店だった。
店自体はそんなに大きくはないが奥に隠し部屋がある。
そこでなら、見つかる可能性も少なく、逃げる道筋を立てる事が出来る。
タリクには、エプト軍には私がユリウスと共に"遠く"に逃げたと伝えるように言った。
まさか城近辺に居るとは思わないだろうし、多少の時間稼ぎにはなるだろうと思った。
「とにかく急ごう……!」
西陽の光も消えかけ、あと数十分でこの世界は夜になる時間帯へと差し掛かる。
歩く事に耐えられず、私は走り出してしまう。
「ほんとうに……相も、変わらず、足が……速いことで……」
イフラスは僅か数分で息を切らしていた。
彼女はふくよかな婦人で年長者だ。
長時間走るのは確かにきついだろう。
――耐えてくれ、と心の中で唱えた。
街に出てしまえば、一気にエプト軍に出くわす確率も高くなる。
従僕2人と騎士1人、私も小刀を隠し持ってるとは言え、多勢で来られたら女3人を守りきれる自信はない。
「あ、そういえば……」
私は駆け走りながらも、ふと右後ろにいる青年騎士が気になり、声を掛けた。
「お前、名はなんと言う。なぜ、主の元に戻らなかった? ここは危険だ。今更だが、今から戻ってもよ――」
「ナジュム……と申します」
「…………え?」
私はその名に驚いて立ち止まり、心ともなく後ろを振り向いた。
――まさか――
彼は、こちらまで胸が締め付けられるような、切なさに満ちた微笑みを浮かべていた。
沈む陽の光がまるで彼だけを照らし、地面に映し出される影までもが輝いて見え――これほどまでに心揺さぶる景色があるだろうかと、自分の目を疑った。
これまで何度も目が合っていたのに、気付かなかった――と、そう思わず口に手を当てた。
大広間で私を抱き留めてくれた彼が、何故その時今にも泣きそうな顔をしていたのか……その真実が胸を抉る。
私の周りに存在する全ての音が、ゆっくりと遠ざかっていく。
……こんな時に神は私に何という存在を与えたのかと、何故今なんだと、自らの運命を呪いたくなった。
何故、なぜ彼はここにいるの。ここに、こんな場所に居てはいけない。
柄にもなく焦る自分がいた。
女官と従僕は急に立ち止まった私に驚いて、困惑したように私と彼を交互に見つめる。
「ナジュム……」
この名前を声に出して本人に呼びかけるのは初めてだった。
あぁ。思い出さないと決めていた感情が蘇っては瞼を震わせていく。
――あなたが、ナジュム――
会いたくて会いたくて、触れたかったその存在が、すぐ目の前に、触れられる距離にいる。
私が今ただの少女だったのならば、見苦しい程に嗚咽を漏らしながら抱きついていただろうか。
そう想像してしまう程には、シェバの女王らしくない感情が体中を蠢いていた。
「私を……助けてくれてありがとう。……ナジュム、もう、戻りなさい」
こんな状況で、一目会えただけでも嬉しくて、私は震える表情でなんとか微笑んだ。
しかしその言葉を聞いたナジュムの表情からは微笑みが消える。
何故――! とでも言いたげなその顔。
私も何故と神に問いただしたいものだ。
「えっ!?」
イフラスが眉間に皺を寄せ声を上げる。
「この方は騎士様ですよ! お傍に置いておいて損はありません!」
「……この者は、私のモノではない。主がいるのだ。私は小刀を持ってるし、多勢でなければ応戦できる力もある。不安なことは何もない」
「ですが!」
「イフラス、私の剣を疑うのか」
「そうではありませんが……」
イフラスは不満そうに口をもごつかせた。
「ではセイル様、私からも」
今まで無言を決め込んでいた若い従僕のマリクも、恐る恐る口を開いた。
「この者は、現時点で誰よりもセイル様に尽くし、信用に値する働きを見せています。彼が望むなら、ここに置いておくべきです。味方は多い方が良いでしょう」
「私もそう思いますよ。セイル様」
滅多に私の意見に逆らわない年長のアビドでさえも、マリクの意見に賛同した。
「まぁ、そうではあるのだが……」
彼らが言うことはもっともだ。
青年騎士が……ナジュムという名でなければ悩むことなく傍においただろう。それが力ある者として正しい判断だ。
だが今現状、私の傍は命を脅かすほどの多大な危険が伴う。
彼を、ナジュムを安全な場所に移したい。
それは完全なる私情で、何よりも優先させたい自分勝手な情であった。
「ね、ちょっと! ナジュ……ム? 様? でしたっけ? あなたはどうなんです!?」
私の言葉にただ呆然と立ち尽くし口を閉ざすナジュムに、痺れを切らしたイフラスが突っかかった。
「……私は、セイル様の、お傍に居たいです。この先も」
静かに言葉を発しながらも、私だけに向けられている、必死に、まるで懇願するような熱い眼差し。
それを無下にすることは、とても私には出来なかった。
「お前は……」
けれど私もナジュムと同じくらい懇願するような眼差しを向けていただろう。
どうか、この切実な気持ちが伝わることを願っていた。
「それで、良いのか……?」
「はい。それが、よいのです」
その眼差しのまま微笑むナジュムと、微笑むことが出来なくなった私と、2人だけの視線が交わった。
お互い、言いたい事伝えたい事、そして決して数え切れない想い達があっただろう。
私はそれを、もう言葉にして彼に伝える事は無いのかもしれないとふと悟った。
「……分かった。勝手にしなさい」
耐えきれず、視線を逸らしたのは私だった。
「はい! じゃあこれで決まりね! セイル様! ほら、急ぎましょう!!」
イフラスが私の背中をドンっと強く押す。
「ああ」
再び地面を蹴る足。
だが、足を止める前と違い、鉛のように重い。全てが重かった。
きっと私は彼にとって、ただのセイルで在りたかったのだろう。
彼にとって私は仕えるべき女王であるんだという事実を目の当たりにしたくなかった。
その身勝手な希望が願いが、崩れ落ちた瞬間だった。
立場、身分の距離を感じたくなかったこと。
そして女王として余計な私情は抱かない、縛り付けたくないと決めて、会いたいと調べようとしたその手を止めてきたこと。
返事をしないと決めてから、あの箱さえ見ないと決めていたのに、王でいる事への責任が増すごとに、私はナジュムの言葉を求めていたこと。
そして、その手紙を額に押し当て1人机に伏せ「……会いたい」と息を殺し涙した日々。
国を守る王である事から逃げては無責任だと自分を責め、それでも、その手紙は溜まっていった。
それなのに、私はたった今、私は女王としてナジュムを私の配下に置いてしまった。
シェバの女王のせいで彼になにかあれば、今度こそ壊れてしまうのではないか。
気丈に振る舞う女王の心にひびが入る音。
それが誰かに聞こえることはなかった。
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