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本編
懐かしい物語
しおりを挟むそれは奇跡のような、どこか郷愁をそそるような、そんなタイミングと思った。
「……セイル様?」
背もたれにしたドア越しに聞こえるナジュムの声に驚いたのもつかの間、それは柔くなった心を切り裂いては締め付けていく。
膝を抱える私は、恐らく酷い顔をしているだろう。
「隣の部屋から、あの……声が、聞こえたものですから。どうかいたしましたか?」
「……私は大丈夫だから、もう休みなさい」
我ながら酷い震え声だと思った。
これでは私が泣いていると彼に明かしているようなものだ。
「……セイル様の言う――大丈夫という言葉は、本当に大丈夫だという意味ではない事くらい、僕には分かっています。強い姿を見せなければならないから、大丈夫と口にするのでしょう?」
「それが、強く在ることが私の務めでもあるから、仕方ない――。だから」
「セイル様。お部屋に入ってもよろしいですか」
優しくも切羽詰まっているような声が私の言葉を遮った。
「だめーー」
そんな声色のナジュムに焦って即答する私を振り切り、
「失礼します」
その言葉と同時にナジュムはゆっくりとドアを開け、しゃがみこんでいる私を見下ろした。
彼の息を飲む震えた吐息が聞こえた。
そしてナジュムも同じようにしゃがみこんだのが背中に伝わる気配で分かり、私は咄嗟に膝に顔を埋める。
こんな弱った姿など見せたくなかった。
手紙でも私はいつでもナジュムを励ます言葉を与えたかったし、与えてきたつもりだった。
それに、彼も守らなければならないシェバの民の一人で。
私は誰よりもこの国で強く在らなければならないのに、そうでなくなっている綻びを、惨めさを、彼に悟られたくなかった。
「セイル様」
こんな私の姿を目にしても変わらぬ優しい声が、どこか焦った声が、鼓膜を震わせた。
そしてその声と同時にナジュムの腕が背後から私をふっと包み込む。
「セイル様」
ふいに高鳴る胸に涙も引っ込む程驚いた私は、身体を硬直させたまま言葉を発することさえ忘れてしまった。
それが長らく触れることのなかった、思惑も何も絡んでいない、ただの温もりだと私は信じてみたかった。
そして――。
「……お辛いでしょう」
耳元で囁かれた、その葛藤を含んだ言葉が、驚きから気付きへと変わり、そして涙となって私の瞳を潤す。
「……そんな、ことは、ない」
声の震えがそれを嘘だと証明するかのようだった。
辛かった。きっと、ずっと辛かったのだ。辛くないわけがない。
誰も知らないと思っていた。
誰にも理解されないと思っていた。それが当たり前だった。
私の胸元できつく結ばれているナジュムの腕は、手は、掌はどうしようもなく熱くて、縋りたくて、泣き叫びたくて。
しかし、誇りと決意がその感情を邪魔する。
その手に触れたくとも、触れられない。
遠く離れていた期間で凍りついた心。
私はもう少女ではないし、口達者な王女でもない。
今どんなに近い距離にいようとも、私と彼は遠く離れているような気がしていた。
「……っ」
ナジュムの吐息が耳を掠めたあと、抱きしめられていた私は、突然そのまま彼に抱きかかえられた。
「セイル様。今日はもう、お休みください」と、ナジュムは優しい手つきで私をベッドに下ろしそっと毛布をかけた。
静寂だけが包み込む二人の空間。
呆然とする私に、
「……眠れないのであれば、眠れるまで私が傍にいます。――あ。あの、変なことはしませんから! 護衛として傍にいます。ご安心ください」
ナジュムはベッド横であぐらを組んで私と目線を合わせると、にこりと微笑んだ。
「……なぜ」
私を助けてくれるのと聞きたかったけれど、それはきっと傲慢な質問なのだろうか。
私は王だからーーそれ以外の理由を彼に求める事は酷だと思った。
だがナジュムは、なんとも悲しそうに笑って答えてくれた。
「自分でもよく分からないんです。あなたの悲しそうな顔を見ると、どうしようも無く僕も悲しくなるんです。とても理屈では……語れません」
その言葉に、その表情に、忘れていた情景が1色ずつ、1つずつ頭の中で組み立てられていく。
「……ナジュム、あの」
初めて出会った日も、こんな会話をした気がした。
しかし、懐かしいとかそんな簡単な感情では表せない。
もっと複雑で不思議な、心の奥底に大切にしまっていた感情が、今表に出たがっていた。
「セイル様。川沿いに咲く花の物語、覚えていますか?」
「――え? ああもちろん。覚えているよ。……懐かしいな」
ハッと喉に詰まるような思いを隠すように、毛布を口元まで手繰り寄せ、その懐かしい温もりに幸せだった記憶が涙となって蘇ってくる。
「母と、父に、会いたくなるな……」
そう小さく呟いた途端「むかしむかし……」と、とある物語を静かに語り出したナジュム。
その物語はあの日私がナジュムに聞かせた言葉と同じものを語っていた。
――そう、川沿いに咲く花の物語だった――
これは感動と言い表せば良いのだろうか。しかしそんな一言で片付けたくはなかった。
――何故知っているの?
覚えているの?
もう、ずっと、ずっと前のことだ。
何年も十何年も前のことだ。
頬に伝っていく涙がどんな理由で流れているのか、自分でも分からなかった。
けれどその声は私を落ち着かせる呪文のように柔らかく優しく、そして私はいつの間にか深い眠りに落ちていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
寝息を立て仰向けで眠るセイルの頬には、溢れた涙の跡が残されていた。
その跡を右の指の背で、慈しむように、愛でるように、壊れやすいものに触れるかのように、撫でるナジュム。
この悲惨な状況から連れ去ってしまおうかと考えが過ぎるが、恐らく彼女はさいごまでその選択を許してはくれないだろうと、切なげに笑みを浮かべる。
そして、やや緊張気味に彼女の額にキスを落とし、名残惜しそうに髪を撫で、僅かに潤んだ瞳と共に部屋を後にした。
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