砂漠の女王が愛した星【完結】

藤沢はなび

文字の大きさ
13 / 27
本編

懐かしい物語

しおりを挟む


 それは奇跡のような、どこか郷愁をそそるような、そんなタイミングと思った。

「……セイル様?」

 背もたれにしたドア越しに聞こえるナジュムの声に驚いたのもつかの間、それは柔くなった心を切り裂いては締め付けていく。

 膝を抱える私は、恐らく酷い顔をしているだろう。

「隣の部屋から、あの……声が、聞こえたものですから。どうかいたしましたか?」
「……私は大丈夫だから、もう休みなさい」
 我ながら酷い震え声だと思った。
 これでは私が泣いていると彼に明かしているようなものだ。

「……セイル様の言う――大丈夫という言葉は、本当に大丈夫だという意味ではない事くらい、僕には分かっています。強い姿を見せなければならないから、大丈夫と口にするのでしょう?」
「それが、強く在ることが私の務めでもあるから、仕方ない――。だから」
「セイル様。お部屋に入ってもよろしいですか」
 優しくも切羽詰まっているような声が私の言葉を遮った。
「だめーー」
 そんな声色のナジュムに焦って即答する私を振り切り、
「失礼します」
 その言葉と同時にナジュムはゆっくりとドアを開け、しゃがみこんでいる私を見下ろした。
 彼の息を飲む震えた吐息が聞こえた。

 そしてナジュムも同じようにしゃがみこんだのが背中に伝わる気配で分かり、私は咄嗟に膝に顔を埋める。

 こんな弱った姿など見せたくなかった。
 手紙でも私はいつでもナジュムを励ます言葉を与えたかったし、与えてきたつもりだった。

 それに、彼も守らなければならないシェバの民の一人で。
 私は誰よりもこの国で強く在らなければならないのに、そうでなくなっている綻びを、惨めさを、彼に悟られたくなかった。


「セイル様」
 こんな私の姿を目にしても変わらぬ優しい声が、どこか焦った声が、鼓膜を震わせた。
 そしてその声と同時にナジュムの腕が背後から私をふっと包み込む。
「セイル様」

 ふいに高鳴る胸に涙も引っ込む程驚いた私は、身体を硬直させたまま言葉を発することさえ忘れてしまった。
 それが長らく触れることのなかった、思惑も何も絡んでいない、ただの温もりだと私は信じてみたかった。

 そして――。
「……お辛いでしょう」
 耳元で囁かれた、その葛藤を含んだ言葉が、驚きから気付きへと変わり、そして涙となって私の瞳を潤す。
「……そんな、ことは、ない」
 声の震えがそれを嘘だと証明するかのようだった。

 辛かった。きっと、ずっと辛かったのだ。辛くないわけがない。

 誰も知らないと思っていた。
 誰にも理解されないと思っていた。それが当たり前だった。

 私の胸元できつく結ばれているナジュムの腕は、手は、掌はどうしようもなく熱くて、縋りたくて、泣き叫びたくて。
 しかし、誇りと決意がその感情を邪魔する。
 その手に触れたくとも、触れられない。

 遠く離れていた期間で凍りついた心。
 私はもう少女ではないし、口達者な王女でもない。
 今どんなに近い距離にいようとも、私と彼は遠く離れているような気がしていた。

「……っ」
 ナジュムの吐息が耳を掠めたあと、抱きしめられていた私は、突然そのまま彼に抱きかかえられた。
「セイル様。今日はもう、お休みください」と、ナジュムは優しい手つきで私をベッドに下ろしそっと毛布をかけた。

 静寂だけが包み込む二人の空間。
 呆然とする私に、
「……眠れないのであれば、眠れるまで私が傍にいます。――あ。あの、変なことはしませんから! 護衛として傍にいます。ご安心ください」
 ナジュムはベッド横であぐらを組んで私と目線を合わせると、にこりと微笑んだ。

「……なぜ」
 私を助けてくれるのと聞きたかったけれど、それはきっと傲慢な質問なのだろうか。
 私は王だからーーそれ以外の理由を彼に求める事は酷だと思った。
 だがナジュムは、なんとも悲しそうに笑って答えてくれた。
「自分でもよく分からないんです。あなたの悲しそうな顔を見ると、どうしようも無く僕も悲しくなるんです。とても理屈では……語れません」

 その言葉に、その表情に、忘れていた情景が1色ずつ、1つずつ頭の中で組み立てられていく。

「……ナジュム、あの」

 初めて出会った日も、こんな会話をした気がした。
 しかし、懐かしいとかそんな簡単な感情では表せない。
 もっと複雑で不思議な、心の奥底に大切にしまっていた感情が、今表に出たがっていた。

「セイル様。川沿いに咲く花の物語、覚えていますか?」
「――え? ああもちろん。覚えているよ。……懐かしいな」
 ハッと喉に詰まるような思いを隠すように、毛布を口元まで手繰り寄せ、その懐かしい温もりに幸せだった記憶が涙となって蘇ってくる。
「母と、父に、会いたくなるな……」
 そう小さく呟いた途端「むかしむかし……」と、とある物語を静かに語り出したナジュム。

 その物語はあの日私がナジュムに聞かせた言葉と同じものを語っていた。

 ――そう、川沿いに咲く花の物語だった――

 これは感動と言い表せば良いのだろうか。しかしそんな一言で片付けたくはなかった。

 ――何故知っているの?
 覚えているの?
 もう、ずっと、ずっと前のことだ。
 何年も十何年も前のことだ。

 頬に伝っていく涙がどんな理由で流れているのか、自分でも分からなかった。
 けれどその声は私を落ち着かせる呪文のように柔らかく優しく、そして私はいつの間にか深い眠りに落ちていた。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 寝息を立て仰向けで眠るセイルの頬には、溢れた涙の跡が残されていた。
 その跡を右の指の背で、慈しむように、愛でるように、壊れやすいものに触れるかのように、撫でるナジュム。
 この悲惨な状況から連れ去ってしまおうかと考えが過ぎるが、恐らく彼女はさいごまでその選択を許してはくれないだろうと、切なげに笑みを浮かべる。

 そして、やや緊張気味に彼女の額にキスを落とし、名残惜しそうに髪を撫で、僅かに潤んだ瞳と共に部屋を後にした。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...