砂漠の女王が愛した星【完結】

藤沢はなび

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本編

炎に包まれた故郷【後編】

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 塔の下でアビド達を待たせ、2人で螺旋階段を上っていると「セイル様。あの、ご老人たちの言葉……気にしないように」と後方でナジュムがいつもの様に私の様子を気にかける。

 ――こんな時にも私の事を言うのか、と思わず悲しい笑みがこぼれる。

 一瞬だけ階段を登る足が止まった。
「……それはもう分かってる。……もう、慣れたから、私が気にしているかを一々気にするな」
 この期に及んでまだ私を気にかけるナジュムに呆れつつも、私は彼に嘘をついた。

 愛する民からの批判や中傷の声に慣れるわけなどない。いや、私への批判は受け止めきれるが、民の怒りや嘆き、怖れなどを……まともに受け止めれば最後、私は壊れてしまうかもしれないと感じるほどには辛かった。

 彼ら彼女らの声を聞く度に心には小さな傷が重なり、もう治せないほどの生傷になったとしても、それを痛む資格さえ私にはきっとないのだ。
 私が生き延びる事を望んでいる民はどれほどいるのだろうか。
 殺されたとてもう仕方がない事だと、そう思い始めていた。

 今、大半の民が望む事は私がエプトに殺されること。
 ユリウスがエレムに到着するまでなんとか耐える、それが今の私の望みであり、その後は何も望むことはないだろう。
 民の願い、民の声を聞いて自らの命が惜しいだなんて、そんな事をシェバの女王が思えるはずがない。
 だからもう余計なことは何も考えない。……考えたくないと。

 道中ユリウスの痕跡を探しながら、少しでも愛する息子に一目会ってこの手紙を渡せたらと、もしそれが叶えば生きる意味が無くなる可能性がある事も知っていて、それでも構わないと前に進んだ。

 温もりに縋りたいと願った夜が無かったわけじゃない。
 コツコツと石を蹴る2人分の音が塔内の螺旋階段の空間に響き渡る。
 でも、その温もりを守りたいのならば、私の立場でそれに縋ることは出来ない。
 次第に塔の最上階への入口となる小さな光が目を通し、私は一人登るスピードを早めた。
 そして上がる息を抑えつつ、何段も続く螺旋階段を上りきり、そして今まで通ってきた街や首都の景色が私の瞳を通した。


「……………っ」


 それは悲惨な現実へと私を突き落としていく。

「これは、なに――?」
 ――ここから飛び降りたくなるような、目を覆いたいと、嘘だと、これは夢だと、これほどまでに思う景色があるだろうか。
 砂漠と神殿、そして街並みが……
「……なんて……酷い」
 首都が赤黒い煙と炎に包まれていた。

 コツコツとナジュムの足音が私の背後に近づいてくる。
 ――どうしよう、彼にこの景色を見せてはいけない! そう強い思いが生まれ、振り向いた時にはもう遅かった。

 その景色を目に映したナジュムもまた言葉を失い、愕然と立ち尽くしていた。
 遠くに見える、ナジュムが私が育った街はもう見る影も無くなろうとしていた。
 幼いナジュムと初めて会ったあの場所も、もうあの時の景色を保ってはいないだろう。

 なんて、ことだろうか。
 もう何も考えたくない、とりあえず考えるのをやめようと、そうして目を背け、冷静な心を保っていたはずだったのに。

 ――どのような償いをすれば、この街を戻してくれるだろうか。この惨劇に終止符を打てるのだろうか――

 喉につかえる、込み上げる悲痛で切実な感情。
 もう何も考えないと冷静でいた心の内から激しい情が湧き上がり、この国を心から慕い、そしてまだ愛しているんだと、そう思わざるを得なかった。

 炎に包まれる前の景色を守りたかった。守れなかった。
 私はどこから間違った。どうすれば、どうすれば、神はこの国を救ってくださるのか。
 悔しかった。私には何も出来ないばかりか、壊してしまった。

 もう今更、女王であった誇りと過去の栄光を捨てることなど出来ないのだと、そう思った。
 この景色を目に焼き付け、悲痛な声を覚えておこうとした。
 そうすることで私が死んだあとも、私の魂が忘れないようにと自らに戒めを与えた。


「ナジュム」
 ふと、黙ったままの左隣にいるナジュムに視線を移すと、
「………っ」
 その透き通った瞳から涙が一筋頬を伝う瞬間を目にした。

 酷く、それは酷く強く胸が締め付けられた。
 変わらない表情で、一筋、また一筋と静かに涙を流す儚い姿。この涙は一体何を思って流しているのだろうか。

 今まで目にしたどんな涙よりも、私の心を抉り、自らの罪深さを再認識せざるを得なかった。
 しかし、彼はいつだって私を責めないのだから、もし私が許しを乞うても決して許されることはないのだろう。
 それがまた胸の傷に塩を塗るのだ。



 ――それは無意識下の事だった。
 私は王としてではなく、ただ一人の女性として彼の頬に手を伸ばし、その涙に触れた。

 微かに震えるナジュムの頬は温かかった。
 拭ってもまた溢れてくる透明な涙は悲しくも美しいとさえ感じた。
 彼もまた自分が育った故郷がこのような景色に変わってしまった事が悔しいのだろうか。
 ……母を案じているのだろうか。

 一人の女性としてそう思ったら、この国の女王を恨めしく思う気持ちが心底理解出来た。
 私は彼が守りたいと思った景色や人を守ることが出来たのだろうか。
 ――今の悲惨な景色がその答えのように感じる。

 壊れそうな頬に触れたままの私の掌に、ナジュムの温かな掌が重なり合った時――

「ごめんなさい」

 ナジュムはそう言った。

 何故彼が謝ったのか、私には分からなかった。
 謝りたいのはむしろ私の方だと、懺悔が溢れ出そうになった。

「……タリクにお前の実の母親を逃がすように命令しておいた。本当はナジュムも逃がすつもりだったんだが」
 ナジュムの頬の上で重なり合う大きさの違う手。
 私の親指にナジュムの涙が一筋かかり、どこか似たような熱い瞳同士が合わさった。

「……母は、1年前に亡くなりました」

 彼の瞳に映し出された影に、私は硬直する。

「……そう、か。そうだった、のか」
 私はまた過ちを犯してしまった。
 そう思った。

 きっと彼もずっと孤独だった。
 大丈夫ではないのは私ではなく、彼もそうだった。
 私が、私が何者でもなければ真っ直ぐにあなたの孤独の核に触れられたのかもしれない。

 今までいくつもの、たらればを並べてきたけれど、本当の意味でここまで願ったのは初めてかもしれないと思った。

 理解したい、触れたいと私が願った彼の孤独と私の抱く孤独は、きっと違う場所に存在している。
 でも私に彼の"孤独"は分からなくても、それによって生み出される感情は、痛いほど知っていた。

「ナジュム……」
 憐憫の念か、それとももっと別の感情か――私は無意識にナジュムを抱き寄せていた。

 それは彼の胸に溜まった悲しみや苦しみの感情を全て消し去ってほしいと、解放してやってほしいと、神に懇願するかのように強く強く。
 ナジュムもまた私に縋るように背中に腕を回した。
 心なしかその手は震えているようにも思え、私はまた強く抱きしめる。


「……セイル様、好きです」
 それは弱々しく掠れた声で、長年抑えていた涙が漏れだしたかのような小さな呟きだった。

「……そ、れは……」
 それは、どういう意味だろうか――。

 彼の鼓動と私の鼓動が混ざり合うかのように、お互いがお互いを強く抱き締め合う。
 けれど強く抱き締められるほどに心も酷く切なく締め上げられていき、伝えてはいけない想いを吐き出したい気持ちを堪えることが私にはとても、それはとても辛かった。

「私は、その気持ちに……応えられない」

 なぜなら私に未来などないからだ。
 今からでも遅くない。
 ナジュム、どうか、どうか逃げてほしい。この国からも。そして、私からも。
 ――ここで別れを告げ、何事も無かったかのように好きに自由に生きてはくれないか。
 そう言いたいのに、その意志とは反しナジュムを抱きしめる腕は一層強くなる。
 それが私が伝えたい本当の答えだと示すように。

「それでも……好きです」

 震えるナジュムの声は、痛々しいほどに切なかった。

 これまで必死に押し殺してきた、積み重ねた想いが溢れ出そうになった。

 こんな悲惨な状況でさえなければきっと、この想いに応えていたかもしれない。不覚にもそう思った。
 だが、私は、私はもう、そんな幸せなど望んでいい立場ではなかった。
 それはこの景色を見て痛感したことだ。

「……ナジュム、本当に感謝してる。……ありがとうと何度伝えても伝え足りないくらいだ。けれど、私には、未来がない」
 痛々しいほどに震える彼の胸に埋まりながら、彼を諭すように伝えるその言葉。
「あなたに不自由ない暮らし、幸せな生活を送らせる、力が、私にはもう、無い。何も与えることができない。だから――」
「僕は……!」
 ナジュムは私が話している途中で突然抱きしめていた腕を解き、怒りを宿したようにも見える瞳で私の目を真っ直ぐに見つめた。
「――――」
 感情を顕にするナジュムの瞳を間近に、驚きに肩を震わせながらもその後の言葉を待ち望んでいる自分がいた。

「僕は、セイル様に幸せにして欲しくて、会いたかったわけじゃない! ……僕は、あなたが辛い時苦しい時、少しでもその痛みを和らげたくて傍に居ることを望んでいるんです。もう、頑張らなくていいように。失う辛さを少しでも無くせるようにって。だから――あなたの」
「その言葉が」
 もうそれ以上聞いてしまえば、女王としての誇りを保っていられなくなりそうで、思わず彼の言葉を遮ってしまった。

「……私にとってどれほど悩ましい言葉か知っていて、告げているの」
 何とか紡ぎ出したその本心は、本当の意味でナジュムに伝わってはいないだろう。

 今自分がどういう表情をしているのか分からない。
 ただ、ナジュムがそんな私を見てひたすらに悲しい顔をしていたのは分かっていた。

「……そんなことないって、どうしたら信じてくれるんですか」
「………っ」

 黙りこくって俯く私は、果たして女王に見えるだろうか。
 こんな情にうつつを抜かしたから、今までずっと縋ってきたから、神は私に天罰を下したのではないか。
 いや、なら、今目の前にいる神からの贈り物のような彼は一体なんなのだろうか。
 次から次へと浮かんでは消えていく、過去救ってくれたはずの想い達が今の私を苦しませた。
 でも、ナジュムの方がずっと苦しい想いをしてきたはずで。そう思ったら、何もかもが分からなくなった。

 この出会いは、一体私に、ナジュムに何を求めているのだろう。
 私は何故、シェバの女王として、彼に出会ってしまったのだろうか。
 何故、好きという想いに応えたいと願った相手が、こんなにも立場が違う者で、何故このタイミングで再び出会ってしまったのだろうか。

 ――どうして――

 次第に歪んでいく景色が、これが女王が守れなかった景色だと私を責め立てているようだった。


「何か、言ってください……」
 いつの間にか泣き止んでいたナジュムはいつにも増して真剣な眼差しで、今にも泣き出しそうに呆然と立ち尽くす私をふいに抱き寄せ、頭の後ろを優しく撫でた。
 その優しさに心は折れそうになる。

 晴れ渡る空の下、緩やかな風が2人を取り巻いていた。
 しかし、ナジュムの背中越しに見える燃える首都。
 希望と絶望を同時に与えられているようだった。
 なにも聞こえない。いや、何も聞きたくないと全てを投げ出したい思いと、この惨劇から決して目を逸らしてはいけないと自らを戒める思いと、国を愛する女王としての思いと、そしてあなたへの――

「……ナジュム」
 そう呟いた途端私を包み込む腕に力が込められた。

 シェバ国を守る事ができなくて、ごめんなさい。
 地面に頭を擦り付けて神に願えば、煌めいていた景色を取り戻せると、そう言われたら何の躊躇いもなく出来るだろう。
 私だけがこんな温もりに包まれて……私が愚かなばかりに無惨にも奪われた命を考えれば、自分を正当化する感情をまともに感じることなどできるわけが無かった。

 この温もりに許されたい、縋りたい。
 私が一人の女性として生きたいと潜在的に思えば思うほど、目に映る景色は歪んでいった。




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