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九空間目
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しおりを挟む…………とりあえず落ち着かなくては。
そう思った俺は、大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
サインを書いてもらって握手をしてもらうだけの僅かな間に、どれだけ話せるのかは分からない。きっと神田さんと対面すれば、俺のことだから緊張のあまり言葉に詰まってしまうだろうし、実際経過する時間よりも早く時間の流れを感じてしまうだろう。だから一番彼に伝えたいことだけを選択する必要がある。念のためにスマホのメモ帳に記入していた『話したい内容』を確認しながら、俺は想像以上に早いスピードで進んで行く列に合わせて歩を進めた。
……あれほど『会いたい』と強く願っていた彼に会えるのはすぐだ。
エントランスから続いていた長い列。だけどやっと俺も神田さんが居るのだろう会場の中へと入ることができた。
「ありがとうございます」
「キャー!ありがとうございます!!一生応援しています!!」
「これからもよろしくお願いします」
彼の姿を目視するよりも先に、女の人の黄色い声に混じって、テレビやラジオで毎日聞いていた神田さんの声が小さく聞こえてきた。生で聞く神田さんの声は相変わらず腰を疼かせるような低く心地良い声で、思わず滾ってしまいそうになる。そう感じたのは俺だけではないだろう。会場に居る全員が同じことを感じたに違いない。俺の前に並んでいる女の人なんかは感極まって泣いているくらいだ。……恐るべし神田皇紀。どれだけの人を魅了すれば気が済むんだ。
「(……そりゃあ、ガチ恋してるのは俺だけじゃないよな)」
性別も不利で、容姿も普通の人よりも何倍も劣っている俺なんかが、純粋に神田さんに恋をしているなんて気が触れているとしか思われないだろう。……だけどそれでも、俺はどうしようもないくらいに彼のことが好きなんだ。
そして嬉しそうにざわめく人たちを見て、俺は今更ながらとんでもない夏休みを過ごしてきたのだと実感した。今まで俺は普通の人よりも運が悪いと思い込んできたのだが、神田皇紀と密室空間で二ヶ月間も一緒に過ごせて、今回のサイン会のチケットまで当選しているのだから、もしかしなくても俺はかなりの強運の持ち主なのかもしれない。
「(……神田さん、神田さんだ……!)」
そんなことを考えながら進んで行く列に並んでいると、やっと神田さんを目視することができた。久しぶりに見た生の神田さんはより一層格好良く思える。興奮のあまり緊張で手に汗を掻いてしまったくらいだ。俺はそのまま握手するのは抵抗があって、念入りに手をハンカチで拭った。
そして神田さんの姿を確認できたのと同時に、サインはこの場で書いてくれるのではなくて、予めサインが書いてある写真集を手渡しされて握手するだけなのだと気付く。確かに一日でこの人数を捌くには、一人あたり数十秒ほどしか取れないだろう。
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