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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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◇
「リーゼロッテ様、ジョンの様子はいかがでしたか?」
執務室を訪ねると、扉を開けて出迎えてくれたのはジークヴァルトの侍従のマテアスだった。
マテアスはジークヴァルトより五歳上の青年だ。
目がどこにあるのかもわからないくらいの細い糸目に、丸眼鏡をかけている。こげ茶の髪は天然パーマで、つり目なのに下がった困り眉という、一見頼りなさげな風貌をしていた。
「ええ、ジョンは今日も泣き虫ジョンでしたわ」
「さようでございますか。手紙の行方がどうなったのか早く知りたいものです」
軽口をききながらもマテアスの動作は、賓客をもてなすかのように隙がない。リーゼロッテは丁寧に長椅子へと誘われた。
後に続いたエマニュエルは慣れた手つきで紅茶を淹れると、部屋を辞して下がっていった。
「主もすぐに参ります。もうしばらくお寛ぎになってお待ちいただけますか?」
「ええ、ありがとう、マテアス」
マテアスはリーゼロッテをきちんと伯爵令嬢として扱ってくれる。当たり前のことなのだが、あのジークヴァルトの理解不能な行動を前にすると、とても丁重に扱われているように感じてしまうのはなぜだろう。
このできた侍従がそばにいながら、ジークヴァルトはどうしてあんなに残念人間なのかと思わず首をかしげたくなる。
(マテアスの爪の垢を煎じて飲ませたいわ)
リーゼロッテがそんなことを考えていると、着替えたらしいジークヴァルトが部屋に入ってきた。騎士服と違って領地での普段はかなりラフな格好をしている。
「領地の見回りはいかがでしたか?」
リーゼロッテは長椅子から立ち上がり、ジークヴァルトに淑女の礼をとった。
「ああ、問題ない」
ジークヴァルトはそっけなく言うと、リーゼロッテを長椅子に座らせて、自分もその横に腰かけた。先ほどエマニュエルが淹れた紅茶を手に取ろうとして、ジークヴァルトはそのまま手を引っ込める。
それを不思議に思って見ていると、マテアスが何も言わずにジークヴァルトの執務机に置いてあった冷めた紅茶を目の前に置き、淹れたての紅茶を下げていった。その冷めた紅茶をジークヴァルトはすぐさま手に取ったかと思うと、ぐいっと一気に飲み干した。
(そうか。猫舌なんだわ、ヴァルト様は)
言われてみれば王城でもジークヴァルトは、カイの淹れた紅茶にすぐ手を付けようとしなかった。
(まさに阿吽の呼吸ね)
熟年夫婦のようなふたりのやりとりを目の当たりにして、リーゼロッテはそんなことを思った。
マテアスとジークヴァルトの距離感は、エラとリーゼロッテのそれと似ていた。ふたりも少なくない時間をともに過ごしてきたのだろう。そう思うと、リーゼロッテは自然に口元をほころばせた。
空になった紅茶のカップを下げると、マテアスは今度は山のような書類をジークヴァルトの前にどさりと置いた。
「さあ、旦那様。そちらにお座りになったままで結構ですから、じゃんじゃん仕事を片付けてくださいね」
今、ジークヴァルトが座っているのは応接用のソファの上だ。普段ジークヴァルトは、向かいにある執務のための広い机で仕事を行っている。
なぜ今日はこの狭いテーブルしかないここなのだろう。リーゼロッテはジークヴァルトの横でこてんと首をかしげた。
眉間にしわを寄せながら、ジークヴァルトは書類の一枚を手に取った。書類にざっと目を通すと、横に置かれた空箱の一つにその書類を放り投げた。また新たな書類を手にしては、一枚一枚書類を振り分けていく。おそらく決裁、保留、却下など、書類の選別を行っているのだろう。
狭い場所でもできる仕事なら、くつろげるソファでやる方が効率がいいのかもしれない。マテアスは全くもって気の利く従者だ。リーゼロッテはそう結論づけた。
実際は、少しでもリーゼロッテのそばにいたいだろう主人の意を汲んだだけだったのだが。マテアスはやはり気の利く従者であった。
「リーゼロッテ様、ジョンの様子はいかがでしたか?」
執務室を訪ねると、扉を開けて出迎えてくれたのはジークヴァルトの侍従のマテアスだった。
マテアスはジークヴァルトより五歳上の青年だ。
目がどこにあるのかもわからないくらいの細い糸目に、丸眼鏡をかけている。こげ茶の髪は天然パーマで、つり目なのに下がった困り眉という、一見頼りなさげな風貌をしていた。
「ええ、ジョンは今日も泣き虫ジョンでしたわ」
「さようでございますか。手紙の行方がどうなったのか早く知りたいものです」
軽口をききながらもマテアスの動作は、賓客をもてなすかのように隙がない。リーゼロッテは丁寧に長椅子へと誘われた。
後に続いたエマニュエルは慣れた手つきで紅茶を淹れると、部屋を辞して下がっていった。
「主もすぐに参ります。もうしばらくお寛ぎになってお待ちいただけますか?」
「ええ、ありがとう、マテアス」
マテアスはリーゼロッテをきちんと伯爵令嬢として扱ってくれる。当たり前のことなのだが、あのジークヴァルトの理解不能な行動を前にすると、とても丁重に扱われているように感じてしまうのはなぜだろう。
このできた侍従がそばにいながら、ジークヴァルトはどうしてあんなに残念人間なのかと思わず首をかしげたくなる。
(マテアスの爪の垢を煎じて飲ませたいわ)
リーゼロッテがそんなことを考えていると、着替えたらしいジークヴァルトが部屋に入ってきた。騎士服と違って領地での普段はかなりラフな格好をしている。
「領地の見回りはいかがでしたか?」
リーゼロッテは長椅子から立ち上がり、ジークヴァルトに淑女の礼をとった。
「ああ、問題ない」
ジークヴァルトはそっけなく言うと、リーゼロッテを長椅子に座らせて、自分もその横に腰かけた。先ほどエマニュエルが淹れた紅茶を手に取ろうとして、ジークヴァルトはそのまま手を引っ込める。
それを不思議に思って見ていると、マテアスが何も言わずにジークヴァルトの執務机に置いてあった冷めた紅茶を目の前に置き、淹れたての紅茶を下げていった。その冷めた紅茶をジークヴァルトはすぐさま手に取ったかと思うと、ぐいっと一気に飲み干した。
(そうか。猫舌なんだわ、ヴァルト様は)
言われてみれば王城でもジークヴァルトは、カイの淹れた紅茶にすぐ手を付けようとしなかった。
(まさに阿吽の呼吸ね)
熟年夫婦のようなふたりのやりとりを目の当たりにして、リーゼロッテはそんなことを思った。
マテアスとジークヴァルトの距離感は、エラとリーゼロッテのそれと似ていた。ふたりも少なくない時間をともに過ごしてきたのだろう。そう思うと、リーゼロッテは自然に口元をほころばせた。
空になった紅茶のカップを下げると、マテアスは今度は山のような書類をジークヴァルトの前にどさりと置いた。
「さあ、旦那様。そちらにお座りになったままで結構ですから、じゃんじゃん仕事を片付けてくださいね」
今、ジークヴァルトが座っているのは応接用のソファの上だ。普段ジークヴァルトは、向かいにある執務のための広い机で仕事を行っている。
なぜ今日はこの狭いテーブルしかないここなのだろう。リーゼロッテはジークヴァルトの横でこてんと首をかしげた。
眉間にしわを寄せながら、ジークヴァルトは書類の一枚を手に取った。書類にざっと目を通すと、横に置かれた空箱の一つにその書類を放り投げた。また新たな書類を手にしては、一枚一枚書類を振り分けていく。おそらく決裁、保留、却下など、書類の選別を行っているのだろう。
狭い場所でもできる仕事なら、くつろげるソファでやる方が効率がいいのかもしれない。マテアスは全くもって気の利く従者だ。リーゼロッテはそう結論づけた。
実際は、少しでもリーゼロッテのそばにいたいだろう主人の意を汲んだだけだったのだが。マテアスはやはり気の利く従者であった。
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