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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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◇
マテアスに連れられながら、エラは公爵家の屋敷内を歩いていた。公爵家は広すぎるため、慣れない使用人が年に数人は行方不明になるらしい。
実のところ、リーゼロッテはやってきて一週間目に屋敷内で遭難しかかった。人海戦術ですぐに見つかり事なきを得たが、それ以来ふたりは決して案内人からはぐれないよう注意を払っている。
「エラ様、申し訳ありません。みなエラ様のことが好きすぎて悪気はないのですよ」
細い糸目で見下ろしながらマテアスが申し訳なさそうに言った。
「謝っていただくなんてとんでもないです。よくして頂いてこちらが感謝しなくてはなりませんし。ですが、なぜみなさんにわたしがこんなにも好かれているのかよくわからなくて……」
困惑しながらエラは首をかしげた。
「エラ様はお美しいのに少しも偉ぶらない方なので、みなが好意をもつのも仕方がありませんよ」
マテアスは細い目をさらに細めて楽しそうに言った。
「は? リーゼロッテお嬢様ならともかく、わたしなんかがそんな」
エラはすらりとした体形で凛とした印象がある。リーゼロッテが恥をかかないように、立ち居振る舞いなども侍女として日々気を使っているのだ。
だが美人と言うとどうだろう? エラは茶色ががった赤毛に鳶色の瞳をしている。色は白いがそばかすが残る顔は、不美人ではないにしても正直どこにでもいる容姿だと、エラ自身は思っていた。
そんな様子のエラを見て、マテアスはくすりと笑った。
(エラ様は無知なる者ですからねぇ。視える者にとってあなたはとても心地よいのですよ)
視える者は常に異形が見えるので煩わしい毎日を送っている。場合によっては纏わりつかれたりして、鬱陶しいことこの上ない。
その点、異形の者は無知なる者にあまり近づこうとしないため、無知なる者の周りはかなり空気が美味しいのだ。そばにいてとても心地いい。ほっとするしずっとそばにいたくなる。
視える者だらけの公爵家で、無知なる者であるエラの存在は癒しの女神のようだ。マテアスは真実を言うことはせず、静かに微笑みだけを返した。
「あの、マテアス様?」
「わたしに敬称は必要ありませんよ」
マテアスは下がった困り眉をさらに下げた。
「ではマテアス。わたしのこともエラと、様は付けずに呼んでください」
「いいえ、あなたはエデラー男爵家のご令嬢です。一介の使用人であるわたしが呼び捨てになどできませんよ」
「父は運よく爵位を賜りましたが、一代限りの栄誉です。わたしが爵位を持っているわけではないですし、いずれは平民となる身。どうぞ呼び捨てにしてください」
「そうだとしても、今現在、エラ様は立派な貴族のご令嬢です。ご命令と言えどそれはどうにも聞き入れられませんねぇ」
糸目でにっこりと諭されて、エラは言葉に詰まってしまった。ダーミッシュ領では身分など気にせず、使用人同士で和気あいあいと過ごしていた。自分を貴族令嬢として扱う者などいなかったので、ここでの扱いに面食らってしまう。
「商家としてうまくいき、たまたま父は栄誉を承りました。でも、平民気質が抜けない父は、貴族の世界は身分不相応と感じていまして……。父は近いうちに爵位を返上しようと考えているのです」
商才はあったものの、爵位を賜っただけのにわか男爵であったエラの父は、貴族の足の引っ張り合いに巻き込まれ、騙されて事業が傾き苦境に立たされた時期があった。娶った妻も、エラの母であるが、何の後ろ楯もない商家の娘だったため、当時は没落まっしぐらな状況だったのだ。弟妹たちが三人いるエラは、十五歳で奉公に出る決心をした。
幸運にも、破格の給料がもらえるダーミッシュ家に仕えることができたエラはそこでリーゼロッテに出会った。おしとやかなのによく転ぶ、人形のように愛らしいリーゼロッテは、魔法のような進言をしてエラの実家を救ってくれたのだ。
実際に救ってくれたのはダーミッシュ伯爵なのだが、リーゼロッテがいなかったら、一家はとっくに路頭に迷っていただろう。
エラがリーゼロッテを心から崇拝するのは、そんなことがあったからであるのだが、その時に一家は思い知ったのだ。過ぎた身分は身を亡ぼすと。
今でこそエラの実家は商売がうまくいっているが、それはダーミッシュ伯爵の後ろ盾があってこそだ。自分たちは平民に戻って、平民なりの人脈と機動力の良さを生かしてダーミッシュ領に貢献していこうと一家は考えていた。
マテアスに連れられながら、エラは公爵家の屋敷内を歩いていた。公爵家は広すぎるため、慣れない使用人が年に数人は行方不明になるらしい。
実のところ、リーゼロッテはやってきて一週間目に屋敷内で遭難しかかった。人海戦術ですぐに見つかり事なきを得たが、それ以来ふたりは決して案内人からはぐれないよう注意を払っている。
「エラ様、申し訳ありません。みなエラ様のことが好きすぎて悪気はないのですよ」
細い糸目で見下ろしながらマテアスが申し訳なさそうに言った。
「謝っていただくなんてとんでもないです。よくして頂いてこちらが感謝しなくてはなりませんし。ですが、なぜみなさんにわたしがこんなにも好かれているのかよくわからなくて……」
困惑しながらエラは首をかしげた。
「エラ様はお美しいのに少しも偉ぶらない方なので、みなが好意をもつのも仕方がありませんよ」
マテアスは細い目をさらに細めて楽しそうに言った。
「は? リーゼロッテお嬢様ならともかく、わたしなんかがそんな」
エラはすらりとした体形で凛とした印象がある。リーゼロッテが恥をかかないように、立ち居振る舞いなども侍女として日々気を使っているのだ。
だが美人と言うとどうだろう? エラは茶色ががった赤毛に鳶色の瞳をしている。色は白いがそばかすが残る顔は、不美人ではないにしても正直どこにでもいる容姿だと、エラ自身は思っていた。
そんな様子のエラを見て、マテアスはくすりと笑った。
(エラ様は無知なる者ですからねぇ。視える者にとってあなたはとても心地よいのですよ)
視える者は常に異形が見えるので煩わしい毎日を送っている。場合によっては纏わりつかれたりして、鬱陶しいことこの上ない。
その点、異形の者は無知なる者にあまり近づこうとしないため、無知なる者の周りはかなり空気が美味しいのだ。そばにいてとても心地いい。ほっとするしずっとそばにいたくなる。
視える者だらけの公爵家で、無知なる者であるエラの存在は癒しの女神のようだ。マテアスは真実を言うことはせず、静かに微笑みだけを返した。
「あの、マテアス様?」
「わたしに敬称は必要ありませんよ」
マテアスは下がった困り眉をさらに下げた。
「ではマテアス。わたしのこともエラと、様は付けずに呼んでください」
「いいえ、あなたはエデラー男爵家のご令嬢です。一介の使用人であるわたしが呼び捨てになどできませんよ」
「父は運よく爵位を賜りましたが、一代限りの栄誉です。わたしが爵位を持っているわけではないですし、いずれは平民となる身。どうぞ呼び捨てにしてください」
「そうだとしても、今現在、エラ様は立派な貴族のご令嬢です。ご命令と言えどそれはどうにも聞き入れられませんねぇ」
糸目でにっこりと諭されて、エラは言葉に詰まってしまった。ダーミッシュ領では身分など気にせず、使用人同士で和気あいあいと過ごしていた。自分を貴族令嬢として扱う者などいなかったので、ここでの扱いに面食らってしまう。
「商家としてうまくいき、たまたま父は栄誉を承りました。でも、平民気質が抜けない父は、貴族の世界は身分不相応と感じていまして……。父は近いうちに爵位を返上しようと考えているのです」
商才はあったものの、爵位を賜っただけのにわか男爵であったエラの父は、貴族の足の引っ張り合いに巻き込まれ、騙されて事業が傾き苦境に立たされた時期があった。娶った妻も、エラの母であるが、何の後ろ楯もない商家の娘だったため、当時は没落まっしぐらな状況だったのだ。弟妹たちが三人いるエラは、十五歳で奉公に出る決心をした。
幸運にも、破格の給料がもらえるダーミッシュ家に仕えることができたエラはそこでリーゼロッテに出会った。おしとやかなのによく転ぶ、人形のように愛らしいリーゼロッテは、魔法のような進言をしてエラの実家を救ってくれたのだ。
実際に救ってくれたのはダーミッシュ伯爵なのだが、リーゼロッテがいなかったら、一家はとっくに路頭に迷っていただろう。
エラがリーゼロッテを心から崇拝するのは、そんなことがあったからであるのだが、その時に一家は思い知ったのだ。過ぎた身分は身を亡ぼすと。
今でこそエラの実家は商売がうまくいっているが、それはダーミッシュ伯爵の後ろ盾があってこそだ。自分たちは平民に戻って、平民なりの人脈と機動力の良さを生かしてダーミッシュ領に貢献していこうと一家は考えていた。
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