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第1章 ふたつ名の令嬢と龍の託宣
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そのことをエラが話すと、マテアスは足を止めて少し考えるそぶりを見せた。
「ではエラ様」
おもむろにマテアスはエラの手を取った。
「エデラー男爵様が爵位を返上されましたら、すぐさまわたしにご報告いただけますか? もちろん、リーゼロッテ様の次、二番目でかまいません。そのときは敬称を取ってお呼びすることをお約束いたします」
静かな口調に変化はなかったが、マテアスの真っ直ぐな瞳になぜかエラは一歩後退した。その分マテアスも一歩詰めてくる。
「よろしいですか? 約束ですよ? リーゼロッテ様の次、二番目に、必ず、わたしに、ご報告くださいね?」
一歩また一歩と詰められて、気づくとエラは廊下の壁まで後退していた。目の前にはエラの手を取り笑みを崩さないマテアスがいる。つり目の細目で困り眉の頼りなさげな顔をしている男は、その青い瞳にどこか有無を言わせない雰囲気を纏わせていた。
「わかりました。お約束します」
マテアスは公爵の片腕として領地経営の重要な仕事を担っているらしい。きっとできる男なのだ。機嫌を損ねるのは得策ではない。
エラはいずれ公爵の妻となるリーゼロッテの侍女だ。今はダーミッシュ伯爵に雇われているが、リーゼロッテが嫁げば自分も公爵家に仕えることになるだろう。その侍女が貴族か平民かで今後の雇用条件がかわるのかもしれない。
父が爵位を返還するのがどのタイミングかはまだわからないが、きっとマテアスはそういったことを心配しているのだろう。青い瞳を見つめながら、エラはこくこくと頷いてマテアスに了承の意を示した。
その反応に満足したのか、マテアスはエラの手を離した。
「では参りましょうか」
何事もなかったようにマテアスは再び歩きだした。時折すれ違う使用人たちに腰を折られて、エラはやはり恐縮してしまう。結局は自分が好かれる理由はよくわからないままだ。人生最大のモテ期到来に、戸惑いを隠せないエラであった。
公爵家に用意されたリーゼロッテの部屋の前まで来ると、マテアスは扉のちょっと手前で立ち止まった。手で歩みを制するようにされたので、エラもその後ろで足を止めた。
マテアスの目の前には、甲冑を身に着けた大男がいた。その男は扉に額を押し付けるようにして仁王立ちしている。
「ああ、カークはどこにいても邪魔ですねぇ。エラ様、申し訳ありませんが、部屋に戻る前に少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
前半の言葉を独り言のように言った後、マテアスはエラを振り返った。
「はい、もちろんです」
戻る前に何か話があるのだと思い、エラは神妙に頷いた。しかしマテアスはにっこりと笑みを返すと、扉の方へと向き直った。
「さて。害はないとはいえ、このままエラ様にお通り頂くのも気が引けますしねぇ。ちょっと手荒ですが、そこはそれ、致し方なしということで」
マテアスは扉の脇によると、人差し指を立ててくるくると何度か動かした。
「せっかく意固地をやめたんですから、遠慮と言うものを憶えましょうねっ」
その言葉と共にくるくるしていた指先を、仁王立ちしている男の肩へとちょんと触れさせる。男がピクリと反応した次の瞬間、男は壁伝いに廊下の先へと吹っ飛んでいった。
「おお、よく飛びました。不動のカークの名が聞いて呆れますねぇ」
男が吹き飛んだ先をみやってから、マテアスはゆっくりとエラを振り返った。
「エラ様、お待たせしました。リーゼロッテ様はもうお戻りになられていますよ」
そう言いながら部屋をノックする。「では、わたしはこれで」とマテアスは笑顔を残して去っていこうとした。
「あの、マテアス」
「はい、なんでしょう? エラ様」
「何かわたしに言いたいことがあったのでは?」
エラの問いにマテアスが笑顔のまましばらく動きを止めた。
「あの、さきほど時間が欲しいと……」
「ああ、申し訳ありません。扉の前に羽虫がいたので、排除したまでです。お気遣いいただきありがとうございます」
そう言うとマテアスはエラの手を取り、恭しく腰を折った。
「ですから、わたしにそういうことはしないでほしいと」
エラが手を引きながら一歩下がろうとすると、マテアスはやんわりとその手に力をいれた。
「エラ様は大切なお客様ですから、公爵家としましては最大限のおもてなしをするのは当然の事です」
「大変恐縮ですが、お気持ちだけで結構です。わたしはお嬢様の侍女としてこちらに参りました。できればわたしに付けていただいた侍女も、リーゼロッテお嬢様付きということにしてもらえませんか?」
「それはいたしかねますねぇ。彼女はエラ様の侍女として雇われた者と、ご納得いただけたと思っておりましたが。もし、彼女が気に入らないのであれば、他の者にお替えいたしましょうか?」
「いいえ、彼女はよくやってくれています。そういうことではなくて、わたしではなくお嬢様の侍女のひとりとして働いてもらえたらと」
「エラ様」
マテアスは静かな笑みをエラに向けた。
「エラ様の侍女としての矜持はご立派です。ですが、こう考えてみてはいかがでしょう? エラ様が侍女に身の回りの世話をさせることによって、世話をされる側の気持ちを体験できます。する側とされる側では、見える景色もまた違うでしょう。される側の立場から、ここをもっと改善してほしいと感じることなど出てくるかと思います。そうすれば侍女として、新たな気づきも得られるかと」
すべては、リーゼロッテ様のために。マテアスが最後にそう付け加えると、エラは鳶色の瞳をこぼれんばかりに見開いた。
「リーゼロッテお嬢様のために……」
エラがつぶやくように言うと、マテアスはゆっくりと頷いた。
エラの行動のほとんど全てはリーゼロッテが中心となっている。エラはリーゼロッテからお礼を言われたことはあっても、不平不満を言われたことはない。やさしいお嬢様の事だから、エラに直してほしいことがあっても遠慮して言わないだけかもしれないのだ。
しかし、自分がお嬢様の立場を体験することで、よりリーゼロッテのためになることができるようになるかもしれない。
「では、エラ様付きの侍女は、そのまま継続でよろしいですね?」
マテアスにうまく丸め込まれたエラは、侍女の世話を受け入れるべくあっさりとこくりと頷いた。
「ではエラ様」
おもむろにマテアスはエラの手を取った。
「エデラー男爵様が爵位を返上されましたら、すぐさまわたしにご報告いただけますか? もちろん、リーゼロッテ様の次、二番目でかまいません。そのときは敬称を取ってお呼びすることをお約束いたします」
静かな口調に変化はなかったが、マテアスの真っ直ぐな瞳になぜかエラは一歩後退した。その分マテアスも一歩詰めてくる。
「よろしいですか? 約束ですよ? リーゼロッテ様の次、二番目に、必ず、わたしに、ご報告くださいね?」
一歩また一歩と詰められて、気づくとエラは廊下の壁まで後退していた。目の前にはエラの手を取り笑みを崩さないマテアスがいる。つり目の細目で困り眉の頼りなさげな顔をしている男は、その青い瞳にどこか有無を言わせない雰囲気を纏わせていた。
「わかりました。お約束します」
マテアスは公爵の片腕として領地経営の重要な仕事を担っているらしい。きっとできる男なのだ。機嫌を損ねるのは得策ではない。
エラはいずれ公爵の妻となるリーゼロッテの侍女だ。今はダーミッシュ伯爵に雇われているが、リーゼロッテが嫁げば自分も公爵家に仕えることになるだろう。その侍女が貴族か平民かで今後の雇用条件がかわるのかもしれない。
父が爵位を返還するのがどのタイミングかはまだわからないが、きっとマテアスはそういったことを心配しているのだろう。青い瞳を見つめながら、エラはこくこくと頷いてマテアスに了承の意を示した。
その反応に満足したのか、マテアスはエラの手を離した。
「では参りましょうか」
何事もなかったようにマテアスは再び歩きだした。時折すれ違う使用人たちに腰を折られて、エラはやはり恐縮してしまう。結局は自分が好かれる理由はよくわからないままだ。人生最大のモテ期到来に、戸惑いを隠せないエラであった。
公爵家に用意されたリーゼロッテの部屋の前まで来ると、マテアスは扉のちょっと手前で立ち止まった。手で歩みを制するようにされたので、エラもその後ろで足を止めた。
マテアスの目の前には、甲冑を身に着けた大男がいた。その男は扉に額を押し付けるようにして仁王立ちしている。
「ああ、カークはどこにいても邪魔ですねぇ。エラ様、申し訳ありませんが、部屋に戻る前に少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
前半の言葉を独り言のように言った後、マテアスはエラを振り返った。
「はい、もちろんです」
戻る前に何か話があるのだと思い、エラは神妙に頷いた。しかしマテアスはにっこりと笑みを返すと、扉の方へと向き直った。
「さて。害はないとはいえ、このままエラ様にお通り頂くのも気が引けますしねぇ。ちょっと手荒ですが、そこはそれ、致し方なしということで」
マテアスは扉の脇によると、人差し指を立ててくるくると何度か動かした。
「せっかく意固地をやめたんですから、遠慮と言うものを憶えましょうねっ」
その言葉と共にくるくるしていた指先を、仁王立ちしている男の肩へとちょんと触れさせる。男がピクリと反応した次の瞬間、男は壁伝いに廊下の先へと吹っ飛んでいった。
「おお、よく飛びました。不動のカークの名が聞いて呆れますねぇ」
男が吹き飛んだ先をみやってから、マテアスはゆっくりとエラを振り返った。
「エラ様、お待たせしました。リーゼロッテ様はもうお戻りになられていますよ」
そう言いながら部屋をノックする。「では、わたしはこれで」とマテアスは笑顔を残して去っていこうとした。
「あの、マテアス」
「はい、なんでしょう? エラ様」
「何かわたしに言いたいことがあったのでは?」
エラの問いにマテアスが笑顔のまましばらく動きを止めた。
「あの、さきほど時間が欲しいと……」
「ああ、申し訳ありません。扉の前に羽虫がいたので、排除したまでです。お気遣いいただきありがとうございます」
そう言うとマテアスはエラの手を取り、恭しく腰を折った。
「ですから、わたしにそういうことはしないでほしいと」
エラが手を引きながら一歩下がろうとすると、マテアスはやんわりとその手に力をいれた。
「エラ様は大切なお客様ですから、公爵家としましては最大限のおもてなしをするのは当然の事です」
「大変恐縮ですが、お気持ちだけで結構です。わたしはお嬢様の侍女としてこちらに参りました。できればわたしに付けていただいた侍女も、リーゼロッテお嬢様付きということにしてもらえませんか?」
「それはいたしかねますねぇ。彼女はエラ様の侍女として雇われた者と、ご納得いただけたと思っておりましたが。もし、彼女が気に入らないのであれば、他の者にお替えいたしましょうか?」
「いいえ、彼女はよくやってくれています。そういうことではなくて、わたしではなくお嬢様の侍女のひとりとして働いてもらえたらと」
「エラ様」
マテアスは静かな笑みをエラに向けた。
「エラ様の侍女としての矜持はご立派です。ですが、こう考えてみてはいかがでしょう? エラ様が侍女に身の回りの世話をさせることによって、世話をされる側の気持ちを体験できます。する側とされる側では、見える景色もまた違うでしょう。される側の立場から、ここをもっと改善してほしいと感じることなど出てくるかと思います。そうすれば侍女として、新たな気づきも得られるかと」
すべては、リーゼロッテ様のために。マテアスが最後にそう付け加えると、エラは鳶色の瞳をこぼれんばかりに見開いた。
「リーゼロッテお嬢様のために……」
エラがつぶやくように言うと、マテアスはゆっくりと頷いた。
エラの行動のほとんど全てはリーゼロッテが中心となっている。エラはリーゼロッテからお礼を言われたことはあっても、不平不満を言われたことはない。やさしいお嬢様の事だから、エラに直してほしいことがあっても遠慮して言わないだけかもしれないのだ。
しかし、自分がお嬢様の立場を体験することで、よりリーゼロッテのためになることができるようになるかもしれない。
「では、エラ様付きの侍女は、そのまま継続でよろしいですね?」
マテアスにうまく丸め込まれたエラは、侍女の世話を受け入れるべくあっさりとこくりと頷いた。
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