ふたつ名の令嬢と龍の託宣【全年齢版】

古堂 素央

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第2章 氷の王子と消えた託宣

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     ◇
「ねぇ、カイ。今度の夜会でもお願いできるかしら?」
「え? オレは別にかまいませんけど……そろそろ無理がないですか?」

 王城の廊下の途中でイジドーラにそう懇願されて、カイは歩きながらも小首をかしげた。

「あら、まだまだ大丈夫よ。自信を持つといいわ」

 妖し気な笑みをくイジドーラに、「では、仰せのままに」とカイは優雅に礼を取る。

 イジドーラにはルチアの話はいまだにしていない。その報告をするには、どうしてもアニータ・スタンの名を出さなくてはならなかった。
 アニータが王城から行方不明となったのは、イジドーラの人生において、最も過酷と言える時期だ。その頃カイはまだ二歳かそこらで、当時の記憶がそれほど残っているわけでない。だが、イジドーラのその憔悴ぶりは、カイの心に焼き付いていた。

(つらいことは少しでも思い出させたくない)

 ルチアの存在を報告するのは、彼女がハインリヒの相手であると確定した時だけだ。ルチアの体に龍のあざがないのなら、たとえ王族の血を引いていようが、カイにはそれ以上ルチアに関わる理由はない。

 カイが動かせる人員を総動員して、今、アニサとルチアの行方を追っている。目くらましのようにかれた痕跡に、追跡は見事にかく乱されていた。相手はあのラウエンシュタイン家だ。一筋縄ではいかない強敵を前に、デルプフェルト家はかえってやる気を出している。
 人を小馬鹿にしたようなイグナーツの顔を思い浮かべ、カイは無意識に顔をしかめた。

『無駄なことはやめておけ』

 あの日イグナーツはそう言った。

(探してもどうせルチアは見つからないという意味だったのか、もしくは……)

 ――ルチアはハインリヒの相手ではない
 イグナーツはそう言いたかったのか。

 考えてみれば、アニータが王族であるウルリヒの子を宿したのなら、どこか秘密を守れる貴族へと嫁がせ、その家の子として育てることもできただろう。生まれた赤毛の子供が王族の血を思わせるのなら、バルバナスと婚姻を結ばせることも可能だったはずだ。

(それなのになぜ、イルムヒルデ様はアニータを王城から逃がしたんだ……?)

 スタン伯爵家に帰すわけでもなく、身重の貴族令嬢を市井しせいに放り出すなど、もはや死ねと言っているようなものだ。前王フリードリヒを支え、王妃として立派に責務を果たしたイルムヒルデが、そんな愚行を犯した理由がわからない。

「これはこれは、イジドーラ王妃」

 思考を遮るように、耳障りな声がした。禿げあがった神官が、大きな腹をゆすりながらこちらへと近寄ってくる。

「ミヒャエル司祭枢機卿すうきけい……」

 目をすがめてその名をつぶやくと、カイはイジドーラをかばうようにミヒャエルの前に立ちはだかった。

「王妃殿下の行く先を阻むなど、いかにミヒャエル殿と言えど不敬にあたりますよ」
「不敬などと大げさな。わたしはただイジドーラ王妃にご挨拶申し上げようとしただけですよ」

 下卑た笑いを乗せるミヒャエルだったが、その目は全く笑っていない。カイを押しのけてイジドーラの手を取ろうとする。

「現在、ディートリヒ王は祈りの儀にこもられています。そんな時に王妃殿下に触れるなど、ミヒャエル殿は命が惜しくないようだ」

 カイが腰に下げた細剣のつばに手をかけると、ミヒャエルは慌てたように数歩下がった。絨毯に足を取られ、大きな腹がぼよんと揺れる。

「そ、それならば先にそう言えばいいものを!」
「これは失礼。神殿の、それも組織の上部におられる司祭枢機卿殿が、祈りの儀の時期を知らないなどと、思いもよりませんでしたよ」

 祈りの儀とは、王が青龍へと祈りを捧げる儀式のことだ。この国の王は、月に三日間ほど祈りの間に籠る。その間に王妃はみそぎをして王の帰りを待つのがしきたりだ。
 顔を赤くしてカイを睨みつけたミヒャエルは、「忌み子風情が!」と吐き捨ててから足早に去っていった。

「随分と耳障りだこと。でも、わたくしは別にかまわなかったのに」
「オレがついているのに、そんなこと許せるわけないでしょう。イジドーラ様の身に何かあって、王の怒りを買うのはご免です」

 楽し気に笑みを浮かべるイジドーラに、カイはがっくりとうなだれた。

     ◇
 激高したまま、ミヒャエルは神殿へと舞い戻った。自室の立派な扉を乱暴に開け、閉めた鍵を念入りに確かめる。
 部屋の真ん中に立ったまま、荒げた息を何とか落ち着かせる。大きく息を吐き、次いでゆっくりと息を吸う。幾度かそれを繰り返すと、ミヒャエルは部屋の奥にある扉に目を向けた。

(乱れた心で女神にお会いするわけにはいかない)

 豪華なソファに腰かけると、ミヒャエルはその目を閉じた。深く息を吸い、吸った時以上に時間をかけて少しずつ息を吐く。この呼吸法は、女神の導きで得たものだ。次第に精神が研ぎ澄まされていくのが分かる。
 小一時間ほどそれを続けると、ミヒャエルはようやく目を開けた。

(女神がお呼びだ)

 ふらりと立ち上がると、ミヒャエルは操られるかのように部屋の奥の扉へと向かった。きぃと小さな音を立てて、扉がひとりでに開いていく。
 薄暗い部屋の中で、いくつもの長い蝋燭が炎を揺らしている。その最奥にあるのは、質素な祭壇だ。

 その上に、女が足を組んで座っていた。艶やかな長い黒髪に、真っ赤なドレスを身に纏っている。あらわになった肩と豊かな胸元が、扇情的な光景だ。ミヒャエルはその女の前で、崩れるように両膝をついた。

「おお、女神よ。今日もお姿をおあらわしになってくださったこと感謝します」
 感激の涙を流し、その表情は恍惚としている。

「王城での夜会に、貴族どもに混ざりわたくしめも参加することとなりました。もうすぐ……もうすぐ、貴女のその手にこの国を差し出せる……」

 泣きながら薄ら笑いを浮かべるミヒャエルを、女はただ黙って見下げていた。

 その喉元に光るのは、紅玉のような深紅の輝き――

くれないの女神よ、どうかその時はわたくしめを王の座に……!」
 ミヒャエルが深々と床に頭を垂れる。

 べにの引かれた唇が、にぃっと形よく弧を描いた。
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