ふたつ名の令嬢と龍の託宣【全年齢版】

古堂 素央

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第3章 寡黙な公爵と託宣の涙

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     ◇
 カイが帰った後、リーゼロッテはサロンでエマニュエルとティータイムを過ごしていた。明日は公爵家へと再び向かう日だ。結局ダーミッシュ家には一週間もいなかった。どちらが本当の家なのか、もはや分からなくなりつつある。

「先ほどのカイ様は、何がおかしかったのかしら?」

 独り言のようにぽつりと言うと、その横でエマニュエルがくすりと笑った。

「あの方は笑い上戸でいらっしゃるようですから、きっとたいしたことではございませんよ。お気になさらなくてもよろしいかと」
「それもそうですわね」

 リーゼロッテも笑って肩を小さくすくめた。カイには今まで散々笑われてきたが、そのツボがどこにあるのか、いまだによく分からない。

 駆け回る小鬼を眺めながら紅茶の香りを楽しんでいると、見知らぬ少女がいきなりサロンに飛び込んできた。背中を反らしてかかとで踏ん張りながら、少女は懸命にスカートを引っ張っている。

「あら? 駄目よ、いたずらしては。その子が困っているでしょう?」

 少女のスカートを一匹の小鬼が掴んでいるのを見て、リーゼロッテは立ち上がった。

「手を離してこちらにいらっしゃい」

 手招きをすると、小鬼はぱっと手を離してうれしそうにリーゼロッテに駆け寄ってきた。ギリギリのところまで近寄って、催促するようにぴょんぴょんと跳ねる。いきなり手を離された少女は、反動で尻もちをついてしまった。

「ジークヴァルト様には内緒よ?」

 一度カークを振り返ると、くるりと壁に向き直ってカークはリーゼロッテに背中を向けた。その背にありがとうとお礼を言うと、リーゼロッテは小鬼に向けて緑の力を振りまいた。その緑のキラキラを受けて、小鬼の瞳がさらにきゅるんと輝いた。
 ジークヴァルトのいない場所でこれをやると、過保護ぶりが増し増しになる。心配性なジークヴァルトに見つかると、後々やっかいだ。

「怪我はない? 立てるかしら?」

 ほうけたように座り込んでいる少女の前で屈みこむ。前髪が長くて目はよく見えないが、とても可愛らしい少女だ。
 少女は玉のような汗をかいている。ここまで異形に走らされたのだろう。そう思ってリーゼロッテは、「たいへんだったわね」とこめかみに流れる汗を、白いハンカチでそっと拭った。

「ごめんなさい、わたしっ」

 飛び上がるように立ち上がって、少女はリーゼロッテから数歩距離を取った。その先にカークの姿を認めると、小さく悲鳴を上げて、今度はリーゼロッテにしがみついてきた。

「あなた、カークが視えるのね。大丈夫よ、カークは何も悪さはしないから」
「え……?」

 安心させるように微笑んだ。少女はカークとリーゼロッテを交互に見た後に、サロンを駆け回る小鬼たちの動きを目で追った。

「ここにいる異形の者たちは、みな良い子ばかりよ」
「異形の者……?」

 少女がもう一度サロンを見回すと、エマニュエルが警戒した様子で少女の手を引いた。

「あなたは誰? どうしてここにいるの?」
「あ……わたし学校の授業でここにきていて……」
「行儀見習いで来たのね。エマ様、大丈夫ですわ。学校からくる子たちは、みな身元がしっかりしていると聞いております」

 リーゼロッテが少女の手を取り、ソファに座らせる。

「疲れたでしょう? 少しここで休んでいくといいわ。わたくしはリーゼロッテ。この家の娘よ。あなた、お名前はなんていうの?」
「わ、わたしはルチア……ルチア・ブルーメです」
「ブルーメ?」

 どこかで聞いたことがある家名に、リーゼロッテは小首をかしげた。実父の生家が確かブルーメ子爵家だった。社交界に出るにあたって、最近はエマニュエルと共に、貴族に関することも学んでいる。

「あの、わたし、ブルーメ家の遠縁で……」
「まあ! では、あなたとわたしは遠い親戚かもしれないわ」
「えっ!?」

 ルチアはそんな馬鹿なという顔をした。動揺からか、長い前髪の隙間からリーゼロッテの顔をじっと見つめてくる。

「ふふ、これも何かのご縁ね。よかったらこのお菓子も食べていって」

 リーゼロッテが笑顔で勧めると、ルチアは遠慮がちに焼き菓子をひとつとって、その端を上品に小さくかじった。

「おいしい……」
「よかった、ダーミッシュ家自慢の焼き菓子なのよ」

 静かにほほ笑んだリーゼロッテは、次いで真剣な顔となる。

「ねえ、ルチア。あなた、異形の者で何か困ったりはしていない?」
「異形……あの変な小人みたいなやつですか?」
「ええ。それと街中にいる黒い塊だとか」
「あれは、目を合せたりしなければ、寄ってはこないから……」
「そう、ならよかったわ。あなたはちゃんと、異形との距離の取り方がわかっているのね」

 リーゼロッテの言葉に、ルチアがぐっと口を引き結んだ。まるで泣くのをこらえるかのようなそぶりに、リーゼロッテが心配そうにその顔を覗き込む。

「わたくし、何か気にさわることを言ってしまった?」
「い、いいえ! あれが視えるって信じてくれた人が、今まで母さん以外いなかったから」
「そうだったのね。異形の者が視える人は、ほかにもたくさんいるわ。困ったことがあったら、わたくしに遠慮なく相談してね」

「リーゼロッテ様」

 エマニュエルがとがめるように名を呼んだ。市井しせいの少女相手に安請け合いするなど、軽率すぎるというものだ。

「ごめんなさい。でも放っておけなくて……」

「あのっ、わたし、もう行かなきゃ」

 ルチアはそう言って、慌てたようにサロンの出口に向かった。途中で立ち止まったかと思うと、何か思い出したかのように振り返る。

「おいしいお菓子をありがとうございました」

 ルチアはそう言って、リーゼロッテに向けて綺麗な礼を取った。貴族令嬢のようなその所作に、意表を突かれたエマニュエルが目を見開いた。

「ブルーメ家の血筋と言うのは本当かもしれませんね」
 ルチアが去ったあとに、エマニュエルがため息をついた。

「ですが、どこの誰とも分らない者に対して、今後はあのようなことはなさらないでくださいね」
「心配をかけてごめんなさい」

 ジークヴァルトにも何か言われるだろうか。思わずカークに視線をやると、カークは壁にひたいをくっつけ、いまだに背を向けていた。

「ありがとう、カーク。もうこちらを見ても大丈夫よ」

 とりあえず今回の事は、エマニュエルにも口止めをお願いして、ジークヴァルト過保護化計画の進行を、なんとか阻止したリーゼロッテだった。

「リーゼロッテ、少しいいかい?」
「お義父様」

 突然サロンにやってきたフーゴに、リーゼロッテは心配そうな顔をした。なんだか疲れ切っている。ツェツィーリアとの婚約話を進めて欲しいと、ルカは寝ても覚めても迫っているらしかった。
 フーゴは伯爵として家を守る義務がある。ルカの婚姻は、領民の生活をも左右する事案なため、そうやすやすと受け入れることなどできないのだろう。

「明日は少し立て込んでいてね。リーゼの見送りはしてあげられないから、今のうちに話をしたいと思ってね」

 その言葉にエマニュエルが席を外した。ふたりきりになったサロンで、フーゴと座って向かい合う。

「ジークヴァルト様とはどうだい? うまくやれているのかい?」
「はい、とてもよくしていただいておりますわ」
「そうか、それなら安心したよ」

 やさし気に目を細めたフーゴを見て、チクリと胸が痛んだ。ジークヴァルトには負担をかけてばかりだ。心配はさせたくないが、自分の胸の内を誰かに知ってほしかった。フーゴには、龍から賜った託宣のことを話してしまいたい。リーゼロッテはそう思って口を開いた。

「あ……」

 だがそれは言葉にならず、つかえたような違和感だけが残った。龍に目隠しをされたのだ。それを理解すると、リーゼロッテは諦めたように瞳を伏せた。

「リーゼロッテ……お前にひとつ聞きたいことがあるんだ」

 問いかけられて、リーゼロッテは顔を上げた。フーゴは珍しく言葉を探しているようだ。その顔を見つめると、フーゴは静かな瞳で見つめ返してきた。

「リーゼの目から見て、レルナー家のツェツィーリア様はどんな方だい?」
 その問いに少しだけ考えてから、リーゼロッテは次にふわりと笑った。

「ツェツィーリア様は可愛らしい方ですわ。わたくしは、大好きです」
「そうか……」

 ゆっくり頷くと、フーゴは静かに立ち上がった。

「明日は気をつけて行くんだよ」
「はい、お義父様」

 やさしく髪をなでられると、子供の頃に戻った気持ちになった。あたたかくてやさしくて、安心する大きな手だ。

「リーゼロッテ、何かつらいことがあったら、いつ帰ってきていいのだからね」
「はい、お義父様」

 リーゼロッテは甘えるように、その胸に抱きついた。

     ◇
 ダーミッシュ領は驚くほど治安がいい。どの街に行っても活気があるし、何より領民がみな憂いなくしあわせそうに暮らしている。カイはここ数日、観光で立ち寄ったいいとこの坊ちゃんを装って、あれこれと情報収集をしていた。
 誰に聞いても、口をそろえたように領主をほめちぎる。領民に尊敬と感謝の念を抱かれるダーミッシュ伯爵は、理想の領主と言えるのだろう。

 領民など、ただの労働力としか考えない貴族も少なからずいる。歴史が長く権力を持つ貴族ほどそれが顕著で、ダーミッシュ伯爵は貴族としては疎んじられるような立ち位置だ。

 ダーミッシュ伯爵は誠実な人物だが、だが、お人好しというわけではない。きちんと貴族としての立ち回り方を心得ているし、政敵に隙を見せないだけの抜け目なさもあった。そこのところはさすがと言える。新興貴族との格の違いは歴然だった。

 この職業訓練学校もよく機能しているようだ。簡単な読み書きや計算ができるだけでも、働き手として重宝される。優秀な者などは他領や王城に斡旋し、バックマージンを貰うシステムすら確立されていた。

「ここの学校は本当によくできているね。王城でも、ダーミッシュ出身の者は優秀な人物が多いって評判になってるよ」
「ありがたいお言葉です」

 案内人の男は嬉しそうに頷いた。

「あとは適当に見て帰るから、案内はもういいかな」
「さようでございますか。では、ごゆっくりしていってください」
「忙しいところありがとう」

 ひらひらと手を振って、カイはその男の背を見送った。

「こんな危機感がなくて、大丈夫なのかな?」

 王城より来た騎士とはえ、悪さを働かないとは限らない。ダーミッシュ領の人間はおおらかと言うか、基本人を疑うことを知らないようだ。生活が潤っているので、心が荒むこともないのかもしれない。そう結論付けて、カイは気ままに校舎内を歩き出した。

 平民が使うにしては立派な造りの建物だ。初期投資は伯爵家が行い、ここ数年でようやく黒字になってきたと聞いた。それなりの紆余うよ曲折きょくせつはあったのだろう。

(普通の貴族なら、こんな面倒でリスキーなことはしないよな)

 平民から税を絞り取れば、それなりに贅沢な生活は維持できる。たちの悪いまつりごとは、王からの教育的指導が入るが、そこにいくらでも抜け道はあった。

(でもグレーデン領からここに移住する者も増えてるって話だし、長い目で見て、どちらが繁栄するかは明暗が分かれそうだな)

 他人事のように思って、カイは次の廊下の角を曲がる。ぷらぷらと歩いているようで、その実、目的地はしっかりあった。

(いた)

 人気ひとけのない廊下を、その少女は長いほうきで掃いている。肩口で切りそろえられた茶色の髪をした少女は、王都のはずれ街で会ったあの日よりも、少しだけ背が伸びていた。やせぎすだった体も、年相応に見えるくらいには、栄養が行き届いたようだ。

 イグナーツの手によって行方知れずとなっていたこの少女――ルチアを、カイはずっと探していた。ハインリヒの託宣の相手はアンネマリーだった。その事だけだったら、二度とルチアに会うこともなかっただろう。
 だが、消えた託宣はまだふたつある。ルチアが王族の血を引く可能性があるならば、それを確かめる必要があった。

(あれだけ探させておいて、こんなところに隠しておくなんて。ホント、イグナーツ様にはしてやられたな)

 王都の病院から忽然こつぜんと消えたルチアたちを、カイは懸命に追っていた。目くらましのようにいくつもの痕跡こんせきが残されていて、探し出すのにものすごく手間と時間がかかってしまった。

 足音を忍ばせて、カイはルチアへと近づいて行った。ルチアは箒と格闘している。よく見ると、弱い小鬼が一匹、ほうきの先にまとわりついていた。
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