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第六章

彼女の行方は

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「…この杖は…マイカの…?」

 アカフク地方のとある森。僧侶の少女は自分の足元に落ちている折れた杖を見て戦慄した。そして彼女は近くの木の一本が血で汚れているのに気づいた。その血は時間の経過によってすでに黒ずんでいる。

「どうしたフィズ?何か見つかったか?」

 フィズと呼ばれた僧侶のもとに剣士の青年が駆けつけた。

「ニール…これ…」
 フィズはニールと呼ばれた青年に折れた杖を見せた。折れてこそいるがその形状は彼にはよく見覚えがあった。
「間違いない…これはマイカの杖だ…!」
「じゃあ…この血も…?」
 フィズは一本の木に付着している血の跡を指さした。
「いや…そこまではわからない…だけど…」
 ニールは周囲を見渡した。日にちが経過し、薄れてこそいるが広範囲にわずかな血の匂いを感じる。それが人間のものか魔物のものかわからないが、確実に大規模な戦闘の痕跡があった。遺体がないのは動物が持ち帰ったか、跡形もなく燃え尽きたかであろう。ところどころの木々に火の跡が見える。この中にマイカがいたのかどうか判断することはできない。

 ニールは先日受注したクエストを振り返った。この辺りで暴れていたハーピーとその手下達の討伐。ニールとフィズ、マイカの三人はそのクエストを受注した。戦闘は予想以上に激化し、ボスのハーピーを倒した時にはニールは浅くない傷を負っていた。フィズが残された魔力で唱えた慣れない回復魔法でかろうじて立てるくらいには回復したニールだったが、その好機を逃すほど周囲の魔物達は甘くなかった。その時、撤退の殿として前に出たのはマイカであった。近くの街のギルドで落ち合うと約束し、フィズの肩を借りながらニールはどうにかギルドまで戻ることができた。
 しかし、一日経ってもマイカは姿を現さなかった。不安に駆られたニールは傷が癒えた頃合いにフィズと共にこの場所に戻り、彼女の捜索に入ったのだ。

「マイカ…やっぱり、気にしていたんじゃ…」

 フィズは折れた杖を手にしたままうつむいた。
 ニールの幼馴染であるマイカはいつしか彼に想いを寄せていた。フィズやギルドの人々にそれを指摘された時、本人は思いきり否定していたが、その表情や声色は全てを物語っていた。幼少の頃から彼女は長い間ニールのそばにいたのだ。そういう想いを抱いても不思議ではない。
 にもかかわらず、マイカはフィズの想いを知っても辛くあたることなく、それどころか彼女の恋を応援してくれていた。
 フィズはその時のマイカの気丈な表情の裏に隠された感情をなんとなく感じていた。ゆえに、ニールに想いを告げた後からいまだに罪悪感をぬぐうことができなかった。殿を引き受けたのは二人を守るためでもあり、自分の複雑な気持ちを少しでも晴らすためでもあったのだろう。フィズはそう推測したが、彼女が帰ってこない限りその答えは確かめようがなかった。

『行きなさい!死なせたくないんでしょ?』

 多数の魔物を前にしたマイカを心配し、足を止めていたフィズに対し、マイカはそう檄を飛ばした。その時の彼女の表情がいまだにフィズの脳裏から離れなかった。

「…私のせいで…」

 思わずそんな言葉が口に出てしまった。それに気づいたと同時にフィズの肩をニールが優しくたたいた。フィズが振り向くと彼は首を横に振っていた。

「君一人の責任じゃない…俺が…二人の足を引っ張ってしまったんだ」

 今回のクエストでニールは負い目を感じていた。『三人ならできる』と自信を持って引き受けたクエストだったが、その戦闘は予想以上に厳しいものだった。特に魔物達を率いるハーピーは恐ろしく強く、マイカの陽動とフィズの補助魔法がなければすでに命を落としていたであろう。ハーピーの配下の魔物達も数が多く、それらをマイカ一人に任せてしまったことも申し訳なかった。
 自分がもっと強ければ、自分がもっと上手く戦えていればこんな結果にはならなかった。ニールにはそう思えてならなかった。

「そんなことは…!せめて私の魔力が残っていれば…いや、もっと早く私が回復魔法を上手に使えるようになっていれば…!」

 フィズは大きく首を横に振りながら答えた。
 彼女は僧侶でありながら回復魔法が全く使えず、使えるのは『ブースト』や『フロート』などの補助魔法ばかりという特殊な体質であった。そのため、彼女の体質を理解できなかった前のパーティーのリーダーに見限られ、途方に暮れていたところでニールとマイカに出会ったのだ。
 二人によくしてもらいながらもフィズは自分の体質を克服するべく二人に内緒で回復魔法の習得を試みていた。そして、ハーピーとの戦いの後、彼女は初めて『ヒール』の発動に成功したのだ。彼女の言う通り、魔力を戦闘で消耗していなければニールはその場で完治できたかもしれなかった。

「フィズ…」

 どちらも自分自身に責任を感じている状態であった。

「…大丈夫。マイカはきっと生きている」

 そのまま押し問答をしていても意味はない。そう思ったニールは不安に震えるフィズの手を優しく握り、話を変えた。
「要請すればギルドの人達も協力してくれる。俺達二人で抱え込むことはないさ」
 ギルドでは『尋ね人』のクエストを各地で扱っている。その対象が冒険者自身になることはさほど珍しくない。
「それに…あいつは魔物の大群あのくらいで死ぬような奴じゃない。生きていれば必ずどこかで会えるさ」
「ニール…」
 彼の力強い眼差しにフィズはどこか安心を覚えた。
「とりあえず、町に戻ろう。日も暮れてきたし、これ以上の無理はしないほうがいい」
「…ええ」
 フィズはニールの手を優しく握ったまま彼の後に続いた。

 赤く染まり切った夕日を背にし、二人は町の方角へ歩きだした。 
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