僕は傷つかないから

ritkun

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うちの子が知らないこと

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 やってしまった。

 桜製菓は週休二日制なのに、毎年最後の出勤日だけは土曜日。大掃除をして終わった部署から帰っていい。
 だから昨日は玄樹げんきを少し満足させて今日を俺の本番にするつもりだったのに、玄樹げんきが変なゲームを思いついて挑発するからついやってしまった。

 起き上がれない玄樹げんきを残して来たから気が気じゃない。早く終わらせて帰りたい。でも今年からは主任だからむしろ去年より遅くなる。

 昨日のやり方を玄樹げんきはどう思ってるだろうか。ただでさえ嫌われたんじゃないかと不安と後悔でいっぱいなのに、出勤早々持田さんに会ってしまった。

 俺とタイミングを合わせたように車から降りて来た持田さんに私情を隠して挨拶をする。
「お早うございます」

 持田さんは黙っているとテレビでやってる鬼ごっこの鬼みたいだけど、よく笑うし笑顔もかわいい。
「お早うございます。ちょっといいですか?」

 手招きされて持田さんの車の助手席に座った。
「月曜日から社宅の住人が二人増えるんですよ。
 その関係で夕べ俺、団地にいました」

 言いにくそうな様子ですぐに分かった。玄樹げんきの声を聞かれたんだ。しかも一度出してからは玄樹げんきも我慢しなかった。

「これからは控えめに。男性の声だと分かりますし、出し方で、その、どういう役割で出している声かも分かりますから。
 しかも会社の人間ですから声の主が玄樹げんきくんだと気付いてしまうかもしれません」

 持田さんには驚くほど嫌味や嫉妬の空気が無い。
「あの」
 なんて言ったらいいんだろう。玄樹げんきの声を聞いて平気なのかなんて言うのも感じ悪いよな。
「持田さんってどういう人が好みなんですか?
 よく可児かに玄樹げんきを見つめてますよね?」

 持田さんは素直に驚いた。
「そういう意味じゃないですよ。
 可児かにくんは田町くんの隣で、玄樹げんきくんは春野くんの隣で、安心してるのにソワソワしてるでしょう?
 俺の隣で副社長がそうしてくれたらって、妄想の参考にするために見てました」

 おい田町。副社長に振り回されてる反動じゃなく、素直に副社長が好きなんじゃないか。

 あれ?でも田町が入社する前から可児かにを見てたよな?
可児かにのことは入社した時から見てませんでした?」
「俺と変わらない身長なのに周りに溶け込んでいたので参考にしたくて。
 俺は毎年新入社員に『SP』とか『ハンター』って陰で言われてしまうので」

 悲しそうに言うけど事実そうだったから否定できない。その沈黙を持田さんは勘違いした。
「すみません。誤解させてしまいましたね」
「いえ、安心しました。持田さんがライバルだったら俺は諦めるしかないと思ってたので」

 持田さんはきょとんとした顔でまじまじと俺を見た。そして優しい表情になる。
「俺が誰を好きかなんて関係ないでしょう。っていうか誰が玄樹げんきくんを好きでも。
 玄樹げんきくんが春野くんを好きなことが揺るぎない事実なんですから」

 一瞬跳ねるようにテンションが上がったけど、すぐ冷静になる。
「そんな風に自信を持てたらいいんですけど。
 持田さんだけじゃありません。玄樹げんきの周りにはすごい人が沢山います。俺には単に心細い時に優しくされたから懐いてるだけなんじゃないかと思う時もあります」

 持田さんは笑った。
「手続きをした俺に感動したような尊敬の眼差しで玄樹げんきくんはお礼を言ってくれましたが、春野くんが普段『帰るぞ』って言う時の一割の熱も帯びていませんでしたよ。
 玄樹げんきくんはメリットや優劣で恋人を決めるような人ではないでしょう?」

 それは確かに。

 持田さんが優しい表情で続ける。
「副社長は話を聞き出すのが上手いんです。
 玄樹げんきくんは簡単に白状させられていましたよ。
 『かっこいい』『大人』『意外とワイルド』『でも時々かわいい』『だけど絶対にまだ僕が知らない部分があって、それを全部知りたい』。
 玄樹げんきくんが知りたいというのはそういう部分じゃないですか?」

 本当に?

 あんなにぐったりさせた今もそう思ってくれてるだろうか。虚ろな目になっても休ませなかった俺を今も大人だと思ってくれてるだろうか。あんなやり方をワイルドという言葉で片付けてくれるだろうか。
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