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松穂

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第1部

杉浦崇宏のおとぼけM会議

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 五月末日、クロカワフーズの本社ビル内にある営業事業部室。
 マネージャー会議のため朝早くに出勤してきた杉浦崇宏は、まだ誰もいない部屋の中にただ一人、自分のデスクに座り手元の資料に目を通す、愛すべき後輩の姿を目にする。

「おーっす、早いじゃーん、ゆ・う・じ・く~ん? ごっ機嫌いかがー?」
 ことさら耳障りな声音でわざとしな垂れかかれば、すっとつれなく背を向ける鉄仮面な後輩、黒河侑司。
 杉浦はふふん、と鼻で笑うと、彼の隣にどさっと腰掛けた。
「どう? 『アーコレード』に少しは慣れたー? 学生アルバイトに交じってやるのもなかなかいいもんでしょー? 若さと馬鹿さと素直さが新鮮だよねー。あ、店長連中も扱いやすくていいよなぁー。融通利くしちょっとくらい放っておいてもせっせと仕事してくれるしー。いいよなぁ~、俺も『アーコレード』に戻りたいなぁ~」
 チャラチャランと音がするほど軽快にまくしたてるも、隣の男はまるで完全無視。
 ふーんだ、そっちが無視すんなら切り札出しちゃうもんねー、と杉浦はニヤリする。
 デスクチェアに座ったままツィッと侑司のそばに寄り、杉浦はわざとらしく声をひそめた。

「……こないだデートしたんだって?」 
 無表情であった端正な横顔の片眉が、ピクリと小さく反応したのを見逃さない杉浦は、してやったとばかりにほくそ笑んで、後輩の肩をガッシと組んだ。
「ふふーん、そんな顔しなくたっていいじゃーん。俺の情報網を甘く見ちゃだめだよ、ユージくん。……ああ、大丈夫大丈夫。言いふらしたりなんかしないさー。何たってボクは気高くみやびなジェントルマンだしー? 二人の関係にチャチャ入れるなんてヤボなことはしないさー、うんうん……しっかしさー、『兆京』なんて色気のないとこに行かなくってもさー、もっとオッサレーなデートスポッ……――ってぇッッ!」

 スッパーッン!と小気味よい音を、後頭部で炸裂させた杉浦は、ぐぅぅとデスクに突っ伏す。
「何、朝からペラペラ無駄口叩いてんだ、杉」
 手に丸めた凶器――否、新聞を持ち、恐ろしく不機嫌な顔で背後に立つ男――現『櫻華亭』担当マネージャーの鶴岡である。
 現在四十歳と少々、面長気味のくっきりとした顔立ちに鋭さと精悍さを漂わせ、悔しくもそのカテゴライズ先は “渋イイ男” 。……が、この上司も、客や取引先の前以外では一切の愛嬌を見せない強面の持ち主で、杉浦自身、優しく笑いかけていただいた記憶はゼロである。
 さらに、経営マネジメントに関する手腕は、マネージャー陣のボス、徳永GM(ジェネラル・マネージャー)に次ぐ腕を持っているとも言われるほどで、杉浦の逆らえない人物第三位に位置する人物でもあるのだ。
 ちなみに第二位は徳永GM、第一位は黒河沙紀絵統括部長となっている。

「相変わらず、思い切り来ますねー、鶴さーん。舌噛むかと思いましたよ」
「噛み切って舌切りスズメになっちまえ」
「意地悪ばあさんは、蛇や妖怪に食い殺されますからねー」
「誰がばあさんだ。んなことより……杉、いよいよ大詰めだ。和史の説得、急げ」
 鋭い一瞥を投げかけられて、杉浦はこれ見よがしに嘆息する。

 洋風割烹『紫櫻庵-SHIOUAN』は、見切り発車と言えるほど急ごしらえであったが、プレオープンとなるオープニングレセプションに向けて、意外にも段取りよく準備が進んでいた。
 クロカワフーズと業務提携している米国のFCIC上層部が『紫櫻庵』の展開に想像以上の期待を示し、想定していた障害がほとんどなかった、というのも大きな一因だろう。
 ただ一つ、いまだに黒河和史――現『櫻華亭』麻布店チーフが、『紫櫻庵』の料理長の座を拒否したままだ。杉浦も機会あるごとに宥めてすかして、おだてて叱って脅してまでみるが、絶対に首を縦に振ろうとしない。……あの頑固者め。
 そもそもこの “洋風割烹” なる新案を出したのは和史である。
 日本における “洋食” というカテゴリーは、もとは西洋料理が基盤となり、日本人が戦前戦後の長い歴史をかけて独自に作り上げてきたものだ。日本古来より発展してきた割烹――いわゆる会席料理と比べて、同じ “コース” 料理でも、その形態は大きく違う。
 そこを敢えて融合させ、一つの新しいカテゴリーとして確立させる、という和史の案は、クロカワフーズの大御所連中に加え、総師黒河紀生にさえも賛同を得られ、当然黒河和史がその料理長に就き一切合財の監修を行うと、誰もが思っていた。
 が、いざ新事業展開の決定が下され、米国のFCICとの提携も好感触で済み、さぁいよいよ具体的な要素を詰めるぞ、となったその時、和史は料理長の座を拒否したのだ。

 ――あんのヤロー……最初っからそのつもりだったな……
 杉浦も大きく舌打ちしたものである。
 黒河和史という男、決して責任逃れをするような人間ではないことくらい、杉浦は承知の上だ。何故この大役を引き受けないのか、というのも、実は嫌になるほど承知の上だ。
 ぶっちゃければ、和史はこの小さなクロカワフーズという鳥籠から広い外界へ飛び出したくて仕方ないのだ。ただでさえ黒河家の嫡男という太い鎖で縛りつけられているのに、新業態の料理長などという新たな枷を嵌められるのは、和史の本能が拒絶を示すのだろう。天賦の才を持つ料理人にとって、一介の組織に収まる事自体が相当の精神的苦行を強いるらしい。凡人には理解できかねる苦悩ではある。
 つまるところ、 “和史の説得役” という大任など、まったく成功する気がしない杉浦なのである。

「あいつが俺の言うこと、聞いた試しがないんですけどね―……」
 怨みがましく漏らす杉浦の隣で、寡黙な後輩がパサリと、会議資料を静かにめくった。


* * * * *


「……そこにあるように、食材のうち精肉は他店舗と同様、『兆京精肉』でいく。トランスラインが気にかかるところだが、幸い『兆京』は第二工場が新設されて、そちらから出荷のほうがコストも低い。樋上社長も快く受けてくださったので問題はないだろう。野菜、加工品、米などはシングラーホテルとの兼ね合いで新規の取引先となる。……品質については和史が全部チェック済みだ。あとは……鮮魚、なんだが……」
「『紫櫻庵』で使う鮮魚は、今までうちで使っていたそれより、量も種類も倍以上ですよね。やはり『そがや水産』では賄えないのでは?」
「確かに、それはある。しかし他に、と考えると一つに絞りきれない。和史は素材ごとに受注先を変えたい意向だが、コスト面を考えると……」

 ――会議は進む。
 ここに居並ぶマネージャー陣は、いわばクロカワフーズの大脳ブレインと言っても過言ではなく、ここで決められた大筋に沿って役職が細部を詰め、現場が動く。
 料理人の中にはまず居ないが、給仕人の中には端からマネジメントを希望して入社してくる人間もいて、表向きは花形部署のように思われている営業事業部。だがしかし、そうそう甘いモンではないのだ。
 実際、小さな組織故に気心が知れて融通が利く半面、マネージャー各々に課される仕事量は半端ない。それをこなせる器量だと認められているからこそ、こうしてここに顔を並べてはいるのだが、最近、日を重ねるごとにそのハードルが高くなっているような気がする。……お前なら余裕だろ?の言葉に、踊らされていないかオレ。

 連日『紫櫻庵』のオープン準備に追われていい加減病みそうな杉浦は、煩わしいだけの会議の内容など聞いちゃいない。神妙な顔を作り手元の資料へ目を落としているが、内心は大口を開けて欠伸をかましたい気分だ。
 厨房関係の詳細は、はっきりいって杉浦の管轄ではない。いや、総責任者という大任を預かっているのだから(強制的にだとしても)、すべてを把握しておかなければならないのは当然なのだが、興味が湧かないものには集中できないというものだ。
 主として、そこで働くスタッフの人選から教育に関して携わることが多い杉浦は、食材調達云々の話より、優秀な人材をどこから引っ張ってくるか、その人材をどう育てていくか、といった話の方が数倍楽しいのだ。
 ……そーゆー話は和史がいるとこでやったらどーですかー。

 漏れ出そうになる欠伸を誤魔化すように資料をめくれば、『フィーデール・インターナショナル・ホール』の文字。
 新橋にある多目的劇場ホール、FCICが経営する最新設備の整った、国内でも有数の大型施設だ。
 そこに、『紫櫻庵』は開店する。

 ――絢爛豪華、ハイグレイド・ラグジュアリー……ってかー? こりゃ、レセプションのゲスト、 “らなきゃ” ねー……。

 いささか腹黒い思考の片隅でふと思い出す、三年前にオープンした郊外の町の小さな店。
 今現在、八割方が地元住民のリピーターによって支えられているその店は、開店当初から豪華さも贅沢感もない素朴な雰囲気の店だった。オープニングレセプションが催されることもなく、静かにそのスタートを切った初日の売り上げ――わずか四万円弱。あの衝撃は今でも忘れられない。
 こりゃ失敗か、と肩を落としたのもつかの間、三年足らずのうちにその店の利益率は社内トップクラスに伸し上がった。
 杉浦の経験上、そんな不可思議な店は初めてだ。
 一か月ほど前まで担当していたその店『アーコレード』慧徳学園前店は、その始まり方も非常に面白く不可思議な店だった。


* * * * *


 ――『アーコレード』の第三番目となる新店舗をオープンする。
 その旨が杉浦に伝えられたのは、三年半前の秋頃のことだ。
 すでに開店から数年経っている『アーコレード』渋谷店、恵比寿店はともに順調で、クロカワフーズ首脳陣の間でも、次の店舗はどうか、という話が出始めていた頃だった。
 しかし当時、その詳細を聞かされた杉浦は、少々妙だな、と感じた。
 新規オープンする予定地は、都心から郊外に走る私鉄線の一駅、慧徳学園前駅から徒歩五分の場所。その名も『アーコレード』慧徳学園前店。
 かの地慧徳学園前は、杉浦にとって長年通い続けた母校のある土地である。おやおや、何とも懐かしい場所じゃないですか、と奇遇に驚く一方で、都心から離れたこの地を選んだその理由がいまいちよくわからず、訝しんだ。
 とはいうものの、新店舗オープンはすでに決定事項である。杉浦は懐かしさよりもチクチクと疼く一抹の違和感を多く内に秘めたまま、担当マネージャーとして動き出した。

 ――秋も深まった十一月初め。
 杉浦はジェネラル・マネージャーの徳永とともに、街路樹の色づいた葉がひっきりなしに舞い落ちる閑静な道路沿いを進んでいた。個人自営のとある洋食レストランへと赴くためだ。
 母校の敷地からそう離れていない場所にもかかわらず、『敦房とんぽう』というその小さなレストランの前に立った時、杉浦は「へぇ、こんな所に」と思った。かつてこの地で過ごした若き時間の中に、この店は確かに在ったはずなのに、杉浦の記憶にはない。
 よほど閑古鳥が鳴いていたのだろうか、と思いきや、そうでもないらしい。
 古びた店構えではあったが雰囲気は悪くなく、地元の常連客を中心とした集客もコンスタントにあり、それなりに繁盛していたようだ。
 その店を経営しているのは、濱野哲矢という人物。コックというより “マスター” という風情で、口ひげをはやした小柄な男性だ。妻の美津子と二名のアルバイトの助力で、店は切り盛りされてきたそうだ。
 それが、ある事情により店舗運営が不可能となった。土地ごと店舗売却を希望するという。
 店舗売却の流れとして通常ならば、不動産なり委託運営会社なりが仲介に入り、店舗調査査定の後、売却価格などを決定していくのだが、ここ『敦房』に仲介者が入った様子はなく、店主の濱野哲矢とクロカワフーズの両者のみで契約を交わしていることが、気になった。

 ――全ての権利をクロカワフーズに売り渡す代わりに、契約締結や物件引き渡しを含めた完全撤退を年内に済ませたい。さらに、今まで店で働いていた二名のアルバイトを、新しく開業する店で雇用して欲しい――

 ……ここでも杉浦の違和感は膨らむ。
 交換条件に、アルバイト二名をこっちで雇え、だと……?
 企業同士の買収契約ならいざ知らず、個人経営の店でそれを出す? 聞きようによっては “厚かましさ” とも取れてしまう。
 しかし杉浦の困惑などものともせず、話はとんとん拍子に進んでいく。それこそ、前もってレールが引かれていたかのごとく。そして何回目かの訪問時、濱野夫妻から紹介されたその店のアルバイト二人――それが、当時高校生の矢沢遼平と短大生の水奈瀬葵であった。

 晩秋の儚い外光が薄く差し込む狭い店内で、杉浦は徳永の傍に控え、二人の若人と対峙した。
 臨時休業中だという店内は、繁盛する店が醸し出す “覇気” が薄かった。これまで多くの店の栄枯盛衰を目にしてきた杉浦には、この店がすでに終焉へ向かっていると嫌でもわかってしまう。若人に寄り添う濱野夫妻が、それを甘んじて受け入れていることもだ。
 その二人が是非にと一押しする若者たちは、 “託された者” だと、その時初めて気づいた。

 濱野哲矢の甥っ子だという矢沢遼平は、色が白く無口そうな少年だった。思春期特有の伏せ目がちな面には隠しきれない緊張をはらみ、それでも時折こちらに向ける双眸は不自然に揺れたりせず、物事に一途な性格を窺わせる。
 ――ふぅん、なかなかいい素材だねぇ? こいつも極度の人見知り体質だな……こういうタイプは接客業不可だけど、調理人としては問題ない……上手く伸ばせば良いコックになるかも……上につく人間次第ってとこか……
 習い症の観察眼で、杉浦は矢沢遼平を “悪くない” と評した。
 次いで隣に座る短大生水奈瀬葵を、読む、、。……が、こちらはすぐに判定できなかった。
 ――へぇ、カッワイー……けど、こりゃ……うーん……無理なんじゃない……?
 杉浦の、水奈瀬葵に対する初見分析は、微妙なものだった。
 それは彼女の人間性をどうこういったものではなく、あくまでも、クロカワフーズで使えるか否か、という判断だ。
 高校生にも見られなくはない幼さを残した愛らしい顔立ちの水奈瀬葵は、澄んだ瞳と静かながらも明瞭な受け答え、礼を弁え分別を持ち合わせた態度で、杉浦でなくとも、彼女が躾の行き届いた良いお嬢さん、だとわかるだろう。真っ直ぐ向ける視線で内にある芯の強さも窺える。
 しかしながら、その体躯の細さ(現在の彼女より七、八キロは痩せていただろう)と顔色の悪さ、そして何よりも、何かを堪えるような、必死で何かを抑えつけているような悲壮感が、鋭敏な観察眼を持った杉浦の目に色濃く映った。体力勝負な部分もある飲食業において、こりゃ耐えられるかな……と懸念したのも至極当然だ。
 血の気の薄い顔で頭を下げ「ぜひ働かせて下さい」と、確固とした決心を見せる水奈瀬葵。
 その傍で、慈愛に満ちた気づかうような眼差しを彼女に向ける濱野夫妻。
 ――明らかに何かワケあり、、、、
 杉浦よりもさらに鋭敏なボス徳永がそれに気づかないはずはないのだが、正社員として雇用される水奈瀬葵には、後日本社において正式な面接を要することだけが伝えられ、短い対面の時間はあっけなく終わった。
 この時点で、水奈瀬葵と矢沢遼平が来春開業の『アーコレード』慧徳学園前店で雇用されることは、まるで予定調和のごとく決まっていた。

 杉浦の知らない何かを孕んだ、新店舗『アーコレード』慧徳学園前店、開業計画。
 募る違和感は杉浦のツボを絶え間なくツンツンとせっつき、不可解な謎は杉浦の感所をツツ―っとくすぐる。
 対面後、店を後にした杉浦は、徳永と並んで路上の落ち葉を踏みしだきながら切り出してみる。
「徳さーん、あの店、何が、、あるんですー?」
「俺は社の決定を遂行するだけだ。何も知らん」
 トレンチコートの襟を風に立てて歩く徳永は、一見ドラマに出てくる熟練刑事のようだ。そんな彼の言葉尻を捉え、杉浦は憶測を巡らせてみる。
「社の決定って……なるほど……ふうん “総師” かぁ。この話、社長直々だったでしょ? 妙だと思ったんですよねー。あの濱野オーナーは総師の知り合いってとこかなー……それも浅からぬ、薄からぬ?」 
「さあな。お前なら、、、、、すぐわかるんじゃないか?」
 返す徳永はさすがの海千山千、杉浦のカマかけにも応じず薄ら笑うだけだ。

 徳永の言う通り、その後、杉浦はそれとなくあちこち嗅ぎまわり、濱野哲矢とクロカワフーズの間に関する秘められた(というわけでもなかったが)過去を割とあっさり知ることになるのだが、この時はさすがに知る由もない。
 飄々と帰路を行く徳永に、食えないオヤジー、と毒づいて杉浦はニヤリと笑ったものだ。
 ――まあいいさー。仕事は、面白く、、、なきゃねー。

 脳裏に残る、ワケあり娘の気丈な眼差し。
『――ぜひ、働かせて下さい。お願いします』

 少なくとも、上っ面の作られた台詞じゃなかったことは、確かだった。


* * * * *


「……ぎうら? 杉浦? 聞いてんのかっ! 杉!」
 耳元で “鬼鶴” こと鶴岡の怒号が炸裂し、杉浦は飛んでいた意識を慌てて元に戻す。
「てめぇ、居眠りとはいい度胸だな」
 ドスの利いたその筋も真っ青な声音の鶴岡に、杉浦は「まさかー」と笑って見せる。
「……で? 聞いてたんならわかるだろ。お前はどう思うんだ?」
 ボス徳永が意地の悪い目を向ける。
 フン、と一息鼻から出すと、杉浦は気怠く資料を指差した。

「ここにあるこの数字は、たぶん過小見積り……おそらくこの三割増しは下らない人数になると思いますよ。会場を隣のホテルで、というホテル側の言い分はわかりますけど、俺はこの際『フィーデール・インターナショナル・ホール』と、『ホテルシングラ―・インターナショナル汐留』は切り離して考えた方がいいと思いますね。いくら元会社が同じで隣接しているとはいえ、ホテルとホールの経営陣はまるで別です。……特に、ホテルと違ってホールの館長はFCIC出身者じゃない。俺もまだ挨拶程度しかしてませんが、あの館長は独自の経営方針を貫くワンマンタイプ……となれば、最初だけでも味方につけておいた方が後々やりやすく、またゲストの印象もいいはずです。いったん軌道に乗せてしまえば、あとはこちらが主導権を握ることも容易いですし、今はホール側の主張に従うべきだと、俺は考えますね」

 ……俺様の “仕事しているふり” スキルを舐めんなよ?
 不敵な笑みで言い切った杉浦に、徳永も口角を上げてうなずいた。
「なるほど、お前らしい考えだな。侑司、お前はどう思う?」
 次いで振られた黒河侑司は、一旦資料に目を落とした後、その双眸を徳永に向けた。

「……自分も、ホールを会場にした方がいいと思います。どのみち店外会場となるなら、ホールのワンフロアを借り切った方が、今後のパーティー予約受注のアピールにもなります。厨房設備が気になりますが、幸いいくつかのフロア会場には、最低限のものが揃っているそうですし……厨房にしても給仕にしても、ゲストが料理を口にするタイミング、というのが他の何より大事なことです。店舗厨房も使うつもりなら、会場はなるべく店舗厨房に近いほうがいいと思いますね」
「そうだな……当日の流れからいっても、ホテルを会場にするよりはメリットがある。ネックは “水回り” か……」

 静かな低い声音で淡々と述べた侑司に、鶴岡も頷いて賛同する。
 侑司は無表情のまま、また視線を資料に落とした。
 そんな彼を横目でちらりと見て、ホントにこの男は余計な動きが一切ないなー、と杉浦は思う。
 鼻をかいたり、足を揺すったり、組み直したり……といった人間らしい動きに乏しい。ペンを回すことさえせずに、ただ眼前の事態に集中する。
 そういうところも、サイボーグ呼ばわりされる所以だと、杉浦は思う。
 ――中身は意外と人間くさいんだけどねー。

 杉浦は知っている。
 ワケありレストラン『敦房』閉店の話を持ってきたのが、他ならぬ黒河侑司であったこと。
 その際、かの店でアルバイトとして雇われていた女子学生が正社員として雇用可能かどうか、ぜひ面接してやって欲しいと侑司自ら社長に頭を下げたこと。
 そこに至る経緯がどのようなものであったか、杉浦が侑司から直接聞いたことはないが、大体の調べは付いている。
 ――Tのつくサイボーグと呼ばれる彼の義理人情は、そん所そこらの人間よりも深く麗しいのである。

 ……会議は続く。
 まだまだ時間かかりそうだな……と、杉浦は再度意識をそらしかけた。ふと視線を感じて目線を上げれば、向かいに座る西条マネージャーと目が合う。
 年齢不詳、国籍不詳のこの男は、現『プルナス』担当マネージャー、いまいち杉浦にも読み切れない人物だ。
 彼は彫りの深い顔で小さく笑うと、色薄いその瞳をパチッとウインクした。


* * * * *


「……しょうがねーなー……こうなったら奥の手だなー……ちっきしょー……ただでさえ忙しいのに……こんなことで時間くってる暇ないっつーの……」

 会議終了後、杉浦は昼食もとらずにぶつぶつ悪態をつきつつ、二階の総務部兼経理部室へ向かう。黒河和史の恋人――いや婚約者というべきか――宇佐美奈々に会うためだ。
 『紫櫻庵』料理長就任の件、もはや自分の手には負えん!と判断した杉浦は、彼の婚約者も巻き込むことにした。小賢しいと言われても、もう手段を選んではいられない。
 経理を初めとする事務仕事全般を担当する総務部兼経理部には、現在二人の社員しかおらず、そのうちの一人が主婦でパート扱いとなっている。よって、宇佐美奈々がクロカワフーズの雑務を請け負う主原力と言ってもいい。この時間、昼食かお遣いかで外に出ている可能性もあるが、どうか居てくれと願いつつドアを開ける。

「ウーサーちゃん、あーそびーましょ」
 総務部室に入れば、野郎臭さが染みついたような営業事業部室とは異なる、明るい爽やかな空気。
「――あれ、ユージくん」
 思わず深呼吸しそうになった杉浦の目に、総務のデスクに一人座ってパソコンを覗いている黒河侑司の姿が目に入った。珍しくその無表情は剥がれ、眉根を寄せて難しい顔だ。
「あれれ、どーしたのユージくーん。君もウサちゃんと遊びに来たのー? ん? なになに、今月の勤務管理表? あ、それ慧徳のじゃん。なんでそんなの……って、まさかー……」
 思い当たる節に、杉浦も身をかがめてパソコン画面を注視する。
 すると侑司は、画面のポインタをある箇所で止めた。
「……この日、それからこの日も、たぶんフェイクです」
「マジでー? こりゃお仕置きせねばなるまいなー。 あ、この半休も嘘だよ。だって俺、この日の夜、店に電話したらアオイちゃんいたもん。間違いない」
 ものの見事に残業無し、規定勤務時間内で申請しているが、それが嘘だと杉浦は知っている。彼女の超過勤務時間はおそらくクロカワフーズ役職者の中でもトップ5位内だ。どんだけお仕事好きなの?と言いたい。
「……今までもこうだったんですか?」
「んー、たまにね。注意はしてたんだけど、『ほんのちょっとだけです。残業ってほどじゃありません』とか『早く来すぎただけですよ?』とか、可愛い顔で言われちゃうとつい……んー、そう?ってなっちゃってさー……」
 てへへ、と杉浦自身も可愛らしく笑って見せたが、目の前の男はすっと細めた冷たい一瞥を返してきた。……怖。

「ダメですよ、杉浦さん」
 そこへ、隣の経理部室に続くドアからぴょこっと顔を出した宇佐美奈々。……おお、救いの女神、ここに在り。
「たとえ損しようが、超過勤務時間の誤魔化しはルール違反です。お仕事柄、どうしても規定通りいかないのはわかりますけど、なるべく超過勤務は避けるよう、休みをまわしてください。働かせすぎは上司の責任ですよ?」
 経理部室の鍵をかけてから杉浦たちの傍までやって来た彼女は、相変わらずポワポワと癒される顔でくすくすと笑う。

「だよねー、ウサちゃん。俺もそー思うー。ほら、ユージくん! 上司としてビシッと言ってあげて! アオイちゃんは放っておくと勝手に三十一連勤するからね、しっかり教育してあ――」
「――杉浦さん」

 ――デデンデンデデン。
 すっと立ち上がったTボーグ侑司は、悔しい事に杉浦より数センチ目線が上だ。しかも攻撃性のある強い双眸がさらに杉浦を縮こませる。
「は、はい、何でしょう、ユージくん……」
「渋谷のノベルティ梱包外注の件、最初の五百は間に合わないそうです。渋谷スタッフ全員総出で梱包することになります」
「あ、そそ、そうなんだー。悪いねー、手間かけさせてー。あ、俺の方から外注先に一報入れてお――」
「外注先とは交渉済みです。杉浦さんは、牧野店長に、、、、、一報入れてください」
「ゲッ……! い、いや、それはちょっと……あ、ちょ、ちょっと待って……ユージ!」

「ありがとうございました」と小さく宇佐美奈々に告げた侑司は、長い脚で颯爽と総務部室を出て行ってしまう。
「……仕方ないじゃーん! 俺だって忙しくって死にそーなんだぞ! 一個くらいミスしたからって……」
「……杉浦さん?」
 キョトンと小首を傾げた宇佐美奈々に、杉浦は力なく笑う。
「ま、俺が悪いんだけどねー。……さてと、ウサちゃん。ちょおっと、相談したいことがあるんだけどさー……」

 まったく、後から後から厄介なことばかり……杉浦はうんざりする気持ちを抑え込み、目下の障壁を取り除く鍵を握る、救いの女神にニッコリと向き直った。




 
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