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松穂

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第2部

ビンゴゲームで、BINGO!

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 葵と木戸穂菜美は、人の群れをすり抜けながら、凹部中央にある中庭に出た。
 少し日が傾きかけた屋外は、ほんのり蜂蜜がかかったような西日の光に包まれている。思わず転がりたくなる深緑の芝生の上に、緩やかな曲線を描く白い道。シュールな文様を作り出しているその広場は、色々な形に刈りそろえられた植え込みが点在し、モダンな意匠を凝らしたベンチがいくつも置いてある。建物にほど近い場所には白いクロスをかけた丸いテーブルが数台並んでおり、そこでもグラスや皿片手に談笑するゲストが多く見られた。
 そして、中庭のほぼ中央付近に若い男女が何人も集まっている。その中心に今日の主役の二人がいた。

「あー、囲まれちゃってますね……。木戸さん、ちょっと待ちましょうか」
 囲まれ冷やかされ、カメラや携帯を向けられる中、にこやかに寄り添う二人は、遠目から見ても幸せそうだ。しかしながら、あの集団の中に割り込んでいくのも気が引ける。
 辺りを見渡した葵は、手近に空いていたベンチを見つけ、木戸を促して並んで腰掛けた。
 楽しげな笑い声が、葵たちの元まで零れ届いてくる。
 新郎新婦は双方、純白の衣装を身にまとった王子様とお姫様のようだ。特に小柄な宇佐美奈々は、ミモレ丈の真っ白いドレスが可憐で愛らしい。頭上には肩先までのベール、小ぶりのティアラがキラキラと光っている。

「……宇佐美さん、白い妖精みたいですねぇ」
 ほぅ、と感嘆の溜息を交えつつ漏らした葵だったが、同じ方を見ているはずの木戸から何の反応もない。
「……木戸さん?」
「……あ……、ごめんなさい。そうね……とても綺麗」
「ふふ……木戸さんも綺麗ですよ? さっきも言いましたけど。今日のドレスとっても素敵。すごく似合ってます」
 できるだけ明るく葵は言ったが、木戸は浮かない顔のまま目を伏せてしまった。
「……私、来なければよかったかも……」
「え……?」
「……だって私、新郎新婦とは特に仲がいいわけでもないし……」
「あー、えっと……私も黒河チーフとはほとんどお話したことないですよ。でも、宇佐美さんは経理関係でお世話になってますし……」
「私は……新婦さんともお話したこと、ないもの」
「……そう、ですか……」

 どんどん下降していく木戸の声を聞きながら、葵は変だな、と思った。
 木戸穂菜美は赤坂店の副支配人アテンドだ。副支配人ともなれば、必ず事務経理室の人間と接点があるはずなのだが。
 そんな葵の困惑を感じたのだろうか、木戸は顔を上げて葵を見て、歪んだような笑みを浮かべた。
「……私ね、何も任されていないの。お金のことも、会議の資料作りも、月締めとか……イベントのことも。シフトだって、私が組むとスタッフから散々文句言われるの。結局私には任せられない、って……。どうせ私、仕事ができないから」
「そんな、こと……」
 なんと言うべきか言葉を探す葵の隣で、木戸は自嘲的な笑みを浮かべたまま続ける。
「本当はね、もうこんな仕事辞めたいの。私、接客がやりたかったわけじゃないのに、いつの間にか給仕に回されて……毎日、辛くて堪らないの」
「……木戸さん……」
「だって……慣れてないんだからミスするのは当たり前じゃない? なのに、いつも私だけ叱られて責められて。……私が悪いの? 何も教えてくれないくせにミスしたら私のせい? 赤坂は……ううん、『櫻華亭』は冷たい人ばっかりよ」
 ちょっと待って……葵の頭の中に、スルーできない違和感がボコボコと湧いて出る。
 ――今の彼女の台詞は、何かが違う。

「木戸さん……あの、私だってミスはたくさんしますし、その度に叱られます。でもそれは、仕事を覚えるために必要なこ――」
「水奈瀬さん。……悪いけど、『アーコレード』と『櫻華亭』は違うと思う。……『櫻華亭』の仕事って本当に辛いの……ほんの少しのミスも絶対に許されないの。ミスした人間は、嫌われて無視されるわ。……さっきも見たでしょう? 麻布の大久保さんは私のこと嫌ってる……たぶん私のこと、仕事ができない女、って見下しているの」
「そ、そんなこと――、」
 突っ込みどころが多々あり過ぎて二の句が継げない。
 確かに、『アーコレード』と『櫻華亭』は違うが、ミスした人間を嫌って無視するようなスタッフが『櫻華亭』のどの店舗にもいるとは思えない。もちろん、大久保に限っても、ない。

「……あの、大久保さんは、ミスしたからって……そんな理由で人を見下すなんてしません。本当です。何だったら、木戸さんが悩んでいることとか、大久保さんに相談してみたらどうですか? 大久保さん、クールに見えて実は人情に厚いっていうか……困っている人を放っておけない優しい人です。だから、木戸さんの話も絶対聞いてくれます」
 葵だって、大久保にはたくさんいいアドバイスをもらってきた。そこに必ず厳しい言葉はついてくるが、彼女の視点と考え方は絶対的に “フェア” だ。だから、信頼できる。
 しかし、葵の確信を持ったその言葉も、木戸はゆるゆると頭を振って否定した。
「……それは、無理ね」
 傾きを増した西日の光が、木戸の横顔に陰鬱な影を落とす。
「大久保さんに私の気持ちをわかってもらえるとは思えない……『櫻華亭』の中でもホテル店舗は特別に大変なの。定休日はないしホテルの規則はうるさいし、お客様は気難しくて我儘な人ばっかりだし」
「でも、大久保さんだって前は――、」
「本店や麻布は、きっと優しい客が多いに決まっているわ。うちに来るような高飛車な客なんていないと思う。だって、スープが熱すぎるって理由だけで文句言われるのよ?」
「ス、スープ、ですか……?」
「いつもはアテンドの仕事を教えてくれるわけじゃないのに、変な客が来ると、アテンドなんだからってみんな私に押し付けて……私のせいじゃないのに私が客に叱られるの。いつもいつも、悪いのは全部、私」
「そんな……でも、お客様だって、きちんと要望を聞いてちゃんとお詫びすれば――、」
「お詫び? 訛りのきつい早口の英語で捲し立てられて、何を言っているか全くわからないのに、お詫びなんかできないじゃない」
「――い、いえ、でも――、」
「海外の人だけじゃないの、外資系ホテルを利用する人って、こっちの言い分に耳も貸さない傲慢な人間ばっかりよ。毎日毎日、私は何も悪くないのにどうして客に頭下げなきゃならないの?」
「―― “言い分” って、それは――、」
「……本当に疲れるわ……クロカワフーズなんかに就職するんじゃなかった……」
「木戸さん……」
 聞けば聞くほど、脳内に響く不協和音はガンガンと大きくなるばかりで、葵は何だか頭が痛くなってきた。
 ―― “こっちの言い分” ? 違う、言い分なんて出しちゃいけない。だって相手は “お客様” なのだから――、
 葵が返す言葉を完全に組む間もなく、木戸はぽつりと無造作に言った。

「……『アーコレード』はいいよね。仲が良くて楽しそうで。仕事もらくそうだし、海外のVIPなんか来なさそうだし……」

 何故か、カッと身体中が熱くなった。
 怒りなのか恥辱なのか、よくわからない感情が葵の全身を駆け巡り支配する。思わず口を吐いて飛び出しそうになるほど膨らんだ反論の数々は、次の瞬間、喉元で詰まった。

「やっぱり……私の気持ちをわかってくれるのは、黒河マネージャーだけ」

 遠くで、キャーという一際華やかな歓声が起こった。
 若い集団の真ん中に、新郎が新婦を抱き上げているのが見える……それこそホンモノの “お姫様抱っこ” だ。
 急膨張しかけた何かは、その形を変じてしぼんでいく。
 葵は、キャーキャーと黄色い歓声が上がる集団を、虚脱したような心地で見つめた。
 ほどなくして、若い集団はようやく写真撮影を終えたようだ。レストランの方へ戻っていく若者たちに囲まれながら、新郎新婦も歩き出している。

「ごめんなさい……私、お手洗いに行ってくる」
 不意に木戸は立ち上がってふわりとドレスの裾を翻し、元来た道――新郎新婦とは逆の方――へ、戻ってしまった。

 ベンチに腰掛けたまま、葵はゆっくりと落ちていく陽光を、茫然と浴びていた。
 先ほど感じた一瞬の激情は、嘘みたいに消えている。だが、何だか無性に悲しくて、無性にやるせなかった。
 ボーっとしていた時間は五分ほどだっただろうか。背後から「葵ちゃん」と声をかけられた。
「どうしたの? 木戸さんは?」と心配そうに覗き込んでくる牧野女史を見上げ、葵はちょっと泣きたくなった。


* * * * *


『――では次のナンバーです! ……《18》! 《18》です! ビンゴの方、いらっしゃいませんかー?』
 ガラガラと回転するビンゴマシンを取り囲むように、ざわざわと人垣ができている。
 少し離れたベンチソファの一角には、マイクの声しか届かないが。

「――ちぇ、全然こないぜ。……ねぇねぇ、葵ちゃん。俺らさ、パーティー始まる前に、スッゲー人を見かけちゃったんだよね」
「そうそう、まさかこんなところにいるとはね。ビックリだったぜ……あれ、葵ちゃん、《18》あるじゃん。ほら、リーチ」
「え……あ、ホントだ」
 小野寺兄弟に手元のビンゴカードを覗き込まれて、葵は慌ててカードの《18》の爪を立てた。確かに、あと一つで “ビンゴ” だ。

 あの後、葵は牧野に付き添われ、新郎新婦の二人に挨拶することができた。にこやかで幸せそうな二人は、快く写真も一緒に撮らせてくれた。
 牧野女史には、木戸がお手洗いに行ったことだけを伝えた。彼女が語ったいくつかのやるせない話がチリチリと胸奥に引っかかっていたが、牧野女史に打ち明けることはできなかった。
 何となく察したのか、牧野はそれ以上聞いてこなかったけれど。
 結局あれから木戸穂菜美は、葵の元へ戻ってくることはなかった。

 しばらくして、会場内でビンゴゲームが始まった。ゲームの進行は幹事である牧野夫婦だ。
 葵は大久保や諸岡たちがいるテーブルで、料理をつつきながら参加している。とはいえ、なかなかゲームに集中できず、思考はあちらこちらを上滑りしていた。
 どうしても、木戸穂菜美が吐き出した言葉の数々が胸に引っかかって落ち着かなかった。
 彼女があそこまで仕事に対し嫌悪感を持っているのも驚いたが、それ以上に、『アーコレード』を軽く見ているような言葉はショックであった。
 当の彼女はあのまま姿が見えない。先ほど女子トイレを覗いてみたがいなかった。まさかもう、帰ってしまったのだろうか。
 今日の結婚披露パーティーには、もちろんクロカワフーズの関係者が数多く出席しているが、その他、新郎や新婦の同窓生、親戚関係者なども多く出席しており、その数はざっと見ただけでも二百人近くはいる。当然、会場となったこのレストランは相当に広く、フロアも大きく三つほどに分かれている。もしかしたらここから見えないだけで、ホテル店舗の人たちがいる他のテーブルにでも行ってしまったのかもしれない。
 そう思ってはみるが、先ほどの陰鬱な話も相交じって、つい深く考え込んでしまう。さらに、彼女に対する仲間のどこか素っ気ない余所余所しい態度が、葵を酷く困惑させていた。他の誰もが、いなくなった彼女のことを気にしている様子がない。
 諸岡だけは先ほど「木戸さんは?」と聞いてきたので、牧野女史に告げた通りを話したのだが、「ふうん、そうなんだ」と言ったきり何もコメントはなかった。

『……私の気持ちをわかってくれるのは、黒河マネージャーだけ……』

 いや、彼女のことが気になる本当の理由は、あの言葉のせいだ。
 思い返せば、夏の納涼会の時――ロビーで葵が侑司と話をしていた時――、侑司を探しに来たと言っていた木戸は、彼を待っていた。そしてその後も、一緒にいたようだった。
 ――木戸さんの気持ちをわかってあげられるのは、黒河さんだけ……?
 そう考えると、どうしようもなく気が重く沈む。
 あの話を? 『アーコレード』はらくそうでいいよね、と言った彼女の言葉を、侑司は、理解してあげられるのだろうか。

『――リーチ? リーチかかりました? ……はい、リーチの方が何人かいらっしゃるようですね。次でビンゴが出るかもしれません! では、次のナンバーに行きます!』

 マイク越しの牧野女史の声に、葵はハッと視線をカードに戻す。
 ――聞いてなかった……ま、いっか。
 明瞭快活にゲームを進めていく牧野女史のマイクの声も耳を素通りし、漏れ出そうになる重たい溜息をぐっと飲みこんだ時、突如視界が遮られた。
「ほら、見てってば、葵ちゃん。これ、誰だかわっかるー?」
「俺のも見てよー、結構はっきり撮れたんだよねー」
「え、えーと……これは……誰、ですか……?」

 小野寺兄弟によって目の前に突き出された二つの携帯端末の画面にあるのは、どうやら女性の姿。
 どちらも離れた場所からズームアップして撮ったのであろうか、輪郭もぼやけてはっきりと顔は識別できない。
 大判のオーバルサングラスをかけて、濃紺のスリーブレスドレスを身にまとったその女性は、真っ黒いミニバンに乗り込もうとしているようだった。
「あれー、葵ちゃん、もしかして知らない?」
「超有名女優なのにー。 “橘ちひろ” だよ?」
「橘、ちひろ……ああ! こないだ連ドラがヒットしたとかの……」

 いつだったか、そんな話を聞いた記憶がプカンと浮いて出た。
 確かゴールデンウィーク中、お店へ来てくれた麻実やその仲間の話に出てきたのではなかったか。彼女が出演したドラマのロケ地が、慧徳の店の近くにあるとか何とか……
 ドラマを見たわけではないが、さすがの葵も名前と顔が一致する程度には知っている女優である。
 携帯端末の画面を見直し、「ああなるほどー、あの女優さんですかー」と呑気に感心する。そんな葵を見て、諸岡や大久保は呆れたように笑った。
「そういえば水奈瀬って、芸能人に関しては疎いよね。アスリート系は詳しいくせに」
「あはは、葵ちゃんらしい。ドラマとかあんまり見ないんだっけ?」
「テレビ自体、就職してからめっきり見る機会が減っちゃったんですよ。……えっと、何か撮影でもあったんですか?」
 特に驚きもしない葵の関心を惹きたいのか、再び小野寺兄弟がずいと割り込んでくる。
「それがさ、ここだけの話……黒河家と関係があるんじゃないか、って噂、あるんだよね」
「だって俺ら見たもんね、黒河マネと杉浦マネが――、」
「――ナニナニ、何の話ー?」
「あ、杉浦さん」
 不意に小野寺兄弟の双頭を割って、ひょいと顔を出したのは杉浦崇宏。親族らしく、黒スーツに白タイを着用して完全フォーマルスタイルだ。

「杉さん、どこにいたんですか? 全然姿を見せないから帰っちゃったのかと思いましたよ」
「いたよー? ほら、あっちの奥と二階が親族エリアみたくなっててさー、社長とか統括もあっちにいるんだよねー。こっちは若い者たちで盛り上がってるから、静かに飲みたい大人たちはあっちなのー」
 いつもと変わらぬ軽~い口調で諸岡に答えた杉浦は、葵に向かってにっこり笑う。
「やっほー、アオーイちゃーん。おやおや、今日はビックリするほど女子度が高いじゃーん? 女の子って着るものでこうも変わるもんだねー? ねぇ、ユージくーん?」

 ――ドキン、と葵の鼓動が跳ねあがった。
 杉浦が振り返って声をかけたその人は、人垣からゆっくりと姿を現す。
 彼、黒河侑司も、杉浦と同じくフォーマルスーツで白タイを締めていた。普段から見慣れているスーツ姿なのに、フォーマルだと醸し出すオーラはより一層大きく感じる。
「お、お疲れ様です……」
 どうにか絞り出した言葉は、危なく裏返りそうになる。
 すると突然、葵の隣に座る大久保が、ぐいと葵の肩をつかんで押し出した。
「黒河さん、どうですか葵ちゃん。いつもと雰囲気違いますよねー? このドレス、すごく似合っていると思いません?」
「え、あ、ちょっと、大久保さん……っ!」
 慌てる葵の目の前で、杉浦もニヤリと口端を上げた。
「エリちゃん、ボクも同感だなぁー。何て言うかさー、青くて固いと思っていた蕾が突然花開いた瞬間を目の当たりにしたっていうかさー、いやぁ、元上司としては鼻が高いよねー」
「あっはは、杉さんが言うと、何かセクハラー」
「エリちゃん、ジェントルなこのボクに向かってセクハラとは聞き捨てならないなぁ。ねー、アオイちゃん?」
 覗き込まれて、葵は真っ赤になっているだろう顔を思い切りしかめた。が、チャラ元上司はしれっとした様子で「あ、俺もビンゴに参加したーい」などと言っている。
 ――どーせ、青くて固いですよ。要するに色気がないって言いたいんでしょ!
 むぅと唇を突き出し拗ねた葵の視線が、侑司のそれと交わった。
 カチッと照準を当てられたような気がして、葵はドキドキ固まる。
 気恥ずかしい。どうしよう。えーと。

『――次は……《62》! 《62》です! ビンゴの方、いらっしゃいませんかー? ……あ、そこの男性の方! ……ビンゴですか? はい、ビンゴが出ました! おめでとうございまーす! どうぞこちらへ!』

 牧野女史の高らかな声が会場内に響き渡り、人混みの一角から若い男性が周りに囃し立てられながら出てきた。

「ほらほらー、ビンゴ出ちゃったじゃーん。一等賞品ってナニー? ……ホテルシングラー・インターナショナルのミレニアムスウィート? ペア一泊? マジで? どんだけ金使ってんのさー」
 景品の豪華さに目を見張るゲストらの眼前で、妖精のような新婦から一等賞品の目録がその男性に手渡され、会場内は歓声と拍手に包まれる。
 王子様のような新郎がその男性と肩を叩き合ったので、おそらく新郎の友人なのであろう。

「こりゃ二等賞品も期待できるねー? よっしゃ、俺もビンゴっちゃおう! ねーねー、どこかに余ってるカードないー?」
 ウキウキとベンチソファに陣取り、カードカード!と騒ぐ杉浦。
「えー、今からですかー?」
「今更じゃないですかー?」
 小野寺兄弟は白んだ目を向けるが、そこに坪井青年の無邪気な声が挿入した。
「あ! そーいえば、小野寺さんたちが何枚か余分にくすねてきましたよね?」
「ああっ? 坪っち、なんで言っちゃうかな!」
「坪っち、余計なこと言うんじゃねーよ!」
「ふっはっは……YOUたち! この杉さんのために持っているカードを全部出しちゃいなー! ……あ、ツボちゃん、『もう一度ナンバーの復唱をお願いしまーす』って叫んでー。念のため」
「……お、俺が叫ぶんすか……?」

『――さて、まだまだ豪華賞品はございます。皆さん、気合を入れてビンゴってください! ではご要望にお応えしまして、ここでもう一度、出たナンバーをおさらいしましょう。……いきますよ……《31》……《8》……《27》……それから《39》……《66》……』

 こうして、小野寺兄弟が密かに重複参加していた数枚のビンゴカードは無理矢理奪い取られ、杉浦は嬉々として数字を確認しながら、侑司にも一枚押し付けた。

『――《5》と、《18》……《20》……そして《62》です。皆さん、聞き洩らしはございませんか? では、次のナンバーにまいります!』

 牧野晃治が妻のアシスタントよろしく、ガラガラとビンゴマシンを回転させる。
 ――と、葵の隣にすっとさりげなく、侑司が座った。
「今日は悪かったな……全部任せてしまって。大丈夫だったか?」
 杉浦から手渡されたビンゴカードを興味なさげにテーブルへ置いた侑司が、葵を見る。
 声をかけられただけで、舞い上がるような高揚感に満たされるのだから、我ながら単純だなと思う。
「いえ、すぐに終わりましたから……こちらこそ、すみませんでした。忙しかったですよね?」
 昨晩、アイスクリームメーカーが故障した旨を報告だけはしておこうと侑司の携帯に連絡したのだが、あいにく留守電になっていてつながらなかった。
 留守電にメッセージは残したものの、今日は朝から親族だけの結婚式に列席しているはずだと思い、葵も特に追加連絡はしなかった。
「佐々木チーフも昨日の夜に千住のご自宅へ戻られたので、今日は私がとりあえず立ち会いました。修理は……ちょっと難しそうです。一応メーカーさんに修理の見積もりをFAXでお願いしておきましたが……」
「それについては俺から本社に言っておく。時間と費用をかけて修理するより、新規で購入した方が確実に安いし早いだろう。ただ、すぐには無理だろうから、それまでは慧徳だけ外注品でいくしかないな」
 予想してはいたが、やはりそうか……と、少し残念に思う。
 既製品でも十分美味しい氷菓は取り寄せられるが、できるなら自店で仕込んだものをお客様に提供したい、というのが葵の本音だ。……しかし、そうも言っていられまい。
「……わかりました。じゃあ、明日早速、外注先を探してみます」
「ああ……、よろしく頼む」
 侑司は表情を和らげ、わぁっと上がった歓声に視線を向けた。
 葵も、何となしにつられて同じ方向を見る。
 どうやらこのゲーム、賞品がかなり良いものらしいぞ、という期待感が広がったのか、先ほどより一層盛り上がっているようだ。出たナンバーが発表されるたびに「リーチリーチ!」「全然来ないんだけどー!」などの声があちこちから飛び交っている。
 葵はカードを手に持ったまま、正直もう、ナンバーなど耳に入っていなかった。
 ちら、と隣に座る上司を見上げてみる。
 端正な横顔……こうして会うのも話すのも、ずいぶん久しぶりだ……忙しかったのかな……

「水奈瀬」
「は、はいっ?」
 突然侑司がこちらを向いて呼びかけたので、葵の返事がひっくり返った。しかも、いきなり顔を寄せてくる。葵の心中「え、え、えええ……っ」と「え」が並んだ。
 侑司は目を伏せたまま、周りの喧騒の中で、辛うじて聞き取れるほどの声音を出す。
「……来週の定休……空いているか?」
「来週の、定休……水曜ですか? 何か問題でも……」
「いや、仕事じゃない。……一緒に行ってもらいたい場所が、あるんだが……」
 侑司の表情に、珍しく少し戸惑うような色が滲んでいる。逸る心を抑えつつ、葵は慎重に頷いた。
「は、はい……大丈夫です。えーっと……どこへ――、」

『――リーチの声がたくさん上がってきましたね。豪華な賞品は先着十名様までご用意しておりますので、最後まであきらめずにお楽しみください。では、次のナンバーです……お次は――……《55》! 《55》です! ビンゴの方、いらっしゃいますかー?』

 ひときわ声高に告げられたマイクの声に、いつになく真剣な顔でカードと睨めっこをしていた杉浦がすくっと立ち上がった。

「――おぉ! 俺ってば、ビンゴっちゃったー! すごくなーい?」
「詐欺クサイな、杉さん……」
「ズルしたでしょ、杉さん……」
「人聞きの悪いことを言うんじゃないよ、正真正銘ビンゴなのー。ねぇねぇ、ユージ、手ぇ上げてー」
「――は?」
 怪訝そうに問い返す侑司の傍らで、小野寺双子の一人が葵の手元を覗き込む。
「ねぇ、葵ちゃんのカード、《55》でビンゴじゃなかった?」
「え? あ、ホントだ……」
 言われて手の中のカードを見れば、確かに縦列がそろっている。
「うそ、おめでとー! ほら葵ちゃん、手を上げて! 『ビンゴ!』って叫んで!」
 大久保が興奮したように詰め寄ってきて、その剣幕にうぅっと仰け反れば、その横で杉浦も侑司にビンゴったらしいカードを押し付けた。
「ユージ! いいから手を上げなさいってー」
「ほらほら、早く、葵ちゃんも!」

 何故か口々に急き立てられて、葵と侑司の両側をがっちり固めた大久保と杉浦が、同時に叫んだ。
「「――ビンゴォッ!」」
「……え……?」
「……な……?」
 大久保が掴んだ葵の左腕と、杉浦に掴まれた侑司の右腕が、当人たちの意に反して宙に向かって突き出された。牧野女史のマイクの声がにこやかにそれを指摘する。

『――はい、そちらで手を上げているお二方……これは何と、新郎の弟、黒河侑司くんと、我が社の期待のホープ、水奈瀬葵さんではありませんか! おめでとうございます! どうぞこちらへいらっしゃってください』
 わぁっという歓声と拍手、ヒューヒュー飛ばされる口笛が会場内を満たし、葵と侑司は訳のわからぬまま、会場前方メインテーブル前へと押し出された。

 二等から四等までの賞品はヴィンテージワインであった。
 二等――五大シャトーワインの一つで、そのどっしりとした独特の瓶形、「シャトー・オー・ブリオン1976」
 三等――孤高のシャンパーニュと呼ばれるサロンの「ブラン・ド・ブラン・ブリュット1999」
 四等――特殊な気象条件下において製法にも手がかかるため、非常に希少価値の高い貴腐ワイン「シャトー・ベル・エアー・サンテ・クロック・デュ・モンテ1971」
 
 どれも万円超えの高価なワインで、クロカワフーズならではの賞品だ。
 葵と侑司(本当は杉浦なのだが?)の他に、もう一人、『紫櫻庵』の若いコックが同時にビンゴだったので、三人がジャンケンで二等、三等、四等を決めて、それぞれが新郎新婦から賞品を手渡された。
 葵がもらったのは三等のシャンパン、侑司は四等の貴腐ワインとなった。
 貴腐ワインというのは、極甘口でデザートワインと称される飲み物だ。
 アルコールは全くたしなまない黒河侑司、無表情のまま極甘デザートワインを受け取る――その様子に、新婦の奈々が今にも吹き出しそうで、新郎の和史はその柔和な顔立ちをニヤリとさせていた。

 葵と侑司が元いたテーブルへと退去する際、ちょっとした騒ぎが起きた。
「――おおぅ? 侑坊と水奈瀬じゃねーか。お前らもゴールインかぁ?」という、いささか品のない野次が飛ばされたのだ。
 葵がギョッと見ればいずこから湧いて出たのか、クロカワフーズの大御所親父たち……本店の国武チーフ、慧徳の佐々木チーフ、松濤の仙田支配人、綿貫チーフ、その他数人……揃いも揃って、酒に染まった赤ら顔を並べている。
「――何だぁ? 俺ぁ、んなこと聞いてねぇぞ?」
「いいんじゃねーかぁ? 和坊がようやく “男” になったんだ、侑坊もそろそろ身を固めなきゃなぁ?」
「水奈瀬ぇー、まぁだ嫁に行くのは早ぇぞぉ! 俺ぁ、ゆるさーん!」
「国武ぇ、テーブルひっくり返すなよぉ?」
 がっはっは、と酔っぱらいらしい下卑た笑いが場を満たし、葵は羞恥で全身の血が沸騰しそうになった。
 しかし恐るべきことは、アルコールとゲームによっていい具合に熱せられた会場内が、引くどころかそれに乗っかる勢いで盛り上がってしまったことだ。「よっ、ご両人!」「おめでとーう!」などという野次と口笛が会場中に響き渡る。
 沸騰したついでに昇天しそうな葵だったが、それを支えたのは侑司だ。会場内の騒ぎなど全く意に介さない様子で、それでも葵の背後を守るようにして元のテーブルまで戻った。

 ――その時、人だかりの隙間に、淡いピンク色がひらりと、葵の視界を掠った。
 彼女――木戸穂菜美は、一瞬目が合った葵からすぐに目をそらして、その姿を人混みの中へ紛れ込ませてしまう。

「おっめでとー、葵ちゃん! いいシャンパンもらったねー」
「いやーユージくん、グッジョブだよー! そのワインあげるからさぁ……って、わ、悪かったよ、そんなに睨むなって……」 
 仲間に囲まれて、葵は気もそぞろに微笑んだ。

 一瞬だったのに、はっきりと目に映った、悲しそうで泣き出しそうな瞳。
 ――そっか……そうなんだ……
 はっきりわかってしまったその事実に、葵はひどく動揺した。

 それから、引き続きビンゴゲームは白熱の盛り上がりを見せ、小野寺1号(2号かもしれない)がギリギリ最後の賞品をゲットした。(櫻華亭でも使われている銀製の高級カトラリーセットで、もらった彼は微妙な顔をしていた)
 宴の最後は新郎のスピーチで締めくくり、涙ぐむ新婦と共に感動がさざ波のように広がって、結婚披露パーティーは幕を閉じた。

 二次会(正式なものではないが)へ参加する人を募る牧野女史に断りを入れて、葵は大久保たちと最寄りの駅に向かう。
 帰り際侑司から「後で連絡する」と小声で告げられた。嬉しさと、同じくらいの戸惑いが、葵の胸中を満たして不鮮明に混ざり合っていた。

 ――あれから最後まで、葵は彼女の姿を、二度と見かけることはなかった。




 
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奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

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