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プロローグ

01 三日月の丸くなるまで南部領

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「三日月の丸くなるまで南部領」


 陸奥国むつのくに糠部郡ぬかのぶぐんは、初夏であっても、ヤマセ(東北地方太平洋側で初夏に発生する冷害)によって冷たい風と豪雨に見舞われる。
 南部家が治めるこの地は、鎌倉府や京から遠く、文化的にも経済的にもほとんど未開と言っていいほどの極北の地であった。しかしながら、その領土の広大さから「三日月の丸くなるまで南部領」と歌われたほどであり、空に掛かっている月が三日月の頃に南部領に入ると、連日歩いて領土を通り抜ける頃には満月になるまでの日数がかかるということを表している。

 大永四年(一五二四年)。
 南部家はこの年に支配領域を大きく広げることとなる。
 南部家二十三代・南部安信なんぶやすのぶは、本拠の聖寿寺館せいじゅじだてより津軽郡つがるぐん二戸郡にのへぐん久慈郡くじぐんへと進出した。安信はまず、次弟・南部高信いしかわたかのぶ、三弟・南長義みなみながよし、四弟・石亀信房いしかめのぶふさ、末弟・毛馬内秀範けまないひでのりらを動員して、津軽郡平定のため、津軽に出兵した。


 *

「高信どの、高信どの、大殿おおとの様よりふみでございます」
直状じきじょうが参ったか!」

 腹心である、剣吉弘実けんよしひろさねが縁側を走ってきた。弘実は乱れた息を整えて落ちきを取り戻し、こぼれんばかりの笑顔で、書状をそっと手渡した。興奮する気持ちを抑えて文を開く。

『陸奥国津軽郡平定のおり、平賀郡、鼻和郡、田舎郡の津軽三郡なる諸城を平定することをおきつ。左衛門尉さえもんのじょう南遠江守みなみとおとうみのかみ石亀紀伊守いしかめきいのかみ毛馬内信次けまないのぶつぐ殿にその平定がための軍勢率ゐすなはち津軽諸城を平定することをおきつ。』

「津軽平定は御家おいえの念願であった。我が同胞はらからと共に、平定の任に当たれるとは何たる幸せであろうか」

「御家の念願成就の為、この弘実、ぜひともお供させていただきたく存じます」

「あい、分かった。早急に戦支度をし、良きに計らうように」

「はっ、かしこまり申した」

 高信は一二〇〇人ほどの軍の戦支度を完了し、書状が届いてから七日が過ぎた頃、本拠・聖寿寺館に入城した。聖寿寺館では、南部安信、南長義みなみながよし石亀信房いしかめのぶふさ毛馬内秀範けまないひでのりらが軍議を開いていた。安信は久々の弟達との再会を喜んでいた。

「弟たちよ、よくぞ聖寿寺に集まってくれた。感謝致し申す」

兄様あにさまが大殿になられて、わしどもは城主として励んでおりますゆえ何時何時いつなんどきあらんと兄様へ駆け付け致さん!」

 南長義は笑いながら安信に言った。長義は聖寿寺から少し北の五戸ごのへ浅水あさみず)を拠点とする城主であり、高信と並び有力家臣の一人であった。

「信房も秀範もわしもまた同様」

 そう言い、高信がその場に入って安信に言う。

「平定で一番厄介なんが、浪岡なみおかじゃ兄様」

「おお、高信か!よう来た、さあ、あがってあがって」

 高信が来ると安信の目はきりっとした。そして周りの兄弟たちの態度も真面目なものに変わり、場の空気が一層締まりを増した。

「浪岡は、平定に理解してくれるんじゃろうか?」

 秀範が不安そうな表情で聞き返した。

(注・ここで言う浪岡なみおかとは、現在の青森県青森市浪岡地区に存在した浪岡城を拠点とする有力地方武家・浪岡家のことである。)
 
 長義が難しい顔をして言う。

「浪岡は、出羽の安東に付くか、わしらの側に付くか迷っておる。わしも何度も浪岡に使いを出したが、臣従する気が無いと分かった」

「長義、わしの家臣を浪岡へ使いに出してみてはどうだろうか?」

 安信は、長義の目を見て問いかけ、長義が続ける。

「兄様が使いを出したところで、こちらに扉を開かせられるかどうか分からぬ。それでも兄様は出すんじゃろうか?」

「開くようにすればいいのじゃ」

 高信が答える。安信が期待を込める。

「高信がそういうのであれば、良き策がきっとござろう」

 高信に注目が集まる。

「兄様、まず、兄様から直状をもって浪岡に話をするのが筋でござる。兄様が出すと申した使いはでござろう。ではござらぬ故、正式な使いとして浪岡に認められましょうぞ。そして、浪岡を決して攻めぬと約束を交わし、一気に津軽を平定するのです」

 弟たちは高信の策に唖然とした。信房が眉を顰める。

「高信の言うことはあい分かるが、という約束だけでまことに浪岡は信じてくれるじゃろうか?平定に乗じて浪岡も一気に討ち取ってしまえば、良いのでは無かろうか?」

 強硬論の信房に対して安信が苦虫を噛んだ顔をする。

いなや否や、浪岡は鎮守大将軍北畠顕家の末裔だと言われておる。そのような相手に互角に戦う兵力は無い。民も疲弊するやもしれん。この際、約束の直状を交わしてみるのが一番の策だと思う」

 長義は安信を支持した。

「兄様の言う通り、兵力が乏しいわしらには浪岡と戦うのだけはなるべく避けたい」

 秀範が口を開く。

「わしら毛馬内は、津軽に一番近いところに城を持っております。兄様が書状を交わしているところを狙い、隠密にわしら毛馬内から山を超え、津軽石川の地へ兵を進めることはいかがであろうか?」

 高信は大きく賛同した。

「秀範の言うように、浪岡が直状を交わしている間に津軽を取ってしまうのが一番です」

 安信はこの策に大いに関心を示し、決断を下した。

「では、我らはこれより本陣を毛馬内へと移す」

 そうして安信ら兄弟は毛馬内秀範の居城・毛馬内城へと移ったのであった。毛馬内は連日雨であった。この地は四方を山に囲まれた盆地に位置していた。安信は、まず浪岡具永なみおかともながへの直状の為、筆を執った。

『我は陸奥国南部右馬允安信なり。津軽の安東郎党による暴虐ぶりは奥羽諸領主や鎌倉府、幕府にまでわたりており、近きほどに追討の沙汰が宣下されもこそ。陸奥国南部右馬允安信は浪岡左近衛中将と共に平定することを望む。きみは、かのなにしおふ鎮守大将軍北畠顕家大権現の末孫に、そなたの地におきて将軍にて崇め奉られたり。われらも鎮守大将軍大権現の末孫のきみと共にあらまほしきなり。』

 夕方、汗だくになって安信は書状を書き終えた。花押を添えて、使いの者に文を託した。

 一方、弟たちの軍議は白熱を極めていた。秀範が口を開く。

「兄上達は石川城を落とすことばかり考えておるが、石川より北の藤崎城の安東と大光寺城の葛西がおりますぞ。石川にばかり気が取られていては、出羽から安東の援軍に挟み撃ちにされましょう」

 高信が言う。

「挟み撃ちにされる心配は無かろう。石川を落として一気に北の藤崎へ行けば良いだろう」

 秀範が問う。

「兄上、果たして幾日いくにちかかりましょうぞ」

 高信が自信満々の顔で答えた。

「長くて七日じゃ」

  長義や信房は驚いた表情で高信を見た。

「七日.....」

 

 東から茜色をした黒ぐろしい太陽がゆっくり昇る。


 *

 大永四年(一五二四年)旧暦八月十日午前三時、まだ外は闇に包まれていた。冷たい雨が降っていた。
 南部高信を総大将とする四◯〇〇人の軍勢は坂梨峠さかなしとうげに向けて出陣した。
 連日の雨により、地面はぬかるんでいた。しかしながら、行軍の速さを失わずにいかに早く石川に着くことができるかどうかが、津軽平定を成功させるかを左右するのであった。浪岡や安東に悟られずに気がつかれないうちに津軽を頂戴する勝算である。
 悪路の中、坂梨峠までは毛馬内城下の民に道を案内してもらい、午前六時頃坂梨峠に着いた。日は明けて雨はあがった。高信たちは碇ヶ関いかりがせきを見下ろした。

「皆の者、坂梨峠を越えた。これより一挙に碇ヶ関へ下り、石川いしかわへと参る!」

 高信は大いに軍を鼓舞し、午前十時頃に石川城南東に陣を構えた。
 石川城は石川十三館と呼ばれ、13の館によって成り立っていたといわれるが、この城は、その東南部に位置する大仏ヶ鼻館(石川館)、本郭・二ノ郭・三ノ郭と腰郭からなっており、北側に大手門、西側に搦手(からめて)門があった。多くの館が連郭している縄張りの為、攻めにくい城であった。

「兄上、城は目の前ですぞ。連中はまだ気がついておりませぬ、このまま一挙に城を攻めるのです」

 長義は高信を急かすように迫った。しかし、高信は冷静さを失わず長義に優しく説いた。

「長義、そう急がずとも城は逃げぬ。兵にこれより城を落とすとだけ伝えよ」

 高信はそう伝えると、軍はしばらくの間、沈黙のまま石川城と対面していた。その沈黙は嵐の前の静けさより静寂に包まれ、緊張感が漂っていた。その裏では高信は堅固な石川城を前にその威容に狼狽えていた。
 正午頃、高信は般若心経を三回唱えて覚悟を決めた。そして濁り酒を注いだ杯を持って轟かんばかりの大声で叫んだ。

「皆の者、城は目の前にある!これより総攻し、津軽を我が手中に収めんとす!いざ!」

 高信の掛け声に呼応して長義ら家臣も同じく

「いざ!」

 と言い、皆揃って杯の酒を一気に飲み干し、杯を勢いよく地面へと叩き割った。家臣たちが颯爽と一斉に馬に跨るのを確認し、各々の決意が固まった事を悟った高信は石川の方向を指して叫んだ。

「皆の者、取り掛かるのじゃ!」

 高信の大声とほぼ同時に、大軍勢は城に向かって走り出した。
 具足をつけた足軽や農兵のガチャガチャという音と共に、大軍勢の足音が迫る。城までの途上、石川城下を通過したと考えられるが、略奪や放火などの暴虐極まるような行為はなかったと考えられる。なぜならば、津軽平定は時間の問題であったし、石川城落城後すぐさま藤崎城主・安東と大光寺城主葛西を直ぐに討ってしまわねば出羽から安東の援軍が来る可能性があった。
 高信直轄部隊一二〇〇人は、石川城北西側・搦手門に迫った。櫓の弓矢による反撃を受けつつも、盾で防御しつつ鎚で門を強行突破する。同じく北西側には十二館と呼ばれる強固な縄張りが存在していたが、とうの昔にその機能を損失していた。よって高信の軍勢による急襲には対応できない状態であった。そのため石川城の北側の三つの門はガラ空き同然であったのである。
 一方その頃、南長義直轄部隊九〇〇人は石川城北側・大手門に回り込み、大手門の手前で突入を見計らうように対峙した。信房直轄部隊八〇〇人も石川城北東側・東門に回り込んで、鎚で門を強行突破する。毛馬内秀範直轄部隊一一〇〇人は大光寺へと急いで向かった。
 破城鎚での門の破壊に成功した高信直轄部隊、信房直轄部隊は三十名ほどの落命者を出しながらも三の郭へと突入した。突入と同時に長義直轄部隊も大手門より三の郭へ一挙になだれ込む。

 午後十三時、兄弟三名の手によって、石川城は南部のものとなったのである。しかしながら石川城を制圧したのも束の間、次は大光寺城に向かわねばならない。信房直轄部隊を石川城に置いて、高信・長義両直轄部隊一六三〇人は秀範が待つ大光寺へと出発する。
 この時点で、大光寺の葛西・藤崎の安東に返り討ちに合わなかった。南部家の勝利は必然のものとなったのである。



「大光寺の軍勢も藤崎の軍勢も来ぬ。勝利は必然の理なり」


 大光寺城と藤崎を落とした高信の軍勢は、津軽三郡(平賀郡・鼻和郡・田舎郡)を併せて南部領に収めた。

 
 たった三日の出来事である。


 三日月の丸くなるまで南部領 了


    
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