大人のためのファンタジア

深水 酉

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第2部 第1章

7 不穏なピクニック(1)

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 ナユタさんの発案でピクニックに行くことになった。
 何やら私に教えておくことがあるそうだ。
 参加者は、私とアーシャ。アーシャの母親のアンジェ。
 眉間に皺を寄せて睨みをきかせているシダルばあさん。
 豪腕な二の腕を胸の前で組む男性。あきらかに機嫌が悪そうな宿屋長のムジ。
 最近父親から跡目を継いだばかりの若頭のアドル。
 「さ。行こうか」
 あと、ナユタさん。
 「あ、あの」
 見知らぬ人が多すぎる。私は知らなくても、私知る人が多すぎて気分が重い。一歩たりとも動きたくない気分だ。何も知らずにアーシャは私の袖を引く。早く先に進みたそうなワクワクしている顔だ。今日は機嫌が良い。彼の好きな虫がたくさんいそうで捕まえたくてうずうずしている。
 「いつも水をありがとな。重いのに大変だろ」
 「えっ」
 人懐っこく話しかけてきたのはアドルだった。
 金色の稲穂と同じ色をした髪をひとつにまとめていた。
 背が高く、健康的な体をしていた。年齢もキアと近く、話しやすそうな青年だった。
 「俺んちは広場まで遠いから、裏木戸まで持ってきてくれると有難いんだけどなぁ。駄目かな?」
 毎朝汲んでいる水は、いつしか広場に置いておく決まりになっていた。お願いと手を合わせられても回答に困るキアを横目に、ムジが体ごと会話に入ってきた。
 「お前の宿だけ贔屓にはできんぞ。宿屋のことは俺が決める」
 「へーい。…とかなんとか言ってさ、結局はうやむやにしちゃうんだよなぁ」
 アドルは小声でキアに耳打ちをした。今までもたくさん理不尽な目にあってきたのだろう。とはいえ私に決定権はない。何も言えない。村人の態度は変わらずじまいだ。私を不審がるのは仕方ないとはいえ、いつまでもこんな状態が続くのは正直しんどい。
 キアは腹部をさするように手を置いた。心痛が身体中に巡る。
 「腹痛か?」
 「えっ」
 真後ろで声をかけられて反動で勢いよく振り返ってしまった。後ろには、フードを被った小柄な女性がいた。フードから赤毛が見えた。アーシャの母親だ。名をアンジェという。アーシャと同じ髪の色だ。ゆるくクセのついた髪の毛が胸元まで伸びていた。美人だが無表情。どこを見ているかわからない。
 「これをな、手のひらに置いて。すり潰すように擦っていくと粉末状になる」
 アンジェはキアの手をとり、胡桃色をした木の実を置いた。
 「これは何ですか?」
 木の実には皺があり、角がゴツゴツしていた。匂いはあまりない。
 「カクソギという。すり潰していくと角が取れて丸くなる。深い痛みも和らぐと言われている。粉末になったものを舐めてみろ」
 キアは言われるまま手のひらに付いた茶色の粉末を人差し指につけて舐めた。
 「苦っ!!」
 舌の先がひっくり返りそうになった。痺れで唾液の味さえわからなくなった。
 「苦いが良く効く。耐えろ」
 全く悪びれてない態度にキアは涙目だ。薬剤師と聞いたが良医なのか疑いたくなった。
 彼女が調合する薬は主に旅人に売られている。
 評判は上々だ。追加の発注で毎日忙しいので、アーシャを預けているのだ。
 ナユタは急いで水筒の口を開けた。
 「即効性を取るなら舐めるのが一番だが…もう少し改良が必要みたいだな」
 涙目で悶絶しているキアを見て、アンジェは少し考え方を変えたようだ。
 自分でもペロリと粉末を舐めては、眉間に皺を寄せた。
 「…舌の先端は苦味をまず感知します。粉末を舐めるよりは水と一緒に飲み込む方がいいと思います」
 キアはナユタからもらった水を飲み込んだ。まだびりびりと痺れている舌をハンカチで拭った。
 「なるほど。試してみよう。おっと、名乗るのを忘れていた。私はアンジェという。いつもアーシャの面倒を見てくれて感謝している」
 アンジェは薬帳にメモを取る手を止めて、キアに向き直った。
 「あ。私は、キア、です。こちらこそ、お世話になってます」
 まだ吃ってしまう。キアとは発音しにくい。
 「世話になってるのはこちらだと思うが?」
 アンジェは首を傾げた。
 「いいえ。私にアーシャのことを見させてくれてありがとうございました」
 こんな私に託してくれるのは本当にありがたい。子どもの世話は好きだ。全員に好かれるのは無理でも、少数でも私を認めてくれている人がいるということが本当に心強い。自分は一人じゃないと安心させられる。
 「…アーシャがあなたを気に入っているんだ。気難しい子なのに本当に助かっている。ありがとう」
 キアは頬を染めながら、恐縮ですと言って頭を下げた。
 イヤイヤ期真っ最中の赤子の世話は、親でさえ手に負えない時がある。手が足りない時はサポートしてくれる存在が何よりも有難い。
 「本当にどうかしているよお前達は」
 キアとアンジェの間を割くように嫌味な声が降ってきた。
 「アンジェ。あんた、子ども放っておいていいのかい?アーシャはまだ小さいのに可哀想じゃないか。仕事をするなら、子どもを目の届く範囲に置きなさい。こんな得体の知れない女に預けてどうかしてるよ」
 小煩い嫌味を言うのは、アンジェの家のはす向かいに住むシダルばあさんだ。同居していた息子夫婦と喧嘩別れをしてからというもの、なんやかんやといちゃもんをつけてくる。
 「じゃあ、ばあさんがうちの子のお守りをしてくれるのかい?」
 アーシャ。赤茶けた明るい髪のニ歳児。泣き虫の甘えん坊。寝つきが悪くて気分屋。日がな一日中泣いて暮らす事もあれば、野山を駆け回って一日中過ごす事もある。ズボンのポケットをパンパンに膨らませ、見せてくれた物は虫やら虫やら虫…
 「あ、あたしは最近膝が痛くてねぇ。アー坊についてく体力がない。今日だってわざわざこんなところまで来たのは杖のためさ。新しく杖を作らないと歩くのでさえままならない。そんな状態なのにアー坊を見ていられるわけがないだろう」と、言い訳は山のようだ。返って来る言葉はお馴染みのテンプレート。さっきまでの威勢はどこにいった。杖が欲しいのは当たっているようだ。今使っているのは、だいぶ年季が入っていた。所々に亀裂が入っていて使い続けるのは危険だ。
 「杖にしたい木がわかれば俺が取ってくるぜ」
 アドルは得意げに言った。
 「あたしがこの目で見て、気に入らなきゃ意味がないだろう。ったく、話がわからないねぇ。よくそんなんで若頭など名乗れるよ。客が可哀想だ」
 ああ言えばこう言う。シダルばあさんの口喧嘩に勝てるものはそうはいない。自分の息子でさえ嫌気がさして出て行ってしまったくらいだ。明朗快活なアドルでも、シダルばあさんの噛みつきには歯が立たなかった。わかりやすく肩を落としてしょんぼりとしてしまった。
 「…」
 アンジェも黙ってしまった。今さら期待を込めて問う話ではない。散々困らせて、迷惑をかけているのは事実だ。
 こんな話をしても無意味なことぐらいわかっている。
 「力になれないのは悪いと思っているよ。でもね、あの女はさ」
 シダルばあさんはキアを睨んだ。キアは異物を見るような目つきに毎日追われていた。咄嗟に顔を逸らした。
 キアは、未だに村人から得体の知れない危険人物といった扱いを受けている。
 国境沿いにある村の割には、他所から来た人間に免疫がない。ここは、国境と町の間にある村で、ほんの少しの間だけ立ち寄るはざまの村と言われている。旅人は一晩泊まったら翌朝には出て行くのがほとんどだ。稀に二日、三日と滞在するものもいるが、 キアのように長く居続ける者はいない。そのせいでキアは異質者コトナルモノと見られていた。記憶もない、自分の名前もわからない、どこから来て、どこに行くのか、明快な回答がないまま一ヶ月が過ぎていた。
 そんな噂話を嬉々として話し合う村人たちに、アンジェは込み上げて来る怒りを抑えていた。普段からそれほど感情を表に出すことはないが、ここまで悪質な態度には腹が立っていた。しかし、ここで切れたらキアに迷惑がかかってしまう事もわかっていた。
 「私は、彼女の方がよっぽど頼もしく感じている。でも心配は有難く受け取っておく」
 アンジェはキアの隣に立った。木の影に隠れているキアにもう一度頭を下げた。
 村人たちの気持ちもわかるのだ。駄々っ子の相手を一日中させられたら気分が重くなってしまう。疲れが出るのは当然だ。我が子ながら、そういう要素を含めているので言い訳は立たない。
 「ばあさん。心配かけてごめんよ。でも大丈夫なんだよ。アーシャが懐いてるから何の問題もないんだ」
 アンジェはシダルばあさんにも頭を下げた。
 シダルばあさんはいつになく低姿勢なアンジェを見て、黙ってしまった。が、まだ何か言いたそうで口の中で何やらぶつぶつと文句を言っていた。

 「さ、先を行こう。新作のおかずをたくさん作ったから、昼ごはんはみんな楽しみにしててくれよ!」
 ナユタは、パンッと柏手を打ち、話をすり替えた。
 ナユタは、弁当が入った籠を持って先頭を歩き出した。
 「ナユタさんの飯うまいからなー、楽しみ~」
 アドルはその後にスキップして続いた。
 「あんたは私の荷物を持つんだよ。ったく、気がきかないね」
 シダルばあさんはアドルの腕を掴み、肩にかけていた布張りの袋を押し付けた。アーシャはわーいとはしゃぎ、アンジェはその後を追った。
 待ってと声をかけそびれてしまった。出遅れた。キアの隣にはムジがいた。
 相変わらずムスッとしている。
 話しかけていい雰囲気ではないのは見て取れる。
 先に行っていいのか、後に続くべきなのか。迷ってしまった。先導してくれるはずのナユタはもう遥か先に行ってしまい、後ろ姿も小さくなっていた。
 「ナユタの奴、遊びに来たんじゃねえだろうが。先に行っちまってどうするつもりだ」
 ナユタはギスギスした雰囲気を切り替えるのに必死で、本来の目的を忘れてしまっていた。キアに新月の夜の儀式について話さなければならなかったのだ。
 「…」
 キアはそろり足で歩いた。ムジに声をかけられまいと、足音を立てずにこっそりとだ。こちらも必死だった。絡まれると話が終わらない。ムジは、態度は悪いがシダルばあさんとは違い、話しかけては来る。一方的に喋り倒して相手に口を挟ませない。これで何度も交渉が成立したことがあると自慢ばかりしていた。
 「何をコソコソしてやがる。あんたにはやってもらうことがある。今から言うことをきっちりと頭に叩きこめよ」
 逃げることは不可能だった。
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