大人のためのファンタジア

深水 酉

文字の大きさ
99 / 210
第2部 第1章

8 不穏なピクニック (2)

しおりを挟む

-----------------------------------------------------

 目を閉じる。心を閉じる。周りの音を遮断する。無音にする。
 靴を脱ぐ。裸足になる。足元を濡らす。水はキハラの湖に流れ込んでいる湧き水だ。

 「旅人が踏み荒らした跡をつがいが歩いて消していく。入口から出口まで真っ直ぐだ」
 「真っ直ぐ…」
 キアは、ムジが指を指す方向を見つめた。キハラの湖から先にはまだ行ったことがなかった。キハラの加護があるとされる森の中でも、光が差さない所は昼間でも暗く、鳥や虫の声も聞こえなかった。
 真っ直ぐと言って前を見るが、出口が見えない。出口まではだいぶかかりそうだ。案内板も矢印もない。道だけが奥へ奥へといざなう。
 木々が鬱蒼として生い茂り、前後の感覚を奪われてしまいそうだった。真っ直ぐな道のはずが、蛇のようにくねくねとしているようにも見えた。右も左も、前も後ろも、真緑で木だらけの同じ景色だ。目印になるようなものがない。空も見えない。
 ナユタ、アドル、アーシャ、アンジェ、シダルばあさんはすでに遥か遠くに行ってしまった。五人の背中が木々の間からかろうじて見えた。目を逸らしたらきっとわからなくなる。キアは焦り出した。今日着ていた服は何色だったか?
 「きょろきょろするな。前後がわからなくなるぞ。森に慣れてる俺たちだって油断は禁物なんだ」
 「…そんな」
 キアは急に不安になり、胸元を掻きむしり、泣きべそをかいた。今ならまだ大声で叫べば声が届くかもしれない。
 「落ち着け。俺がいるから大丈夫だっつーの」
 (ったく、こんなので番なんかやれるのか…)
 ムジは、慌てふためくキアを見てボヤいた。
 その声に反応したのか、バシャバシャと水面をかく音が聞こえた。ムジは咄嗟に口元を押さえるが遅かったようだ。ムジのボヤきはキハラに届いたようだ。
 「ぬ、主様の番は、主様の体を第一に考えなきゃならねえ。主様は森の一部だ。本来ならやたらめったらと会いに行くなんざご法度なのに、あんたときたら毎日毎日主様につきまといやがって。ベタベタベタベタベタと」
 ムジはゴホゴホとわざとらしく咳払いをした。自慢の息子を取られた姑みたいにネチネチとキアをなじる。いや舅か。
 「…すみません。名前を呼ばれると、つい。嬉しくて」
 足が向いてしまうのだ。
 ドクドクと高鳴っている胸の鼓動に手を当てて深呼吸をした。キハラの名を聞いて少しばかり動悸が落ち着いてきた。
 まだキアと呼ばれると何とも言えないものは感じる。
 だけど嬉しくもある。キハラの声は優しくて、特に用がなくても出向いてしまうのだ。姿が見えなくても声が聞けなくてもいいのだ。葉や花を浮かべると湖面をゆらしたり、私に気がつきポコポコと泡を出してきたりする。湖面を覗き込むと使い魔だという生物を紹介してくれた。山椒魚のような、長い胴体に短い手足が付いていた。手の甲に手形のスタンプをぺたんと押された。短い指先に吸盤が付いていた。キュ、キュ、と挨拶もしてくれた。「主様をよろしくね」と聞こえた気がした。
 付かず離れず。でも深く干渉しない。絶妙な距離感が私に安心感をもたらしてくれている。隣で寝入ってしまうほど安らかな気分になるのだ。
 「ふん。ナユタと同じことを言ってやがる。俺なんかは恐れ多くて馴れ馴れしい態度などとれんわ」
 「…私は、自分が何者かわからないまま出会ったのがキハラでした。何者でも構わないと言ってもらえて、すごく安心しました」
 はやる気持ちはあるものの、ここにいていいよと許可を貰えた気がした。
 「…ふん。シダルばあさんの態度は悪いが、言っていることはそのまんまあんたに当てはまる。異質者コトナルモノとは聞こえが悪いかもしれんが、何者かわからん者を長くこの村に置いておくのも皆不安で仕方がないのだ」
 「…異なるもの」
 違和感の正体はシダルばあさんのような人からの視線だ。異物を見るような嫌悪と憎悪にも近い視線には慣れることはない。むしろ慣れてはならない。自分が異質だと認めてしまうことになる。
 キアは胸元をぎゅっと抑えた。また動悸が始まりそうだった。
 「俺は宿屋長としてあんたを見届ける義務がある。あんたに害がないことを証明させるためには、この儀式は何としてでも成功させなきゃならねえ」
 「儀式…ですか」
 「新月の夜に、主様が湖から出て森の穢れを一掃する。あんたはその手伝いだ」
 「キハラが言ってました。他所から来る旅人の中には悪意を持っている人もいる。森中に悪意が広まったら収拾がつかなくなる。悪意は感染しやすいから抑えきれなくなるって…」
 見定めろ。
 そうも言われた。
 でもどうやって?
 毎日、国境を越えて多種族の人間が行き交う。人種も性別も違う。家族でも仲間でもない。今日出会った者同士。なんでもない関係性。男女の比率も違う。年代の幅も広い。持ち物も様々だ。武器やら家具やら。旅の一座にでもなれば、衣装やら道具やらで何台も馬車を引き連れる。
 旅人は国境を越えて、次の町に行く。この村に立ち寄るのは夜を過ごす為だけだ。
 疲れた体を癒す為だけの場所。ここは通過するための村。
 「その通りだ。俺の宿にもそんな奴は山程いる。だが下手に干渉しないで、うまくもてなして翌日には送り出す。それが俺たちの仕事だ。あんたはあんたの仕事をしろ。主様の穢れを落としてやってくれ」

 
しおりを挟む
感想 34

あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。

もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
 ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。

透明色の魔物使い~色がないので冒険者になれませんでした!?~

壬黎ハルキ
ファンタジー
少年マキトは、目が覚めたら異世界に飛ばされていた。 野生の魔物とすぐさま仲良くなり、魔物使いとしての才能を見せる。 しかし職業鑑定の結果は――【色無し】であった。 適性が【色】で判断されるこの世界で、【色無し】は才能なしと見なされる。 冒険者になれないと言われ、周囲から嘲笑されるマキト。 しかし本人を含めて誰も知らなかった。 マキトの中に秘める、類稀なる【色】の正体を――! ※以下、この作品における注意事項。 この作品は、2017年に連載していた「たった一人の魔物使い」のリメイク版です。 キャラや世界観などの各種設定やストーリー構成は、一部を除いて大幅に異なっています。 (旧作に出ていたいくつかの設定、及びキャラの何人かはカットします) 再構成というよりは、全く別物の新しい作品として見ていただければと思います。 全252話、2021年3月9日に完結しました。 またこの作品は、小説家になろうとカクヨムにも同時投稿しています。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

スキル素潜り ~はずれスキルで成りあがる

葉月ゆな
ファンタジー
伯爵家の次男坊ダニエル・エインズワース。この世界では女神様より他人より優れたスキルが1人につき1つ与えられるが、ダニエルが与えられたスキルは「素潜り」。貴族としては、はずれスキルである。家族もバラバラ、仲の悪い長男は伯爵家の恥だと騒ぎたてることに嫌気をさし、伯爵家が保有する無人島へ行くことにした。はずれスキルで活躍していくダニエルの話を聞きつけた、はずれもしくは意味不明なスキルを持つ面々が集まり無人島の開拓生活がはじまる。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

処理中です...