大人のためのファンタジア

深水 酉

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第2部 第1章

16 こわがらないで

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 まず、(門)を閉じる。
 キアはナユタの指の動きを真似て、両手のひらを合わせた。一礼。人差し指で空中に横一文字。結びを拳の中にきゅっと押さえた。
 門とは、門所から森に入る入り口のことだ。きちんとした門扉があるわけでもなく、区切りがついているわけでもない。誰でも出入りは自由だ。
 ただ、今は森と分ける必要がある。空間を分けるといってもいい。今から門所と森は別空間だ。門所から見る森はいつもと変わらぬ景色だが、ナユタとキアの姿はない。外部の人間が入って来ないように門を閉じたのだ。
 新月の夜は月がないため月明かりを頼りに夜道を歩くことはできない。宿屋を求める旅人も今日はお断りだ。
 何より普段温和な性格の森の主も今日は黙っていない。森中を監視している。
 「そんなにピリピリしているんですか?」
 キハラの怒っている姿は未だかつて見ていない。 
 キアは眉をひそめる。
 「もともと夜間は森の出入りを禁止しているんだ。キハラがどうとかじゃなくて単純に危険だからね」
 「何が危険なんですか?」
 「夜は昼間と違って人の目を眩ませる。闇に紛れて賊や狩人などに出くわしたら大変だろう?それに人の悪意や悪鬼も引き寄せられる」
 「悪鬼…」
 「心の内にある思いだね。念とも言うのかな。怒りや悲しみ。後悔。目に見えないものだからとどまりやすい。あちこちから集まって沈殿する。森の中に居座る悪鬼が浮遊して、旅人を惑わすなんて話もよく聞くからね。だから、どんなに豪腕な兵士でも夜の森には近寄らない」
 「でも、儀式は夜にやるんですね」
 これだけ危険危険と聞かされていれば嫌でも危機管理能力が向上する。毛の先からつま先まで警戒モードがおさまらない。
 「夜なら邪魔が入らないからやりやすいって意味だけだよ。でもなぁ、次からキアを一人で森に行かせるのは心配だなぁ」
 「えっ!次からは私一人で来るんですか?」
 「うん。あ、いや。だめだ。絶対、危なっかすぎる!」
 「えっ、でも!本来夜にやるのであれば、私、頑張りますから!」
 「だめだめ!危ないよ!昼間からやろう!門を閉めてしまえば旅人は入ってこれないから大丈夫!」
 ナユタ過保護モード全開。
 「心配してくれているのはわかりますが…それは…どうなんでしょうか?ムジさんとかに怒られそうですけど…」
 客を追い払うなんて言語同断!宿屋の風上にも置けない!と烈火の如く怒鳴り散らす姿が脳裏に浮かんだ。
 「ああ…確かに。うるさく言われるだろうね」
 ナユタもげんなりだ。背中を踏み潰されている己の姿を思い浮かべているようだ。
 「ですよね!私、頑張りますから。大丈夫ですよ!」
 夜道くらいなんてことない!
 …と胸を張れるまでは、まだ時間がかかるかもしれないけど頑張らなきゃ。早くみんなから認めてもらえるようにしないと。悪鬼や狩人は怖いけれど、迷っている暇はない。私ができることなら何でもやらなければならない。
 キアはきつく唇を結んだ。迷っている余裕などないのだ。
 「…そう硬くならなくていいよ。リラックスリラックス」
 ナユタはキアの顔を見て、肩を優しく叩いた。キアの想いはナユタも痛感している。未だに村人と馴染めなく異質者扱いを受けている姿を目の当たりにしているからだ。
 「がんばります」
 キアもまた、ナユタの気持ちに気づいていた。ナユタだけではなく、ナノハやアンジェ。苦虫を噛み締めてる顔をしてるムジでさえ、キアと儀式の成功を祈っている。
 ああ、我が麗しの主よ。祈りよ、届け。

 風が鳴り出した。木々の間をすり抜け、キア達の服の裾や髪の毛を舞い上がらせ、湖面を揺らした。
 ザザッと水の跳ねる音が森中に響き渡った。ここに来て初めて背中に悪寒を感じた。ぞくっとした。 
 冷たい水滴が背骨の窪みに一滴、二滴と落ちる。 
 体のラインに沿って流れ落ちる水滴に体が固まってしまった。声が出ない。
 隣にいるはずのナユタの気配がわからない。夜目に慣れたはずだったが自分の立っている場所がわからなくなっていた。闇一色だ。
 (ここは、どこ?)
 不気味なくらい静まりかえった森の中は虫の声ひとつない。あるのは風と湖面を弾く水の音だけだ。 
 張り詰めた弦を爪で引っ掻くような小さな跳ねから、釣り上げられた魚が苛立つような大きな跳ねがバシャンバシャンと鼓膜に響いてきた。
 地響きがした。足元よりは遠い場所から振動が小刻みに伝わってきた。次第にこちらに向かって左右に蛇行しながらズシン、ズシンと。森中を震撼させた。
 額から滲み出る汗が、頬を伝い唇を濡らしても動けなかった。
 (これが儀式なの?もう始まっているの?)
 キアは転ばぬように両足を強く踏ん張った。
 「キア」
 自分を呼ぶ声はナユタのものだが、ナユタの姿は見えない。
 「ナユタさん…?」
 「さあ。キハラのところに着いたよ」
 焦っているのはキアだけのようだ。ナユタは普段と変わらない声色だった。
 呼びかけに応じて左側を見た。山道からほんの少しずれて茂みの中を行くと、キハラの住処がある。
 日に何度も訪れ、キハラと話し込んだり、休憩をしたりしている場所だ。ひだまりに似た心地よい場所で、毎日の癒しの糧になっていた。
 だが、今は昼間の雰囲気とは真逆だ。濃厚な暗闇の中で水音だけが激しく音を立てていた。
 「さあ。キハラを招いて」
 「ま、招く?」
 「門を閉めた手とは逆の手でね。手のひらを開いてこちらに来るように招くんだ」
 キアは、ナユタに言われるまま手を動かした。手のひらを開き、しなやかに糸を絡め取るように指を動かした。これがキハラを(招く)動作なのか。
 「…おおぉぉぉぉぉぉ」
 水面を弾く音が声と共に暴れ出す。水飛沫が飛んできた。
 「冷たっ」
 目の中に飛び込んで来た水飛沫が異物のように感じ、咄嗟に目を閉じた。
 「キア。目を開けて。さあ、キハラが来るよ」
 ナユタの呼びかけに応じて水面が大きく盛り上がった。大きな水柱が勢いよく吹き出した。闇の中でも白いものは視界に映る。否が応でも目に飛び込んで来る。キハラの姿が。
 森の木々を遥かに超えた背丈の大蛇。体をくねらせて、ヌッと顔をこちらに寄せてきた。
 「べらべらとよく喋る奴だ。馬鹿者共が」
 滴り落ちてくる水をむずがるように体を震わせ、飛び散った水はキアの体を濡らした。
 「ひどいなぁ。キアをリラックスさせるためじゃないか」
 ナユタは肩をすくめ、大げさに両腕を上げた。
 「遅すぎる」
 体が痒くてたまらんわとキハラは悪態をついた。
 普段と変わらないような二人の会話を聞いて、キアはようやく意識を取り戻した。張り詰めた空気が途切れ、周りの景色がよく見えた。ナユタの姿も、自分の手元もよく見えた。
 びしょ濡れになった自分も、よくわかる。
 「へくしゅっ!」
 「おお。気づいたか。ずいぶん寝ぼけていたな」
 「…寝てないもん」
 我慢しきれずに出したくしゃみに、キハラはキアにも嫌味を飛ばした。キアもムッとして口元を曲げて答えた。
 「ふん。いい面構えだ。さあ行け」
 「行くってどこへ?」
 「俺の道を拓け」
 キハラは頭をしゃくり上げ、森の先を見つめた。
 「これからキアには森の入り口まで行ってもらう。踏みならされた道を湖水で浄化して、その上をキハラが均すんだ」
 「え?浄化とか均すとか…」
 よくわからない言葉が並ぶ。
 「ぐずぐずするな。行け」
 キハラは頭の先でキアの背中を押した。その反動で前のめりになった姿勢をナユタが抑えた。
 「すみません。ナユタさん」
 「いいよ。大丈夫」
 ナユタはキアにこっそりと耳打ちした。キアは、何のことだとナユタを見上げるも、ナユタの表情はわからなかった。
 どうしてそんなことを言うのだろうとキアは不思議に思った。
 「そんなこと考えたことないです」と考える間も無く返事をするキアに、ナユタは返事の代わりに頭を撫でた。キアは撫でられた理由もわからないまま、先を歩き始めた。
 「おい。気安く触るな」
 「はいはい」
 キハラが苛ついたドスの効いた声をあげてもナユタはマイペースだ。
 「我が主に祝福あれ」
 「我が主に祝福あれ」
 ナユタは呟きながらキアの後を歩いた。
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