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第2部 第1章
17 ありがとう
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一歩、一歩、歩くにつれ、服から水滴が落ちた。
一歩が重い。でも気分はスッキリしていた。
「キハラに会えたからかな」
胸の中でもやついていた焦燥感がスッと消えた。
焦るなと言い聞かせているのだろうか。
自分の心配をしていてくれたことがとても嬉しかった。
だからこそ、ナユタの言葉の意味がわからなかった。
「どうしてあんなこと言ったのだろう。そんなこと一度も思ったことがないのに」
(こわがる、なんて)
キアは考え込み、つい足を止めてしまった。ほんの数秒の間だったが、後ろからナユタが息を切らしながら走ってやってきた。
「止まっちゃダメだ!早く走って!キハラに追いつかれる!!」
ナユタはキアの手を引き、走り出した。
「えっ、えっ?」
突然の行動に足がもつれて引っかかる。膝が地面に落ちる前になんとか踏み止まった。
早く早くと急かすナユタに腕を引かれて、一本道をひたすら走った。
「な、何で、」
質問する余裕はない。口を開いたら舌を噛みそうだった。これほどまでに走ったことがあっただろうか。こんなにも全速力で走ったら、ますます地面に足跡を残してしまう。均しも大変だろう。
どれだけ走ったか、奥の方で人の話し声が聞こえた。広場の中央に明かりが見えた。賑やかな音に乗り、手拍子に合わせて踊る人の姿が見えた。
「戻り客か」
任務を果たした後の酒宴か。酒や料理を配膳する宿屋の人間もいた。ナユタはバツが悪そうに呟いた。
「仕方ない」
森と村の境界数メートル前でナユタは足を止めた。急に足を止めたナユタに、キアはつんのめってぶつかってしまった。
「あっ、すみまっ、は、ぜ、」
声にならない。息切れと動悸で舌が回らない。
「ごめんキア。時間がないからこのまま続けるよ」
キアの手を離して、キアの背に立った。
「キハラが来るから入口を閉めるんだ」
「えっ?」
「さっきと同じさ。門所の前で閉めた時と同じように」
「…どう、して、閉めちゃうんですか?」
まだ呼吸が定まらない。体中に早鐘が鳴り響く。
「キハラが外に出たら大パニックになるよ。だから閉めるんだ。それに浄化は森の中だけだから、村は関係ない。今日は関係ない人達もいることだから面倒は起こしたくないんだ」
キアはナユタの肩越しに広場に目を向けた。村人とは明らかに違う人々の集団にビクッとした。
「何ですかあの人達?」
「あれは戻り客と言って…。ああ、ごめん後で説明するよ」
ナユタの口調を察して、キアにまた先ほどとは違う焦燥感が出てきた。
ふと頭の上が暗くなった。広場のこぼれた明かりに少しだけ白んできた足元がまた消えた。何事かと顔を上げた瞬間、その原因になるものと目が合った。
森を覆い被さるような大きな体躯の蛇に息を飲んだ。一つ一つの鱗が白く輝いていた。木々の遥か上から見下ろしてきた姿を前に、立ち尽くしてしまった。
「キア」
ナユタはキアの腕を掴み、横一文字に線を引かせた。これが閉める動作になる。
「気安く触るなと言っただろうが」
「仕方ないだろ!」
焦るナユタに、キハラは平然としていた。
キハラは、立ち尽くしたままのキアに少しばかり残念な気持ちになった。
(こいつもまた、ダメだったか。俺を怖れない者などそうそういるものではないのだな。ナユタは異例なのだ。気が合うばかりではダメなのだな)
キハラは表情は崩さずに、キアから視線を逸らした。
「キハラ」
思いがけないことが起きたのは、このすぐ後だった。
「私はキハラをこわいと思ってないよ。私を見つけてくれて本当にありがとう。私を番にしてくれて本当にありがとう」
役目を与えてくれてありがとう。
私を「キア」にしてくれてありがとう。
キアは両腕を広げてキハラを招いた。感謝してもしきれない。この喜びを。
いま、ようやく「キア」になれた気がした。
新しい私の人生を始めることができる。
喜びと感謝をキハラに返してあげたかった。
キハラは言われるがまま緩やかに下降し、キアの腕の中に落ちた。
「…馬鹿者。そうやすやすと受け入れてくれるな」
本音と建前。体がむず痒くなるのはこいつの純真さのせいか。こいつの言葉に心が揺れたのは裏表がない本音だからか。心地よい声だ。嘘などつく暇もない。
空間が歪む。
キハラが地上に落ちた衝撃で空気の層が大きく揺らいだ。
酒宴に興じていた兵士が数人、何らかの気配を感じ、席を立った。明かりも一瞬大きく揺らめいた。
儀式を見せないよう目くらましをかけていても、質量と重力が違えば綻びは出てくるものだ。
「おい。どうしたよ」
「いやあ。何か物音がしたような…」
「何もねえぜ。もう酔ったのか」
「…っかしいなぁ」
兵士は頭を抱えて辺りを見回した。
「気のせいかな。オレには何か大きな影が動いたような気がしたんだけど」
「オレは何も見てないし聞こえなかったぜ。なあ、宿屋さん」
「そうですね。私も何も聞こえませんでした」
ムジは、平静を装いながら兵士に新しい酒を運んできた。
「っかしいなぁ」と未だ納得してない様子に、内心ヒヤヒヤしていた。
うまくやってくれよと、ただ、ただ願うばかりだった。
ああ、麗しの我が主よ。祝福あれ。
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