大人のためのファンタジア

深水 酉

文字の大きさ
108 / 210
第2部 第1章

17 ありがとう

しおりを挟む

-----------------------------------------------

 一歩、一歩、歩くにつれ、服から水滴が落ちた。
 一歩が重い。でも気分はスッキリしていた。
 「キハラに会えたからかな」
 胸の中でもやついていた焦燥感がスッと消えた。 
 焦るなと言い聞かせているのだろうか。
 自分の心配をしていてくれたことがとても嬉しかった。
 だからこそ、ナユタの言葉の意味がわからなかった。
 「どうしてあんなこと言ったのだろう。そんなこと一度も思ったことがないのに」
 (こわがる、なんて)
 キアは考え込み、つい足を止めてしまった。ほんの数秒の間だったが、後ろからナユタが息を切らしながら走ってやってきた。
 「止まっちゃダメだ!早く走って!キハラに追いつかれる!!」
 ナユタはキアの手を引き、走り出した。
 「えっ、えっ?」
 突然の行動に足がもつれて引っかかる。膝が地面に落ちる前になんとか踏み止まった。
 早く早くと急かすナユタに腕を引かれて、一本道をひたすら走った。
 「な、何で、」
 質問する余裕はない。口を開いたら舌を噛みそうだった。これほどまでに走ったことがあっただろうか。こんなにも全速力で走ったら、ますます地面に足跡を残してしまう。均しも大変だろう。
 どれだけ走ったか、奥の方で人の話し声が聞こえた。広場の中央に明かりが見えた。賑やかな音に乗り、手拍子に合わせて踊る人の姿が見えた。
 「戻り客か」
 任務を果たした後の酒宴か。酒や料理を配膳する宿屋の人間もいた。ナユタはバツが悪そうに呟いた。
 「仕方ない」
 森と村の境界数メートル前でナユタは足を止めた。急に足を止めたナユタに、キアはつんのめってぶつかってしまった。
 「あっ、すみまっ、は、ぜ、」
 声にならない。息切れと動悸で舌が回らない。
 「ごめんキア。時間がないからこのまま続けるよ」
 キアの手を離して、キアの背に立った。
 「キハラが来るから入口を閉めるんだ」
 「えっ?」
 「さっきと同じさ。門所の前で閉めた時と同じように」
 「…どう、して、閉めちゃうんですか?」
 まだ呼吸が定まらない。体中に早鐘が鳴り響く。
 「キハラが外に出たら大パニックになるよ。だから閉めるんだ。それに浄化は森の中だけだから、村は関係ない。今日は関係ない人達もいることだから面倒は起こしたくないんだ」
 キアはナユタの肩越しに広場に目を向けた。村人とは明らかに違う人々の集団にビクッとした。
 「何ですかあの人達?」 
 「あれは戻り客と言って…。ああ、ごめん後で説明するよ」
 ナユタの口調を察して、キアにまた先ほどとは違う焦燥感が出てきた。
 ふと頭の上が暗くなった。広場のこぼれた明かりに少しだけ白んできた足元がまた消えた。何事かと顔を上げた瞬間、その原因になるものと目が合った。
 森を覆い被さるような大きな体躯の蛇に息を飲んだ。一つ一つの鱗が白く輝いていた。木々の遥か上から見下ろしてきた姿を前に、立ち尽くしてしまった。
 「キア」
 ナユタはキアの腕を掴み、横一文字に線を引かせた。これが閉める動作になる。
 「気安く触るなと言っただろうが」
 「仕方ないだろ!」
 焦るナユタに、キハラは平然としていた。
 キハラは、立ち尽くしたままのキアに少しばかり残念な気持ちになった。
 (こいつもまた、ダメだったか。俺を怖れない者などそうそういるものではないのだな。ナユタこいつは異例なのだ。気が合うばかりではダメなのだな)
 キハラは表情は崩さずに、キアから視線を逸らした。
 「キハラ」
 思いがけないことが起きたのは、このすぐ後だった。
 「私はキハラをこわいと思ってないよ。私を見つけてくれて本当にありがとう。私をつがいにしてくれて本当にありがとう」

 役目を与えてくれてありがとう。
 私を「キア」にしてくれてありがとう。

 キアは両腕を広げてキハラを招いた。感謝してもしきれない。この喜びを。
 いま、ようやく「キア」になれた気がした。
 新しい私の人生を始めることができる。
 喜びと感謝をキハラに返してあげたかった。
 キハラは言われるがまま緩やかに下降し、キアの腕の中に落ちた。
 「…馬鹿者。そうやすやすと受け入れてくれるな」
 本音と建前。体がむず痒くなるのはこいつの純真さのせいか。こいつの言葉に心が揺れたのは裏表がない本音だからか。心地よい声だ。嘘などつく暇もない。
 空間がひずむ。
 キハラが地上に落ちた衝撃で空気の層が大きく揺らいだ。
 酒宴に興じていた兵士が数人、何らかの気配を感じ、席を立った。明かりも一瞬大きく揺らめいた。
 儀式を見せないよう目くらましをかけていても、質量と重力が違えば綻びは出てくるものだ。
 「おい。どうしたよ」
 「いやあ。何か物音がしたような…」
 「何もねえぜ。もう酔ったのか」
 「…っかしいなぁ」
 兵士は頭を抱えて辺りを見回した。
 「気のせいかな。オレには何か大きな影が動いたような気がしたんだけど」
 「オレは何も見てないし聞こえなかったぜ。なあ、宿屋さん」
 「そうですね。私も何も聞こえませんでした」
 ムジは、平静を装いながら兵士に新しい酒を運んできた。
 「っかしいなぁ」と未だ納得してない様子に、内心ヒヤヒヤしていた。
 うまくやってくれよと、ただ、ただ願うばかりだった。

 ああ、麗しの我が主よ。祝福あれ。
しおりを挟む
感想 34

あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。

もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
 ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。

透明色の魔物使い~色がないので冒険者になれませんでした!?~

壬黎ハルキ
ファンタジー
少年マキトは、目が覚めたら異世界に飛ばされていた。 野生の魔物とすぐさま仲良くなり、魔物使いとしての才能を見せる。 しかし職業鑑定の結果は――【色無し】であった。 適性が【色】で判断されるこの世界で、【色無し】は才能なしと見なされる。 冒険者になれないと言われ、周囲から嘲笑されるマキト。 しかし本人を含めて誰も知らなかった。 マキトの中に秘める、類稀なる【色】の正体を――! ※以下、この作品における注意事項。 この作品は、2017年に連載していた「たった一人の魔物使い」のリメイク版です。 キャラや世界観などの各種設定やストーリー構成は、一部を除いて大幅に異なっています。 (旧作に出ていたいくつかの設定、及びキャラの何人かはカットします) 再構成というよりは、全く別物の新しい作品として見ていただければと思います。 全252話、2021年3月9日に完結しました。 またこの作品は、小説家になろうとカクヨムにも同時投稿しています。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

スキル素潜り ~はずれスキルで成りあがる

葉月ゆな
ファンタジー
伯爵家の次男坊ダニエル・エインズワース。この世界では女神様より他人より優れたスキルが1人につき1つ与えられるが、ダニエルが与えられたスキルは「素潜り」。貴族としては、はずれスキルである。家族もバラバラ、仲の悪い長男は伯爵家の恥だと騒ぎたてることに嫌気をさし、伯爵家が保有する無人島へ行くことにした。はずれスキルで活躍していくダニエルの話を聞きつけた、はずれもしくは意味不明なスキルを持つ面々が集まり無人島の開拓生活がはじまる。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません

下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。 横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。 偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。 すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。 兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。 この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。 しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...