大人のためのファンタジア

深水 酉

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第2章

5 やるせない想い

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 いつか。いつか、きっと。あなたに会いに行く。
 
 木々の間を通り抜けた風が、優しく背中を押してきた。一歩踏み出せば、きっかけが作れる。二歩踏み出せば、勇気が出る。三歩目にはきっと、歩き出せる。
 チリリン チリリン
 この鈴の音が聞こえますか?わたしはここよ。
 ああ、早くあなたに会いたい。


 *
  

 「…ふう。やれやれ、どっこらしょっと」
 ついつい口に出してしまう。独り言もひとつの動作だ。
 ソインは、肩に担いでいた肥料の袋を倉庫の棚にしまった。ドサッと重たい音と土埃が宙に舞う。粉塵を手のひらでぱっぱっと払い除ける。重たい荷物が肩から退いたことで、そこだけぽっかりと軽くなった。ソインはぐるぐると肩を回した。その都度、ゴリゴリと関節が鳴った。周りを見れば作業員全て同じような動きをしていた。肩やら腰やら痛い痛いと悲鳴を上げている。
 「…みんな。今日はもう上がろう」
 見ているのが辛い。
 ソインのかけ声に、みんなゆっくりと顔を上げた。少なからず、おおうと歓声も上がった。中には目も合わせない人も多い。疲労困憊で返事すらもめんどくさいのだ。
 力が入らないのだろう。うなだれた顔をしていて足取りも重い。立ち上がろうと動くのも億劫そうだ。
 「今日は薬湯を入れてもらったから、ゆっくり浸かって、疲れをとってくれ」
 花農家用の宿舎に浴室が作られた。畑や花壇の仕事の後にゆっくりと湯に浸かる。普段は普通の湯だが、最近の疲労は、ただの湯では疲れが取れない。数種類の薬花草をブレンドして布袋に入れておくと、薬花草の成分が溶け込んで柔らかな湯になるのだ。ああ、ありがたいとみんな安堵を漏らした。
 このところの雨続きで、作業が思うように進んでなかった。そのせいで、根が張った草や、蕾が付いた花がことごとく流されてしまった。
 「ソインさんは行かないんですか?」
 「僕はここを片付けてから行くよ。お先にどうぞ」
 足元には、植樹のために使用した農機具が転がっていた。土を落としてからでないと明日の作業に影響が出る。
 「お一人でやるんですか?それは大変ですよ。手伝います」
 「いやいや。大丈夫、大丈夫。それよりお疲れでしょう。早く湯に浸かった方がいい」
 神経痛や疲労困憊な体に効き目のある薬湯だ。摘みたての薬草のツンとした香りがとても心地よいのだ。早く入って疲れをとって欲しい。気を遣ってくれた人は、目の下のクマが酷すぎだ。自分よりもずっと体は疲弊している。
 ソインは終始にこやかに対応した。疲れているのは目に見えていたが、疲れた顔を見せては、お互い遠慮し合って動けなくなる。まずは彼を先に休ませてあげたい。
 「お気遣いありがとう。でもね、僕はまだ仕事があるんです。あなたはもう上がりでしょう。行ける時に行かないと休めないですよ。ゆっくりお湯に入って来てください」
 和かな笑顔だが目が笑っていない。口角を上げるのが精一杯。あとはどうにもなれだ。
 「…申し訳ないですね。では、お言葉に甘えて。お先にいただきます」
 「はい。ごゆっくり」
 ソインは作業員を見送った。よたよたと足元がおぼつかない。ふらふらして、手を借りなければまっすぐに歩いていられなかった。
 作業員の疲労困憊は日に日に増してくる。あきらかに疲弊していた。
 ソインは腰に手を当てて、後ろにぐいっと反り返った。
 グギギギと普段聞かないような骨が軋む音がした。
 「…これはやばい。明日もあるのに、参ったな」
 体はまだまだ休めそうにない。ソインは、水桶に入れた農具をゆっくりと洗い始めた。早く休みたいのは山々だが、手先が思うように動かない。凝り固まった首を左右に振るも、擬音がするばかりだった。
 「とああたま!」
 ぼふっと柔らかい塊が、ソインの背中にしがみ付いてきた。
 「おっ!だれだい?」
 ぷにぷにと柔らかい幼な子の小さな手は、ソインの服の端をしっかりと握りしめていた。
 幼な子はソインの娘のユユだ。
 「たあどくんきちっ」
 「ん?なんだい?」
 覚えたての言葉に翻弄され、うまく紡げてない。
 「なあかあぬねかなさ」
 「うん。そうだね」
 何を言っているのかはまったくわからないが、一生懸命話しかけてくる愛娘の姿に、ソインの疲れはどこかに飛んでいった。
 「あなた」
 ソインの妻のアシェリだ。着替えと水筒を持って来てくれた。
 「アシェリ」
 「あなたも早く上がってくださいな。顔色が悪いわ」
 「そうかい?」
 ソインは言われるがまま、両手で顔を挟んだ。自分の顔色など触ってわかるものではない。どこだどこだと声に出しながら、あちこちを触った。頬を膨れさせ、肉厚な頬を中央に寄せ、口を変形させた。
 「こんな顔かな?」
 ソインはユユに顔を向けた。
 「ふはあっ!」
 ユユは飛び上がりながらソインの顔に両手を伸ばした。
 自分も同じことがやりたいのだ。一通り触り倒した後は、自分の顔もいじり始めた。ぷうっと膨らませた頬を人差し指で押し込む。
 「ぶぶっ」と頬が鳴った。ユユはきゃっきゃっと笑い声を上げた。
 「ああ~、かわいい!癒される!」
 ソインはユユを抱き上げて、高い高いとあやした。
 「ユユときみがいたら、いくらでも頑張れるよ!」
 疲れ知らずさ!と得意げに親指を立ててポーズを決めた。
 「…働きすぎはよくないですよ」
 アシェリは、ソインとは真反対のことを口にした。
 責任者として任された仕事の重圧は計り知れない。かと言って無理をすればいいというものではない。
 「休める時に休まないと体が動けなくなってしまうのは、あなたも同じですよ」
 アシェリの、もっともらしい言い分にソインは黙ってしまった。
 「…わかってる。わかってはいるんだけど…。精魂かけて育ててきたものが、いとも簡単に流されてしまうのを見ると気持ちがいでしまうんだ。自然を相手にして、簡単なことではないと頭ではわかってはいたんだけどね」
 砂漠緑化計画、発令。
 無茶な要望だと思ったが、巫女様の真摯な姿に胸を打たれた。巫女様の思い入れは強く、揺るぎないものだった。砂漠を無くして神殿の再興をする。水を引き、種を撒き、花を咲かす。光と風を引き込み、花の成長を促す歌を毎日口ずさんでいた。あんな小さな体に何もかもを詰め込んでいた。
 「…巫女様が頑張っておられるのに、僕らだけ何もしないわけにはいかないじゃないか。頼るばかりじゃなくて、僕らもお手伝いしたいんだ」
 ソインは、マリーの幼な子の姿と巫女の姿を両方見ている。幼な子の姿は自分の娘とかぶるところもある。まだまだ弱く脆い存在だ。困ったことがあれば手を貸すし、強い想いには支援したい。
 ソインはユユをアシェリに託し、農機具の泥を落とし始めた。
 アシェリは声をかけることもせず、そっとその場を後にした。
 「…はあ」
 ため息が夕暮れの空に消えて行った。
 「…仕事熱心なのはいいことだけど、周りが見えなさ過ぎるのは減点だわ」
 アシェリはまた深いため息を漏らした。夫の気持ちは理解している。子を持つ親としては、当然の想いだ。巫女様の使命は重く、一人で抱え込むのは辛い。支援のために手を貸すのは当然だ。ひいては民のため、国のため、世界のためになる。
 でも、、、
 アシェリはもどかしさを持て余していた。抱き抱えていた愛しい娘の寝顔に、より、胸が締め付けられた。
 アシェリは宿舎に戻り、汚れた洗濯物を仕分けした。ソインは、どうせ汚れるからとあまり服を変えていなかった。染み込んだ汗と泥はなかなか落ちない。だからこまめに洗濯に出せと口すっぱく言っていたのに!
 「もう!」
 アシェリは洗濯桶の中に上衣を放り込んだ。余計な仕事を増やすな!
 「…え、あらやだ。何かしらこれ…」
 泥まみれになった上衣の裾に、引っ掛けられたような傷跡がついていた。
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