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第3章
1 夢
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ウウゥゥ、、ワウゥゥ、、
ウウゥゥ、、ワウゥゥ、、、
暗闇の中から声が聞こえる。
嘆くような、喚くような、むせび泣く吠える獣の遠吠えに、私は目を覚ます。ここのところ毎日だ。
哀しい声に同調して、私も涙を流している。
「また今日も…」
涙でいっぱいになった目を擦りながら、キアは洗面所に下りた。鏡に映る姿はやつれてるように見えた。毎日繰り返される夢に、うなされて寝覚めが悪いわけではない。気怠い気持ちでもない。でも体が重く感じるのは、涙の理由が痛いほどわかるから。
誰かを呼ぶ哀しい声だ。
「…」と。
夢の中では聞こえていたのに、目が覚めると忘れてしまう。何度も聞いているのにわからない。
ただ、言えるのは私ではないということ。
私ではない誰かを呼ぶ声に、こうも反応してしまうのはなぜなのだろうか。これは私ではない人に届かなくてはいけない声だ。声の主に教えてあげたい。届ける相手を間違えてますよと。
「寝不足か」
夜明け前、薄雲が空一面に広がっていた。東の空の端には、うっすらと陽光が見え隠れしている。
が、まだ完全には目覚めてない。
キアは水入れの甕の準備をしていた。
重そうで腫れぼったい目蓋をロイに指摘をされた。
「ロイさん。おはようございます」
「俺のことは呼び捨てでいいと言ってるだろう」
ロイは、獣人なのだからと吐き捨てるように呟いた。
「獣人だからとか関係ないですよ。年上の人を呼び捨てにはできないです」
キアは淡々と答えた。至極当然のような振る舞いに、変な奴だとロイはぼやいた。
「とにかく、これを貼っておけ。日が昇れば薬液が浸透して軽くなるだろうから」
以前、アンジェに貰ったと説明をしてくれた。ユルリラは多肉植物だ。肉厚な葉を薄くスライスするとジュレのような黄緑色の半個体の物質が出てくる。
「ありがとうございます。…なんだか最近うまく眠れなくて」
ロイは薄刃のナイフを取り出し、器用に手元を動かした。キアはユルリラの葉を目の下に貼り付けた。
「冷たい」
スッとした爽やかな香り鼻腔をくすぐった。
「最近、そんな話をよく聞くけど、大丈夫か」
「…よく夢…を見てる」
あれは夢なのだろうか。映像というよりは、音声のみだ。暗闇の中に響き渡る獣の声。
キアは疑わしく思っていた。あんな大きな遠吠えが他の村人には聞こえてないという。私にしか聞こえない嘆き。
「眠りが浅いんだな」
ロイはキアの頭を撫でた。優しく。
キアの手から水甕を取り、荷車に乗せた。ロイは初めて村に来た時から、ずっと滞在していた。
彼は獣人で、人間より体力があるため、宿屋長のムジに気に入られ何かと手伝いをしていた。朝の水汲みも手伝ってくれていた。
狼の風貌に、最初は誰も近寄っては来なかったが、ふわもこの毛並みに子ども達はすぐに夢中になった。
「…確かにこれは夢中になるね」
キアは手のひらから伝わってきた温もりにホッとした。
「…ロイさんには聞こえませんか?」
獣人は、聴覚はもちろん、五感の全てが人間よりまさっている。
「さすがに夢の中までは聞こえない」
ロイは申し訳ないような顔を見せた。
キアの問いに、上手く答えられなかった代わりに、快眠を促す薬草はチックルスだとアンジェに教えてもらったことを思い出していた。
「そうですよね」
無茶振りもいいところだ。ロイの人の良さにつけ込んでしまった。
「…」
最初の新月の儀式から、三ヶ月が経つ。ロイが来たのもその頃だ。その間も新月はやって来た。
番の仕事を無事に終えると、村人達からの視線が徐々に緩和していくのを感じていた。話しかけられたり、挨拶を交わしたり、お茶をしたりと以前よりは、ずいぶん心持ちが軽くなっていた。
「仕事も順調で、村の人とも仲良くなれて、宿にお客さんも増えて来て、これからって時にまた足止め…」
された気分だ。どうしたってそんなふうに捉えてしまう。
「ずるいですよね。自分のことしか考えられなくなってる」
夢の中とはいえ、何か意味があるかもしれないのに、私の足を引っ張る足枷だと煩わしさを感じている。
「…俺にも聞こえていたら何かしら情報を出せたのに。役に立てなくて悪いな」
「そんなことありません!話を聞いてくれただけで充分です」
「主神には聞いたのか」
「キハラは、寝ぼけたのかって一蹴ですよ」
笑われた。
「光景が目に浮かぶな」
ロイは笑い声が漏れないよう口元に手を置いた。
「私の考え過ぎかもしれないですね」
私にしか聞こえない「私」じゃない誰かを呼び続ける声。
毎日聞き続けるのは、苦痛にも感じるけれど、このまま放っておいてしまうのも良くない気がする。
決して考え過ぎではないと思うが、対抗策が出てこない。キアは考えこむ。眉間にぎゅっと皺が寄る。
「あまり考えこむなよ」
と言っても無駄のようだとロイも頭を抱えた。
「朝っぱらから、家の前でうるさいんだよ!なんだいさっきからグチグチと!」
木戸が勢いよく開く音がした。立て付けが悪いのかギギッと金具が軋む音がした。
シダルだ。
「おう。婆さん。早いな」
ロイは思わず後ずさった。ロイもこの老婆を苦手としていた。
「年寄りは早起きなんだよ」
シダルは木戸の前に置いてある椅子にどかっと座った。これもまたギギィと嫌な音を立てた。吹きっさらしの場所に置きっぱなしにしてるため、雨風を受けて老朽化していた。壊れてしまう前に修理をしておかないとだ。
「ああ、もう!この椅子もうるさいね。水汲みの後にこれを直してくれよ。ついでに木戸も」
「…婆さん。相変わらず獣使いが荒いな」
「獣だろうが人だろうが、動ける奴が動けばいいんだよ!」
あたしゃ年寄りなんだから、若い奴が動けとシダル婆さんは、全く悪びれない。この態度は誰にでもとる。
「お前も暇なら手伝いな」
「は、はい!」
ロイばかりではなく、キアにも矛先が向いた。
「二人なら朝飯の前にパパッとやれるだろ」
シダル婆さんの偏屈で横柄な態度や性格は全く変わらないが、キアに対する態度は若干丸くなっていた。もう異質者とは呼ばなくなっていた。
「いつまでもそんな青っ白い顔してないで、とっとと働きな!」
シダルは手提げの中から小瓶を取り出し、キアに放り投げた。
「えっ、いきなり!わ、わっ」
シダルの突然な行動に、キアは取りこぼしそうにならないよう、咄嗟に腕と服の間に小瓶を挟んだ。
小瓶の中には乾燥したチックルスの葉が入っていた。
「枕の下に入れておきな。よく眠れるようになる」
「は、はい!…ありがとうございます」
シダル婆さんの口ぶりは粗野だが、優しかった。
憎しみは続かないものだ。
キアは、シダルに対して思うことはあるが今は素直に受け取ることにした。
「こういう人」もいるんだ。誰も彼にも好かれようとするには無理がある。一癖も二癖もあるのが当たり前。
そう考えれば、シダル婆さんに対する苦手意識も徐々に軽くなって行くだろう。
キアは自分に言い聞かせて、胸の中にあるモヤモヤを打ち消した。
今日も暑くなりそうだ。夜明け前でも、生温い風が通り過ぎた。
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