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第3章
6 ロイ
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「主神の結界に引っ掛からなかったオレは何なんだ?」
「それはお前にオレに対する敵意がなかったからだな。オレもお前に害意を感じなかった。それだけだ」
「…それは、まあ。ありがたいことだな」
敵意も害意も、もちろん持ち合わせていない。
「門所を抜ける時にアンジェに会って、この森の主は大蛇と聞いた」
「ほう」
「アンジェはオレが獣人でも異質者だとは思わないと言った。どんな相手でも優しく接すると言われて気持ちが軽くなっていた。だからかな」
「へえ」
「森の中も空気が澄んでいて、心地良かった。オレみたいなものがいても何も変わらなかった」
「あいつもたまには良いこと言うな」
キハラはフフンと満足気に笑ってみせた。
(アンジェに会ってなかったら、どうなっていたかと思うと恐ろしいな…)
本当は、風の噂で蛇神がいることはうっすらと知っていた。
余裕がない状態だったら、厳戒態勢で殺気立っていただろう。そしてコテンパンにやられて蛇神の餌になっていただろう。
ロイは心の内を語らず、ため息だけで済ませた。
「だろうな」
「は?」
ロイの心情を読み取ったのか、キハラはニヤニヤと笑った。
「…」
反論する気はないが、ロイは少しだけ口元をへの字にした。
「宿屋の奴らも客が入れば満たされるしな」
「…それも言われた。そこはもう少し精査した方がいいと思うぞ。物騒な客だったらどうするんだ」
「宿屋の奴らも馬鹿じゃない。おかしな人間は直感でわかるものだ。それにほれ、森に入ればオレもいる。少しでも妙な気を起こすものなら即刻排除してやるわい」
「何を考えているかわかるもんな。それは頼もしいな…」
ロイはまたため息を吐いた。
キハラの「排除」という言葉に敏感に反応した。
耳と尻尾が垂れていく様をキハラは見ていた。
「…娘が気にしている獣人をお前はどう思う?」
「ああ」
「そもそも獣人は王城に収容…じゃなくて、…王族が管理しているのだろう?」
キハラの言葉の端々に気遣いさを感じ、ロイの耳がピクッとした。
「…主神にそう言われるとは思わなかった。気遣わせて申し訳ない…」
「あいつがうるさくてな。いちいち訂正してくる」
キアの性格の良さがキハラを丸くしていた。ロイの目元が少しだけ和らいだ。二人のやりとりしている様が目に浮かんだ。
「…確かに。獣人は王城に管理される立場だ。ある程度の教育と所作と礼儀を叩き込まれる。その後は王城の兵士や小間使いとして消費されていくものだ」
決して出て行くことは叶わない。中には、王に絶対服従を誓い、獣人の心臓ともいえる「核」を渡す者もいると聞くが、普通の獣人にはあり得ないことだ。
「よっぽど王に信頼されていた獣人なのか、それとも野良か」
野良は教育も知識も持たず、獣人本来の凶暴さを持っている。人間達からの捕獲から逃げ延びたのかもしれない。
「王城が襲撃に遭ったと聞いているが、実際はどうなんだ?」
「オレも人伝てに聞いた話だから真実かどうかはわからないが、現王ヴァリウスは死んだとされている」
「されている?歯切れが悪いな。死体はないのか?」
「ないから、されているとしか言いようがないんだろうな。城内は凄惨過ぎて、死体が大量にあったと聞く。人間も獣人の死体もバラバラで、どっちがどっちの部位なのかわからないほどだ。血を洗い流しても腐臭はなかなか取れなかったそうだ」
その時の光景が目に浮かぶ。目の当たりにしなくても、獣人が虐待されて死んでいく様は今まで何度となく見てきたから容易に想像ができた。地獄絵図だ。
「…その襲撃の際に逃げ出した獣人かもしれないな」
「お前はその話は外から聞いたに過ぎないんだな。なら、それまではどこにいたんだ」
「…その頃は、オレは城に連れて行かれるために海を渡って船に乗せられてきた。襲撃の一歩前だ。船着場で船を降りる時に鎖が一時外れて、その隙に、何人かと逃げた」
「ほう」
「その後は散り散りだ。皆、収容されたら戻れないことを知っていたからな。海を泳いだり、地下に潜ったり、死ぬ物狂いであちこちを転々とした。卑怯なもんだ。他の獣人らは大変な目に遭ったというのに」
ロイの耳がまた力なくパタリと垂れた。
「生きるか死ぬかの瀬戸際で卑怯も糞もあるか。己れの生を優先して何が悪い」
「…オレはそうは言い切れない」
「なら、なぜ逃げた」
「…それは」
やってしまった「後悔」を今更悔やんでもどうにもならない。やらない「後悔」を悔やむよりは…とも言うが、誰かの犠牲の上でまで、自分が生き残ったことを素直に喜べはしないのだ。
だが、この生を捨てることも、また出来はしないのだけど。
ロイの顔色に陰りが見えた。どうにもできない陰りだ。
「阿保」
キハラは体を捻り、ロイに水をぶつけた。
突然の出来事にロイは一瞬微動だにできなかった。ずぶ濡れになり、重心で足元を滑らせた。が、ハッと反応した後は体を左右に震わせて水気を飛ばした。
「己れの生は己れのものだ。お前が死んだとしても死んだ獣人が生き返るわけじゃない」
「…わかっている」
答えは出ている。何度も反芻して自問自答をしても、やり直しはきかないと。
「わかっている…んだ」
地団駄ばかり踏み鳴らしてもどうにもならない。
「多かれ少なかれ、他にも逃げて生き延びてる獣人がいるはずだ。そいつらを探すのだろう」
「ああ…」
「見つけたらどうする?」
「…共に生きていけたらと思う」
「その後は?」
「…獣人が。獣人だからという理由だけで、もう迫害を受けるのはまっぴらだ…。迫害を受けたくない…受けさせない。獣人たちだけで、静かに暮らしたい。人間達に干渉されない山の中でひっそりと。誰にも邪魔されたくない」
「山の中ならひっそりしなくてもいいだろうが」
もっと自由にやれよとキハラはつつく。
「…そこは、もしもを考えるとな。念のためということで。人間はどこにでもいるから油断はできない」
無人島とか。廃村とか。とにかく人間達の縛りがないところに。
「人間も使いようには役に立つぞ」
「…キアやアンジェのような人ばかりではないだろう」
ナユタもムジも親切だ。他の村人も。獣人だからと言って、区別する人はここにはいない。初めの頃は見目に戸惑っている人はいたが、次第に心を許してくれていた。ここの村人達のように、優しさの裏側の損得勘定をしていない人はどのくらいいるだろうか。獣人を見て、手を差し出してくれる人間はいるのだろうか。
「この村のように、迎え入れてくれたら人と暮らすのも悪くないんだが…。ま、夢話だな」
時折り、居心地の良さにこのままこの村にいられたらと錯覚する。自分都合のお気楽設定に馬鹿かとツッコミを入れたくなる。
「いたらいいだろう」
「…簡単に言わないでくれ。オレの話聞いていたか?」
「全部とは言わんが他の獣人の受け入れも可能だろうよ。獣人は力があるし、村の連中は人手が足りて大満足だろうが」
「仕事を与えてくれたのは感謝する。ここにいて良い理由ができたからな」
「その役を自分都合で放るのか?それこそ阿保者だろうが。小間使いだろうが、ババアの話し相手だろうが、チビの遊び相手だろうが。役目を与えられているんだ。しっかり全うしろ!」
「…オレは獣人だぞ」
「だからなんだ。獣人だからといって区別してたら、あいつはずっと異質の区分をつけられたままだ」
「!!」
「お前だから。あいつだから。やれることがあるんだろうが」
名前を出さずとも、日々頑張っている人の顔が浮かんだ。理不尽な嫌がらせにも、心ない言葉にも逃げずに受け止めていた。
「…目が冷めた。主神に言われると強みになるな」
「オレを当てにするな。決めるのはお前だ」
「…そうだな」
体は前は向いてるんだ。ただ、顔を上げられないんだ。
道行先は明るいのか暗いのか。広いのか狭まれているのか。怖くて確認ができないんだ。
「でかい図体してるのに内側は脆いんだな」
「…面目ない」
「心持ちは人間らしいのにな」
「全くだな」
違うのは見た目だけだ。人間だからとか、獣人だからとか。何者にもなりたいし、なりたくない。
「区別とは不自由な言葉だな」
ロイはため息を吐きながら上空を見上げた。木々の間から差し込んで来た日差しに目尻の涙の粒が光った。
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