大人のためのファンタジア

深水 酉

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第4章

4 ディルの決意

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 ムジの宿場は広場の先にある。広場を突っ切れば最短ルートで行けるのだが、ディルはあまり人目にはつきたくないという。
 「だって髪ボサボサだし、顔もハリがない」
 化粧水も乳液もない。風呂にも入ってない。
 元とはいえ貴族の息子だ。身だしなみにはうるさいようだ。
 「そっちか」
 アンジェは呆れた声を出すも、状況から見て良い判断なのかもしれないと考え直した。
 広場には複数の観光客がいる。獣人のディルを見て態度が変わるかもしれない。怪我がまだ完治していない。顔色も悪い。足元もおぼつかない。そんな満身創痍なディルに、ダメージを与えてしまいそうな声は聞かせたくはなかった。
 ムジの元に辿り着くまでにぶっ倒れるかもしれないが、人目を避けて森の中を歩いた。
 途中、息が上がるもディルは歩みを止めなかった。
 「…ここもあの大蛇が管理しているのか」
 深緑が心地よい。目にも体にも優しい。
 枝を揺らす風が。木々に差し込む光が。漂う空気が。傷ついた体を癒やしてくれる。
 ディルは目を細めて深緑を味わう。体を真新しい布でくるんでくれているように感じた。
 「そうさ。この村も。森も全部さ」
 広大な大地がキハラそのものだ。
 「そりゃ規模がデカ過ぎる……」
 城ひとつ占拠してでかい顔をしていたどこかの輩とは大違い。天と地だ。
 「…ああ。せかいはひろいな。ぼくには手が届きそうにない」
 自分がやろうとしていることの難しさを痛感する。口に出す前から出鼻をくじかれたみたいだ。
 でもあとにはひけない。
 あとで大蛇にもちゃんと挨拶させてとアンジェに頼んだ。
 「キハラという。名前で呼ぶといい」
 「うん」
 「図体と態度はデカいがわりと話は聞いてくれるぞ」
 「…主神に対してすごいこと言うね。あなたも頼もしい人だね」
 「はは!」
 アンジェは元気よく笑った。でも、そのすぐ後に少し顔色を曇らせた。
 「生きていくには色々あるのさ」
 ひとりでは生きられない。使えるものは神でも使う。
 「た、頼もしい~」
 ディルは深くは突っ込まずに笑って返した。
 「…まあ。色々あるよね」
 人間も。
 「色々だ」
 お互い詳しく語ることもないまま歩き続けた。森を抜ける頃には、ディルの呼吸は整ってきた。アンジェの支えはまだ必要だったが、体がだいぶ軽くなっていた。鬱屈していた気分が晴れていくようだった。
 「すごいな。医者いらずって感じ」
 「私の仕事がなくなるのは困るがな」
 「あ…。ごめん」
 「謝るのはおかしいだろう。気分が晴れてよかったじゃないか」
 「キハラは万能の神か」
 「ま、傷の治りが早いということだ。ただ、無茶をするとぶり返すから調子にはのるなよ」
 調子に乗ってぶり返した馬鹿どもを私は大勢見ているんだとアンジェは口を尖らせた。
 「…了解です」
 アンジェを怒らせるのはやめておこうとディルは思った。と、同時に頭の中に浮かんで来た顔があった。あいつだ。
 どのタイミングかは覚えてないが必死になってぼくを怒っていた時があった。
 喧しい声だった。ぼくがちょっかいを出してあいつが怒る。そんな繰り返しだ。
 他人のことばかりに必死になっていたあいつ。
 ほんっとにどこにいるんだか。餅みたいに伸びる顔が懐かしくて笑ってしまうよ。
 早く取り戻したいんだ。あの頃の日々を。そのためにぼくはやらなきゃいけないことをやる。手が届かないとか泣き言を言ってる場合か!

 「ここがムジの宿場だ」
 アンジェは裏口に回り、宿場の人間にムジを呼ぶように頼んだ。
 ムジは談話室にいると告げられ二人は向かった。
 村の大人達や若者達との話し合いだ。月に一、二度、買い出しを兼ねて周辺の町の様子や社会情勢などを調査に行くことにしている。今日はその役目を誰にするか話し合っていたようだ。
 「おう。アンジェ。どうした」
 ムジを上座にしてぐるりと男たちが輪になり座っていた。
 「むさ苦しいな」
 絵面が。
 ボソリと吐いた呟きに扉のそばにいた男が舌打ちをした。
 アンジェと男は一瞬睨み合うがすぐに目を逸らした。ムジの制止が入ったのだ。
 ムジは怪訝な顔つきで声の方を向いた。
 薬師のアンジェと、犬?
 「お初にお目にかかります。私の名はディル。今は訳があってこんな獣人の姿をしていますが元は人間です」
 「おん?…お、お?」
 突然現れた喋る犬にムジは目を丸くした。
 聞いてねえぞ。ロイか?縮んだか?と呟きながら辺りを見回すと灰狼のロイがいた。長身だ。薪割り用の薪を運んでもらっている最中だった。
 「アンジェ!これは一体どういうことだ?」
 ムジはまだ状況が飲み込めてなかった。ちらちらとロイとディルを見返した。
 「私の患者だ。ひと月くらい前から預かっている。ムジに話があるんだと。聞いてやってくれ」
 「……他の方も、ロイも。どうか、時間が許すなら耳を貸していただきたい」
 「あ、ああ。いいか?」
 この場での上司はムジだ。一応ムジに許可を取る。
 「お?おお…」
 ムジは未だに(以下略)
 「おいおい!獣人はさっさと仕事しろよ!」
 ロイの後ろで従業員のガマジが壁を殴りながら怒鳴る。先ほどの舌打ち男だ。生え際がだいぶ後退している中肉中背の中年だ。
 口の悪さは最強クラスで誰も彼もが辟易していた。ムジでさえ頭を悩ます。
 その声にハッとしてムジは目を見開く。
 「ガマジ!いつまでもそんな呼び方をするな!ロイと名前で呼べと言ってるだろうが!!」
 「はあ?獣人は獣人でしょうが。名前なんてあってないようなものでしょ」
 ああ言えばこう言う。ムジだろうがお構いなしだ。口も性格も悪く喧嘩っ早い。喧嘩を売る相手は言葉を交わせれば誰でもいいのだ。
 「仕事をやらずに突っ立っているだけじゃ邪魔でしょうがない。出てけ出てけ。そこの犬っころと一緒にな!」
 しっしっと手のひらを振り、ロイとディルをも侮辱した。
 「いい加減にしろ!無礼にもほどがあるぞ!!」
 ムジはガマジに詰め寄った。胸倉を掴みにかかる様子に、周囲にいた従業員たちが焦って二人を引き剥がす。
 「獣人がでかいツラしてお天道様の下を悠々と歩いてるのが気にならねえ!お前らは王様の遊び道具だろうが。ぺこぺこ頭下げて命乞いでもしてろ!」
 ガマジは獣人のことにやけに詳しかった。ディルはそれが不思議だった。
 「相変わらず糞野郎だな」
 アンジェはガマジを睨みつけながら言い放つ。
 「やめねえか!二人とも追い出すぞ!!」
 一触即発の事態に待ったをかけたのはムジだ。空気がビリッとした。
 自身も熱くなっていたのを反省した。
 「患者ってことは怪我人なんだろう。無理はさせられねえ。さっさと始めて休んでもらえ」
 ムジは座布団をディルの前に置き、自分もその前にドカッと座り込んだ。
 「聞かねえ奴は外に出ろ」
 ムジの言葉に、お互い顔を見合わせてどうするか相談する声が上がった。二人、三人と出て行く者がいた。
 アンジェはディルを座らせて自身も隣に腰を下ろした。ロイは背中を丸めて隅に。ガマジやムジの怒声に体が縮こまっていた。ガマジはぶつぶつ文句を言いながら扉のそばに立っていた。

 「……ハァ、。ま、これが普通の対応だよなあ」
 ディルは溜息をついた。
 よく見る光景だ。
 獣人には誰もが理解を示してくれるわけじゃない。疎まれて妬まれて殺意さえ向けられる。それが今までの普通だ。
 それを覆したい。
 「獣人を個人として認めてもらいたい。人の一部として。ぼくは獣人を代表して獣人だけの国を造る。あなたにはその見届け人になってもらいたい」
 ディルはムジの目を見つめながら宣言し、床に頭を擦りつけるよう突っ伏した。
 ルオーゴ神殿のマリーとの約束だ。それを守るにはこれしかない。
 ディルが頭を下げるのと反対にロイは顔を上げた。
 「獣人の国を…造る?」

 関節を曲げるたびに骨が軋んでいく。森の中で正常になっていた呼吸がまた乱れてきた。脂汗も滲んできた。

 (息を整えろ。冷静さを保て)

 ディルは目を見開き、牙を剥き、自分に言い聞かせるよう低く唸った。
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