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第4章
3 ディルの試練
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「シダルばあさんいるかい?」
アンジェは、返事を待つ前にギギッと軋むドアを開けて家の中を覗いた。
頼まれていた関節痛の湿布薬を持ってきたのだ。
立て付けの悪いドアを上から下へと眺め、後でロイに直してもらおうと考えた。アンジェの背では蝶番に手が届かないのだ。
今までもちょこちょこと手を加えて修理をしていた。この家も家主に似てだいぶ古びれてきた。シダルが独り住まいになってからだいぶ経つ。それまでは息子が手を入れていたのだが、今はあまり気にしなくなっていた。
入ってすぐ、キッチンから良い香りが流れてきた。果実を煮込んでいるような香りだ。
仕切りのカーテンを開けると、火にかかったままの鍋がグツグツと音を立てていた。
「おいおい、火付けっぱなしだぞ!」
アンジェは慌てて鍋の蓋を開けた。
開けるとすぐにムワッとした甘ったるい湯気が溢れ出した。ロンギボンという大粒の木苺だ。
森の中や家の周りにたくさんなっていて、村の住人達の食卓によく上がる。シダルはジャムを作っているのだろう。ヘタの残骸が山盛りになっていた。
ジャムは果実と砂糖を煮詰めて作る。果実から出た水分が飛ぶ前だったので焦げ付かずに済んだ。
アンジェは木べらで鍋底から大きくかき混ぜた。
赤い実は煮詰めることによって、少しずつ黒く変わっていく。
「危ない危ない」
黒くはなるが焦げているわけではない。色止め剤を入れれば発色が良くなるのだが、見当たらなかった。
アンジェは仕方なく火を弱めた。戸棚を物色してもいいのだが、色止め剤が見つからなかったらただの家探しだ。しかも相手はシダルばあさん。後でネチネチ言われるのは御免だ。身近な人間ほど距離感は大事にしたい。
木べらの端についたジャムを手の甲に乗せ、口に運んだ。
「どれ」
粗めにカットされたロンギボンの果肉がごろごろ入っていた。
「あ。うまいうまい」
煮込まれて形を為していない。とろとろだ。実物のロンギボンより数十倍は甘い味に歓喜した。実物は、硬くて酸味が強い。
砂糖の量のバランスが良い。酸味がほどよく残っていてくどくない。
「これはいいな。少し分けてもらおうかな」
息子のアーシャに食べさせてみようと思った。
最近は偏食気味で、食事の時間はやや大変なのだ。肉も魚もあまり食べない。野菜や果実はまだ食べる方だが、硬いものは口にしない。噛まなくても食べられる柔らかいものが好きだ。熟れた果実やくたくたに煮た野菜など。
好きなものを好きなだけ与えれば食は進むのだが、栄養のバランスは良くない。味の変化も楽しんでもらいたい。
これなら甘味も酸味も味わえる。パンに付けてもいいし、ミルクと混ぜてもいい。固めてデザートにしてもいい。生のものを乾燥させてクッキーにしてもいいな。双子の親の菓子職人のホルーサのとこで作ってないか聞いてこよう。
アンジェはいろいろなメニューを考えた。これでアーシャの食が進めばいい。指折り数えては楽しげに笑った。
鍋の中ではフツフツと小さな気泡が出ては、割れてを繰り返していた。ジャムはこの後もっと美味しくなろうとしている。アンジェは灰汁を掬い皿に出した。
アンジェはしばらく鍋の様子を見ていたがふと顔を上げた。
「…ばあさんどこ行ったんだ?」
もうかれこれ三十分は帰ってこない。ちょっとそこまでの散歩には長くないだろうか。
弱火とはいえつけっぱなしは不安だ。アンジェは火を止めた。
このまま留守番をしていてもいいのだが、まだ仕事が残っている。離れざるを得ない。
アンジェはギギィと音を立てて扉を閉めた。軋む音に顔を顰めた。
斜向かいに自宅がある。先にこちらに寄ればよかったかとも思うが、なんとなくシダル家に足が向いてしまった。そういうこともあるよなと自分に言い聞かせた。ジャムの窮地を救えたから良しとしよう。
「ただいま」
返事は返ってこない。アーシャはナユタの家に預けている。ディルはまだベッドから動けない。仕切りカーテンを開けて中を覗いた。
「ディルくん。調子はどうだい」
ひょっこり顔を出してきたアンジェにディルは薄く目を開けた。
「……なんとか」
弱々しくもあるが受け答えまでできるくらいに回復していた。
「よしよし。もう少しだな。関節は動かした方がいいからマッサージをしよう」
アンジェは荷物を下ろし、ベッドの上に座った。
ディルの体を起こし、足の関節を伸ばした。
「ゆっくり自分で動かすよう意識してみてくれ」
「う…」
やろうとする気持ちはあるが思うように動かせない。ディルは唸る。
意識を集中しようと思えば思うけどうまくいかない。
「ゆっくりでいい」
アンジェの優しい声にディルは目を閉じる。
「体ひっくり返すぞ」
床ずれ防止だ。アンジェはディルの体を支えながら軽々とやってのけた。小柄な体型の割には力強い。
「薬材採りに崖上りなんかもするしな。それに子育ても体力がないとやってられん」
「…ちびっこか」
頻繁に子どもたちのキャッキャッとした笑い声が聞こえていた。
「うるさくして悪いな。最近はちょっと聞き分けがなくて…」
ディルが寝てる横で子ども達が騒いでいる。ロイの手にも余ることがある。
私の不在が多いからか、当たりが強くて手がつけられないとアンジェは頭を抱える。
「そんなもんじゃないの。子どもなんて」
ニルクーバにいた頃を思い出した。一番上と二番目には相手にされない分、真ん中の兄に弟と一緒にやたらとくっ付いては悪戯を仕掛けては怒られていた。
「子どもが子どもでいられる時間は限られている。あなたに甘えてるんだから、好きにさせてやんなよ。ぼくにはかまわないでいいからさ」
「…そうか。そうだよなあ」
もう少し一緒にいられる時間を作らないといけないなとアンジェはため息をついた。
「キアやロイに任せきりなのも駄目だな」
わかってはいるのだがついつい手を借りてしまう。自分より懐いているから余計に「じゃあいいか」と任せてしまう。よくないと頭ではわかってはいるのだが。なかなか。体が動かない。
「そういえばロイはどこに…」
「ロイはムジのところだな。昼間は宿場の方の手伝いをしている」
荷物運びや薪割りなどの雑務が多い。手が空いたら子どもの世話。結構忙しい毎日だ。
「ムジというのはこの村の長か?」
「まあ、そうだな」
ここの宿場をまとめている。ツッコミどころは多々あるが、いざという時の判断力は早い。村を守ること、ひいてはキハラを守ることと同列に考えている。キハラ信仰は誰よりも強い。
「本人は自負しているが最近はどうだろうな。キアの方が強いんじゃないか」
アンジェはふふふと笑う。
「…今はいるかな」
「会談や仕入れがなければいると思うぞ。何か用事か?」
「体が戻ったらにしたかったが、今いるなら今がいい。話がしたい」
決心が鈍らないうちに。
ディルはグッと足に力を入れて立ち上がった。
「おい、無理するな」
「今無理しないと…、できるときじゃないと余計無理だ…」
気力を振り絞ってディルはベッドから下りた。
ぶるぶると体が震えている。立っているのがやっとなのだ。一歩ずつ足を運ぶ。カチカチと爪が音を立てる。
「…あー、爪伸びてる。髪の毛もボサボサだ。こんな姿で人前に出る姿じゃないな」
でも今しかないんだとディルはぼそぼそと呟きながらよたよたと歩いた。
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