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第1部 第1章
12 急転直下
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窓から流れてくる風に髪の毛が揺れる。ドレスの裾も。本のページも。
ディルと追いかけっこをして汗ばんだ額にもふっと息をかけてくれる。ひとやすみ。張り詰めた部屋の空気を切り替えてくれる心地の良い風だ。
「 「影付き」としてこちらの世界に来たきみには、過去との清算が不可欠となる。元にいた世界での未練やしがらみなどを捨てて生き直して欲しい。それが、この世界に呼んだ理由でもあるし、使命でもある」
王は静かに語り出した。
悩みは誰にでも尽きない。問題は色々ある。今まで、抱えきれずに朽ち果てていく者を何人も見て来た。
「きみはまだ若いから、いくらでもやり直すことができる」
手離すことを罪悪感に思わなくていい。
ヴァリウスの語りにシャドウとレアシスはうんうんと頷く。ディルは窓際の椅子に腰掛けて、そっぽを向いていた。どうでもいいくらいにしか思ってないようだ。
「…お気持ちは大変嬉しいのですが」
壮大なプロジェクトにちょっと引き気味だ。生き直すって、ねえ…
ラクして新生 泉原雪ってこと?中身スッカスカだよね。きっと。
雪は申し訳なさそうに口を開いた。
王様に口答えって立場的にかなりヤバそう。大丈夫かな。狼藉者め!と言われてお縄かなぁ…
雪は内心ビクビクしながらも、ヴァリウスを見上げた。優しそうな面持ちでも、一国の王にあることは変わりない。威厳と威圧が交差する。
「ろーぜきものー」
窓辺でディルがいたずらっ子のように赤い舌を出してニヤニヤと笑っていた。また心を読まれていた。しかも意味もわかっている様子だ。
「っ!」
雪はキッとディルを睨むが、当人はどこ行く風か。窓の外ばかり見ていた。
「どうかしたかね?」
ディルのせいでやり直しだ。
「あ、いえ。…王様の仰ってることはよくわかります。私も、自分から進んで苦しい道を選ばなくてもいいんじゃないかって思いますもの。誰でもそう思います」
「なら」
「…でも、未練を捨てるということは今まで生きて来た証を捨てるということと同じだと思うんです。楽な方を選んでも後できっと後悔する。振り返ったところに私自身がいなかったら、もうどこにも行けない気がするんです。私が私でなくなったら、誰が私だと気づいてくれるんでしょうか」
泉原雪はどこへ行ったのか?
今まで辿って来た道は見えなくなってしまわないか?
手にしたもの。かけがえのないもの。忘れたくないもの。
譲れないものがありすぎる。
「…きみの荷物は大きい。いくらかの荷を下ろしても誰も文句はないと思うがな」
ヴァリウスは半ば呆れ顔だ。真面目で頑固。厄介な影付きだ。シャドウは不思議そうに雪を見た。荷物を持ってあげると言われて断るバカがどこにいる。
「…傲慢でバカだと思う。でも、それが私なんだと思います。悩んでいたいんですよ。きっと」
悩んで迷って。また、悩んで迷って。
永遠に繰り返す。
「でも、時には立ち止まります。さすがにその辺の力の抜き差しの配分はわかってますよ。でないと…」
悩みの塊に押し潰されて、結局は逃げる道を選んでしまう。家庭内のぐちゃぐちゃに嫌気がさして、就職を都内に決めたあの時のように。一度逃げた私が、二度も逃げるわけには行かない。
雪の決意にディルは一度こちらに顔を向けたが、またすぐに窓の外に移した。
「…では、その立ち止まる時間を私にくれないか?」
「は?」
「悩んでも答えが出なければ立ち止まるのだろう?その時間をこちらで過ごしてみなさい。気持ちを切り替えるにも時間が必要だ。そのぐらいの余暇は許されるだろう」
ヴァリウスはレアシスに向いてあれをと指示を出した。
レアシスは引き出しに入っていた小さな箱を取り出してきた。ネックレスをしまうような長細い箱だ。金属製で草花のレリーフが細やかに彫られていて宝石も散りばめられていた。
「これは?」
「きみが私の客人という証になる。旅の間は肌身離さず付けているように」
「旅?」
ヴァリウスは箱を開けて濃赤のチョーカーを出した。シンプルで模様や飾り気はなかったが、留め具には宝石が付いていた。ダイヤのような透明の石。
「っ!…お」
取り出された物を見てシャドウは顔色を変えて立ち上がる。ガタンッと大きな音を立てて椅子が倒れた。
「…あ、し、失礼しました。しかし、それは」
ヴァリウスの一瞥を全身に浴びて動けなくなってしまった。ついでに言うと立ち上がると同時にレアシスに背後から腕を捕まれていた。「動くな」と普段は出さないような低い声でシャドウは静止させられてしまった。
「雪様、こちらに」
レアシスに呼ばれ雪は立ち上がり、ヴァリウスの前に立った。
「これを肌身離さず持っていてくださいね。雪」
「は、はい」
きっとものすごく大事な物なんだろう。肌身離さず…と二度も言われてしまった。しかも名前まで呼ばれて、なんだか…気恥ずかしい。
あ、これ。どこかで見た気がする。どこだったっけ?しかも、ずっと付けていたジルコニアがない。どこで落としたんだろう。わりと気に入っていたのだけどな。
雪は胸元を探りながら、ちらりとヴァリウスを見た。笑顔が眩しい。夜だけど。ついでにレアシスも、柱の影にいる女官さんも。笑顔過ぎて逆に違和感がある。気のせい?
「…華奢な首だな」
ヴァリウス自ら、雪の首にチョーカーをかけた。カチリと留め具をかけた音がした。
「よく似合いますよ。雪様」
「肌が白いから赤がよく映える。明日にはそれに合う服も用意させよう」
ヴァリウスとレアシスはうんうんと交互に雪を褒めちぎった。
「…あ、ありがとうございます。あの、それで旅というのは」
元の世界に帰るという意味?
…にしてもさっきの呟き、気になるなぁ。
チョーカーをつけてもらった時の呟きだ。王様には悪いけど、ものすごく気持ち悪かった。満面の笑みといい、なんなの。急に態度が変わってる。
おかしい。さっきのシャドウさんといい、何があったの?
雪はシャドウを振り返る。下を向いて、あまりよく見えないが、先ほどとは打って変わって重苦しい気配を漂わせていた。
ディルさんは?どうせまた私の心を読んで笑っているんだろうけど。王様の悪口は声に出さないでよ!
雪は窓辺にいるであろうディルの方を向いた。いない。
「あ、れ?」
いるはずの人物がいなくなっていた。
「こっちだよ」
声がする方を向くと、すぐ傍まで来ていた。
「わっ!」
自分が上げた声に驚いて慌てて口元を両手で覆った。
「うるさいよ」
いつもと変わらず憎まれ口を叩くが、ディルもまた、彼自身を纏う空気に緊張感が走っていた。
「…ふふ。旅というのはですね。王のおつかいを頼まれてもらえませんか?」
レアシスはその空気を弾け飛ばすかのような明るい声を発した。
「おつかい?」
「はい。一国の王たる者、おいそれと国を空けるわけにはいきませんから、代わりに行ってくれる人を探していたんですよ。雪様の余暇も兼ねて、こちらの世界を旅するのも楽しいではないですか」
レアシスの周りだけが空気が和やかだ。水と油。似ても似つかない。
「…私は元の世界に帰れるのでしょうか?」
「…残念ながら、こちらに呼ばれて来た者が元の世界に戻れたという事例がないんですよ」
「そんな」
「ただ、この世界は広いですから、もしかしたらどこかに、元の世界に帰れる方法があるかもしれません」
王様も知らないのに?
「…どこに行けばいいんですか?」
誰に聞けと言うの?
「…とりあえずミルチ砂漠を越えて、ルオーゴ神殿に向かってください。場所はシャドウがよく知ってます」
「シャドウさんも行ってくれるんですか?」
「もちろん。ディルもね」
有無を言わさず決めつけられた二人は無言のままだ。
「異論はないな?三人とも」
ヴァリウスの今まで聞いて来たものとは真逆なほどの威圧感のある声に凄まれて、全身に寒気が走った。
返事をしなければ首を捕まれてへし折られそうだ。あの呟きはこれの前触れだったのか?
何で急に?
私が意見をしたことが気に障ったの?
それとも別のこと?
雪は震え上がってしまった。後ずさることもままならない。
「……ヴァリウス!」
唇を噛み締めながら漏れた唸るような声は、小さくてシャドウかディルかは判別ができない。振り返ることができない雪を背後から支える者がいた。無論、シャドウとディルだ。
「…承知しました」
「仕方ないから付いてってあげるよ」
雪はホッとして、二人の腕にもたれるように寄りかかった。
平静を装うように発した言葉だが、二人とも冷静さには欠けていた。
相手が王でなければ、腕の一本でもへし折ってた。ディルの口元からは牙が、指の爪は鋭利に光っていた。
相手が王でなければ…。
「決まりだな。では明朝に旅立つがいい」
窓から流れてくる風に髪の毛が揺れる。ドレスの裾も。本のページも。
ディルと追いかけっこをして汗ばんだ額にもふっと息をかけてくれる。ひとやすみ。張り詰めた部屋の空気を切り替えてくれる心地の良い風だ。
「 「影付き」としてこちらの世界に来たきみには、過去との清算が不可欠となる。元にいた世界での未練やしがらみなどを捨てて生き直して欲しい。それが、この世界に呼んだ理由でもあるし、使命でもある」
王は静かに語り出した。
悩みは誰にでも尽きない。問題は色々ある。今まで、抱えきれずに朽ち果てていく者を何人も見て来た。
「きみはまだ若いから、いくらでもやり直すことができる」
手離すことを罪悪感に思わなくていい。
ヴァリウスの語りにシャドウとレアシスはうんうんと頷く。ディルは窓際の椅子に腰掛けて、そっぽを向いていた。どうでもいいくらいにしか思ってないようだ。
「…お気持ちは大変嬉しいのですが」
壮大なプロジェクトにちょっと引き気味だ。生き直すって、ねえ…
ラクして新生 泉原雪ってこと?中身スッカスカだよね。きっと。
雪は申し訳なさそうに口を開いた。
王様に口答えって立場的にかなりヤバそう。大丈夫かな。狼藉者め!と言われてお縄かなぁ…
雪は内心ビクビクしながらも、ヴァリウスを見上げた。優しそうな面持ちでも、一国の王にあることは変わりない。威厳と威圧が交差する。
「ろーぜきものー」
窓辺でディルがいたずらっ子のように赤い舌を出してニヤニヤと笑っていた。また心を読まれていた。しかも意味もわかっている様子だ。
「っ!」
雪はキッとディルを睨むが、当人はどこ行く風か。窓の外ばかり見ていた。
「どうかしたかね?」
ディルのせいでやり直しだ。
「あ、いえ。…王様の仰ってることはよくわかります。私も、自分から進んで苦しい道を選ばなくてもいいんじゃないかって思いますもの。誰でもそう思います」
「なら」
「…でも、未練を捨てるということは今まで生きて来た証を捨てるということと同じだと思うんです。楽な方を選んでも後できっと後悔する。振り返ったところに私自身がいなかったら、もうどこにも行けない気がするんです。私が私でなくなったら、誰が私だと気づいてくれるんでしょうか」
泉原雪はどこへ行ったのか?
今まで辿って来た道は見えなくなってしまわないか?
手にしたもの。かけがえのないもの。忘れたくないもの。
譲れないものがありすぎる。
「…きみの荷物は大きい。いくらかの荷を下ろしても誰も文句はないと思うがな」
ヴァリウスは半ば呆れ顔だ。真面目で頑固。厄介な影付きだ。シャドウは不思議そうに雪を見た。荷物を持ってあげると言われて断るバカがどこにいる。
「…傲慢でバカだと思う。でも、それが私なんだと思います。悩んでいたいんですよ。きっと」
悩んで迷って。また、悩んで迷って。
永遠に繰り返す。
「でも、時には立ち止まります。さすがにその辺の力の抜き差しの配分はわかってますよ。でないと…」
悩みの塊に押し潰されて、結局は逃げる道を選んでしまう。家庭内のぐちゃぐちゃに嫌気がさして、就職を都内に決めたあの時のように。一度逃げた私が、二度も逃げるわけには行かない。
雪の決意にディルは一度こちらに顔を向けたが、またすぐに窓の外に移した。
「…では、その立ち止まる時間を私にくれないか?」
「は?」
「悩んでも答えが出なければ立ち止まるのだろう?その時間をこちらで過ごしてみなさい。気持ちを切り替えるにも時間が必要だ。そのぐらいの余暇は許されるだろう」
ヴァリウスはレアシスに向いてあれをと指示を出した。
レアシスは引き出しに入っていた小さな箱を取り出してきた。ネックレスをしまうような長細い箱だ。金属製で草花のレリーフが細やかに彫られていて宝石も散りばめられていた。
「これは?」
「きみが私の客人という証になる。旅の間は肌身離さず付けているように」
「旅?」
ヴァリウスは箱を開けて濃赤のチョーカーを出した。シンプルで模様や飾り気はなかったが、留め具には宝石が付いていた。ダイヤのような透明の石。
「っ!…お」
取り出された物を見てシャドウは顔色を変えて立ち上がる。ガタンッと大きな音を立てて椅子が倒れた。
「…あ、し、失礼しました。しかし、それは」
ヴァリウスの一瞥を全身に浴びて動けなくなってしまった。ついでに言うと立ち上がると同時にレアシスに背後から腕を捕まれていた。「動くな」と普段は出さないような低い声でシャドウは静止させられてしまった。
「雪様、こちらに」
レアシスに呼ばれ雪は立ち上がり、ヴァリウスの前に立った。
「これを肌身離さず持っていてくださいね。雪」
「は、はい」
きっとものすごく大事な物なんだろう。肌身離さず…と二度も言われてしまった。しかも名前まで呼ばれて、なんだか…気恥ずかしい。
あ、これ。どこかで見た気がする。どこだったっけ?しかも、ずっと付けていたジルコニアがない。どこで落としたんだろう。わりと気に入っていたのだけどな。
雪は胸元を探りながら、ちらりとヴァリウスを見た。笑顔が眩しい。夜だけど。ついでにレアシスも、柱の影にいる女官さんも。笑顔過ぎて逆に違和感がある。気のせい?
「…華奢な首だな」
ヴァリウス自ら、雪の首にチョーカーをかけた。カチリと留め具をかけた音がした。
「よく似合いますよ。雪様」
「肌が白いから赤がよく映える。明日にはそれに合う服も用意させよう」
ヴァリウスとレアシスはうんうんと交互に雪を褒めちぎった。
「…あ、ありがとうございます。あの、それで旅というのは」
元の世界に帰るという意味?
…にしてもさっきの呟き、気になるなぁ。
チョーカーをつけてもらった時の呟きだ。王様には悪いけど、ものすごく気持ち悪かった。満面の笑みといい、なんなの。急に態度が変わってる。
おかしい。さっきのシャドウさんといい、何があったの?
雪はシャドウを振り返る。下を向いて、あまりよく見えないが、先ほどとは打って変わって重苦しい気配を漂わせていた。
ディルさんは?どうせまた私の心を読んで笑っているんだろうけど。王様の悪口は声に出さないでよ!
雪は窓辺にいるであろうディルの方を向いた。いない。
「あ、れ?」
いるはずの人物がいなくなっていた。
「こっちだよ」
声がする方を向くと、すぐ傍まで来ていた。
「わっ!」
自分が上げた声に驚いて慌てて口元を両手で覆った。
「うるさいよ」
いつもと変わらず憎まれ口を叩くが、ディルもまた、彼自身を纏う空気に緊張感が走っていた。
「…ふふ。旅というのはですね。王のおつかいを頼まれてもらえませんか?」
レアシスはその空気を弾け飛ばすかのような明るい声を発した。
「おつかい?」
「はい。一国の王たる者、おいそれと国を空けるわけにはいきませんから、代わりに行ってくれる人を探していたんですよ。雪様の余暇も兼ねて、こちらの世界を旅するのも楽しいではないですか」
レアシスの周りだけが空気が和やかだ。水と油。似ても似つかない。
「…私は元の世界に帰れるのでしょうか?」
「…残念ながら、こちらに呼ばれて来た者が元の世界に戻れたという事例がないんですよ」
「そんな」
「ただ、この世界は広いですから、もしかしたらどこかに、元の世界に帰れる方法があるかもしれません」
王様も知らないのに?
「…どこに行けばいいんですか?」
誰に聞けと言うの?
「…とりあえずミルチ砂漠を越えて、ルオーゴ神殿に向かってください。場所はシャドウがよく知ってます」
「シャドウさんも行ってくれるんですか?」
「もちろん。ディルもね」
有無を言わさず決めつけられた二人は無言のままだ。
「異論はないな?三人とも」
ヴァリウスの今まで聞いて来たものとは真逆なほどの威圧感のある声に凄まれて、全身に寒気が走った。
返事をしなければ首を捕まれてへし折られそうだ。あの呟きはこれの前触れだったのか?
何で急に?
私が意見をしたことが気に障ったの?
それとも別のこと?
雪は震え上がってしまった。後ずさることもままならない。
「……ヴァリウス!」
唇を噛み締めながら漏れた唸るような声は、小さくてシャドウかディルかは判別ができない。振り返ることができない雪を背後から支える者がいた。無論、シャドウとディルだ。
「…承知しました」
「仕方ないから付いてってあげるよ」
雪はホッとして、二人の腕にもたれるように寄りかかった。
平静を装うように発した言葉だが、二人とも冷静さには欠けていた。
相手が王でなければ、腕の一本でもへし折ってた。ディルの口元からは牙が、指の爪は鋭利に光っていた。
相手が王でなければ…。
「決まりだな。では明朝に旅立つがいい」
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