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第4章
33 モヤモヤをふっ飛ばせ
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いつものことながら、悩み出すとすぐにキハラを頼ってしまう。
私は「自分」がない。キハラに甘えてばかりだ。もっとちゃんと自分を持ちたい。
いや、「持たなきゃ」いけない。いつまでもキハラに頼ってばかりではダメだ。悩みながらも、自分のことを省みる。キハラに甘えっぱなしの自覚はあるのだ。反省も踏まえ、ぎゅっと心に誓う。
「自分のことは自分で」
言いたいことぐらいは自分で決めよう。正解ではなくても、自分の気持ちを抑え込むことだけはしないようにしよう。いつか必ず「自分」が決断しなければいけない時が来る。
その時のために今からでもその心づもりは用意をしなければいけない。いつか来る別れの時に。
「別れ?」
キアは口に出してハッとした。咄嗟に振り返る。紅葉したての木々の中を掻い潜り、キハラの棲家まで視線を向けた。見えるはずはないのだが、必死になってその姿を探した。
「…まさか。そんなはずはない…よね」
買い出しに行くために村を出る。しかしそれは、ほんの数日間だけだ。
買い物が済めば村に帰る。荷物の分配だってしなければならない。水の宿も注文した商品がある。
私が仕分けをするとナユタと決めていた。約束を違えることはしたくない。
「…ちゃんと帰るもの」
キハラの元に。
キアはハーッと息を吐く。にわかに白く色づいていた。秋めいた森では気温が下がっていた。雨の後だからか、余計に空気がひんやりとした。握りしめた指先も冷たくなっていた。
「…ちゃんと帰る。私には番の役目がある…」
簡単に出ていかれない理由があるとして、キアはもう一度口に出して確認する。声に出さないと不安で仕方がなかった。
胸の音がドクンドクンと強く響いていた。自分で考えたことに打ちのめされて罠にかかってしまった。器用なのか。不器用なのか。どちらでもないのか。
「ただの馬鹿だな」
と、キハラがぼやいていそうだ。人を小馬鹿にするような辟易顔がわりと好きだったりする。打ちのめされる時もあるけれど、「本気にするな」とフォローも忘れない。根の優しさが垣間見れるのも好きだ。
キアは思い出しては息を吐いて、白く色づく様を眺めた。口角が緩んでいるのがわかる。
ふと、視線の先に人集りがあった。ディルだ。村人と数人で話をしている。その中には獣人のロイの姿もあった。
ディルは人間だが、獣人でもある。昼間は人の姿、夜間だけ犬の姿になるというが、精神的ストレスと怪我のせいで昼間でも獣化のままだった。怪我は治ってもまだ本調子ではない。
薬師のアンジェの見立てではまだ完治には時間はかかるだろうと言う。ディルはこちらに気がつくと、ふさふさの尻尾を左右に揺らした。
「キア!」
ワンとひと吠え。キアに向かって小走りしてきた。ぬかるんだ土が四方に飛び跳ねる。その後ろからロイもやって来た。
「ディルさん!ロイさん!」
同じ村にいても、それぞれ仕事があるのでなかなか姿を見ることがない。朝の水汲みと子どもたちのお世話でロイには会うが、ディルとは全然会わなかった。なんだか久しぶりだねとキアは笑う。
「獣人だけの国を造ると豪語したはいいけど、何をどうしたらいいかわからないんだ。拠点となる場所もない。今は主神の厚意でここにいさせてもらってるけど、ずっとってわけじゃない。いつかは出ていかなければならないのに、行き先がないんじゃ話にならない。だから、ここは一つ、ダメ元で実家に頼み込もうと思っている。そのために手紙を書いた」
ディルは元はニルクーバという貴族の家の出身だという。
「実際にはオレが代筆した」とロイが口を挟む。手には分厚い封書があった。
「父さんはもう引退しているから、今の長は兄だ。兄さん達の領土のどこかに無人島みたいな場所があればいいなって思ってる」
「もうだいぶ会ってないから、話が通るかはわからないけどね。今はこんな姿だし。でも、しのごの言ってる場合じゃないから」
使える手は何でも使うとディルは息巻く。
「そうなんだ。話が通るといいですね」
人の頑張りは素直に応援したい。
「うん。やってやる!」
ワンともうひと吠え。やる気は漲っていた。
「んで、キアは?」
「え?」
「こんなところで何をしてるんだ?」
ディルとロイは同時に首を傾けた。
「あ…、ええっと…。なんだろう、お散歩?」
色々と悩んでいて森の中を彷徨っていたと言うのは心配させてしまうだろうかとキアは思った。
「考え事をしていたら、どんどん森の奥に来てしまったみたい」
的確な答え。これを先に言えばよかったとキアは後悔した。
「…婆さんのこと聞いたのか?」
ロイはストレートに聞いて来た。キアのことだから悩んでいるのだろうとすぐに思いついたようだ。
「えっ!なんで知ってるの!?」
まだ内緒だとムジから口止めをされたのに。
「ムジの宿に出入りしていれば嫌でも耳に入るさ」
ロイは灰狼でピンッと立つ耳を指先で弾いた。人間より数倍以上感知能力が高い獣人には、内緒話などは無縁だ。
「そっか。そうだよね…」
「ムジの地声もデカいしな」
本当に隠す気があるんだかないんだか。ロイは皮肉るように笑った。
キアは心の中のモヤモヤを二人に素直に吐露した。自分の意見は言えるようにと誓ったばかりだ。
実践の場がこんなにも早く訪れるとは思っていなかったから、上手く説明ができるか不安になった。
だが、キアの言葉にディルはあっけらかんと答えた。
「その人はキアに当てつけで転居するわけじゃないんだろ?」
「そんなことはないと思うけど…」
「ならさ、その人は希望が叶った。その結果として、キアにとってはラッキーなことだった。それだけのことだろ。気にしすぎだよ」
うははとディルは大きく口を開けて笑った。
「あー、おっかしいな!キアはあいつに似てる!雪みたいだ」
「ゆ、き?」
会話の中に入って来た人名にキアは反応した。聞き馴染みがない。
「うん。仲間のひとり。他人のことばっかり気にしてて、自分のことはいつも後回し。なんかクセのあるやつだよ」
「私に似てるの?」
「うん。性格がね。自分より他人に優しいところなんてそっくりだよ。そんなだから損してばかりでさ」
「私も損してるのかな」
そんなふうに思うこともあったけれど、人よりも頑張らないとこの村にはいられないから、自分を後回しにしてしまうのは当然だった。空回りすることばかりだけど。優しさとは違うような気がする。
「その、ゆきさんは今はどこにいるの?」
「あー、うん。今はちょっといなくて、探してる最中なんだ」
「どこにいるかわからないの?」
「うん。まあ、そんなところ。僕ともう一人、シャドウという仲間と探しているんだ」
過去を懐かしむようにディルの表情がほどける。
「…シャドウ?」
ふと、頭によぎる人の姿があった。ぼんやりと。宿にいた先ほどの変な人の顔が浮かぶ。
「その人なら今、宿にいるかも」
そんな名前でナユタが呼んでいたかもしれないとキアは首を捻る。
「えっ?ほんと?シャドウがいるのか!?」
ディルの耳がピンッと張り、尻尾が激しく左右に揺れた。
「まじ?まじ?」
「や、ちょっと、ディルさん、落ち着いてっ」
「シャドウ!シャドーウ!!」
ワワワワーンと甲高い声を上げて、ハッハッハッと息遣いが荒くなり、前足をキアの腹部に押し当てた。
反動でキアの体は後ろに反る。法面から二人とも滑り落ちた。声を上げる前にずるっと一気にだ。
「おい!!」
ロイの声が響く。慌てふためくも手を伸ばすも間に合わなかった。
パシャン!と頭から水辺に落ちた。水位が浅かったため、「冷たっ」と頭皮に染みるくらいにおさまった。ロイはすぐにひょいとキアを抱き抱える。背中が真っ黒だ。髪の毛から水滴と枯れ葉が落ちた。
「ディル!お前な」
ロイが呆れた声を出す。
「ごめん!キア!でもうれしくて!!」
ディルは謝罪をするにも、明るくて元気な顔をして跳ね回っていた。そんな姿を見ては、責めることはできない。ぬかるんだ土だったためか、打ち付けてもあまり痛みはなかった。だが、体は泥だらけになった。
ディルの銀色に近い白い毛も真っ黒に変わった。まだ万全ではない体に無理はしないで欲しかった。全回復前は油断しがちだとアンジェも口酸っぱく言っていたのを思い出した。こんな姿見られたら怒られるかもしれない。
「…危ないよ気をつけて。怪我はない?」
「うん!ごめん!大丈夫!」
ハッハッハッと荒い息遣いのまま、駆け出していた。よっぽど嬉しかったのだろう。尻尾がこれでもかとぐるぐると回転していた。
「飛んでいっちゃいそうだね」
キアはふふふと笑みを浮かべる。ディルの喜びが自分のことのように感じた。このくらいシンプルに喜べたらいいのかと、自分の悩みを振り返る。
「…いいなぁ」
このくらいシンプルに感情をむき出したい。
「すき」も「きらい」も「イエス」も「ノー」も。
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