冤罪で魔法学園を追放された少年はいかにして世界最強の闇魔道士になったか

忍者の佐藤

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ぬいぐるみ

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 その日、大粒の雨が降っていた。

 廊下の外に目を向ければ景色は黒っぽく霞んでおり、ザアザアと雨音が響いてくる。午前中には晴れやかな青空が見えていたのだが、昼過ぎに急に曇り始め、放課後には大雨となっていた。

 まだ廊下には灯りが付いていないのでかなり薄暗い。視界はかなり悪く、曇天から差し込む鈍い光りによって、廊下は灰色に塗りつぶされているかのようだった。



 雨音以外は何も聞こえない。廊下は静寂に包まれている。そもそもリーザ先生の部屋に続くこの廊下は元から生徒の通りが少ないのだ。ここに来るまで一人の人間ともすれ違わなかった。



 ふと廊下の端に何かが座っているのが見えた。俺は歩行姿勢のまま硬直する。一瞬、心臓が止まるかと思うほど驚いた。

 誰だ? いや、誰だったとしても、こんな時間のこんな場所にしゃがみ込んでいるのはおかしいだろ。しかし、人にしては頭が大きすぎるような……。



 しばらく凝視してみてようやく気付いた。それは座り込んだ人間ではなく、地面に置かれた大きめのぬいぐるみだったのだ。



 硬直していた自分の身体から力が抜け、ふうっと一呼吸置いてからぬいぐるみに近づいてみた。大きく上に伸びる耳にクリっとした瞳。身体はずんぐりしていて手足は短い。それは白いウサギのぬいぐるみだった。



 しかしその全容が見えた瞬間、俺の身体は再び硬直していた。

「何だウサギのぬいぐるみが落ちてたのか。よくあるよくある」

 と受け流せなかったのには理由がある。端的にいうと、そのウサギが明らかに異様だったからだ。



 顔にも、胴にも、手足にも、傷のないところはないと思えるほど切り傷があり、それを黒っぽい糸で縫っているためかなり目立つ。最早歴戦の戦士である。



 一体誰が、何の意図でここに置いたのだろう。分からない。しかし、じっと見ているとこのウサギに魅入られそうな気がしたので、俺はさっさと立ち去ることにした。その時



「捕まえた」



 急に後ろから強い力によって腕ごと絡め取られた。一瞬身体が跳ねるかと思うほどの驚愕と恐怖で、俺は声さえ出せなかった。犯人の顔が俺の肩に乗せられる。そこから甘い、しかしこの雨空のように濃い葡萄の香りが漂って来ていた。ん? 葡萄?



「る、ルナか……?」



 俺の身体に回されていた腕が離れたので、急いで犯人に振り返った。果たしてそこにいたのはルナ・グレイプドールだった。無邪気に笑い、目を輝かせている。その艶やかな紫色の髪は、薄暗い闇の中にあるためほとんど黒色に見える。



「こんな所で会うなんて奇遇ですね」



 ルナは近い距離を更に一歩詰めて来て言った。彼女の胸が俺に当たりそうになる。圧迫感が凄い。

 ちなみに彼女の言う「奇遇ですね」は初めてではない。これは長くなるので別の機会に語ろうと思うが、俺がルナの呪いを解いて以来、奇遇にも様々な場所でルナと鉢合わせする回数が増えた。



 買い物に出掛けた街中であったり、魚釣りに出掛けた池で泳いでいたり、ホウキを取ろうと開けた掃除用具入れに収まっていたり。

 今回も何でこんな闇魔法専攻の生徒しか通りそうにない場所にいるのか不明だが……まあそれは置いておこう。





「クラウス様がクーちゃんを見つけて下さったんですね。流石です」



 ルナはその大きな瞳で俺に笑いかけてくる。暗いせいか、その瞳は不気味なほど巨大に見え、わずかな光を得てしぶとく光っている。



「クーちゃん?」

「そのぬいぐるみです」



 なるほど、これはルナのぬいぐるみなのか。傷だらけの理由を妙に納得した気がした。



「我が見つけたわけではない。元からここに置いてあったのだ」

「いいえ、クラウス様のお陰です」



 ルナの目はブレない。相変わらず凄い目力だ。



「しかし、どうしてこんなにツギハギだらけなのだ」

「可哀想に、クーちゃんはよく怪我をするんです」



 眉を下げ、悲しげな表情で言った。まるで生きた動物についてでも話すような言い方に俺は軽く戦慄した。この人怖い。前から分かってたけど。



「……そして、どうしてこんな所にぬいぐるみを置いているのだ? 大切なぬいぐるみなのだろう?」

「いえ、私が置いたのではありません」

「すると、誰かにいたずらされたのか?」

「クラウス様は私にいたずらしたいのですか?」



 ルナはからかうように笑って言った。いや、何でそうなるんだよ。したいです。



「そうではない」



 俺は努めて冷静に言った。



「クーちゃんは、昨晩から居なくなってしまったんです」

「居なくなった?」



 まるでそのぬいぐるみが自立して動いているかのように聞こえるんだが……。まさか中におっさんでも入っているのだろうか。



「目を離した隙に、どこかに行ってしまうんです」



 いやラリってんのかお前は。と口元まで出掛かったが、ルナの境遇や、呪いのことを加味すれば、あり得ない話ではないのかもしれない。あり得ない話ではないのが余計に怖い。完全にホラーだ。

 俺は昔からホラー耐性がゼロだから止めて欲しい。

 小さい頃、畑道に白い人影が横たわっているのを見つけて失神したことがある。ちなみに後からそれは大根であることが発覚した。



「どこかに行ってしまうとは、どういう意味なのだ……?」

「ですから、とことこ歩いて……」

「とことこ!?」

「スコスコの時もあります」

「スコスコ!?」



 スコスコ歩くって何だよ。



「でも、そんな事はどうでうも良いのです」



 いや流すんかい。不意にルナはぬいぐるみに抱きついた。愛おしそうに体を撫でる、その手つきが何やら悩ましい。



「見つかって良かったです。私、この子を抱いて寝ないと落ち着かなくて……」

「そう、なのか」



 そうなのか、の他に言える言葉を見つけられなかった。



「毎日、この子のことをクラウス様だと思って抱いて寝ているのです。そうすると全然眠れないのです」



 駄目じゃねえか。いや、それより俺だと思って寝てるって……? え、それはつまり俺と添い寝をしたいって意味か? 何そのエッチな告白。

 ルナの表情はさっきから変わらず、嘘を言っているようには見えない。



「どうしてなのでしょう。クラウス様が側にいると思うと、気分が高揚して来て、何だか身体が熱ってしまうのです」



 ルナの表情が柔らかく、溶けるようにり、まるで慈しむかのように目を細めた。彼女との距離が近いため、その吐息がやけに熱く、俺にかかったような気がした。

 んほお! もう無理! 理性壊れる! 何この一挙手一投足がエロい女!



「クラウス様」

「何じゃ」



 やべ。動揺して口調ミスった。その時、ルナが急に伏し目がちになった。それに手をモジモジさせたり、髪を触ったりして落ち着かない。いつもの自信を感じさせるルナとは明らかに異なっている。



「実は、クラウス様にお願いがあるのです」



 意を決したようにルナは顔を上げた。切なそうに眉を下げ、その瞳は潤んでいる。



「どうしたのだ」

「私と結婚して下さい!」



 ……え?
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