小説探偵

夕凪ヨウ

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Case62.鮮血の迷宮美術館③

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「う・・・!」
「遠山館長。お手洗いでお願いします。」

 口元を押さえた遠山館長を見て、龍はすかさずそう言った。遠山館長はすぐに部屋を出ていき、化粧室に走った。2人は血溜まりに足を浸し、遺体を見た。

「あの少年が言っていた特徴と一致するね。あの子の母親で間違い無いだろう。念のため、指紋認証を・・・・」

 その時、2人は被害者の両手首がないことに気がついた。

「まさか。」
「両手首も・・・この美術館の中にあるんだろうな。全く、どうなってんだよ。」
「シリアルキラー・・・? いや、まだ断定できないね。遠山館長に頼んで、来館者を1階のロビーに集めよう。制御室と鏡の間は封鎖だ。」

 その後、玲央の指示で来館者がロビーに集められ、2つの部屋が封鎖された。2人の部下が来館者に事情を軽く説明し、絶対にロビーから動かないよう指示した。

「お、お客様を返してはいけないのですか?」
「ダメです。来館者の中に犯人がいる可能性も捨て切れない。胴体をどうやって運んだのかは分かりませんが、取り敢えず被害者の手首を探させています。私たちは聞き込みを行いますから、遠山館長も後ほど。」

 すぐに、警察による事情聴取が行われた。被害者の死後、1時間も経っていないことから、殺害時間は短い。加えて、この美術館の中で、どうやって遺体を運んだのか・・・・多くの謎を残しながら、2人は行動を開始した。

「そういえば、あの少年。名前は?」
「翔っていうみたいよ。橘翔。亡くなった母親が橘梨江ですって。」
「橘・・・ね。そういえば、6年くらい前に、橘って名前の会社員が横領で逮捕された事件があったな。もしかして、それがあの子の父親?」

 玲央の言葉に凪は呆れながら言った。

「よく覚えてるわね。あの子に聞くの?」
「いや。仮にそうだったとしても、多分覚えていないだろうし、傷心している彼に聞くべきじゃないだろうから。」

 凪はそうねと同意し、翔の元に行った。翔は光のない、幽霊のような瞳をして、ずっと床を見つめていた。警察の質問には何も答えず、美希子や凪が声をかけても、返事1つしなかった。

「兄貴。」
「ん? どうしたの、龍。」

 龍は質問に答えず、無言で1枚のハンカチを差し出した。真っ白なハンカチで、隅っこの方に、赤い糸で“A・H”と刺繍が施してある。玲央は眉を顰めた。

「どこでこれを?」
「鏡の間で拾った。来館者に聞いてみたが、持ち主はいない。それにこれ・・・」

 龍はハンカチを広げ、端の方を指さした。そこには、赤黒い染みがあった。小さいが、真っ白なハンカチの上ではよく目立っている。

「血・・・?」
「多分な。さっき鑑識に回した。」
「来館者に持ち主がおらず、被害者の物でもない・・・? それって、まさか・・・・」
「この美術館で死んだ誰か。」

 そう言ったのは美希子だった。龍は呆れながら、

「ロビーで待ってろって言ったろ。」
「いいじゃん。調査協力!」
「お前なあ・・俺たちの上司の娘だからって、何でもかんでも許されるわけじゃないぞ。」
「えー玲央さんはどう思う?」
「やめといた方がいいよ。以前、江本君と一緒の時に協力したと聞いたけど、今回は場合が違う。殺人の残酷さはもちろん、過去に亡くなった人間がいるとなれば・・・危険すぎる。俺たちは仮にも君を預かっている身だ。無茶なことは謹んでくれ。」
「でも~」

 なお不服そうな美希子を、凪が宥めた。玲央は溜息をつきながら、

「あんなに好奇心旺盛だったけ?」
「どうやら、江本と出会って以来少し変わったらしい。」
「ああ、あのスケート大会の?美希子も変わりものだね。探偵に興味を示したってこと?」
「そうらしい。」

 玲央はやれやれというふうに首を振り、ロビーを見渡した。スタッフの顔を1人1人見つめ、ふと目を止める。

「すみません。」
「え? 何ですか?」

 玲央が声をかけたのは、年配のスタッフだった。玲央は警戒されないよう、ゆっくりと続ける。

「いつからここで働いているんですか?」
「5年前です。」

 思ったより短いと感じたが、欲している情報が手に入るかもしれないと思い、玲央は続けた。

「5年前・・・副館長が亡くなったのはいつです?」
「2年前です。」
「どこでどうやって亡くなったんですか? 知っている限り、教えて頂きたいのですが。」
「・・・確か・・心筋梗塞だったと思います。ただ、私は葬儀に出ていませんから、遠山館長に聞いた方が良いかと。」
「ありがとうございます。」

 玲央が龍を横目で見ると、龍は軽く頷き、遠山館長の元へ走った。

「はい・・確かに、心筋梗塞で亡くなりました。」
「副館長の名前は?」
「浜崎有紗・・と。」
「浜崎・・・? まさか、このハンカチの持ち主って亡くなった副館長の物ですか?」

 そのハンカチを見て、遠山館長は一瞬怯えたような表情をし、すぐに悲しそうな笑顔を浮かべた。龍が怪訝な顔をすると、彼は取り繕うように言う。

「ええ。しかし、なぜ鏡の間にあったのでしょうね。彼女は確かにあの部屋を愛していましたが、事務的な用事があってあまりあの部屋に行かなかった。」

 その言葉に、龍の眉が動いた。遠山館長は何かに気がついたのか、笑みを崩さず俯く。

「なぜ、鏡の間にあったことが分かるのですか?私は、このハンカチが落ちていた場所を一言も口にしていませんよ。」
「・・・・何となく、そうだと思っただけですよ。」
「制御室の鍵を持っているのは、遠山館長・・あなただけだそうですね。他の人間が鍵を持っていることはない。」
「合鍵の可能性もありますが。」
「そうですね。しかし、あなたは常に全ての部屋の鍵を腰に付けている。合鍵を作るなんて芸当・・・できるでしょうか?」

 龍の推理は、賭けに近かった。例え遠山館長が浜崎有紗殺しの犯人だとしても、今回の事件と一致するとは限らないのだ。龍は慎重に続ける。

「鏡の間にあった床の凹凸。あれは必然的に作られたものではないですか?あの凹凸の側に、床と同じ色の木のカスが落ちていた。」
「つまり?」
「あの下に隠し部屋か何かがあるのでは?」

 龍の言葉に、遠山館長は高笑いを上げた。初めの落ち着いた雰囲気からは感じられない、ゾッとするような笑い方だった。

「考えすぎですよ。いくら迷宮美術館とはいえ、隠し部屋などあるわけがない。」
「・・・・では・・遺体が制御室にあった理由は何だと思わせますか?」
「人目につかないからじゃないですか?誰もあの部屋には入れないでしょう。」

 遠山館長は小馬鹿にするような笑みを浮かべて言った。龍は頷いて口を開く。

「そうですね。“あなた以外”は、誰も入れない。」

 今度は遠山館長の眉が動いた。彼は笑みを消し、冷たい瞳で龍を見る。

「制御室に入るためには、3つの段階を踏まなければならない。1つ、右手の指全ての指紋認証。2つ、顔認証。瞳、鼻、口、ほくろの位置も含めた精巧な認証。そして、最後がパスワードと鍵。といっても、鍵を刺した時に扉が開いたので、鍵にパスワードが認証されていると考えていい。」
「・・・・部屋を開けるのは一瞬の動作だったはず。よく見ていましたね。」
「そりゃどうも。加えて、制御室の扉を開けた時のあなたの表情もお教えしましょうか?」

 龍の挑発するような口調に、遠山館長は落ち着いて言った。

「結構ですよ。分かりきっています。あの時の私は・・笑っていましたから。」
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