小説探偵

夕凪ヨウ

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Case84.カジノに潜む悪魔④

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 え、という声が自然と漏れた。思わず老爺の顔を呆然と見つめる。しかし、私の心情を知ってか、知らずか、老爺は和やかな口調で続けた。
「そう難しい話ではない。あの時、お前さんの服装はーー」
 続けられた言葉は、その都度殴られているかのように頭に刻みつけられた。恐怖、畏怖、疑念ーーあらゆる感情が回り続け、何かを言うこともできない。
 でも、本当に驚いたのは、名前を呼ばれて振り返った後のことだった。

    ーカイリ『カジノに潜む悪魔』第4章ー
 
            ※

『・・・・なるほど』
 浩史が話を終えると、小夜は小さな声でそう応じた。
「あくまで可能性、だが」
『いえ。十分です。後は私が調べます』
 小夜はすぐ返事をした後、少し間を置いて笑った。失笑のような、嘲笑な笑い声が聞こえた。
『本当、私たちは悪党ですよね。玲央に嘘をつき続けて、こんなこと。彼は、私たちを信頼してくれているのに』
「君が気に病む必要はない。言い出したのは私の方だ。
 それに、玲央は間違いなく優秀だが、君や龍が絡むと臆病なほど慎重になる。その性格を利用していると言えば聞こえは悪いが、間違ってはいない。
 いずれ知られることならば、これをきっかけに龍と同じほどの冷静さを身につけてもらってもいいかもしれないが』
『手厳しい方ですね。何はともあれ、情報ありがとうございました。また』
「ああ」
 電話を切ると、浩史は深い溜息をついた。電話帳に登録された小夜の名前を見つめ、手持ち無沙汰に画面をスクロールし、眉を顰める。
「・・・・すまない」
 誰にも聞かれていないつぶやきは、梅雨の湿気に霧散したように感じられた。
                     
            ※

「本当に驚きました。白百合高校の事件で刑務官の犯罪の証拠を見つけ出したのも、天宮家の事件で防犯カメラ映像の細工を紐解いたのも、玲央さんと出会った放火殺人事件で犯人の過去を調べたのも、何もかもアサヒさんがやられていたなんて」
 自分と東堂兄弟のこれまでを話している中、龍はアサヒに協力してもらったことを何度も口にした。彼女の協力は全て無くてはならないものであり、龍と玲央の彼女に対する厚い信頼が読み取れた。
 アサヒはふっと微笑み、頬杖をついている右手の上に乗せた首を傾げる。
「どれも本当に大変だったわ。鑑識課員に全く関係のない仕事を持ち込んで来るんだもの。ま、仕事をしただけだし、その都度お礼はしてもらっているから」
 そう言ってアサヒはグラスを持ち上げるような仕草をした。よくお酒を飲むのだとわかり、海里は思わず笑みをこぼす。
 すると、アサヒは頬杖を解いて声を出しながら伸びをした。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか」
 海里がハッとして腕時計を見ると、15分以上が経過していた。かなり長く話してしまったと反省したが、龍とアサヒに気にしている様子はなかった。
「この間、鑑識課長に長時間仕事場にいないことがあるって愚痴られたぞ。俺が情報収集頼んでない時だったけど、どこ行ってたんだよ」
「あら、私だって色々あるのよ? 誰かさんのためだけに情報を集めてるわけじゃないんだから」
 そう言って視線を落とした直後、アサヒの目つきが変わった。海里がハッと息を呑むと、彼女は龍が持ってきた木の欠片を素早く顕微鏡のプレパラートに挟んで観察し、それが終わるなりキーボードを叩いた。海里は身を乗り出して画面を見たが、切り替わりが早すぎるせいで、何かの画像が映っていることしか認識できなかった。
「これは違う。これも・・・これも。こっちは近いけど、成分が一致しないーー」
 何を見ているのか本人はわかっているらしく、アサヒはつぶやきながら画面を切り替えていた。海里は唖然とし、言葉を失う。彼の様子に気がついた龍が、どこか誇らしげに笑った。
「同じ熱量と速さで情報が収集できるとしたら、どうだ?」
 海里は答える代わりに笑った。目の当たりにしてやっと、龍と玲央の厚い信頼の理由が理解できた気がした。
 

「あったわ」
 5分も経たないうちにアサヒが言った。海里が勢いよく立ち上がって画面を見ると、龍が現場で拾った木の欠片と同じ物の説明が並んでいた。
 龍は数秒間だけ画面を見つめ、息を吐き出すように短く告げる。
「オークか。一般的な杖の素材だな」
 杖、の一言に海里は思わず肩を振るわせた。眉を顰めて顔を上げ、龍と視線を交わす。
「では、本当に?」
「可能性が高くなった、とだけ言っておく。急に頼んで悪かったな、助かったよアサヒ」
「どうも。事件終わったら奢ってね?」
 アサヒはパソコンの横に積もった資料を顎で示しながら言った。何度も交わしたやり取りなのか、龍は軽い口調で返事をして立ち上がる。
 同時に、背後から声が聞こえた。
「あ、終わった?」
 鑑識課に入ってきたのは玲央だった。龍は頷く。
「ああ。オーク製の杖の素材で間違いなさそうだ。俺たちはもう1度現場に行くが、兄貴はどうする?」
「アサヒの詳しい報告を聞いてから行くよ。先に行ってて」
「わかりました。また後で」
 2人が慌ただしく出て行くと、アサヒは聞こえよがしに溜息をついた。玲央に視線を移し、尋ねる。
「また思い詰めた顔して。今回の事件に何かあるの?」
 玲央は君に隠し事はできないね、と苦笑いで言って続ける。
「あくまで可能性に過ぎないけど・・・もしかしたら、かもしれないんだ。9年前の・・・・あの日から」
 その言葉を聞くなり、アサヒは笑みを消して真顔になった。流れるような動作で長い足を組み、椅子を動かして正面から玲央を見据える。
「・・・・それ、小夜さんには?」
 玲央は大きく首を横に振りながら答えた。
「言ってないよ。言えるわけない。俺は極力彼女のことを危険に晒す気はないんだ。君も知ってるだろう」
「そうね。でも隠し通せないわよ。彼女、勘がいいもの」
「それくらいわかってーー」
 玲央の言葉を遮るように、アサヒはすかず続けた。
「頭がいい、の方が正しいわね。  
 小説探偵ーーもう江本さんと呼ぶけれどーー恐らく、彼より答えに辿り着くのは早いはず。加えて先見の明がある。情報なんて与えなくても、頭が勝手に分析しちゃうんじゃないの?」
 アサヒの言葉に、玲央は強く拳を握りしめた。震えている体を見つめながら、彼女はゆっくり椅子から立ち上がる。おもむろに右腕を持ち上げ、玲央の肩に置く。
「早く龍に言いなさいよ。天宮家の事件が起きた時、龍と小夜さんが知り合いじゃないって知って、本当に驚いたんだから。それに、これはあなただけで解決できる問題じゃないでしょ?」
「そうだけど・・・・でも・・・これ以上、龍に背負わせたくはないよ」
 アサヒは思わず顔を歪めーー歪めた顔も美しいと誰もが思うだろうがーー呆れた声を上げた。
「あのねえ、仮にあなただけが背負ってるって知ったら、龍は怒るわよ。第一、もう小夜さんと知り合いになってるなら、隠すのにも限界があるわ。今回の事件で、明るみになるかもしれない。
 自分だけが知らなかったってわかった時、龍がどんな顔をするか・・・・誰よりもわかっているはずじゃない」
「そうだとしても・・・俺は、を違えたくない。龍に申し訳ないとは思うけど、それでも、大切なことなんだ」
 切実な色を帯びた玲央の発言に、アサヒは深いため息をついた。
「強情者。もっと周りを頼りなさいよ」
                     
            ※

「仮にお前が出会った老人がここに来たとしたとする。殺しは深夜に行われたが、人目を避けるためには事前準備も必要なはずだ」
「つまり、犯人は犯行前に現場付近を通った可能性があるということですか?」
「ああ。近くに防犯カメラがないか調べて、目撃情報も探す必要がある。結果的に外れかもしれないが、何もないとは断言できない」
 現場に足を運んだ2人は、周囲の建物を調べたり、近くの店や家などで聞き込みをした。しかし、数時間経っても中々目ぼしい発見や報告がなく、引き上げを視野に入れ始めた。そんな時、現場から数百メートル離れた住宅街に住む女性が「老人を見た」と証言した。
 龍と別行動をしていた海里は驚き、素早く尋ねる。
「何時ごろかわかりますか?」
 女性は少し考えるように俯いてから、ゆったりとした口調で答えた。
「夜の10時頃だったと思います。娘を寝かせて、私も寝ようとした時にたまたま・・・・」
「窓から見えたということですか?」
「はい。戸締りの確認をするために、カーテンを開けた時です。杖をついていたのでご老人とは思ったんですけど、顔は見えませんでした。徘徊も考えはしたんですが、夫がいない中で娘を一人にするのはよくないと思って、声をかけてはいません」
 当然の考えだと思い、海里は同意するように頷いた。
「ありがとうございます。参考にさせて頂きますね」
 海里が龍の車に戻ると、彼はまだ戻ってきていなかった。連絡をしようか迷って胸元を探ると、車の側に老爺がいることに気がついた。思わず「え」と声を上げると、老爺は顔だけ海里の方を見た。
「おや、この間のお兄さんかのう」
「はい・・・どうしてこんな所に? 先日、そちらの建物で殺人事件が起こったところです。・・・・危険ですよ」
「ただの散歩じゃよ。家が近所で、毎日散歩しているんじゃ。車が止まっておったから、何かあったのかと思ってのう」
 ゆったりと話す老爺は、穏やかそのものだった。海里は可能性とはいえ、彼が殺人犯であるとは、とても思えなかった。
 すると、海里の不安を汲み取ったのか、老爺はより穏やかな笑みを浮かべた。
「何にせよ、仕事熱心なのは良いことじゃ。私も元々商売をしておったが、お兄さんほど熱心ではなかったの」
「そんな・・・それに、私は警察官ではありませんよ。訳あって協力しているだけです」
 その言葉に老爺は目を瞬かせて言った。
「そうなのか? 先日会ったあの時、警視庁に向かっていたから、てっきり警察官かと思っていたが」
「えっ?」
 海里は目を見開いた。あの時、海里は老爺と談笑をしたものの、自分の目的地など事件に関することは何も口にしていないのだ。老爺を見守りはしていたが、逆も起こっていたのだと簡単には理解できなかった。
 老爺は、穏やかな表情を崩さぬまま続ける。
「簡単な話じゃよ。
 あの時、お前さんの格好は整っておった。スーツではなかったが、シンプルで手入れの行き届いた服装じゃった。ただ、お前さんくらいの社会人が平日に街を歩くのは違和感を覚えた一方、割と大きな鞄を持っておった。A4サイズの紙やファイルが入るくらいのな。サラリーマンでないとすれば、少し筋肉質な体は何のためにあるのかと考えた。そこで、儂が駅に着いて歩き出した後、警視庁に向かう姿を確認したんじゃ。てっきり警察かと思ったのじゃが・・・・違ったが」
 この人・・・・一体何者だ⁉︎ 確かに、外出する上、警視庁に顔を出すから身なりは整えた。資料を受け取る予定だったから、大きめの鞄を持った。でも、それだけで、そんな些細なこととわずかな時間で、私のことを分析していたというのか? 普通なら、そんなことしない。私だってこの人を観察したけれど、それはあくまで心配ゆえだったというのに。
 呆気に取られて立ち尽くしていると、龍の声が聞こえた。
「江本。防犯カメラの映像が手に入ったから、取り敢えず確認しないか」
 我に返った海里は、振り返りながら口を開いた。
「あ、東堂さん・・・この人が・・・」
「人? 。何言ってるんだよ」
 驚いて再び前を見ると、いつの間にか老爺はいなくなっていた。何が起こったのか理解できずに呆然とし、周囲を見渡したが、老爺の姿は見当たらなかった。
 海里は仕方なく気持ちを切り替えるように息を吐き、龍に向き直る。
「えっと、防犯カメラの映像でしたね。何か写ってました?」
「ああ。お前が言った特徴と一致する老人が写ってた。事件が起きた、昨日の夜の映像にな」
 海里は先ほどまでの穏やかさと、理由のわからない鋭さを思い出し、息を呑んだ。龍も流石に驚いているらしく、普段より瞳に動揺が見えた。


 しかし同時に、彼らは感じていた。
 この事件の、
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