小説探偵

夕凪ヨウ

文字の大きさ
上 下
162 / 234

Case157.容疑者・江本海里⑤

しおりを挟む
「お時間をとって頂いて感謝します、伽耶子さん、一哉さん、治郎さん。」

 海里の言葉に応えるように、3人は頭を下げた。

「あなた、警察の方には見えませんわね。」
「ええ。ただの小説家です。」

 伽耶子は不審そうに海里を見たが、彼の微笑に気圧されたのか、何も言わなかった。彼女は軽く溜息をつく。

「それで?わたくしどもに何をお聞きになりたいんですの?」
「事件当時の行動です。詳しく話してくださると助かります。」
「やめろよ、母さん。」

 そう言ったのは長男の一哉だった。彼は苛立ちを含んだ顔で海里を睨みつける。

「警察じゃない奴の言うことなんて聞く必要ないだろ。」
「でも一哉。話さないと疑いも晴れないわ。早く済ませましょう。」
「そうだよ、兄さん。父さんが生きようが死のうが関係ないけど、犯人になるなんて御免じゃないか。」

 2人の言葉に、海里は唖然とした。自分の父親のことを、そこまで嫌えるものなのかと驚いた。

「20時ごろに部屋に戻りましたわ。その後は、20時半頃に入浴して、21時には眠りましたの。夫には会っていませんわ。」
「・・・20時?皆さんは、一切パーティーに参加されていないんですか?昨夜、私は自分の部屋にいましたが、20時ちょうどにクラッカーの音が聞こえましたよ。」

 伽倻子はそうですね、と言って頷いた。

「わたくしたちは参加していませんわ。夫の友人と顔を合わせるのも面倒ですし、子供たちも仕事が立て込んでいますから。」
「仕事とは?」
「サラリーマンだよ。父さんと同じ政治家なんてまっぴらだ。」
「同感。賄賂を送って立場を明確にした人なんて尊敬できない。」

 2人の息子はあくまで父親を否定するようだった。海里はそこにはそれ以上触れず、なるほど、と頷いた。

「では質問を変えます。昨夜、恵一郎さんの部屋に入ることはできましたか?」

 3人の顔に戦慄が走った。海里の隣にいる吾妻は驚いて海里を見る。

「なっ・・何言ってんだ、あんた!オートロックの部屋に入れるわけねえだろ⁉︎」
「そうですね。でも、オートロックを停止すれば可能です。」
「はあ⁉︎」

 一哉は怒りの表情で海里を見た。海里は落ち着いた口調で続ける。

「一種の可能性ですよ。普通に考えて、オートロックの部屋に入ることはできません。でも、“あなた方なら可能”ではありませんか?」
「まさか、あのことを知って・・・?」

 伽耶子がハッとした。海里は頷く。

「この神奈川ホテルの建設費を出したのは、恵一郎さんですね?あなた方もそれを知っており、オートロック等の仕掛けも当然ご存知のはず。逆に言えば・・・その仕組みの“外し方”も分かるはずです。」
「だったら何だよ⁉︎全部解除したって言うのか⁉︎そんなことしたら、部屋に入る人間が怪しむだろ!」
「一部だけ解除することもできると聞いていますよ。管理人さんに話を伺いました。皆さんなら地下にある操作部屋も知っている・・・。私の部屋に入ることはできます。」

 3人は押し黙った。海里は息を吐く。

「ただ分からないことがあります。
なぜ、私の原稿を持ち去ったのですか?部屋に入ったのですから電気は付けれますし、身元を確認するなら免許証が一般的です。それなのに、あなたたちは私の原稿が身元の確認ができるものとして持っていた・・・。いつ、どこで、分かったんですか?」
「原稿なんて知らないよ‼︎ホッチキスで止めてあったものが取れるわけっ・・・!」

 治郎の言葉に被せるように海里は口をひらいな。

「ホッチキスで止めてあるなんて、よくご存知でしたね。あの原稿は編集者さんにもお見せしていないのですが。」

 治郎が口を押さえた。伽耶子と一哉は真っ青な顔をしている。

「・・・・永井さんの方が怪しいですわ。あの人は・・夫の秘書。昨夜はわたくしたちより一緒にいる時間がある。」
「そうですね。でも、この事件は“複数犯”なんですよ。彼1人では無理です。」
「理由になってないだろ。」
「バスローブの大きさですよ。永井さんは高身長でいらっしゃいますから、あのバスローブは小さかった。彼が着たら前が閉まらないはずです。加えて、あれは女性物。ホテルにある物とは種類が違いました。素材は絹・・・。上等なものです。」

 海里はからかうように笑った。伽耶子はわなわなと肩を震わせている。

「恵一郎さんを殺した動機はなんです?ある程度の情報は知っていますが・・・。」
「・・・・動機・・ね。そんなもの、決まっていますわ。嫌気がさしたんです。」

 伽耶子は歪んだ笑みを浮かべてそう言った。海里は目を細める。

「暴力、暴言、不倫、賄賂。ありとあらゆる問題に悩まされるわたくしたちの気持ちが、あなたに分かる?何もかも、理不尽な怒りでしたのよ。何もしていないのに急に喚き散らして・・・あんな人間が政治を背負えるものですか。」
「生憎、皆さんの気持ちは分かりません。私に分かるのは、命を奪うことが正しくないということ。」

 一哉は嘲笑った。両腕を広げ、大袈裟に身振り手振りをする。

「そんなくだらない理論で人が救えるわけねえだろ?あんた、綺麗事しか言わないんだな。相当甘い環境で育ってきたのかよ?」 

 一哉の言葉に海里はわずかに俯いて言った。

「・・・そうかもしれませんね。私は、家族に愛されて育ちました。例え・・・本当の両親がいなくても。」
「はっ!血の繋がりがなくても、愛されてたんだろ?だったら十分だ。実の父親から罵詈雑言を浴びせられ、精神的に追い詰められたこともないのなら、綺麗事しか言えなくて当然だ!」

 海里は何も言わなかった。治郎が続ける。

「母さんは父さんと離婚したいと言ったんだ。でも、元総理大臣の娘である母さんを手放すことを恐れて了承しなかった。だから僕らは、自由になるために殺人を犯したんだ。」

 その言葉に、海里は首を横に振った。

「矛盾していますよ。警察に捕まることすなわち自由を無くします。私は、あなた方のやったことを正しいとは思えない。」

 伽耶子は諦めたように首を振った。

「素晴らしい推理でしたわ、小説探偵さん。」
「そう言えば、どうして私のことを知って・・・?」

 伽倻子は苦笑した。簡単な理由ですよ、と言って続ける。

「この世界は噂の周りが早いのよ。夫の知人が警察庁のお偉いさんと知り合いで、自然と私たちにもあなたの話が回って来た。もしただの小説家であったら、あなたに罪を被せる必要はなかったけど、探偵なら話は別。
私たちは、“小説探偵”という名を地に落とすために、あなたの原稿を奪ったのです。警察庁の方々も、喜ばれると思いましてね?」

 恐らく、警察庁の上層部が自分のことを気に入っていないのだろうと海里は思った。
 しかし、評判を気にしない彼にとって、目の前の謎だけが好奇心の的であり他者からの目など二の次だったのだ。

「もう1つ・・・。なぜバスローブを私の部屋に捨てたんですか?あれのせいで大分損をしています。」
「ああ・・・あれ。なぜ、なんでしょうね。いつの間にか、そうしていた。部屋に戻って、拾おうと思ったけれど、袋に血は染み付いているし、ゴミが無くなったことにも気づかれるだろうし・・・・。」

 そう言いながら、伽耶子は涙を流していた。

「あの人の・・せいだわ。あの人が変わってしまったから、こうなった・・・!ずっと、愛していると・・そう言ったのに、裏切ったあの人が・・・‼︎」
「母さん・・もういいよ。もう・・・大丈夫だから・・・・。」

 治郎がそっと伽耶子の肩を抱いた。一哉も同じことをし、3人は静かに涙を流した。

「では、後はよろしくお願いしますね、吾妻さん。」

 海里はにっこりと笑い、颯爽と部屋から出て行った。吾妻は驚いて後を追う。

「待ってください!あなたは事件の参考人ですよ⁉︎一緒に来てもらわないと・・・!」
「そう仰いましても・・・・私から話すことはもうありません。現に、私の証言はずっと申し上げたじゃないですか。私のこともよくご存知のようですし、これ以上何か言うことあります?」
「そんな勝手なこと・・・!それでも探偵か⁉︎」

 海里は目を瞬かせて笑った。

「私の職は小説家。正式な探偵ではありません。ですから、それ以後のことに責任を持つ権利は存在していないんです。」
「なっ・・・⁉︎」

 驚く吾妻をよそに、海里は長い廊下を歩いて行った。

         ※

「無事疑いが晴れてよかったね、海里。」
「ありがとうございます、正樹さん。」

 事件解決の翌日、海里は正樹の店に行っていた。

「ただ観光があまりできなかったのが残念ですねえ。今度の本は背景描写が少なくなってしまいます。」

 海里は不満そうにそう言った。正樹は笑う。

「君って昔から変わらないよね。頭は良くて運動もできるけど、どこか変わってる。自分が容疑者になりかけたのに不安げな顔せず戻ってくるなんてさ。」
「これでも焦っていたんですよ?でも事件が終われば関係ありませんし、吹っ切れるんです。」
「意外にさっぱりしてるよなあ。」

 海里は笑ってケーキを頬張った。横には荷物を詰めたキャリーバックがある。

「また来る?」
「正樹さんが良いのであれば、来ますよ。真衣と一緒に。」
「大歓迎だよ。」
「ありがとうございます。」

 正樹はケーキを食べる海里を見ながら、ふと、気になったことを尋ねてみた。

「海里ってさ、何で実際の事件を本にするようになったの?昔は、オリジナルのストーリーだったよね?」

 海里はそんなことを聞かれると思っていなかったのか、キョトンとした。フォークを置いて腕を組み、天井を仰ぐ。

「何で・・でしょう。気がついたらそうなっていて、これと言った理由が思い浮かびません。」
「そっか。でも、普通の人ならできないよ。事件現場に自ら行って、事件を解いて、本にするなんて。きっと、気づいていないだけで、何か理由があるんじゃない?僕はそう思うよ。」

 真っ直ぐな友人の言葉に、海里はしばらく黙り、呟いた。

「・・・・いつか見つけますよ。その答えを、私も知りたいですから。」


 “なぜ小説を書くのか”。海里がこの答えを出すのは、まだ先の話である。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...