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第九話 ささやかな願い

Act.5-02

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 不意に、数日前の朋也の言葉が頭を過ぎった。

『紫織はな、ただ兄貴に、「ずっと側にいてやる」って言ってもらいたいだけなんだよ!』

(断ったとしても、紫織を傷付けてしまうのには変わりない)
 宏樹は意を決した。
「いつがいい?」
 そう訊ねると、今度は紫織が驚いたように瞠目した。
「――いいの……?」
「いいもなにも、紫織から俺に頼んできただろ?」
「そうだけど……」
 この様子を見ると、どうやら、断られるのを覚悟していたらしい。
 紫織の間の抜けた表情を見ていたら、宏樹も一気に力が抜けて笑顔が戻った。
「で、いつなら都合がいい?」
 宏樹は重ねて訊いた。
「え、えっと……、私はいつでも大丈夫だけど……」
「なら、今度の日曜日にする?」
「う、うんっ!」
 戸惑いながらも、紫織は強く頷いた。
 最近は子供扱いされるのを嫌う紫織だが、こういった無邪気な仕草を見ると、まだまだだな、と思ってしまう。もちろん、それが紫織の長所でもある。
「よし、決まりだな」
 宏樹はいつもの調子で、紫織の頭をそっと撫でた。
「それじゃあ、十時頃に出ようか? それとも、もう少し遅い方がいいか?」
「ううん! 大丈夫!」
「そっか」
 またしても笑いが込み上げてきたが、どうにか唇を噛んで堪えた。
「じゃあ決まりだな。さてと、そろそろ家に入らないとな」
「え……?」
 宏樹の言葉に、紫織は急に表情を曇らせてしまった。
「――もうちょっとだけ、宏樹君と話したい……」
 宏樹は、やれやれ、と思いながら苦笑した。
「ダメダメ、ちょっとだけって約束だっただろ? それに、お互い薄着なんだから、風邪を引いたら元も子もないじゃないか」
「あ、そっか。日曜日に出かけられなくなったら困るもんね」
「そういうこと」
 宏樹は紫織の頭を軽く叩いた。
「じゃ、すぐに家に入れよ? バレたら小母さんにこっぴどく叱られちまうぞ?」
「うん、分かった」
 紫織は頷いた。
「それじゃ宏樹君、また日曜日ね。お休みなさい」
「ああ、お休み」
 宏樹が手を挙げると、紫織もそれに応えるように小さく手を振る。そして、名残惜しそうにしながら家の中へ入って行った。
 紫織を見届けてから、宏樹は自分の車の前まで行き、それに寄りかかるように座り、紙袋を開けてみた。
 中からは今度は、手の平に乗るほどの小さな紙包みが出てきた。リボンのついたシールも貼られている。
 宏樹は紙包みのテープを剥がして中身を見た。
「ぶっ……!」
 正体が分かったとたん、思わず吹き出してしまった。
「紫織らしいといえば紫織らしいけど……。それにしたって……」
 宏樹は喉の奥を鳴らして笑いながら、それを取り出した。
 中から現れたのは、熊のマスコットが付いたキーホルダーだった。
「けど、これが紫織の精いっぱいの気持ちなんだよな」
 宏樹は、頭上にそれを掲げながらしばし眺める。どう見ても、二十代後半の男に贈るような代物ではないが、よくよく見ると、熊の表情に愛嬌があって可愛らしい。
「車のキーにでも付けるか」
 ひとりごちると、キーホルダーを振り子のように前後左右に揺らした。
 熊は表情を変えることなく、なすがままにされている。熊の気持ちになってみたら、無造作に揺らされるのは迷惑以上の何ものでもないと思うが。
「さて、俺もウチに入るか」
 宏樹はキーホルダーを手に包み込み、ゆっくりと立ち上がった。
 ふと空を見上げると、辺り一面に星が瞬いている。冬は空気が澄んでいるから、なおのこと綺麗に見えた。
「日曜日はどうなるか」
 誰にともなく呟くと、宏樹は星達に見守られるように家へ消えた。

【第九話 - End】
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