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第七話 素直になりたい
Act.2-02
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「さて、そろそろ人生相談に入りましょうか?」
夕純は持っていた缶をテーブルに置き、身を乗り出してきた。
反射的に、涼香の上半身が仰け反ってしまう。
「で、コピー室で話が出た男の子と何があったの?」
ジッと涼香の顔を覗き込む夕純。その目は真剣そのもので、本気で相談に乗ろうという気持ちが伝わってくる。
だが、やはりいざとなると切り出しづらい。聞いてもらいたい気持ちはあるものの、他人にしてみたら非常に馬鹿げた悩みではないだろうか、と。
「――下らないことですよ……?」
「下らないかどうかは聞かないと分からないわよ?」
「ですけど……」
「私じゃ信用出来ないとか?」
「そんなことはないです……」
「なら話してみて? もちろん、ここでの話は誰にも口外しない。まあ、口外出来るような相手なんて私にはいないけど」
「――高遠主任にも言いませんか?」
「どうして高遠君に言うのよ? そもそも、高遠君は他人のプライベートに首を突っ込むようなタイプじゃないわよ」
「――ですよね……」
妙な押し問答が繰り返される。このままでは埒が明かない。涼香は少し考え、思いきって話すことにした。
「ちょっと長くなりますけど……」
そう前置きしてから、朋也と初めて出逢った高校の頃のこと、つい最近になって再会し、ご飯を食べたり飲みに行ったりしたことも話した。そして、飲みに行った帰り、朋也が知らない女子から告白されたことを知り、酷く嫉妬してひとりで勝手に腹を立ててしまったことも。
夕純は時おり相槌を軽く打ちながら、黙って涼香の話に耳を傾けていた。
「――ほんと、下らなかったでしょう?」
最後は吐き捨てるように言い、半ばヤケになって残っていたビールを飲み干した。無意識に手に力が入り、缶を握ると、ペコンと情けない音を立てて潰れた。
「全然下らなくなんてないじゃない」
夕純も涼香に倣うようにビールを空けると、二本目に手を伸ばした。一本は涼香の前に滑らせ、もう一本は自ら持ち、新たに開けている。
「つまり、好きな男の子に違う女の子の話を出されて気分が悪かったってことでしょ? そんなの当然じゃない。私が涼香の立場だったとしてもすっごく嫌だって思うもの」
「そう、ですか……?」
「そうよ。女心ってのはね、複雑に出来てんの。えっと何だっけ……、タカザワ君? タカザワ君自身はその子に全く興味がなかったとしても、相手が強引に押し迫ったら、もしかして、ってこともあり得るわけでしょ? そりゃあ面白くないって思うわよ」
「――でも、相手は真っ向からぶつかってるんだから、ウジウジしてる私なんかより……」
「その言い方やめなさい」
涼香が言いかけた言葉を、夕純はピシャリと遮った。
「涼香は涼香、その子はその子でしょ? シオリちゃん、だっけ? シオリちゃんにしたってそうよ。あなたはシオリちゃんにもその子にもなれないなら、シオリちゃんもその子も涼香にはなれないんだから」
そこまで言うと、夕純は一度ビールで口を湿らせ、続けた。
「あなたはあなたのままでいいの。タカザワ君だって別に、涼香にシオリちゃんのようになってもらいたいなんて思っちゃいないんだから。それに、涼香だって充分いい女よ。多分、もしかしたら、いつかはタカザワ君もそのまんまの涼香を受け入れてくれるんじゃないかしら?」
「こんな私を……?」
「だからその言い方は……、まあいいわ」
夕純は微苦笑を浮かべ、「でも」と言葉を紡いだ。
「そうやって自分を下げちゃダメよ。難しいかもしれないけど、ちょっとでも素直になった方がいい。一生、タカザワ君と友達のままでいいならそれでもいいけど、もっと近付きたいなら、ね」
夕純が真っ直ぐな視線を涼香に注いでくる。
涼香は金縛りに遭ったように動けなくなっていた。自分はどうしたらいいのか。夕純から目を逸らすことも出来ず、考えを巡らせる。
「――私は……」
しばらくしてから、ようやく重い口を開いた。
夕純は相変わらず、涼香を見つめたままだ。
「ほんとは、このままなんて嫌です……。彼と友達でい続けた方がいいのかもしれない。けどやっぱり……、他の人と一緒にいる姿なんて……、見たくない……。絶対、耐えられない……」
本当に初めて、心の内を曝け出した気がした。もちろん、紫織にも何でも話そうと思えば話せる。だが、ここまで弱い自分はとても見せられない。ましてや、朋也は紫織を想い続けている。紫織もそれを分かっているから、言えないこともある。
瞼の奥に、熱いものが込み上げてきた。誰かの前で泣くなんてことは幼い頃以来なかったのに、今は全く気にならなかった。それどころか、夕純に甘え、声を上げて泣きたかった。
夕純は黙って涼香の肩を抱き寄せた。夕純の方が小柄なのに、抱き締められていると、何故か大きなもので包まれているような安心感を覚える。優しく頭をポンポンと叩く手は、「大丈夫だから」と励ましてくれているように思えた。
◆◇◆◇
ひとしきり泣いたら、ようやく落ち着いた。同時に、冷静さを取り戻すにつれ、子供のようにわんわんと泣いた自分が恥ずかしくなってきた。
「――すいません……」
涼香は鼻を啜り、夕純に謝罪した。
「どうしたんだろ、私。ほんと馬鹿みたいに泣いちゃって……」
「それだけ、ずっと我慢してたってことでしょう?」
夕純の声は、どこまでも優しかった。
「涼香ってサバサバしてるようで、実は結構周りに気を遣うタイプだもの。タカザワ君もシオリちゃんも同じくらい大切だから、先のことまで考えちゃうんでしょ? みんなで気まずくなったらどうしよう、とか。でも、さっきも言ったけど、自分の気持ちに素直になるのも大切なことよ? 恋愛なんて楽しいことばかりじゃない。はっきり言って、面倒なことの方が多いって私は思ってる。けど、そうゆう面倒臭さから逃げ回ってたら、いつまで経っても宙ぶらりんのままよ? って、人生の先輩の私が言ってみたりして」
夕純は最後はおどけたように肩を竦めて見せた。
涼香は夕純の言葉ひとつひとつを噛み締めている。本当に、夕純には全てを見透かされている。だが、夕純だからこそ、多くを語らずとも察してくれることが素直に嬉しかった。
まだ、朋也に全てを打ち明ける勇気はない。けれども、あと少し時間があれば、涼香も素直に自分の想いを伝えられるかもしれない。
(私は私。紫織じゃないんだ……)
先ほどの夕純の言葉を心の中で反芻する。
紫織が羨ましかった。紫織になりたいとずっと思っていた。しかし、それはどう足掻いても無理なことで、涼香は涼香以外の誰にもなれない。ならば、涼香のままで朋也と向き合えばいい。
(気持ちに応えてくれるかどうかは別として、ね)
涼香は口元を小さく綻ばせ、ゆったりとビールを流し込んだ。
夕純は持っていた缶をテーブルに置き、身を乗り出してきた。
反射的に、涼香の上半身が仰け反ってしまう。
「で、コピー室で話が出た男の子と何があったの?」
ジッと涼香の顔を覗き込む夕純。その目は真剣そのもので、本気で相談に乗ろうという気持ちが伝わってくる。
だが、やはりいざとなると切り出しづらい。聞いてもらいたい気持ちはあるものの、他人にしてみたら非常に馬鹿げた悩みではないだろうか、と。
「――下らないことですよ……?」
「下らないかどうかは聞かないと分からないわよ?」
「ですけど……」
「私じゃ信用出来ないとか?」
「そんなことはないです……」
「なら話してみて? もちろん、ここでの話は誰にも口外しない。まあ、口外出来るような相手なんて私にはいないけど」
「――高遠主任にも言いませんか?」
「どうして高遠君に言うのよ? そもそも、高遠君は他人のプライベートに首を突っ込むようなタイプじゃないわよ」
「――ですよね……」
妙な押し問答が繰り返される。このままでは埒が明かない。涼香は少し考え、思いきって話すことにした。
「ちょっと長くなりますけど……」
そう前置きしてから、朋也と初めて出逢った高校の頃のこと、つい最近になって再会し、ご飯を食べたり飲みに行ったりしたことも話した。そして、飲みに行った帰り、朋也が知らない女子から告白されたことを知り、酷く嫉妬してひとりで勝手に腹を立ててしまったことも。
夕純は時おり相槌を軽く打ちながら、黙って涼香の話に耳を傾けていた。
「――ほんと、下らなかったでしょう?」
最後は吐き捨てるように言い、半ばヤケになって残っていたビールを飲み干した。無意識に手に力が入り、缶を握ると、ペコンと情けない音を立てて潰れた。
「全然下らなくなんてないじゃない」
夕純も涼香に倣うようにビールを空けると、二本目に手を伸ばした。一本は涼香の前に滑らせ、もう一本は自ら持ち、新たに開けている。
「つまり、好きな男の子に違う女の子の話を出されて気分が悪かったってことでしょ? そんなの当然じゃない。私が涼香の立場だったとしてもすっごく嫌だって思うもの」
「そう、ですか……?」
「そうよ。女心ってのはね、複雑に出来てんの。えっと何だっけ……、タカザワ君? タカザワ君自身はその子に全く興味がなかったとしても、相手が強引に押し迫ったら、もしかして、ってこともあり得るわけでしょ? そりゃあ面白くないって思うわよ」
「――でも、相手は真っ向からぶつかってるんだから、ウジウジしてる私なんかより……」
「その言い方やめなさい」
涼香が言いかけた言葉を、夕純はピシャリと遮った。
「涼香は涼香、その子はその子でしょ? シオリちゃん、だっけ? シオリちゃんにしたってそうよ。あなたはシオリちゃんにもその子にもなれないなら、シオリちゃんもその子も涼香にはなれないんだから」
そこまで言うと、夕純は一度ビールで口を湿らせ、続けた。
「あなたはあなたのままでいいの。タカザワ君だって別に、涼香にシオリちゃんのようになってもらいたいなんて思っちゃいないんだから。それに、涼香だって充分いい女よ。多分、もしかしたら、いつかはタカザワ君もそのまんまの涼香を受け入れてくれるんじゃないかしら?」
「こんな私を……?」
「だからその言い方は……、まあいいわ」
夕純は微苦笑を浮かべ、「でも」と言葉を紡いだ。
「そうやって自分を下げちゃダメよ。難しいかもしれないけど、ちょっとでも素直になった方がいい。一生、タカザワ君と友達のままでいいならそれでもいいけど、もっと近付きたいなら、ね」
夕純が真っ直ぐな視線を涼香に注いでくる。
涼香は金縛りに遭ったように動けなくなっていた。自分はどうしたらいいのか。夕純から目を逸らすことも出来ず、考えを巡らせる。
「――私は……」
しばらくしてから、ようやく重い口を開いた。
夕純は相変わらず、涼香を見つめたままだ。
「ほんとは、このままなんて嫌です……。彼と友達でい続けた方がいいのかもしれない。けどやっぱり……、他の人と一緒にいる姿なんて……、見たくない……。絶対、耐えられない……」
本当に初めて、心の内を曝け出した気がした。もちろん、紫織にも何でも話そうと思えば話せる。だが、ここまで弱い自分はとても見せられない。ましてや、朋也は紫織を想い続けている。紫織もそれを分かっているから、言えないこともある。
瞼の奥に、熱いものが込み上げてきた。誰かの前で泣くなんてことは幼い頃以来なかったのに、今は全く気にならなかった。それどころか、夕純に甘え、声を上げて泣きたかった。
夕純は黙って涼香の肩を抱き寄せた。夕純の方が小柄なのに、抱き締められていると、何故か大きなもので包まれているような安心感を覚える。優しく頭をポンポンと叩く手は、「大丈夫だから」と励ましてくれているように思えた。
◆◇◆◇
ひとしきり泣いたら、ようやく落ち着いた。同時に、冷静さを取り戻すにつれ、子供のようにわんわんと泣いた自分が恥ずかしくなってきた。
「――すいません……」
涼香は鼻を啜り、夕純に謝罪した。
「どうしたんだろ、私。ほんと馬鹿みたいに泣いちゃって……」
「それだけ、ずっと我慢してたってことでしょう?」
夕純の声は、どこまでも優しかった。
「涼香ってサバサバしてるようで、実は結構周りに気を遣うタイプだもの。タカザワ君もシオリちゃんも同じくらい大切だから、先のことまで考えちゃうんでしょ? みんなで気まずくなったらどうしよう、とか。でも、さっきも言ったけど、自分の気持ちに素直になるのも大切なことよ? 恋愛なんて楽しいことばかりじゃない。はっきり言って、面倒なことの方が多いって私は思ってる。けど、そうゆう面倒臭さから逃げ回ってたら、いつまで経っても宙ぶらりんのままよ? って、人生の先輩の私が言ってみたりして」
夕純は最後はおどけたように肩を竦めて見せた。
涼香は夕純の言葉ひとつひとつを噛み締めている。本当に、夕純には全てを見透かされている。だが、夕純だからこそ、多くを語らずとも察してくれることが素直に嬉しかった。
まだ、朋也に全てを打ち明ける勇気はない。けれども、あと少し時間があれば、涼香も素直に自分の想いを伝えられるかもしれない。
(私は私。紫織じゃないんだ……)
先ほどの夕純の言葉を心の中で反芻する。
紫織が羨ましかった。紫織になりたいとずっと思っていた。しかし、それはどう足掻いても無理なことで、涼香は涼香以外の誰にもなれない。ならば、涼香のままで朋也と向き合えばいい。
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