宵月桜舞

雪原歌乃

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第一章 偶然と必然

第四節

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 午後六時過ぎ、美咲は理美から夕食の手伝いを命じられた。
 今日は自分が主役のはずなのに、という疑問を抱きつつ、しかし、断る理由もないので素直に従った。
 キッチンに入った美咲は、皿出しや野菜洗いといった簡単な手伝いをする。
 その側で、理美はてきぱきと料理を作り上げてゆく。多分、美咲のためにと考えたのだろう。大型の鍋には好物のビーフシチューが煮込まれ、金属製のキッチンバットには、切り込みを入れて下味を付けられた大きな鶏肉が四枚、ガス台の近くで待機している。
「ねえお母さん」
 味付け鶏肉を凝視しながら、美咲は理美に訊ねた。
「買い物してた時も思ったんだけど、何か量多くない?」
「あら。珍しく鋭いじゃない」
 わざとらしく両手を上げる理美に、美咲は苦笑いを浮かべる。
「私そんなに鈍感じゃありません。――で、何で多いの? まさか、お客さんが来る、なんてことは……」
「あるかもね」
 美咲の言葉を遮るように、理美は咄嗟に答えた。
「――マジ……?」
 美咲が目を丸くさせると、理美が嬉しそうに大きく頷く。
「期待はかなり出来るわよ? そうねえ……、私もあと十年ぐらい若かったら、なーんてね。うふふっ」
 理美の気持ち悪いまでの浮かれよう、どう考えても客は男性だ。しかも、若くて美形だと、美咲は即座に勘付いた。
(お母さん、若いイケメン好きだもんなあ……)
 鼻歌を歌い、フライパンを温め始める理美を冷ややかに傍観しながら、実は美咲も、内心で期待を寄せていた。
(そういえば)
 美咲は、〈イケメン〉というキーワードで、今朝と昼間に逢った青年のことを不意に想い出した。ただ、あの青年の場合、〈イケメン〉などと軽い表現で片付けられるような容貌ではない。夢で逢った男と同様、〈美人〉という表現の方が当てはまる。
(男の人に〈美人〉ってのも変かもしれないけど)
 そんなことを考えながら、リビングに受け皿と箸を運んでいた時だった。
「ただいまー」
 玄関先から、貴雄の声が聴こえてきた。
「美咲、お出迎えしてあげなさい」
 鶏肉を焼いていた理美が、キッチンから美咲に言う。その口ぶりから、どうやら、貴雄は〈お客さん〉を連れてきたようだ。
(とうとう来た!)
 美咲の胸は高鳴った。どれほどのイケメンだろ、と思いながら、リビングのドアを開け、玄関へと向かう。
「おかえりおと……」
 挨拶をしかけて、美咲はそのまま言葉を失ってしまった。〈二度あることは三度ある〉とはよく言ったものだが、それにしても、この偶然は出来過ぎていやしないだろうか。
「どうした美咲? 具合でも悪いのか?」
 呆然と立ち尽くしている美咲に、貴雄が心配そうに顔を覗ってきた。
「よそ者が突然来たので驚いてしまったんでしょう」
 そんな貴雄とは対照的に、美咲の心境を代弁するかのように、貴雄と並んで立っている〈お客さん〉は、落ち着き払った口調で続けた。
「初めまして。――いや、『また逢ったな』の方が正確かな?」
 〈お客さん〉――今朝と昼間に逢った青年は、未だ、ぼんやりとしている美咲に向けて微笑した。
 
 ◆◇◆◇

「さあさあ、今日は和海かずみ君のために張り切っちゃったんだから、遠慮しないでたくさん食べてってね!」
 美咲と貴雄、青年がリビングに入ってくるなり、理美は、周りが引いてしまうほどのテンションで青年を迎え入れる。しかも、美咲のためじゃないというのが引っかかる。
(結局主役はこのヒトかよっ!)
 心の中で理美に突っ込みつつ、美咲は小さく溜め息を漏らす。
 チラリと貴雄も覗ってみると、やはり、貴雄の片頬も引き攣っている。
 さらに、過剰な歓迎をされた青年は、曖昧に笑みを浮かべ、理美にされるがままになっていた。
「美咲、あんたもちょっとは動いて!」
 青年を持てはやす一方で、美咲をこき使おうとする理美に、美咲はあからさまに苦虫を噛み潰した表情を浮かべる。やってらんない、と心底思いながら、それでもちゃんと手伝いをする辺りは偉いと、自分で自分に感心していた。

 ◆◇◆◇

 一度、着替えるために自室に行った貴雄が戻った頃には、テーブルいっぱいに料理が並べられた。
 理美お手製のビーフシチューとチキンソテー、彩りの綺麗なポテトサラダはそれぞれの席の前に、テーブルの中心には、貴雄が、美咲お気に入りの洋菓子店から買ってきてくれた五号サイズの苺ショートケーキが、ホールごと置かれている。ただ、誕生日ではないのに、チョコレートのプレートに〈おたんじょうびおめでとう〉の文字が書かれているのは、ちょっと変な気分だった。
「〈おめでとう〉には変わりないけどねえ」
 美咲が遠慮して言えないことを、理美ははっきりと口に出す。
 貴雄は、「ははは」と空笑いしながら、ばつが悪そうに頭をかいていた。見ている美咲の方が、痛々しい心境になる。
「とにかく食べましょ! せっかく頑張って作ったのに、冷めたら台無しよ!」
 理美は言うなり、瓶ビールの栓を抜き、注ぎ口を青年の前へ差し出す。
 青年は軽く会釈すると、空のグラスを手に取り、理美からの酌を受けていた。
 未成年の美咲は当然、アルコールは禁止だから、ペットボトルのウーロン茶を自分のグラスに注いでゆく。
 仕切り屋と化した理美の音頭で乾杯をしてから、美咲は、「ねえ」と切り出した。
「名前、まだ聴いてなかったんですけど……」
 そう言うと、青年に視線を向けた。
 青年は美咲と目が合うなり、グラスから口を放す。そして、グラスをテーブルに置くと、おもむろにジャケットの内ポケットをまさぐって二つ折りの黒い財布を取り出し、そこから一枚の紙を引き抜いた。
「遅くなってすまなかった」
 謝罪と同時に渡されたのは、名刺だった。中央に印刷された名前は〈南條和海〉。振り仮名もちゃんと添えられている。
南條和海なんじょうかずみさん、ですか」
 青年の名前を口にした美咲に、理美が、「いい名前でしょう」と、割って入ってくる。
「〈和やかな海〉なんて、まさに和海君のためにある名前じゃない。〈ナンジョウカズミ〉って響きもいいし、親御さんのセンスの良さが伺えるわあ」
 じゃあ自分は、どんなつもりで〈美咲〉って名前を付けたのよ、という突っ込みは心の中だけに留め、改めて名刺を凝視する。横向きに印刷されたそれには、名前の上に会社名、下に、会社の電話番号と、青年――南條の携帯電話の番号とメールアドレスらしきものもあった。
「えっと……、これは返した方がいいんですか?」
 一通り名刺を見てから南條に訊ねると、困ったように苦笑いされてしまった。
「別に返す必要はない。それに、持ってても特にかさばるようなものでもないだろう」
「そうよ美咲」
 またしても、理美が間に入ってきた。
「せっかくくれた名刺を返すなんて無礼はないでしょ。もうちょっと、世間一般の常識を学びなさい」
(そんな常識知るかいっ!)
 理美の余計なお節介には、頭が痛くなってくる。これ以上、色々と質問をしようものなら、また、理美がしゃしゃり出てくることは目に見えている。ここはもう、黙って食事をした方が賢いかもしれない。美咲は思い、食べることに専念した。
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