蜩の軀

田神 ナ子

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4話

再会

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 「咲弥・・・この美しい桜も、お前の眼には見えぬのか・・・・?」
空を覆うほどの満開の桜の下、はらはらと舞う薄桃色の花弁に手を差し伸べる。
 「悲しくないか・・・?何も見えぬということは・・・・」
そう言いながら後方を振り返る。
そこには、寄り添うようにして立っている咲弥が居た。
 「いいえ――直臣様・・・・」
閉じたままの瞼で、咲弥は桜の木を仰いでいる。全てを受け入れたその静かな微笑みで、
 「私には見えております・・・この桜も、貴方様のその深い藍の眸も、その柔らかな髪や肌・・・・貴方様の純真な御姿・・・・全てが―――」
この両眼に光は届かなくとも、手に取るように貴方のことは分かる――。
咲弥はそっと直臣の手を引き寄せ、そして何も言わずその胸に直臣を抱き締めた。
「・・・咲・・・弥――?」
刹那の風がまた花弁を散らす。
 春の風は二人の髪をそっと揺らして通り過ぎた――。


 これは、夢―――?
また、夢なんだろう・・・・・
 意識はあるのに瞼が開かない。解ってる。なのに、躰が動かない。例えれば、金縛り?・・・ってのに掛かったことないから何て言えばいいのか、例えがない。

 微かな灯りが瞼に届く。
  「・・・・・ん・・・っ・・・」
やっと息ができた感じがする。重い瞼をゆっくりと開く。
 「気が付かれたようですなぁ――。」
眼を開けるとそこには、深い皺の刻まれた穏やかな顔が覗いていた。髪を剃り上げた丸い頭が視界に飛び込んできて、
 「・・・・ん・・・わっ!」
驚いて飛び起きたと同時に、激しい痛みが全身を奔る。
 「・・・・っつ、いってぇ・・・・」
 「無理もない・・・其方は死に掛けておったのじゃからのぉ・・・・。丸二日、眠っておられたが、無事に意識も戻られたようじゃ・・・・。」
 「・・・俺・・・・・?」
そう、俺はあの時のの事をあまり覚えていなかった。
確か、に追われて逃げていた。そして、眩しい車のライトで眼の前が見えなくなった――覚えているのは、そこまで・・・・。
気が付いたら、ここ?に居る・・・・
 「安心なされ、ここは厳叡寺という山寺じゃ。そして私が、厳叡寺ここの住職の誡雲かいうんと言う者じゃよ。」
住職?はそう言って穏やかに笑う。
が、俺には一向に理解できない。そんな俺の表情を察したんだろう、は今に至るまでの道筋を話して聞かせてくれた。
「其方は追っ手に追われて逃げようとして事故に遭った・・・そこまでは覚えておるかの――?瀕死の其方を助け、厳叡寺ここに連れて来たのがという男じゃ・・・・。その傷の手当てをしたのも彼じゃよ。」
 この傷―――?
腹部に巻かれている包帯。躰のあちこちに傷や痣ができていた。そして、何よりもこの激しい痛み・・・・。
 「何にせよ、運の強い御方なのですよ、直臣殿・・・・。」
じいさんはそう言うとゆっくりと立ち上がった。
 (―――え・・・?)
 「傷の手当ては咲弥殿に任せておりますので。では、私は本堂の方へ・・・・。」
何か訳分かんねぇことごちゃごちゃ言いながらじいさんは部屋を出てった。
 「ちょっ、ちょっと待てって!意味解んねぇよ!」
追い掛けようにも痛みで躰が動かない。ただ俺はくしゃくしゃに前髪を掻き上げた。

確かに、じいさんは俺のこと?って呼んだ――
そして咲弥という人物が俺を助けてくれた――?
 (――咲弥・・・・)
 

 六畳ほどの和室には古風な一輪挿に山百合が飾られていた。微かに漂ってくる清楚なその香りが、今の俺には落ち着く。
 丸二日も自分が眠っていたというその布団の枕許に、自分の持ち物だ――カバンと部活用のバッグが丁寧に置かれてた。自分の持ち物なのに眼を背けたくなるくらいあちこち破け裂かれた跡があって、自分では分かるはずもないあの時の事故の惨劇を物語ってた。
 ハッとなってそのカバンを慌てて引き寄せ、ごそごそと中を探り始めた。

 「・・・気が付かれたようですね――?」
その声に俺の心臓がドキッて鳴ったのが分かるくらいだった。声は障子の向こう側から聞こえて俺は直ぐに振り返った。
 低く響くその声―――。

 静かに障子を開けて、その声の主は落ち着いた物腰で部屋へ入ってきた。
正直、驚いた――
その漆黒の長い髪に端正な顔立ち――切れ長の両眼が美しい。
こんなに美しい男が世の中には居るのか、って。美しい何て表現、俺には似合わない。てか使うこともない言葉だけど、今、眼の前に居るこの男のことを伝えるのなら、“美しい”の言葉が最適だと思う。
 「・・・・誰、だよ・・・」
明らかに不審な眼つきになってんだろうな、睨む俺の前に座るこの男に問う。
 はそんな俺から眼を離すこともなく少しばかり笑って、
  「咲弥と云います――。貴方が探されていたのは、ですか――?」
そう言いながらシャツのポケットから取り出したのは、携帯と封の開いたタバコだった。
 「こちらはお返ししますが、は私の方で処分します。未成年者の喫煙はいけませんよ。」
は嫌味に微笑みながら、あの事故の中、辛うじて無事だった俺の携帯を差し出す。
何か鼻につく。ちょっとイラってしながら俺はぼやく。
 「・・・うっせぇな、教師じゃねぇんだし・・・・。」
 「はい。教師ではありませんが、教師の前に、私は医者です。健康を害する物は進められません。」
負けじと苦笑しながら奴は応える。
 「・・・い、医者?!」
見た目のギャップなのか、意外だった返答に驚いた俺を見て、
「何か、不都合でも?」と付け加えて、眼の前の男は勝ち誇ったように優しく笑うんだ。
何か、何か、腹立つ!その美貌とおまけに職種は!非の打ち所がないってこういう奴のことを言うんだ。天は二物を与えてますっ!
そして、持っていた黒いアタッシュケース?っていうのかな?それを開きながら、
 「・・・でも、安心しました。意識が戻られて・・・・。」
独り言のようにそう言った。

 奴はケースの中から何やら取り出している。
  「・・・・脱いで下さい。」
突然、そう言われて、へ?ってなる。
 「大丈夫、貴方を襲ったりはしませんよ。傷の手当てをするだけです。」
呆気に取られている俺の顔を見つめ、奴がまた苦笑する。
 俺のことからかってんの――?
自分で動揺してる態度が分かるくらい。見てて面白いか?くっそー腹立つ!抵抗するように俺は眼の前の男を睨んだ。

 此処に連れて来られた時からだろうか――?
いつの間にか服が着替えさせられていた。そりゃに代わりの服なんてあるわけない。とりあえず間に合わせなのだろう・・・何となくは見たことがあった、お坊さんが着てるやつ?白い着物みたいなやつ?を纏ってた。
 「・・・言っておきます。その腹部と腰の辺り、数十針縫っています。他に大きな傷はありませんが、肩を脱臼していました。緊急でこの場で私が処置しましたが、縫った後の手当てをしておかないと完治するのが遅くなりますよ。」
さすがに、医者って言うだけのこともあって、その手の話しとなるとさっきまでの柔らかい表情も変わった。
 その表情に圧されてしまった。渋々ながら俺は着ていた着物を肩から脱いで、上半身、裸の格好だ。相手は同性とは言え、初対面の奴の前でいきなり裸を披露するなんて・・・そりゃ、部活の連中の前とじゃ何か違う。この十数年間、生きてきた中でプライド?ってもん?傷つけられた思いがした。
 陽に灼けた肌が露になる――
まぁ、俺も部活で鍛えてっからそこそこの躰はしてるとは思うけどね。(自画自賛?)

 で、奴が俺の腰に巻かれていた包帯を手際よく解いていく。
  (――この匂い・・・・?)
ふぅ・・・と、脳裏を掠めるあの懐かしい匂いがした。香水みたいなそんな洒落た匂いじゃなくて、ただ、懐かしいと想う――そんな香り。
全てを包み込むような、まるで父親のような温もり・・・判らないけど、そう想う。
 「・・・咲・・弥・・・・?」
何だろう――俺はただ、そう名前を呼んでいた。
そう呼んでいたんだろうか――?この男のことを。
誰が・・・・・?
 「・・・直臣・・・様――?」
手当てを施していた指先がほんの少し止まった。

 ――― 一瞬、震えを覚えた。
確かに、記憶は無い。深く、深くに沈めたその記憶。
 己が誰かも判らずのままこの世に転生をしてきた直臣様あなたと、やっと廻り逢えた。
また、この名を呼んでくれるのだろうか――?
保を見つめていた咲弥の眸が切なく揺らいだ。

 「何で、俺のことそう呼ぶの?直臣って・・・?誰なんだよ・・・・」
そう、一番、納得いかないのは俺の方で。
頭ん中は整理が付かないまま、それにこの傷の痛み・・・夢じゃないのは確かなんだろうけど。
 「・・・とりあえず消毒はしておきました。傷の状態も良いようです。暫くは痛みもありますので、痛み止めの薬だけでも服用してください。」
傷の手当てを済ませ、の携帯医療用具を片付けながら淡々と告げる。
そして、ケースの中から錠剤を取り出すと寝ていた枕許にそれを置いて一緒に名刺を添えた。
 「すみません、今から私の方は仕事ですので、またその事はお話します。何かありましたら、携帯に連絡下さい。」
落ち着いた大人の口調だ。
 「ちょっ・・・ちょっと待てよ!冗談じゃねぇ・・・俺、帰る!」
信用なんてできない。それに知り合いでも何でもない奴の言うことなんか聞けるかよ。いつまでもになんて居られない。
 「そんな躰で帰れますか――?今、貴方が帰れば、貴方だけじゃない、貴方の周りの人、全てを巻き込んでしまいますよ・・・。」
あんなに冷静だった咲弥というこの男の口調が、今までと変わった。
 俺はまるで駄々を捏ねる子どものようだった。その口調は落ち着いてるけど厳しかった。
返す言葉がない――。
 その通りだった。確かに、この躰で今、帰ったとしても何ができる?
頭ん中に母さんの姿が過ぎった。
それに伯父さんや亮介、親しい人たちの顔が浮かんできて、自分には何もできない歯痒さで、ぐっと拳を握ってた。軽く舌打ちしてを睨む。
 「あと二、三日・・・傷が落ち着くまでは厳叡寺ここに居て下さい。その後は、私の方で配慮しますので・・・・。」
判断を委ねるしかなかった。今の俺には為す術は無い。
 「二、三日だな。絶対な。ちゃんと納得いくように説明しろよ。」
意外と俺も落ち着いてきた。抗ってもしょうがないなら、その時が来るまで待つしかねぇだろ?俺は真っ直ぐに両眼で咲弥を捉えた。

 素直な貴方の眸に、その濃紺の眼に嘘はつけない――。
ただ、悲しいかな・・・深く沈黙したその記憶の、何から語ればいいのだろう――
「はい」と二つ返事で応えたが、不安だった。
貴方は受け入れてくれるだろうか――?
幾世にも生きてきたこの魂を。


 夜風が涼しい。
夏の虫たちが草むらのあちこちで透き通った声を響かせている。
木々の間からは無数の星がしっかりと光を放ち始めた刻――上弦の月の頃。辺りが蒼白く薄っすらと明るかった。
 「直臣様の傷が落ち着いたらここを出ます。これ以上、住職に御迷惑をお掛けできません。手配が済み次第、迎えに来ます。それまで、直臣様の事、宜しくお願い致します。」
そう伝えると咲弥は軽く一礼した。
 「分かりました。御安心なされ・・・・咲弥殿も気を付けて――。」
住職は車に乗り込む咲弥を見送る。
 黒い高級車は静かなエンジン音を響かせ走り出した。

 深い溜息を一つ。
咲弥は胸のポケットから眼鏡を取り出して掛けると、長めの前髪を掻き上げた。その髪はゆっくりと下りて頬を撫でる。
 (――理性で抑えるのが、やっとだった・・・・・)
 あの時――
貴方に触れる指先の震えを隠した。
貴方に気付かれぬように・・・・と。
 (・・・できることなら、この手に貴方を抱いて眠りたい――そして、もう二度と離さないと誓おう――。)

 咲弥の魂が切なくも悲しいその想いに苦しんでいた。
冷静な二つの眸の奥底が悶えている。
 この記憶の中に深く沈めた想いを、解き放ってしまえば楽になれるだろうか―――?
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