蜩の軀

田神 ナ子

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6話

迎えに来ました。

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 強く握られた腕を振り解こうと足掻く。
より一層、離すまいとその手はきつく締められる。
 「離せ、咲弥!お前はその眼で俺の何を見てきた!俺の何が分かる!」
猛虎のような鋭い眸で射抜く――。
 「お前が護りたいものは何だ!ならば、その命を捨てることができるのか?俺には解らない!」
――その猛虎のような眸を剥けられるたび、鋭く擦まされた剣で裂かれる思いがする・・・・
そんなに・・・私が憎いですか――?
切なく苦しむ咲弥の両眼が見つめる。
 「貴方が望むなら、この命、捨てても構わない・・・・。」
その眼は、銀灰色ぎんかいしょくを帯びていた――。
 刹那――
闇に堕ちた。
堕ちてゆく、堕ちてゆく・・・・・
堕ちたのは、俺――?
 『待て・・・待て!咲弥――っ!』


 「――待て・・・って・・・・待て、咲弥っ!」
 「保さん・・・?保さん!」
眼が覚めた――?
魘されていたのだろうか・・・・
薄っすらと広がる視界には心配そうに俺を覗き込んでる咲弥の顔が映った。
 「私は・・・ここに居ますよ・・・・。」
気が付くと咲弥のシャツを皺になるくらい握り締めてた。
 「・・・あ・・・・え・・・っ?」
落ち着いた微笑みで咲弥は俺を見つめてる。
――ずっと、ここに居たんだろうか・・・・?
 あれから――
痛み止めの薬を飲んで寝た。それからは、もうずっと覚えずに眠ってたんだろう。いつの間にか外はすでに太陽がガンガン照らしつけていて、蝉が力強く啼いていた。
 「俺・・・・また、だいぶ寝てたんだ・・・・・」
ぼんやりしながら俺はゆっくりと起き上がって、両手でくしゃくしゃ・・・髪を掻いた。
だろうな・・・・
こんな深い傷を受けて体力も落ちてるし、大抵、完治するまでに三ヶ月くらいは掛かるんじゃね?おまけに・・・精神的な難解に苦しめられる。
 「・・・迎えに・・・・来たんだろ?」
俺は以外に落ち着いていた。
 「・・・はい。とりあえず、着替えを用意してきましたので・・・・。」
そう言って咲弥は枕許にきちんと揃えてあった着替えを差し出した。
丁寧な奴。見た目にもそんな感じはするけど、こいつが?俺の為に?
その着替えに視線だけ送った。
しばらく、沈黙が流れる。
 「・・・・それで?これからどうすんの・・・・?」
沈黙を破ってそう言いながら、俺は用意してくれた服に着替えた。

 「まだ、状況が把握できていないだろうとは思いますが、今夜はひとまず、私のマンションに泊まって下さい。」
 「・・・はぁ?!何で?」
って、抵抗はしたものの、何をどう判断するのかもあまり理解できてないんだから、そこはぐっと堪えて。
ただ一つ、確信できるのは、
命を狙われている――。
 「住職に挨拶をして来ます」
そう言って咲弥は出発の準備を整えてからじいさんの居る本堂に向かった。

 着替えを済ませた俺は縁側に出て手入れされた庭を眺めてた。
 (意外と・・・俺に合ってんじゃん。しかも、俺の好きな色だ・・・)
用意してくれてた服は俺の躰のサイズに合ってて、紺青色?っての?紺色じゃないんだな、深い青。好きな色だ。
まさか、ねぇ・・・俺の好きな色までお見通しってこと?・・・ってことはないよね。ますます、咲弥って男のこと不審に思ってきた。

 俺はふと足を運んでた――。
ま、ちょっと気晴らしにでも・・・って。境内の裏側に行くと、杉並の中を細い石段の道が続いてた。そこをゆっくりと俺は下って行く。
 (・・・・どこに続くんだろ?)
杉並を過ぎると、眼の前が一変して今度は竹林が広がった。
さらさらと風に葉が摺れて涼しい葉音を奏でている。
 (・・・すげぇ・・・・)
自然の神秘的な世界に驚いた。
静かに流れるこの風の中に、確かに自分は居るのに・・・・自分という存在が感じられない。

 暫くこの空間に躰を委ねていた俺の耳に微かに聴こえてきたのは、
 (――水の音・・・・?)
耳を澄ましながらその音のする方へと足を運んだ。
 竹林を過ぎてから雑木林の中をどんだけ歩いたかな?時間にして二十分くらい?
突然、眼の前に青い湖が広がった。
驚いた――こんな所に湖があるなんて。
 それほど大きな湖じゃないけど、その壮大な光景に俺は思わず息を呑んだ。それから、湖畔まで足を運んだ。
夏の陽射しをきらきらと反射させながら微かな風にその水面を優しく揺らしている。
辺りの林では、蝉の声が競うように聴こえていた。
 不思議だ――初めて来た場所なのに、どこか懐かしい気がする。
この風も、この水面の輝きも、この蝉の啼き声も。
 あの夏が、愛おしい――。
躰いっぱいに空気を吸い込むように深呼吸して俺はゆっくりと瞼を閉じた。

 住職に挨拶を済ませ戻ってきた咲弥に不安が過ぎる。
  「・・・・保さん?」
咲弥の表情が一瞬にして強張る。急いで保が使っていた座敷を探すが、姿がない。
 (――まさか・・・・)
一人でここから出ようにも、今の保の躰では無理なことだ。
部屋を見回す咲弥の眼に、きちんと畳まれた布団や浄衣、その傍らには保の携帯が置かれているのが見えた。
咲弥は直に保の携帯を手に取った。
 (近くに居る・・・・一人で出ようにも、携帯は置いていかないはず・・・・)
そして、咲弥は踵を返して部屋を出て行った。

 いつの間にか、自分が無になっていた――
何も考えず、何も応えず・・・・。
その記憶は、はっきりしないが、ちりばめた記憶の欠片は思う。
記憶を閉ざしたのは、
大切な仲間を失いたくないから――
その愛を失いたくないから――
 (愛・・・・って――?)

 この風を抱き締めて・・・この空を慈しみ・・・は生きてきた――
両手を広げて、流れ来る風に身を任せその空を仰いだ。
分かってる――
受け入れられない訳じゃない。眼を逸らす訳にはいかない。
 (何が・・・・怖い――?)
魂の奥深くで、何だろう・・・切なさが胸を締め付ける。
その想いを塞ぐように俺は眼を瞑った。

 「・・・・保さん・・・・?」
何も言わず出て行った後を追って、ここまで来た。

 自分を呼ぶその声は、判ってる。
  「なぁ、咲弥・・・お前、こんな場所があるって知ってた?」
不思議と落ち着いていた。振り返りもせずに、俺は穏やかな口調で訊ねていた。
 「はい・・・。ここへ参った時は必ず足を運びますが・・・・・」
 「いい所だな・・・・。」
変わらず咲弥に背を向けたまま俺はこの湖を見つめた。
 積乱雲が空いっぱいに膨らんでいる。
 陽は少しずつ夕刻を迎えていた。
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