蜩の軀

田神 ナ子

文字の大きさ
上 下
20 / 67
7話

縁の乱

しおりを挟む
 
 「・・・何?直臣を取り逃がしただと?多勢で何をしておった!」
ビルの最上階の部屋で男は部下に激怒する。
頬骨のしっかりとした顔付きに、髪は後ろへ流し固めている。大きな深い革張りの椅子に腰を下ろしているその男は、眉間に皺を寄せこちらを睨み据えていた。
 「我が地蜘蛛衆が、何たる無様な真似をしおって・・・・」
机に肘を付いて、眼の前で両手の指を組み合わせた姿の男は部下に言い放つ。
 「次は無いぞ!直臣の首、必ず捕って来るのだ!」
 「御意!」
男の憤怒した形相に恐れ慄く部下たちは急いで部屋を後にした。

 男は深い溜息を一つ。
それからゆっくりと立ち上がり、ガラス張りの窓から眼下に広がる町を見下ろした。
(――誰にも邪魔はさせぬ・・・・。必ずこの町を支配し、我が手中に治めるのだ!)
彼の野望は誰にも止められなかった。
欲望に噛み付いた悪鬼は、更にその牙を剥いて底知れぬ野望に喰らい付く――。
 ピィ――ッ・・・
 「下に車を回しておいてくれ・・・寄る所がある・・・」
男は内線で秘書にそう伝えるとスーツの上着を羽織った。


 すっかり陽も暮れ少しは暑さも落ち着いたが、夏特有の照り返しの暑さが夜を覆っていた。
遠く雷鳴が聴こえる。
もうすぐ、雨が来る――。
 部活も終わり最後の片付けをしていた。
夏休み前はいつもより練習時間も長くなり、帰宅するのは午後九時を回ってしまう。
ボール収納のカゴを押しながら部室へ向かう途中の中庭で、彼は呼び止められた。
 「お―い!芳賀野ぉ!」
亮介を呼び止めたのは、サッカー部顧問の教師。
亮介がその教師の許へ駆けて来る。
 「何すか?」
 「荒木の奴、どうした?最近、学校にも来てないようだけど・・・お前、何か知ってるか?それに、夏休みに入れば合宿も始まるんだが、合宿に参加するかどうか聞いておきたいんだけどなぁ・・・・」
 「俺もはっきりしたことは知らねぇけど・・・合宿は無理じゃない?あいつバイトもやってっから、忙しいんじゃね?」
 「ん・・・そうか。また、俺からも連絡してみるわぁ。遅くまでご苦労さん!気をつけて帰るんだぞ!」
教師らしくない、親しみやすい人柄がその風貌に滲み出ている。サッカー部員だけでなく他の生徒からも信頼されている教師だった。
 「了解!」
亮介は少し笑いながらその場を去った。

 ――ポツリ・・・
小さな雨粒が頬に落ちた。
 「・・・雨だ・・・」
中庭の外灯が雨を照らす。雨雲で黒くなった空を亮介は見上げた。
 (―――来る・・・・!)
亮介の勘が奔る。次の瞬間、
ガシャァァ――ン・・・・!
二階校舎の窓ガラスが鋭い音を上げて飛び散ってきた。
その破片が亮介を狙って落ちてくる。まるで、破片に意志があるかの如く亮介の頬を掠めた。
 「・・・・くっ」
その頬から鮮血が流れる。亮介は背後に神経を集中させ瞳孔だけを動かす。
 「・・・またぁ・・・派手にやってくれちゃってぇ・・・・」
相手は判ってる。
亮介の口許が微かに苦笑した。


しおりを挟む

処理中です...