蜩の軀

田神 ナ子

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忍びの境編

弱さを知る者

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 いつか、語り合ったことがある――。
二人は金色に輝く月明かりの下、縁側に趺座あぐらを掻いてその月を眺めていた。
虫のささめきが静かな闇に溶けていく。少し肌寒くなった初秋の晩。
 「美緑よ、聞くまでもないが、其方、親を亡くして辛かっただろう――。親の敵を討とうと、私の所へ来たのだろう?」
身内の話をした事はなかったが、には全てが判っていた。
清正は白い月を見上げて、
 「すまなかったな・・・・其方の村や大切にしてきたもの・・・・何一つ護ることもできず・・・・」
――そう、美緑もまた自分の生まれ育った村や大切な人々、そして愛する親をも地蜘蛛衆の奇襲によって失った者の一人だった。
今でも火の海の中を彷徨い、苦しみ、嘆き、行くあてもなく倒れ伏すの姿を夢に見る。
清正の双眼が微かに揺らいでいた。
 「・・・・清正殿、貴方にはもう何の怨みもない。こうして名もない自分を救ってくれた。今、ここになかったはずのこの命を大切にしてくれた・・・・清正殿は、俺の恩人だ。だけど、奴らに対する俺の憎しみは決して消え去ることはないんだ・・・・・。」
穏やかにそう語る美緑もまた、同じ月を見上げていた。
 「・・・・そうか――。美緑よ、これだけは伝えておきたい・・・・」
清正は優しい中にも威厳あるその二つのまなこで、しっかりと美緑を見つめて語る。
 「心に受けた傷は誰にも癒すことはできない。それは己自身で強く生きぬいていかなければならぬこと・・・。だがな、美緑・・・怨みや憤り、憎しみだけでは大切なものは護れぬ。本当に我が命に代えても護るべきものがある人間ほど、に対して強い人間なのだ。解るか、美緑――?」
そう諭す清正の姿勢に、領国を治めていかなければならない責任と孤独、そして善悪を見定め、大切なものをその命に代えても護りぬく、厳格であり心優しき武士の魂を感じた。

 「俺、強くなりてぇ・・・・自分で大切なものを護れる人間になりてぇ・・・・。」
心底、悔しかった。
自分には何もできないことが。
強くなったつもりでいたことが。
止まらぬ涙を拭うこともせず、清正の前で崩れた。
 「・・・ならば、美緑よ・・・お前には、この私との縁を断ち、お前の心許した仲間との縁を断ち、己と向かい合って生きていく覚悟はあるか――?」
その清正の慈しみ深い眸が美緑の全てを包み込んだ。

 ――そして・・・忍びの境で生きることを決意した。
 ――これが、宿命さだめなのだろう・・・・。
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