蜩の軀

田神 ナ子

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15話

享受

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 黒いその高級車は、とあるビルの地下駐車場に停まっていた。
エンジンは動いたままで、静かな音だけが反響している。

車内は落ち着いたR&Bの曲が流れていた。
ただ一点を見つめながら男はゆっくりとタバコの煙を吐いた。
繊細な指先で灰を落とし、また呑む。
溜息にも似た、そんな深い息に混ぜて煙を吐いている。

 (あんなこと言いながら、自分でも・・・笑い話にもならないな・・・・)

微かに卑下した笑みを口許に浮かべて、そっと火を消す。


 ――コン、コン・・・

その時、
軽く窓を叩く音に男が顔を向けた。
相手を知っている様子で、男は車の窓を下ろし優しい笑みに変わる。

 「・・・珍しいわね、貴方から誘ってくるなんて・・・・」

開けられた窓から覗き込むようにしてそう言った相手――
小顔で目鼻立ちのくっきりとした美人だ。
緩やかなウェーブの髪が柔らかに肩から垂れる。

 「迷惑だったかな?」
戯けて男は笑う。

車内から助手席のドアを開け「どうぞ」と促す。
それに応えて、女はしなやかに車へ乗り込んだ。
瞬時に甘い香りが車内に漂う――
女の付けていた香水の香りが、甘美な夜へと包み込む。

 「義明の誘いなら、断れないわ・・・」

そう言って運転席の男を見つめながら、小悪魔が微笑む。

 「・・・今夜は、同伴して頂けますか――?」

美しい小悪魔の笑みを呑み込んで、男は落ち着いた微笑みを返した。

 「・・・えぇ、喜んで――」

それは、男と女――
合理的な、カタルシス
それでいい―――
・・・これでいい――

男と女を乗せた車は、静かに夜に溶けていく。


 
 あの日以来――
妙にギクシャクしてしまってた。

咲弥あいつの矛盾した態度に自分もどう接したらいいのか・・・。

あの夜は――

パソコン借りて調べたいことあったけど、それどころの気分じゃなくて、咲弥あいつの書斎で床に大の字になって寝転がったまま、朝を迎えてた。

いつものように、補習授業受けなきゃいけないから学校までは送ってもらった。
ずっと、終始、無言。
咲弥の態度にムシャクシャしてたから喋る気にもならなかった。
そんな俺の様子を察してたのか、咲弥も無理には話そうとはしなかった。


携帯を見ながら、歩道と斜面を仕切ってあるブロック壁に背凭れた。
ガードレールを挟んで眼の前の車道には、家路に着く車が行き交ってる。

こんな心境だから、ほんとは会いたくない。
でも、言われたとおりに守ってる俺って・・・。
迎えに来てもらうのもなんだか癪に障るし、俺なりの反抗?
また、電車で咲弥あいつのマンションまで向かった。

 『帰る前には連絡を入れて欲しい』って言われてるから・・・
この前みたいに機嫌悪くされちゃ俺だってムカつくし!
一応、連絡だけは入れとこ。

 (まだ、仕事してっかな・・・・)

携帯の着信暦の番号に眼を止める。



 片付けられた部屋――
部屋の一隅に置かれたポトスの植木。

乱れているのは、ベッドルームのブランケットだけ・・・・・
そこから僅かに覘いている細く透き通る白い肌はまだ、先ほどまでの熱い情事に火照っていた――

ブランケットに包まれて横たわる女のその白い肩に男は優しくキスしながら、

 「大丈夫・・・・・?」
そっと、耳許で囁く。

その甘く響く声の方へ女は顔を向け、吐息混じりに応える。

 「・・・えぇ。・・・義明ってば・・・激しいんだもの・・・」
そう呟いて微笑む。

 「・・・ごめんね・・・・」

どこか余裕のある笑みを浮かべながら、男はもう一度、女の唇にキスをする。
そしてゆっくりと起き上がり、ベッド脇のサイドボードに置いていたタバコに手を伸ばした。

静かにその紫煙が立ち昇る――
深く息を吸い込んで、長い溜息と一緒に煙を吐き出した。

少し俯いたその頬を長めの前髪が隠す。
繊細で、切ない横顔・・・・

 「・・・辛いの――?」
 「・・・・・・・?」

ブランケットに包まれながら、女は男のその横顔を見つめていた。
その声に、僅かに視線だけ向けて男が反応する。

 「そんなに・・・貴方を悩ませてるのは、恋人?幸いにして、不幸なのね・・・・」
 「・・・・何が――?」

女は、半分同情しているような微笑みを浮かべていた。

 「・・・だって・・・貴方のそのタバコの量――、そんなに吸う人だった?そこまで貴方を悩ませてるのは・・・って考えてただけ」
 「・・・さぁ・・・・どうなんだろうね――」

タバコの火を消して、はいつものあの優しい笑みに変わっていた。


 ―――ブ―ッ、ブ―ッ・・・・

静かな部屋に、突然、携帯がバイブ音を響かせる。

多少、その音に眉宇を寄せて義明は携帯を取る。

――仕事・・・・?
それが休日であろうが、夜中であろうが、緊急の場合にはプライバシーもあったもんじゃない。
医者は休みなし・・・・悪く言えば。

着信番号に眼をやる。

 (保さん――・・・・)


 『・・・俺――・・・悪ィ・・・仕事、してた?』

 「保さん――・・・いえ、家に居ますよ。連絡が遅いから、どうしたのかと・・・・」

――仕事じゃなくて・・・・・
――仕事の電話じゃなくて・・・・・

互いに、その声に安心したような気がしていた。



 踵で軽く壁面を蹴りながら、俺はなんかちょっと気まずい気持ちだったけど、

 「二十分後ぐらいには着くと思うけど・・・それと、この前、使えなかったから・・・パソコンまた借りれるかな?」

――仕事でも、オフでも・・・結局、プライバシーなんかない。
それでもいいけど・・・貴方なら・・・・

微妙な苦笑いを浮かべて、は言う。

 「迎えに行きましょうか?」
 『いや・・・いい。歩いてくから』
 「そうですか、分かりました。パソコンは好きに使って下さい」

え・・・・以外にあっさり?!
拍子抜けした・・・・

 「但し――私のことは気にせず。私には構わないで下さい」

淡々とそう告げる彼は、前髪を掻き上げくうを仰いだ。
漆黒の長髪の間から見えるその肌は、恍惚こうこつの艶を纏っているようだった。


 (・・・・・なっ・・・?!)

触んな、の次は、今度は構うなってか!
なんなんだ――ッ!!
人を茶化しといて、次は勝手にしろってか?!
完全に遊ばれてるよな・・・・

 「・・・悪ィな・・・・じゃ。」

通話が終わった携帯を睨んでた。

 (・・・ムカつく・・・・)


月の明りで、今夜は明るい。
蒼い夜だった。
俺は積み重なるイライラをどうにか胸ん中に押し込めて、咲弥のマンションまで歩いた。


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