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20話
蜩の軀
しおりを挟む夕刻の涼とともに、蜩が切ない透明な啼き声を奏で始めていた。
山の稜線は、沈んだばかりの陽で唐紅に染められている。
その山々から吹いてくる涼しい風に柔らかな髪が揺れる。
足許のボールを蹴るのを止めて、保は高い空を見上げた。
陽が沈んだばかりの反対側の空には、昇り始めた大きな緋い月が静かな耀きを放っていた。
同じ時の中に――
違う世界を感じている気になる。
こうして自然のありのままの中に身をおくと、何も考えない。
虚無の自分になる。
この空を仰いで、深く一息。
―――あれから、
亮介から渡されたボールを手に、運動公園へ足を運んでた。
駐車場に面した広い敷地は、様々なスポーツができるように整備されていた。
その周辺には、けやきやアカシアの木々が生い茂っている。
この公園を挟んで向い側には国道が通っていて、その少し先に行くと、町のほぼ中央を流れている川があった。
そこに架かる鉄橋がこの公園から見えていた。
日中は、スポーツ少年団の子どもたちや、お年寄りが運動を目的にこの公園を利用することも多く、にぎやかな声が絶え間なく響く。
今は――、
涼しくなった頃合いを見て、犬の散歩に訪れる人が時折、見られるだけだった。
足許のボールを軽く蹴りながら、右に左にへと動く。
無心になって躰を動かした。
夢中でボールを蹴り続けた。
流れる汗もそのままで。
好きなことをしているときが、一番何も考えなくていい。
好きなことをしている自分が、一番自分らしくいられる。
一呼吸おいてから、汗が流れ落ちてくる髪を軽く振る。
「・・・―――?」
微かな物音がして耳を澄ました。
芝の上で、なんかなぁ・・・カサカサって乾いたような音が聴こえて、その方に耳を澄ましながら近寄ってみる。
その音は、途切れたか、と思ったら、また鳴り始めて、音をたどって行った先にいたのは、
「・・・セミ、かぁ。」
地面の上で、また飛ぼうと必死に羽をばたつかせているけど、
もう二度と、この空を飛ぶことはできないんだろうな。
短い命が尽きる時。
己の宿命を知ってか知らずか、その命尽きる時まで、必死に懸命に生きようとするその姿。
また飛ぼうと、また飛べると、
まだ生きられると、まだ生き続けると、
力尽きるまで、その羽がちぎれそうになるまで生きようとする生命の強さ、はかなさが胸に響いた。
まるで、もがき喘いでいるように羽をばたつかせてるセミに、俺は手を伸ばした。
腫れ物かなんかにでも触るかのようにそいつをそっと掌で包んで・・・
ただじっと見つめてた。
掌の中でも懸命に羽音をたてて飛ぼうって暴れてる。
たかが、虫。
って割り切る気持ちにはなれなかったんだ。
それは――、
己の命が尽きるまで、その命を全うする。
懸命な姿に胸が痛かった。
この命が絶えたとき、その魂は・・・?
魂を失ったこの軀は・・・?
“自然の条理”は、こんな俺でも常識ってことで・・・分かってるけど・・・
なんか見えない先に不安を感じたんだ。
掌の中でもがく蝉を見つめながら、
「ごめんな、助けてやれなくて・・・」
それから、グラウンドの隅の方へ歩いてって、
「踏みつぶされるより、マシだろ・・・」
これくらいのことしか自分にはできない。
懸命に生きようってするその命を、粗末に扱うことはできないよな。
己が与えられた宿命を、命の限り全うする。
それが、自分にできるだろうか?
自分に課せられた宿命・・・・
背を向けることはできない。
己に宿命があるなら、悔いのないよう生きよう――
自然の摂理のように、この空のように、何も考えず。
心を無にして、自分らしくこの命を全うしよう。
そう決めた。
虚無の先に何があるかは分からない。
何が残るのか、分からない。
暮れていく茜の空と、夜が訪れる紫紺の空が混じり合うこの空を見上げた。
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