蜩の軀

田神 ナ子

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22話

山百合の香 母の想い

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 頭上で騒ぎ飛び立つ数羽のカラスの羽音に、一瞬、躰がピクリと反応する。
見上げた空には深く繁茂する木々が、まるで覆い被さってくるような気がした。


戸惑い不安を覚えながらも、ひとえに教えられた道を歩いて来た。
先のわからない状況の中で、保は微かな震えを覚えた。

怖い――?
それもある。
この先、自分がどうなるのか、どう生きていくのか・・・・
そんな不安を感じながらも、ゆっくりと瞼を閉じて深呼吸する。


瞼を閉じた闇の中に、大切な人たちの姿がスクロールされるように浮かんでくる――

そう、
自分は独りじゃない。
いつだって傍に居てくれる人がいる。
自分を信じてくれる人がいる。
そう、
おそれることは何もない。

大切な人を信じて。
己自身を信じて。



先の見えない不安の中で、保は目的を果たすべく、その場へ足を運んだ。

どれくらい歩いて来ただろうか――?
薄暗くなってきた林の中で、ふと保の足が止まった。

草木が覆い茂っていた今までの視界とは違う景色が眸に映る。

 (・・・・ここが――――)

保は静かに息を呑んだ。


開けた視界に、小さな――
それはまるで存在を隠すかのようにして、古い祠堂が見えた。

幾年という月日を超えてきたのだろう・・・・
木造りの祠堂は、数えきれないほどの雨風に打たれ、耐えてきたのだろう・・・・
ほとんどが朽ちていた。
よく今日までその姿を保っていられた――と、不思議な思いで保はじっと祠堂を見つめた。


まるで待っていたかのように、は優しく温かい感覚をもっていた。

何もためらうことはない。
穏やかな、安らいだ気持ちになっていた。


ゆっくりと祠堂へ歩み寄り、今にも崩れそうなその扉を開けた。


そこに見えたのは、
小さな粗い形の墓石のようなものが二体、寄り添うように祠ってあった。
時々、誰かがここに参りに来てくれるのだろうか――?
少しの山百合と水が供えてあった。

何となく心が温かくなるそんな気持ちになった。

  (・・・・・・・・?)


どうしてだろう?
頬を伝う雫が静かに流れ、地面に落ちていく。
涙が、止まらない。
何かが哀しいというのではなく、辛いというものでもなく、ただただ、涙が溢れてくるのだった。

 (・・・父上・・・・母上・・・・・・)

は心の中で愛しい者の名を呼ぶ。


――今、ここに、私はる。

平伏すように地に這い、思いのままに声もなく泣いた。




 『やっと・・・・逢えました・・・・・』


透き通る声が聴こえた。
確かに。
どこから―――?

保は伏していた頭をゆっくりと上げる。
眼の前には先ほどから変わらず二つの墓石が並んでいるだけで、

 『ずっと――待っていましたよ、直臣・・・・・』

姿は無いが、透き通る優しいその声に、

 「・・・・母上―――」

確信した。

地面についていた両手をぐっと握り締める。
その掌の中に、土や草の感触がしっかりと伝わってきた。


 『いつの日か、こうして其方そなたと廻り逢える時が来ることを、私はずっと待っていました。母として、其方を大切にしてやれなかったこと、謝ったとて、許してはもらえぬことは分かっております。ただ――、私はこの通り妖術を持つ人間・・・・死してもなお、この魂は消えることはないのです。幾年と、こうして其方と逢えることを待ち続け、魂は生きてきたのです。』


そう語るの声が、胸の中に、躰の中に響いている。

保はずっと、眼の前の祠堂を見つめたままで。


これは真か、幻か?



 『直臣・・・・其方の記憶はなくなってなどいない・・・・そうですね?』


祠堂を見つめていたの両眼が開く。

 『母は、分かっておりますよ。』

と、優しい母の声は心の中で笑う。

その母の声に、は静かに瞼を閉じて応えた。

 「・・・・・はい―――」


―――そう、
大切なものを再び失うことが辛くて、その愛を失ってしまうことを畏れて、記憶を封じ込めた。


逃げていたのは、この――
弱くて卑怯なのは、この――

 「・・・・母上・・・・私はなんと卑怯で弱い人間でしょう・・・・」

はゆっくりと瞼を開き、真っすぐに眼の前のを見やり告げる。


 「守りたいものがあるのです・・・・この命に代えても、大切なもの・・・・・」

その濃紺の眸は凜とした力強い光を放っていた。

何をも畏れない勇姿が、そこにはあった。


 『・・・・直臣――、其方のその言葉、二言はないのですね――?』

毅然とした母の声が心の中に響く。


母の言葉を噛み締めるように、は確と頷いた。


子を想う母の意志に揺らぎはない。

永久とわに―――
我が子を守り続けようと輪廻してきた魂が、たとえ、消え往くとしても・・・・・

 『母は、其方を信じております――――』




それは、風―――?
それは、言霊となって彼のなかに温かい息吹を宿す。


母の好きだった、山百合の香り・・・・
仄かに匂う、母の想い・・・・・
 
優しくこの躰を纏うように、吹き上げていく風に感じた。
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