大正銀座ウソつき推理録 文豪探偵・兎田谷朔と架空の事件簿

アザミユメコ

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第四章 啼いて血を吐く魂迎鳥

第五話 妖魔㈠

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 鶯出うぐいで巡査による道案内中、小弟らは偶然にも今朝の火災現場の前を通りかかった。

 いまだ検証は続いており、消防の者が数名、ここから一番近い三原橋みはらばしの派出所からも巡査たちがやってきている。

 三戸建ての長屋造りだったらしく、敷地は広かった。
 木造の家はほぼ焼け落ちており、二度と住むことはできない有様であった。

 うちからそれほど離れていない場所で、元日からこのように悲惨な火事が遭ったとは。
 話には聞いていても、実物を見ると現実感が押し寄せてくる。

「あの、鶯出巡査、亡くなった人はいないのですよね?」
「ああ」
「怪我人は?」
「火災が起きた時間は家に誰もいなかったからな。そもそも三戸のうち二戸は空きがあって、一家族しか住んでいなかった。このあたりは花街で働いている者が多く住人の入れ替わりが頻繁なんだが、かえって幸いしたな」

 巡査の返答を聞き、胸を撫でおろした。

 無人で火災が発生したのであれば、原因は火の不始末か。もしくは巡査が話していたように放火なのだろうか。
 住む家を無くした人がいるのは痛ましいが、犠牲者がでなかったのは不幸中の幸いだ。

 消防組が早い段階で倒壊させたらしく、密集した住宅区にもかかわらず近隣への延焼も免れている。両隣の板塀に焦げつきが見られる程度であった。

 それでも、やはり炎の力は恐ろしい。
 地面の上に岩のようなものがかたまっており、その物体が高熱で溶けてしまった屋根の黒瓦くろがわらだと理解するのに数秒を要した。

「……おや?」

 よくよく見ると、岩のなかに鬼の顔が彫刻された瓦が混じっているのに気がついた。
 装飾や邪気払いを目的として、屋根を飾るための鬼瓦だ。それ自体はめずらしくないが、他であまり見かけない形をしていたのである。

「大抵は阿吽あうんのような顔立ちをしているものですが、こちらの鬼面は眼が四つに、頭が三つもついています。民家の屋根を飾るにしては、物々しい意匠でございますね」
「ふうむ。厄除けとしての役割は果たせなかったみたいだけれどね」

 先生の皮肉も、大きくひらけた空に虚しく掻き消えた。

 現場検証が行われている奥では半纏はんてんを羽織った男女が瓦礫から家財を捜していた。ここに住んでいた夫婦のようだ。
 当然ではあるが、心身ともに憔悴しきった様子である。

 周囲をきょろきょろと見渡し、怯えているようにすら見える。
 すべて炭と化していて、なにも残っていないのだから無理もない。芯だけ残った西洋傘の燃えかすを手にし、首を横に振っていた。

 子どもは元々いないのか見当たらなかった。
 犠牲者がいたという噂話はどこから発生したのだろうと考えながら、頭を下げて前を通りすぎた。

 火はすでに収まっていたが、幾筋もの煙が空と繋がっているように細く昇っている。
 すすのにおいは何軒も先まで届きそうなほど充満していた。
 臭気とは裏腹に、午前の陽ざしは明るい。
 年始を感じさせる穏やかな日常の空気感と、高く積まれた瓦礫との対比が印象的であった。

 気の毒な夫婦から少し離れたそのとき、すぐ後ろを歩いていた婦人の歩みが止まった。
 竜子はじっと押し黙り、燃えてしまった民家を眺めている。
 あまりに思い詰めた表情で、声をかけるのをためらうほどであった。

「竜子さん、どうされたのですか」
「いいえ……。少し物思いにふけっていただけですわ。ねえ、書生さん。炎って、妖魔のようだとは思いませんか?」
「妖魔、ですか?」
「だってうつくしいもの。おそろしいのに惹きよせられ、魅せられる。高潔でいて、淫靡いんび……」

 急にそんなことを言うので、兎田谷先生たちもおどろいて立ち止まった。

 妖魔──?

 じっとりと暗く、いかがわしげで、朝の光にそぐわない言葉だ。

 肌を刺す寒さだというのに頬が紅潮している。
 ついさっきの真剣な顔とは一転、今度はひどく興奮しているように見えた。

「まるで優しい声で手招きをされているみたい。いつまでも眺めていたくなるわ。ねえ、文士さまならば、家を包むほどの大きな炎をどのように表現するのかしら?」

 急な問いかけをされた兎田谷先生は、両腕を組み、首をかしげながら考え込んでいた。

「そういえば以前、放火を題材にした短編小説を書いたことがあったような、なかったような」

 先生の才を語る好機を得て、小弟はすかさず解説を挟み込んだ。

「痴情のもつれを一連のテーマとした兎田谷先生初の短編集『くれなゐの手記』の表題作でございますね! 青少年向けの雑誌で連載していた前作の長編とは打って変わり、男女の心情の機微を丹念かつ鬼気迫る描写で愛から憎に至る経緯を見事に書ききった、まさに珠玉の傑作でありました……! 作中では家を包む巨大な火を『女の情念にも似た紅い炎』とたとえておりましたが、犯人は被害者の男に捨てられた元情人で、恨みが募った末に放火魔になったという結末までの説得力と、愛に狂って火つけが止められなくなっていく女の心情描写はまさに紅色が目前に浮かぶようであり──」
「烏丸は、俺の全作品の一言一句を完璧に記憶しているのかな?」
「はあ、当然しておりますが」
「そっかぁ」

 竜子は袖口を口元にあて、今度は楽しそうに笑いだした。

「女の情念にも似た……ね。お若いのになかなか言いますこと。ええ、そうでしょうとも。男の情念なら、炎が燃えあがるくれなゐではないわ。もっと暗くて湿った色。あの色は、きっと女のものですもの」

 不思議な会話がなされたあとだからだろうか。贅を凝らした友禅の隙間にちらちらと覗く彼女の真っ赤な口紅の色が、やけに視界に残って離れなかった。

 再び歩きだしたが、なんとなく言葉は途切れ、誰もが無言だった。
 小弟も、さきほどの竜子の様子に胸騒ぎがして落ち着かなかった。

 時折のぞく異常な激しさ。
 鎮火したと思えば、また燃えあがる。大きくなったり、小さくなったりする感情。
 竜子という女性そのものが、まるで炎のようだと思った。


 🐾🐾🐾


 細い路地を抜けると、新橋演舞場の付近にでた。
 鶯出巡査の説明どおりだ。大きな通り沿いに歩くよりも人が少ない分、結果的に近道となった。

 演舞場を超えて花街かがいの西側へ向かう。
 奥まった路地裏に『金蛇きんだ』の暖簾のれんがかかった待合茶屋はあった。
 名前とは裏腹に、小ぶりながらも手入れされた庭が美しく、落ち着いたたたずまいの店である。

 玄関には『お報せ 一月三日は仕入れのため特別休業を致し〼』と張り紙がある。
 正月は書き入れ時だと話していたが、雨風に晒された跡があるのでずっと前から決まっていた休業日のようだ。
 戸の前に立っても店内に人の気配は感じられず、しんと静まりかえっている。これから午後にかけて準備をするのだろう。

 別れ際、竜子はあらためて兎田谷先生に頭をさげた。

「娘のこと、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「もちろん! 報酬をもらうからにはきっちり働くさ」
「誤解をなさらないで頂きたいのですが、わたくしだって娘を不憫だと感じる気持ちは持ち合わせていますの。これまで大変な苦労をかけましたもの。あの子には、本来いるべきところにいてほしいと思っていますのよ……」
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