はじまりはガシャポンで!

米と麦

文字の大きさ
39 / 83

38.北の森

しおりを挟む
 城を出発して一日半。休み少なに馬を走らせれば、本来なら二、三日はかかるであろうところを、随分縮めて目的地に到着できた。

 北の森と最寄りの街の間には丘陵地帯が広がり、森の境にはなぞるように白詰草が群生していた。開花時期の長いこの花は、盛りの春を過ぎたといえどまだ衰えを見せず、辺りにはまだたくさんの可愛らしい白小花が野から頭を出している。
 幸福の象徴として名高い白詰草は、しかし魔物には嫌われているらしく、彼らが野を越えてやってくることは滅多にない。どうやらこの香りが苦手なようだった。
 その特徴から「聖女の遣い」の愛称で親しまれ、冬にはこの花を材料にしたこうが、魔除けとして辺り一帯で焚かれる。早朝、寒空の下で各地の見習い僧侶達が静々と香を焚いて回る様は、荘厳でどこか神々しく冬の風物詩となっていた。

 テオドアは馬をとめると、生い茂る三つ葉の上に足を下ろした。聖女の遣いが護る一線を越えれば、その先は魔物の巣食う黒い森だ。日々巡警で回るそれとは比にならないほど深いこの森は、当然、ひしめく魔物の数も質も違う。後ろに続く二人に「警戒を怠るな」と一言伝えると、自身も気を引き締めるつもりで鎧の紐を締め直した。


***


 「…………静かですね。」

 森に入り込んでから半刻、ジミルがぽつりと呟く。
 慣れぬ土地とどこから襲いかかるかわからぬ脅威に三人とも神経を研ぎ澄ませていたが、深緑しんりょくの木々はひっそりと静まり返り、魔物一匹出てきやしない。

「てっきり小鬼ゴブリン鉤爪犬ファングあたりには襲われると思っていたが……まあ魔物に遭遇しないならそれに越したことはない。しかしこうも静かだと……拍子抜けを通り越して、もはや気味が悪いな。」

 クォーツが辺りを見回しながら眉根を寄せる。テオドアも同じ意見だった。この森は静かすぎだ。響くのは風に揺られる木々のざわめきと、三人と三頭の馬の足音だけ。野鳥の囀り一つ聞こえない。

「どう思う、テオドア?」
「どうって……まあ、逃げたか隠れたかだろうな」

 ヘルハウンドの気配を察知して

 どうやら二人も同じ意見のようだった。

「とりあえず、そろそろ馬に乗って進みましょうか。他に魔物がいやはいないみたいだし。辺りに大魔犬ひょうてきの形跡もありません。今は慎重に進むより一刻も早くやつを見つけるべきだ」
「その通りだな。あんま遅くなって日が暮れちまったら最悪だ。……夜戦は控えたい」

 ジミルの意見に従って三人とも馬に跨る。
 不気味な静寂を振り切るかのように、軽快に馬を出発させた。


***


 それを見つけたのは、この森に入ってから三時間ほど経った頃だった。

 もうあと一、二時間後に日没が迫り、皆の気が急ぐ。テオドアが心の内で進路転換も考え始めた、その時。

「……副隊長、ちょっとこれ!!クォーツさんもこっちへ!!」

 ジミルが興奮気味に叫ぶ。おそらく標的の手がかりを見つけたのだと悟った。水辺に寄ると予測し川沿いに北上したのは正解だったようだ。
 半ば安堵の気持ちでジミルの呼び声に応えたテオドアは、しかし次の瞬間、目の前の光景にぴたりと凍りついた。
 
「なん……だ、これ……」

 そこにあったのは、大きな熊の死骸であった。否、正確には熊型の魔物か。成獣の数倍ある背丈、巨大な角や不自然にまで発達した牙を持つそれは、人の知る熊とは違った。普段仕事で駆り慣れているテオドアも、この魔物は初めて見る。鉤爪犬ファング魔猪ビックボアといった、普段見かける大きめの魔物よりも二回りは大きい。

(多分、この森のボス……だったんだろうな)

 死してなお醸し出される強者の風格からそれが伺えた。突如現れた無作法な新参者を追い返す為、果敢に戦ったのだろう。そしてあっけなく殺されてしまった。
 腹を無惨に切り裂かられたこの森の親玉に、一抹の憐れみがよぎる。しかしそれも束の間、それを遥かに上回る恐怖が、瑣末な憐憫を簡単に押し流した。

(こいつ一匹仕留めるのだって、俺たち三人じゃ厳しいかもしれないのに、それを一撃で、ねえ)

 傷口からはみ出す腐りかけのはらわたに、蛆や小蝿が無数にたかる。その様子に背筋が粟立った。明日には自分がこうなっているかもしれない。
 だがそれでも、立ち向かわねばならぬのだ。

「うわっ、なんだこれ」

 ジミルの声にはっと我に返る。彼は既に別の場所を調べ始めていた。水辺の様子を見ながら眉を顰めている。

「どうした?」
「見てくださいよ。ここだけ焼け野原」

 森の中でも比較的開けているこの場所は、土地の傾斜もほとんどなく、勾配ゆえ激しくなった川上の水流がちょうど落ち着くところのようだ。それゆえに流れ落ちてきた水の溜まり場となっており、川というよりは湖と呼ぶべき地形をなしている。
 たゆたう湖面の周りを、地を這うように生えた野草が囲う。生命力逞しい彼らが、しかし一部分だけぽっかりと穴が空いたようになくなっており、乾いた焦土が剥き出しになっていた。

「ヘルハウンドがここで喉の渇きを潤したのだろうな。水面に口をつけた時、吐息で周りの草木は焼き枯れてしまったのだろう」
「多分そうでしょうね。でも一つ気になることもあって、あっちの水面、なんでか凍ってるんですよ」

 クォーツの冷静な分析に対し、ジミルが言葉を付け足す。彼の指した方を見れば、焦土から少しずれた湖面の一部が確かに凍りついていた。隣接する地の草木にも霜が降りている。今度はテオドアが眉を顰めた。

「……なあジミル、あの時ヴォモイ大臣は確かに“ヘルハウンド”って言ったよな?」
「え?あ、はい。そう……ですけど」

 それが何かと言いたげに首を傾げる。

「……そうだよな。や、なんでもない。それじゃ、そろそろ出発するか。やっこさんの手がかりも掴めたことだ。ここからはこの馬鹿でかい足跡を追ってけば辿り着くだろう」

 凄惨な死骸や不自然な景観に気を取られおなざりになっていたが、その場には共に巨大な肉球の跡が散らばっていた。

「……足跡だけなら可愛いんだけどな」

 頓珍漢な独り言に、何言ってんですかあんたとツッコミが入った。
 足跡は川上の方に続いている。ここにきて大きな手がかりを得られたのは幸いだ。三人とも馬に跨るとすぐさまその場を発つ。
 日暮れまであまり時間がない。その焦りは馬の脚にも如実に現れた。走りながら眼下の足跡に目を落とす。

(ほんと、これだけ見れば可愛いのにな)

 この大きな肉球だけであれば、正体は可愛い大型犬かもなどと楽観的な期待ももてただろう。……いや、流石にこの大きさでは無理があるか。

 ヘルハウンド、炎の息を吐く巨大な魔犬。

(本当にそうなのか?)

 凍りついた湖面が、霜で枯れた草木が脳裏に浮かぶ。嫌な汗が背筋を伝う。
 駿馬の脚をもってしても、テオドアの小さな不安を振り切ることはできなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して二年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 【ご報告】 2月15日付で、誤字脱字の修正および一部表現の見直しを行いました。 ただし、記載内容の趣旨に大きな変更はございません。 引き続きよろしくお願いいたします。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...